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7:立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は核弾頭

 こんな嘘、すぐにばれる。そう思いつつも、僕の声がかすれて震えているのも、決して振り返らないのも、扉が開かないことに対する混乱と恐怖だと会長が解釈してくれることを祈って、僕は会長の返答を待つ。


「開かない?」

「…………はい」

 慌てた様子も、疑っている様子もない。ただ不思議そうな疑問の声に場違いな安堵を懐いて、僕は虚偽の肯定をする。

 この後のことなんて考えていない。会長が扉に手を掛けたら、その時点で嘘だとばれる。その後、どうするかなんて思いつかない。


 扉が開かないという嘘だけなら、会長は僕のことを怒らないだろう。

 調子のいい返事をしておいて、いざ出ようとなったら怖気づく腰抜けと思われても、そういう事を責める暇があるのならこの人は僕に待機を命じて、一人でさっさと学校を探索する人だ。


 けど、嘘が露呈しても僕がここから出ないでと懇願したら、この人はどうするのだろう? 

 僕の不吉な予感を話せば、信じてくれるだろうか?


 ……信じてくれそうだな。高確率で。

 楽観や自惚れじゃなくて、今まで見てきた会長の性格を考えると、どんな荒唐無稽な話でも大真面目に語るのなら全否定は絶対にしない。とりあえず、それが本当だという事を前提に、話したり行動をとってくれる。


 けど、その会長の美徳は、今の僕の救いにはならない。

 僕の見たものを、見た光景を信じても、この人はきっと扉を開ける。黙って大人しく、誰かが異変に気付いて助けてくれるのを待つ人ではないから。その異変に気付いて誰かを助ける側の人だから。


 だから、僕は嘘を吐くしかない。

 このあまりにも稚拙な嘘を会長が全面的に信じて、扉に手を掛けさえもせずに諦めてくれることを期待するしかない。

 ……決してそんなことをする人ではないからこそ僕は救われたのに、この人の諦めの悪さこそ僕の好きな人の一番大切な部分なのに、僕は一番したくない期待を懐く。


「……ふーん。そうか。開かないのか」

 背中から聞こえる声に含まれる感情の種類が、変化した。

 慌てた様子は未だに全く見当たらない。冷静沈着そのもの。

 そして、僕の言葉を疑っている不審さも嘘だと気付いたうえでの怒りや皮肉も、その声からは感じられない。


 ただ、会長から疑われるより失望されるよりある意味では恐ろしい感情の色を、僕はその声に見た。


「…………会長?」

 嘘を露呈させないため、そして罪悪感から逃げる為にずっと俯いて爪先を見つめていた顔を上げ、恐る恐る振り向いた。


「扇歌くん」


 喜色に染まった声音が、僕を呼ぶ。


 振り向いた先では、会長が猫のような笑みを浮かべている。猫と言っても、喉を撫でて気持ちよさそうな顔でなければ、日向でまどろむ顔でもない。

 ネズミや虫などの獲物に狙い、甚振る気が満載の猫の笑顔を彼女は浮かべていた。


「こんな言葉を知っているかい? 押してダメなら、引いてみろ」

 凄絶な猫の微笑みのまま、会長は語る。


 会長? それは例え話ですし、この扉は普通の学校の扉らしくスライド式です。押し引きは関係ありません。

 場違いな突っ込みが頭の中で浮かぶけれど、もちろん僕の脳内突っ込みが会長に届く訳がない。口に出す前に、行動に移していたから。


 自分のボストンバックを肩にかけて、会長は机と椅子を壁の端に動かしていた。その訳の分からない行動を僕がポカンとしたまま見ている間に、会長は窓際にいったん立つ。


「そして、引いてもダメなら!」

 この時になって、僕は会長が何をしようとしてたのか、っていうか何をやるのかにやっと気付いた。

 気付いて、反射で避けた。生存本能と反射神経が僕の意思関係なく、体を動かした。


「ダイナミックお邪魔します!!」

「どこの国の言葉だそれはー!!」


 助走をつけてスライド式の扉を思いっきりぶち破った会長に、敬語も敬う気持ちもこの時ばかりは恋慕も捨てて突っ込んだ。


 あんた、扉が開かないと言われてまずやることがそれ!?




