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「わたしは、しにたくない。」

産まれた時から、わたしには絶望しかない。

わたしの運命は決まっていた、わたしの未来は、どうしようもないほどに呪われていた。


わたしは死にたくなかった。

幸福になりたかった。


だからわたしは、従僕に成り下がった。

従順な犬になった。そうして生きられるのなら、安いものだった。





「オイ、綾織あやおり


ガラリと、勢い良く開かれた教室の扉に残っていた生徒は皆驚いて顔をあげる。だが、その先にいるのが“彼”だと知るとすぐに顔をそらす。その横顔には我関さずと描かれている。


「ッチ、迷惑なんだよ…」

「___」


隣から聞こえてきた声に視線をずらす。くじ引きの席替えでわたしの隣の席になった男の子、おそらく入学してから一度も喋った事のない男の子が、苦虫を噛み潰した様な顔でそっぽを向いていた。それにとても申し訳のない気持ちになる。…それでも、わたしにはどうしようもできない。わたしはこういう生き方でしか、“生き残れ”ない。


「綾織ィ!」

「っ、はい」


どのくらいそうしていたのだろう。ぼんやりと男の子に向けていた視線を、弾かれたゴムのようにして“ご主人さま”へとむける。


扉の前には1人の生徒が立っている。開けた戸口に寄りかかるようにして、痩躯の長身が出入り口を塞いでいた。慌てて荷物を掴み、彼の元へと駆け寄った。


「ごめんなさい」


謝罪とともに、顔をあげる。少し長い前髪が陰になり形相が見て取れない。ただ、彼が纏うただならぬ雰囲気と沈黙から、彼が怒っていることは明白だった。言葉が見つからず黙るわたしを咎めるように彼が見据えて来た。


明るい若草色の髪から覗く、金色の瞳がまるで咎めるような鋭い色をもってわたしを貫く。


むかしに比べると、僅かに濃くなったその色を黙って受けていると、やがて彼は舌を打った。そうして金の目がぎろりと何かを見据えた。その横顔は酷い怒気を孕んでいる。微かに聞こえてきた悲鳴に、何かと後ろを振り返ろうとしたがそれは叶わなかった。


「いくぞ。待たせるな、」


ぐんと黒髪を引かれた。加減を知らないその力に足元がよろける。それでもこける事がなかったのは完全な慣れだ。引かれた頭皮を押さえながら、わたしは慌てて先を行く背中を追った。


わたしこと綾織紗重さえには幼馴染と呼べるひとがいる。

それが彼、石丸いしまる帯人おびとだ。若草色の髪と金色の目を持つ彼とは、特に家が近かったわけでも親族に縁があったわけでもない。


彼は、わたしが“見つけて”幼馴染に“なった”ひとだ。

記憶に残る知識を使い、唯一近しくなれそうだった彼に近づいた。そうして上手いこと幼馴染のポストを手にしたのだ。


「いつまでそこにいるつもりだよ」


裏庭のベンチにどかりと座ると、帯人が低い声で言う。


「ボーッと突っ立てないで早く買ってこい。昼飯なくなんだろ」

「はい、すみません」


こくりと頷いて踵を返すも、背からは鋭い視線が離れなかった。まるで何かを責めるような、わたしの罪を問いただすようなそれは、最近感じるようになったものだ。だが、ここで何かと止まれば叱咤が返ってくることはわかっている。わたしはちくちくと当たる背中の熱に気付かないフリをして売店に向かった。


昼時間を少し過ぎた売店からは、既に生徒が引いている。そしてショーウィンドウにも人気の無い商品しか残っていない。早い店じまいを始めている売り子さんに声をかけた。


「すみません__、」

「ん、あ、あらー今日は遅かったわね、紗重ちゃん!」

「授業が長引いたんです」

「そうなのねー、紗重ちゃん全然来ないからおばちゃん心配しちゃったわ。あ、はいこれ。何時もの取っておいたわよ!」

「ありがとうございます」


溌剌とした笑みを浮かべながら、売り子さんが奥から出してくれたビニール袋を受け取る。中には、帯人が好きなメロンパンと惣菜パンが入っている。代金と代わりにその袋を頂き、早々に売店を後にした。後は珈琲牛乳を買うだけだ。小銭を選び投入口に滑らせていると、となりでちゃりんと小銭が落ちる音がした。


