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「あんたは、だれ。」


「卒業おめでとうございます、綾織センパイ」


手渡された花束は愛らしい桃色のガーベラとスズラン。

小さな後輩の手で送られた、他の同級生と差のない贈り物に胸がじんと揺れた。部活の間、にこりとも笑わないわたしは決して居心地の良い相手ではなかったはずだ。それなのにこんな素晴らしい贈り物をくれた。それが嬉しくて、わたしは柄になく泣きそうになった。


はらはらと花弁の先まで初々しく色づいた桜。それが作る幻想的なアーチを眺めながら、わたしはそっと人波から外れた。帯人はこういう雰囲気が嫌いらしく、早々にしけこんだみたいだ。


(今日で、卒業…)


わたしは、生きている。

花束を抱える指先が震えている。きんと冷凍庫の氷のように冷えてしまっている。内側の恐怖が体の端々までいきわたって、異常を起こしているのがわかった。生きていることの歓喜と恐怖が入り混じって、頭がぐるぐるする。


(きれい、)


明日から、わたしは海外に行く。母親とともに行く予定だったが、彼女はここに残るらしい。残るといっても、祖父母の田舎に戻るので正確を期せばこのここには残らないのだが。


(___帯人、怒るかな)


彼には何も言っていない。彼以外にも、留学のことを知っているのは担任のみだ。

筋が通らないことをしているのは充分承知だ。だが、帯人には言えない。言ったら、予定されたわたしの死がこれからも後を着いてまわる様で…言えなかった。


(結局わたしは、帯人よりも自分が大事。わたしが生きること、生き残ることが一番大事、)


なんて不誠実な女なのだろう。帯人もきっと、そんなわたしのことを嫌いに決まっている。だからコレで良かったのだろう。言わなくて正解だ、帯人だってわたしの進学先に興味はないに決まっている。


(この町とも、お別れか…)


奇妙な気分だ。この町にうまれ住んで18年。その生涯は、常に死の恐怖と隣りあわせだった。この町は、この学校は、わたしの死と同居している。


だけどいざ離れるとなると、ほんの少しだけ郷愁が込み上げた。

心残りがあった。___わたしは、それがなにかわかっている。


「____あ、」


ふわりと桜吹雪が舞った。全身を包む仄かな香りに眩暈がしそうだ。

収まった花嵐にゆっくりと視界を開く。そうして先に見たものに、わたしは驚愕した。


(…うそ、)


何時の間にか、その人はそこにいた。

裏庭の人の寄り付かない場所にひとり、__いや違う。ここは彼のお気に入りの場所だ。わたしはそれを知っている。知っていて、何度もこの場所を訪れたのだから。


でも、会いたいひとに出会えたことはない。

“彼”に会えたのは、これがはじめてだ。


「鬼灯…静城、」


蚊の鳴くようなその声は、それでも彼に届いたらしい。

ゆるりと振り向いて、わたしを真っ直ぐに貫く青の瞳に全身が震えた。


「……、」


誰。

そう語りかけてくる視線に、思わず足が下がる。落ち着けおちつけ、そう何度も言い聞かせて今にもはじけそうな心臓を抑え込んだ。呼吸をする、深呼吸。でも、どんどん上がる体の体温が収まらない。


「あ、…え、あの…綾織、紗重って言います…。違うクラスだけど、同級生です」

「…」

「はじめまして、」


その言葉に、思わず涙が出そうになった。

彼がわたしのことを知らないのは当たり前だ。確かに会いたくて何度もここを訪れたが、その反面会いたくなくて___いつも、彼がいない隙を見計らっていた。そのくせ、会いたい人に会えなかったなんて方便もいいところ。


そうだ、わたしは嘘吐きで、ひどいおんなだ。


結局のところ、わたしを思って泣いてくれる母にも、なんだかんだで傍にいさせてくれた帯人にも、一度だって本心を語ったことがない。


(でも、もう…)

嘘をつく理由はなくなった。言い訳の材料はなくなった。

もう、ない。


_____なんにも、ない。


「____、」


涙が、零れた。

気付いたのだ。この先の未来が真っ白であることに。わたしの“知識”はここで途切れる、この先にはわたしが知らない未来が広がっている。今まで道しるべとしてきた人生の標本はもうない。わたしはわたしとして生きていく事以外、なにも許されないのだ。


真っ白な世界に放り投げられたような気分だった。

とても恐ろしかった。___それは、今まで怯えていた死の面影とおなじくらいに。


「……生きてて、よかったと」


その言葉は、まるで懺悔のように、滴り落ちる雨粒のように零れて、


「思います。これから真っ白な未来を歩むことが恐ろしいけれど、それでもきっと正しいと。この未来が正しいと、思えるようにいたい。この未来を選んだことを後悔したくない。沢山わるいことをしました、皆を騙しました。それでも、それでもわたしは___ただ、生きたかったんです」

「…」

「そう思わせてくれたのは、あなたでした」


いろんな感情を孕んだ言葉が、わたしの世界を色づけていく。


「ありがとう。わたしは、あなたのことが____ほんとうに、大好きでした」

「…」


贖罪から始まる、本当の人生は___きっと愉しいものではないだろう

罪はいつもわたしの後をついて回る。それでも、後悔だけは、したくない。


「さようなら、」


わたしはうまく、笑えただろうか。




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