 * * *




 助走と言っても5メートルあるかないかな距離の助走で、よくここまで綺麗なフォームと勢いをつけれたなと感心してしまいそうなくらい、見事なとび蹴り。

 自分がスカートをはいているという事を完全に忘れているか、中が見えても気にしないと言わんばかりの蹴りだったけど、こちらもさすがにそんなところに注目していられる余裕はない。


  避けなければ間違いなく、扉の巻き添えで僕も吹っ飛ぶ。そういう位置に僕はいた。

 これで避けることよりスカートの中を注目できる男がいたら、いっそ尊敬する。


 扉はちょうど真ん中らへんで真っ二つに割れた。木製とはいえ、三センチくらいは厚みのある扉が、クッキーとも割るかのように真っ二つ。


「なにやってるんですか、あんたはー!!」


 ドアをぶち破り、ドアごと廊下に着地する会長に、半端な敬語で叫んだ。

 会長を避ける際に倒れた体勢を起き上がらせて、膝が付いた体勢のまま上半身をひねり、勢いを、遠心力をつけて、持っていた鞄を投げつける。


 会長の奇行で一時とはいえ僕の恋慕がすっ飛んだと思ったけど、そんなことはなかった。自分で考えての行動じゃない。これだって会長の蹴りを避けたのと同じ、反射の行動。

 僕の恋情は、既に魂の一部だった。


 僕の鞄が、中身は筆記用具と昼食のコンビニおにぎり二個とお茶くらいだけど、それでも勢いをつけた甲斐があって、いい音を鳴らして当たる。

 会長ではない。ちょっとぶつけたい気持ちは確かにあったけど、会長にぶつけたわけじゃない。


 ぶち破られた扉の先には、薄暗いけど窓の外と比べたら十分に明るい、普通の廊下だった。廊下は。


 そこにいるものは、普通じゃない。それだけは、扉を開ける前からわかっていた。

 だからこそ、出来た行動。


 わかっていなければ、わかっていたとしても、そこにいる「それ」の具体的な姿を知らなければ、僕はただ引きつった声を上げて、身を竦ませて何も出来なかったはず。そうして、あの光景、あの結末を再現してたはず。


「ひっ!」

 わかって行動した上でも、改めてその姿をみて引きつった声を上げてしまったのだから。


 僕の鞄が命中した相手は、化け物としか言いようのない怪物。

 姿は灰色のヒキガエルが、一番近くて妥当だろう。


 ただ、大きさが人と同じくらいあった。これだけで蛙が苦手な人は悲鳴を上げて失神ものだけど、それだけなら良かった。普通のヒキガエルと違うのが、大きさだけなら良かったし、その蛙に目がないことだって、僕からしたらさして恐れる理由にはならなかった。


 普通の蛙なら鼻や口に当たる場所から、イソギンチャクのような肉色の触手がうねうねと動き回り、吸盤をもつ前足が顔についている触手と同じ色、脈打つように蠕動する肉で出来た槍らしきものを目にして、体が固まる。


 既に一度見ているのに、あの扉の前で、扉に手を掛けた瞬間、見えた光景がもう一度フラッシュバックして、僕の体を縛り付ける。


 動け、動かせ、立って、会長の腕を掴んで逃げるんだ。あんな鞄の一撃、向こうを一瞬ビビらせる程度で、ダメージなんてないに等しいはず。

 わかっているのに、頭の中で自分がすべきことを叫ぶ声が聞こえるのに、僕の体は動かない。心臓だけが、早鐘のように脈を打ってうるさい。


 早く、早く僕が行動に移らないと、あの光景の再現が始まってしまう。

 僕に投げつけた槍から僕を庇って、僕の目の前で、僕の腕の中で息絶えた会長の結末が――


「ナイスだ、扇歌くん」


 一閃。


 光の軌跡が見えた。その軌跡に数秒遅れて、ぶちゅると粘着質で柔らかい何かが潰れて破れたような音が耳に、膿のような悪臭が鼻に届く。

 首に当たる部分が、薄皮一枚でつながって蓋を開けるように胴体から離れていく光景が目に届いたのは最後。


 ヒキガエルは、倒れる。後ろに、べちゃと水分を多く含んだものが潰れる重たい音を立てて。


「ハロー、月棲獣(ムーン・ビースト)。上にはおべっか、下には弱い者いじめしか能がない雑魚が、何の用かな?」


 まだ息があるのか、それともただの脊髄反射か、ビクビクと手足を痙攣させている倒れた蛙を躊躇なく踏みつけて、会長は笑う。ネズミを、虫を、獲物を狙いすまして狩る猫の凄絶な笑顔で。


 あぁ、そうか。獲物はバレバレの嘘をついてた僕ではなく、初めからこれだったんだ。

 左の肩にかかったボストンバックは、チャックが開いている。おそらく、初めから開けていたんだろう。僕が鞄をぶつけなくても、たぶん初めから対処は出来た。


 鞄から長さが30センチほどの短刀、所謂どすで初めから切り伏せる気満々だったの、この人!?


