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「君が、ぼくを狂わせた。」


石丸帯人にとって、綾織紗重の存在は煩わしさとともにあった。


帯人は幸福とは言いがたい幼少時代を送った。酒とギャンブルに溺れたクズの父親と、人の良すぎる母親の間に生まれた。幼い頃から思い出したように家に来ては有り金を奪っていく父親に暴力を振られていた。泣きながらそんな父を止め、血だらけになる母。社会目を気にして病院に連れていてもらえることもない。毎日水と塩を舐めて生を繋ぎ、暴力に鞭打たれながら歳を重ねた。


そんな帯人の事情は母親の努力虚しく、近所の皆が知るところだった。回りの人は、帯人を忌避するか揶揄しては腫れ物のように扱うかどちらかだった。そんな帯人を馬鹿にして、強請りを働くものもいた。彼らを払いのけているうちに、帯人は喧嘩の作法を身につけていった。ますます、帯人に人が寄り付かなくなった。そんな時だった、ひとりの転入生が帯人の前に現れたのは。


「___綾織、さえです」


第一印象は、まるで人形のような女。

真っ直ぐな黒髪に、垂れ目がちの黒目。服の裾から覗く真っ白な肌に包まれた腕は握れば容易く折れてしまいそうだった。そこだけ違う時間が流れているような、不思議な雰囲気を纏う少女。それが綾織紗重に抱いた、帯人の第一印象。


(おキレイなやつ…)


荷物や衣装から零れる都会の香りに、帯人は彼女が自分とは違う世界の人間だと悟った。きっと関わる事も、関わられる事もないだろう。そう思って、我関さずと何時も通り机に伏せた。だからそんな自分を見つめる黒の双眸に気付かなかった。


「お、帯人くん、また残っちゃったの?」


そんなこと聞かなくてもわかるだろう。そう吐き出しかけた言葉を飲み込み、こちらの期限を窺うようにして言葉をかけてくる教師を睨んだ。すると、教師はひくりと肩を跳ねさせて慌てて生徒に声かけを始めた。


「誰か、帯人くんとペアになってくれない?」

(そんな物好きいるわけねぇだろ)


しんと静まった教室に、帯人は舌を打った。

毎回まいかい行なわれる恒例行事に、もはや呆れの声もでない。適当に見切って教室から出て行こう。そう思って窓の外を見ている帯人の耳に「はい」と上品な声が届いた。


「はい。…わたし、空いてます」

「! え、で、でも」

「この実験やったことがあります。だから…大丈夫です」


慌てる教師の前で、転校生・紗重は凛とした様子でそう告げた。

後ろで慌てた様子で綾織を引きとめようとする女性との声を治め、綾織は帯人を見た。真っ黒な瞳が、真っ直ぐに帯人を見た。その目はどこまでも透き通って、真っ直ぐで。そんな目に見つめられた事がなかった帯人は柄になく慌てた。困惑を悟られないように、矜持を張った挙句にでたのはしょうもない苦言だった。


「断る」

「…」

「誰がお前なんかと組むか。ブス、」


_______そんなあけすけな毒舌を受けたにも関わらず、綾織紗重は次の日も帯人のペアとなると利候補した。次の日も、次の日も___やがて綾織は、日常においても帯人の後に張り付くようになった。


「帯人くん」

「名前で呼ぶな」

「じゃあなんて呼べば良いの、」

「ンでもいーよ。つーか寄るな、迷惑なんだよ」

「何でもいいって言われても困るよ。だって帯人くん、苗字で呼ばれるの嫌いでしょう」


さらりと、当たり前のように綾織が口にした言葉に帯人は驚愕した。

そんな帯人のことをどう勘違いしたのか、綾織は穏やかに帯人に微笑んで見せた。…この時の綾織は、まだ表情が豊かだった。


だがそれは、帯人にだけではない、

綾織は誰にでも良い子だった。大人びた様子や思考は皆に頼られ、信頼を集めた。嫌われ者の帯人の傍にいてわがままや無理難題をなんでも聞き入れるくせに、彼女の周りには人が絶えず常に活気に溢れていた。そんな綾織が、帯人は“大”嫌いだった。


「その笑顔きもちわりぃーんだよ、吐き気がする」

____そういった次の日から、綾織は帯人に笑わなくなった。


良くも悪くも従順な綾織。帯人のいう事はなんでも利く。帯人以外にニコニコと笑う綾織を見て、帯人は思った。綾織は煩わしい。付きまとわれるのは酷く迷惑だ。綾織が笑うと胸がムカムカする。だからこの状況のままで言い、彼女はもう帯人のまえで笑わない。なら次は『近づくな』と上手く“命令”してやれば言い。でも…それは癪に障る。