「今日は牛乳じゃなくて、珈琲牛乳なんですね」


帯人とは違う柔らかく穏やかな声音。

覚えのあるそれに顔を上げると、何時の間にか隣に居たその人は穏やかに微笑んで見せた。


「こんにちは」

「ええ、綾織さん。今日も…買出し、ですか?」

「はい」


含みのある声と視線に、わたしは迷わず頷く。彼が何を言いたいのかは明白だった。だがそれを言及するのも今更で、わたしは珈琲牛乳のボタンを押した。


「結局、3年間休まず続けてましたね。世話のかかる幼馴染を持つと大変だ」

「…世話を、見てもらっているのはわたしですが」

「…そうでしたね」


ニッコリと、笑うその笑みは言葉とは正反対の感情を露にしている。

だがそれを言及するのもまた無駄である事を知っている。わたしは黙って取り出した珈琲牛乳を袋に収めた。するとがさりと、同じ白い袋が目の前に差し出された。


「…なんですか」

「僕も世話焼きになってみようと思いまして」


ノンフレーム越しに、明るい橙色の瞳がわたしをうつした。


「チョコレートドーナッツとカレーパン、…それにミルクティー」


今しがた自販機で購入した紙パックを中に入れたそれを、わたしに押し付けてくる。


「好きなんでしょう、これ?」

「…どうして、」

「言ったでしょう。僕も世話を焼いてみたくなりまして。いつも幼馴染の“世話”ばかりで、自分のことをないがしろにしている子のね」


じっとわたしを見据えてくる瞳は、帯人と同じ色だ。


(…どうして、そんな目をするの)

______わたしが悪いように、わたしを…責めるように。


(ただの“キャラクター”の癖に、…)


ぐるりと、胎の中で感情が煮え立つ。

沢山の色を混ぜた泥色の絵の具のようなそれは、久しく感じていなかった感情だ。遠い昔に、押し殺したはずの“前世のわたし”の感情ものだ。


綾織紗重は生まれ変わりだ。だが前世の名前も、どうやって生きていたのかも思い出せない。あるのは漠然とした偏った知識に、成熟した精神のみ。それだけが、赤子の紗重に継がれたものだった。そして、偏った知識は紗重に生まれながらの絶望を、成熟した精神はそんな紗重に一縷の希望を齎した。


偏った知識に寄れば、紗重にこの世界は箱庭ゲームの中であることを教えてくれた。

このゲームは、ひとりの“男の子”を複数の“男の子”が奪い合うための舞台。そして綾織紗重は、その中で陵辱される背景モブキャラクターの1人だ。


“知識”によれば彼女は複数の男の子の1人、___暴走族のリーダーでもある鬼灯ほおずき静城しずきに恋をしていた。ゆえに、彼が興味を抱いた男の子に嫉妬し、同じ思いの女子を先導し陰湿なイジメを行なう。それが静城の耳に入り、報復という名の私刑___不特定多数の男子に無差別に陵辱されるという結末を迎える少女。それがわたし、それがわたしの死因。


そんな結末、絶対にごめんだった。

死にたくない。死にたくない、そんな風に犯されるなんて絶対イヤだ。


確かに、綾織紗重は酷い事をした。取り返しのつかないことをした、だけど彼女にも家族があって愛してくれる人たちいる。決して、そんな終わり方が許される人間ではない。“わたし”は、そんな終わり方したくない。


だからわたしは、生き残る為に幼い内から活動を始めた。そうして見つけたのが、石丸帯人だ。彼もまた、この箱庭のキャラクターだ。ある男の子を奪い合う男の子の1人で、地元のギャングに恐れられる無敗の喧嘩王だ。わたしはそうして、知識にない綾織紗重の肩書きを増やす事で未来を回避しようと試みた。


わたしは持てる全てを持って、帯人に近づいた。気に入られるためになんでもした。その所為で、最初からツンとしていた帯人の態度は悪化し、いまではわたしを僕かなにかのように扱う。昼飯の買出しはもちろん、宿題の代行や、休日・授業中の呼び出しは日常茶飯事だ。年々荒くなる扱いは、わたしより周りの心を掻き立てるようになる。目に涙を溜めながら、警察に相談しようと言った母の気持ちを拒み、それでもわたしは帯人の側にいる事を選んだ。


だって死にたくない。___生きたい。母のためにも、ここでわたしが諦めてはいけない。せめてこの高校を卒業するまでは。


「…あなたが世話を焼くべきは、他の人じゃないんですか」

「え、」


___顔に、こんなにも感情を露にしたのはいつ振りだろう。

嫌悪と、憎悪。二つの感情が入り混じり、いつも能面のように薄っぺらいわたしの顔を醜く歪ませた。そんなわたしを信じられないものを見るように、彼…やなぎ孝仁たかひとが見る。そんな顔すら見るのが不快で、わたしは込み上げる雑言八倒を噛み殺してその場を後にした。


(あと、…あと1ヵ月、1ヵ月…)


祈るように、同じ言葉を繰り返す。

それは小さいころからなんども繰り返してきた祈りのことば。幼い感情とともに押し殺してきた切望の叫び。


生きたい、ただそれだけ。


この世界で___この命で、生き残りたい。


(死にたくないよ、)


わたしは、生きたい。



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