「女相手なら勝てると思ったか? 舐めるな、腰抜け蛙。こちらはお上に歯向かい、堅気には手を出さない昔ながらの任侠道を貫く九頭竜組の娘だ。

 お前程度の小物なんぞ、海千山千見てきて相手にしてきた極道舐めんな!」


 怪物の体液で汚れた刃を振り下ろし、わが水華鳥高校生徒会長にして、指定暴力団「九頭竜組」組長の長女、沼瀬千年は化け物相手に啖呵を切った。




 * * *




 僕の金縛りは悲しいことに突っ込みという形で解けた。


「学校になんつーもんを持ってきてるんだあんたは!!」

 また敬語がどこか遠くに吹っ飛んだ。使ってられるか、この状況で。


 学校の外は暗闇、学校内には怪物という状況で突っ込み入れてる僕も呑気だけど、怪物を切り伏せた本人は一番状況を把握してるのかいないのか、ヒキガエルの化け物を踏みつけたままドヤ顔で答えやがった。


「扇歌くん。女には外を歩くと七つの七人の敵がいるんだ。これくらいの武装は、ヤクザの娘じゃなくても当然だ」

「ヤクザの娘でも非常識ですよ! それと敵の数を増やすな!」


 何でナチュラルに、敵の数を二倍どころか二乗してるの!? 五十人近く敵がいるの!? いても納得だけど!


 ああもう、何で僕は化け物相手にとんでもないことをやらかしてる人に、いつも通りの突っ込みを入れてるんだ!?

 余裕なのはいいけど、お願いですから空気を読んで会長!


「あまり怒らないでくれよ、扇歌くん。今はその非常識が役に立っているんだから。それに、敵が五十ほどで済めばいい状況だよな、これ」

 それは、正論だった。正論であることは、この言葉の一瞬後で証明される。


 もうピクリとも動かない蛙を踏みつけたまま、会長が抜き身のどすを振るった。

 蛙の喉を切り裂いた時と似た、水分を多く含んだものを潰すような音と膿のような悪臭がして、僕の目の前にびちゃりと潰れたのは、肉で出来た槍。


「立ちなさい、扇歌くん!」

「はい!」

 切り裂かれて潰れても単体の生き物のように蠕動するその肉槍にビビっていたくせに、パブロフの犬よろしく、僕はいい返事をして即座に立ち上がる。


「行くよ!」

 会長に手を掴まれ、僕は走る。走る前に、見た。

 僕たちが走る廊下とは逆方向に、道を塞ぎ、蠢く、触手の生えた顔を持つ蛙の大群を見た。


「会長! あれは……」

「ムーン・ビースト。拷問好きで他の種族を奴隷にしたがる、怠惰な連中さ」


 トマトでも投げつけられて潰れるような音をBGMにして、僕らは走りながら言葉を交わす。

 見なくたって、その潰れる音の正体はわかる。あの、肉の槍だ。


 音からして、当たっても「痛い」じゃなくて「気持ち悪い」で済みそうだけど、僕はあの槍が「痛い」で済まないことを知っている。


 ……当たっていないのに、知っている。

 当たっていないのに、あの槍が命中したらどうなるかを、僕は見た。見えた。


「何で、わかるんですか?」

 自分を棚上げして、会長に尋ねる。

 ……会長があの化け物の名を知っている理由がわかれば、自分が見たものの説明がつくかもしれない。少なくとも、会長に話しやすくはなるはず。


「わかるというか、たぶんそうじゃないかなーって程度だけどねー。人間大の目がない触手ヒキガエルなんて私はそれくらいしか知らないから、暫定でそう呼んでるだけ」

「適当だった!?」

 駄目だった! 暫定であんなに堂々と説明したり呼びかけたりしてたの!?


 とことん僕の予想と期待の斜め上をぶっちぎる会長に突っ込みながら、僕らは廊下の端、二階校舎の端までやってきて、そのまま角を曲がって階段を下りる前に会長の声が鋭く飛んだ。


「扇歌くん! 防火!」

「はい!」


 会長と同時に僕は防火扉のロックを外して、勢いよく扉を閉めた。勢いをつけすぎて、派手な音を立てて何度かバウンドしたけど、それをさらに勢いで押さえつけて、閉めた状態でロックし直す。