(試して、やろう)


綾織という女が、どこまで自分のいう事をきくのか。

そう、これはゲームだ。綾織紗重という自分だけのおもちゃを使った、帯人だけのゲーム。


帯人はその日、綾織に『他の人間に笑うな』と命じた。最初こそ渋った綾織に『でなければ嫌いになる』と言うと、彼女は二言返事で頷いた。そうして、綾織は“誰にでも”笑わない子になった。


帯人と綾織の関係はそれを皮切りに“悪”化した。

犬と飼い主のような、下僕と主のような奇妙な関係。そんな2人の様子は異様だった。帯人のいうことならなんでも利く綾織と、そんな綾織を解っていながら無理難題を平気な顔で押し付ける帯人。異質で、気色が悪い。二人はいつしか“ペア”で扱われるようになり、どんどん周囲から孤立していった。それでも、綾織は帯人の傍に居続けた。


それなのに、綾織の存在はいつまでも帯人を掻き乱す。

従順な綾織、なんでもいう事を聞く。帯人の言う通りにする。


ある日、帯人はふと綾織の“女”としての部分に興味をもった。単なる余興だった。『脱げ』と、そう命じた帯人に綾織は久しぶりに感情を顔に出した。驚愕と羞恥、その二つに染まった綾織に顔に帯人は笑った。ああ、さすがにそれはできないんだ。この女にも、矜持はあるんだな。…それは、嘲笑のはずがわずかな安堵を含んでいた。


そう帯人は安心したのだ。なぜか、ためらいをみせる綾織に安堵したのだ。


だが、それは次の瞬間容易く打ち砕かれた。


「わかりました、」

「え」


一瞬、なにが起きたか解らなかった。

ぱさり。ぱさり。そんな乾いた音とともに落ちる衣類に。露になる真っ白な肌に。帯人は気付けば逃げ出していた。その日、帯人は絶望した。綾織の行動は、帯人のなかにあったなにか嫌な不安をたきつけたのだ。不吉な推測が、確信へと迫る。


(アイツは…紗重は、ちがう)

_____紗重は、帯人のことなんてちっとも好きじゃない。


『嫌いになる』といえば顔を真っ青にする紗重に、いつしか帯人は錯覚していたのだ。彼女は自分の事が好きなのだと、だからなんでもいう事をきくのだと。すべては帯人の好意がゆえにだと。だけど違う。彼女の行動原理はもっと違うところにある。


それは、恐怖や、執着に似ている。

まるで自分の父親と、母親のように。


ぞくりと背が泡立った。頭の中で警報が鳴り響いた。真っ赤な色に染まる脳裏の奥で、もう1人の帯人が叫んだ。何かを必死に叫んだ。(彼女を解放しろ、)


だけど、帯人はその叫びから耳を反らした。

認めたくない“真実”を前に、いつの間に芽生えていた“煩わしい”感情が暴走を始める。もう自分にも止められなかった。その日を境に、帯人の綾織への要求はさらに苛烈さを増した。2人の関係はますます歪んでいった。それでも綾織は、帯人の傍に居続けた。




「…、」


消えた背中に、重い息が零れる。

ちりちりと焦がれるような苛立ちに襲われ、帯人は頭をがしがしと掻いた。何も言わず、当たり前のように自分のお金で帯人の昼食を買いに言った綾織に、しようもなくイラつく。


(クソ…あの男、あの男が悪いんだ)


今日“も”渡せなかった、昼食代を握り締めて帯人は回想する。

いつまでも教室に来ない綾織を呼びつけにいった先で、綾織の隣に座っていた男子生徒。綾織はまるでなにかにとりつかれたように彼を見ていた。彼も最初は綾織と帯人を避けるように視線をずらしていたものの、綾織がみていることに気付くと顔を真っ赤に染め上げたのだ。___思い出すだけで、腸が煮えくり返る。


(あの男…殺す、)


もちろん本当には殺さない。殺さない程度に、痛めつけるだけだ。

綾織に見つめられた目を、綾織が見ていた肌を、鼻を、髪を、なにもかもをそぎ落としてやる。見る影もなく壊してやる。


(アレは、…アレは、オレのもんだ)


綾織、綾織紗重。帯人にだけ従順な、帯人だけの人形。


(オレだけの、…紗重だ、)


ゆらりと蠢く熱を胸に、帯人は拳を握り締めた。掌の中のコインがぐにゃりと歪んだ。




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