 僕と会長が防火扉をロックした数秒後、扉の向こうであの水っぽい潰れる音と、水をたっぷり吸ったタオルで何度も扉を叩きつけるような音が聞こえる。


とりあえず、すぐにこの扉が破られる心配はなさそうだ。

 そう認識した瞬間、足の力が抜けて、その場に僕は座り込む。力の抜けた足は、僕の意思に関係なくガタガタと震えて止まらない。


 今更、あの蛙、有りえない存在に対して恐怖を感じた。


「はぁー。ひとまずは安心かな。本当に、ひとまずだけど」

 情けない僕と違って、会長は腰を抜かすなんてことなく、鞄とどすを持ったまま両手を上げて背中を伸ばす。それは普段のちょっと力仕事を行った後の仕草と同じ。


 ……この人を見ていると、状況が剣呑なのか安穏なのかがわからなくなる。

 あんな化け物に襲われたのに、何の心配もいらないと思ってしまう。

 ……僕が見たあの光景は、とてもリアルで一番嫌な、けれどただの想像だったと思わせる。


 それは甘えだとわかってる。逃避だってことは知っている。最悪の事態を予測して動くべき状況だって、理解している。

 けれど会長は、僕に今は異常ではなく日常だと錯覚させる。


 いつものように会長は、楽しげに笑って言うから。

「扇歌くん。クトゥルフ神話って知っているかい?」




 * * *




 防火扉はまだ向こう側がバンバンぐちゃぐちゃいってるのに、何も恐れずもたれかかって、会長は人さし指を立てる。


 説明好きの会長が、雑学を語り出すときの仕草。

 こんな事をしてる場合じゃないというのに、僕は会長のこの仕草も、会長の語る話も、雑学に感心する 僕の顔を楽しみにして笑う顔が好きだった。


 見惚れるくらいに、好きだった。

 だから、水を差さずにただ先を促した。


「いいえ、知りません。……あの蛙の化け物は、その神話の生き物なんですか」

「少なくとも、似てはいるね。

 と言うか、この神話はどこかの国や地方、民族に伝わる神話じゃなくて、今日、君に図書室で進めた本の作家が一九〇〇年に作り出した、創作神話なんだよ」

「は?」


 水を差すつもりはなかったけど、会長の説明で僕は間の抜けた声が出た。


「創作神話? つまり、フィクションってことですか?」

「さあ? どうだろうね。少なくとも、どこかで昔、信仰されていた宗教とかの神話ではないよ。

 どっちにしろ今、現実でその神話に出て来る化け物と似たような奴らが襲ってくる。その事実は変わらないんだから、フィクションだろうがノンフィクションだろうがそれはもはや関係ないだろう」


 その通りだった。そもそも僕は神様というものを信じていない。

 だから、神話はすべて僕にとってはフィクション。そのクトゥルフ神話というものと日本の神話やギリシャ神話の違いなんて、いつごろ、誰が作ったかがわかってるかわかってないかくらいの違いにしかならない。


「で、ここから本題なんだけど、その神話と言うか小説と言うか、とにかくクトゥルフ系の作品って妙に匂いの描写に気合を入れることが多い。特殊な匂いがする化け物が多いんだよね。

  麝香っぽい匂いがする奴もいれば、腐乱臭と獣の匂いが混ざったような奴もいる」


 ……ここまで言われて、気付く。あの蛙の恐怖とそれから一時とはいえ逃れた安堵が、僕の嗅覚を今まで麻痺させて、現実逃避していたらしい。

 逃避していた感覚が、戻ってくる。


 生ごみ置き場のような匂いと、洗っていない犬のような獣の匂いを一緒に連れて。


「ちなみにその匂いがする化け物を、クトゥルフでは食屍鬼(グール)と呼ぶ。見た目は、犬のような顔に足は蹄、手にはかぎ爪だ」


 匂いは、下から上に上がってくる。ハイヒールのような足音を立てながら、ゆっくりと。

 階段から上がってくる人影、人に似た形の影は三つ。


 電燈の点いていない暗い階段の踊り場だけど、とっくの昔に目は暗さに慣れている。上がってきた奴らの、人に似ていながら人として歪な姿形がはっきりとわかるくらいには。


 犬のように鼻と口が前に飛び出た骨格、足音はハイヒールなんかじゃなくて、堅い蹄が床を打ち鳴らしていただけ。そして両手には十本の、なまくらとまではいかないくせに、あまり鋭くなさそうなのがむしろ嫌なナイフのようなかぎ爪が、僕には見えた。


「ビンゴ!」

何故か嬉しそうな会長の横顔も一緒に。




 * * *




 嬉しそうな会長の横顔と、ダブって見えるもう一人。


 幻覚であること、幻視であることはわかってる。


 幻覚であること、幻視であること以外は認めない。


 重なって見えた会長が、血にまみれた会長が、現実だとは絶対に認めない。


 長い綺麗な黒髪が、ざんばらなショートになっていた。

 背中には四本の、深々とした爪痕。骨が見える程深く、なのに切れ味が悪かったせいで肉がぐずぐずに潰れた傷。

 肩と脇腹、片足の腿の肉が大きく削れている。獣に食い千切られた肉片。滑らかな肌にいくつもついた歯型。


 右手は、肩から先がない。

 人に似た姿の、人ではないけだものが、あの白い腕を、僕に何度も差し伸べてくれた手を、貪り食っている。


 食われていく。


 会長が、


 目の前で、


 生きながら、


 体の一部一部をもぎ取られ、


 食い千切られて、


 死肉しか口に出来ない奴らが、会長を生きながら解体して、殺して、会長を、会長を――


「扇歌くん、これ持ってて」

 座り込んでいる僕に投げられたのは、会長のボストンバッグ。


「え? わっ!」

 咄嗟にそれを受け取ってから顔を上げた時には、もう見えなかった。

 グールに貪り食われる会長なんか、どこにもいない。


「ちょっとあれ、片付けるから。それ持ってて」

 巨大ヒキガエルを、ムーンビーストを切り捨てて踏みつけていた時と同じ笑み。獲物を捕らえた猫の笑顔で、会長は僕に告げる。


 どすを携えて、そのまま会長は階段を悠長に降りるなんてことはせず、最上段から飛び降りて、そのまま上がってきていた三体のグールの真ん中を、靴底で顔面を踏みつける。

 犬と同じように鼻と口が前に突き出た骨格だから、鼻だけではなく顎まで粉砕されただろう。


 そのまま痛みの悲鳴すら上げることも出来ず、一体は後ろに倒れ、階段から落ちる。頭も派手に打ったから、脳の作り、特に頭蓋骨の厚さが人と同じくらいなら、良くて脳震盪。悪ければもうすでに死んでるんじゃないかな、あれ。


 とび蹴りを綺麗に決めた奴ごと一緒に落ちるという無様な真似は、もちろんしない。会長は、他の二体よりも低い位置で見事に着地して、そのまま膝を折ってさらに体勢を低くする。


 仲間を心配したのか、会長を目で追ったのか、両サイドの二体が振り返るけど、そのうち一体は会長のどすで両膝の裏を切り裂かれ、耳につんざくような悲鳴を残して、こちらもバランスを崩して階段から転がり落ちる。


「会長!」

 それでもまだ、状況は悪い。会長がひざ裏を切ったのは、会長から見て左にいた奴で、右にいた奴は背中を向けてしまった会長に腕を振るわんと、かぎ爪でその背を切り裂かんとばかりに振りかぶっている。


 咄嗟に僕は叫んで、「持ってて」と頼まれた会長の鞄を思わず投げつけようとしたけど、間に合わなかった。

 グールの腕が、かぎ爪の方が早かった。


 けれど、何の意味もなかった。


 グールに背中を見せながらも、会長の左手に握られたどすの鞘がしっかり、そのかぎ爪を受け止めていたから。

 まさか受け止められる、予想されてるなんてことを予想されていなかったグールの動きが止まる。


止まっていたのは数秒。その数秒は、実に有意義に使われた。

 ぱしんと、器用に片手で会長はどすを順手から逆手に持ち替え、そのまま下から上へ、半円を描くようにして腕を振るい、突き立てた。


 グールの喉に短刀を、深々と。


 最後のグールも、悲鳴を上げることは出来なかった。

 金魚のようにパクパクと口を動かし、目を見開くグールに会長は階段を上がり、すれ違いざまに突き立てたどすを抜く。

 血がポンプやシャワーのように吹き出なかったのは幸い……なのかな? とりあえず、服とかが汚れなかったからいいことだろう。


 どろりとした、粘液を喉からあふれ出させて、最後のグールもまた階段から落ちる。

 奴らがやってきて、一分もしないうちに食屍鬼という悍ましい名前の化け物は全滅した。




 * * *




「はい、終わりっと」

 どすを鞘に仕舞って、僕のところまで戻って会長は手を差し伸べた。


「扇歌くん。そろそろ先に進もうか」


 にっこりといつものように笑う会長に、僕は乾いた笑いしか返せなかった。

 あの幻覚は本当に何!?


 この人、むしろどうやったら死ぬの!?


シリアスになるかと思ったら、会長無双だった。


会長の家の「九頭竜組」は、もちろん実際の暴力団には存在しませんよ。「九頭竜」は「クトゥルフ」のもじりですし。

少なくとも、指定暴力団と指定じゃないけど有名どころの暴力団ではないです。軽くですが調べました。実際にあったらマジで困るどころじゃないので。


それでは、ここまで読んでくださってありがとうございます。

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