闇に包まれて
待てど暮らせど夜が明けない。朝が来ない。
そんな未曾有の大事変。有史以来初めてとなる異様な状況を前に、王都に住む大多数の人々は皆、肩を寄せ合い、目に見えない神に向かって祈りの文言を唱える他なかった……
「これは、これは一体どういうことだっ!」
「おお、王よ。そのようにお怒りになられてはお体に……」
「ええい!五月蝿い!教皇を、誰か教皇を呼べ!
この現象を説明させるのだっ!!」
王都に存在する巨大な王宮、その一室。
豪華な装飾がなされた部屋の壁、多数の燭台に灯された燈は、玉座に座った王の横顔を照らしだす。
灯りによって浮かび上がった、本来そこそこ端正であるはずの王の横顔は、しかし今は憤怒によるためであろう、醜く歪んでいる。
彼は御付の少女を押しのけるようにして立ち上がると、喉も枯れよと大声で叫ぶ。
「なぜ、なぜ太陽がでないのだ!!
信じられん!信じられん!!
これではまるで、まるで……」
尻すぼみに小さくなっていく王の言葉。やがて言い淀んだ彼は言葉を濁す。
貴族や王族といった天上人から、目下の人民に至るまで、分け隔てなく与えられていた天からの恵み。大いなる力の、普遍の象徴。
神の存在を裏付けるかのように、常に変わらず空にあった太陽が、僅か一夜にして消えてしまったのだ。
それは元より肝の小さな王にとって、心臓を鷲掴みにされているかの如く苦しく、耐え難い恐怖。
「王様っ!
ああ、誰かっ!誰か早く医者を呼んで!!」
「あ、ああっ!ここは任せたぞ!!」
王都を治める無能な王は、あまりの心労に耐え切れず、息を荒げ、玉座に凭れ掛かるようにして倒れこむ。
冷や汗が止まらない。土気色に変わったその顔はまさに死を待つばかりの重病人。
「終わりだ……世界の……
私の王国の…終わり……」
見るも哀れな王は、うわ言のように悲痛な嘆きを繰り返す。
しかし、対照的に王の傍にいた御付の少女は、幾人かの近衛を使いにやらせたのを確認し、部屋に誰もいなくなるや否や、ニヤリとその美しい顔を歪めて嗤ったのだ。
「……全て貴方のせいでしょう」
「なっ!?」
室内に響く、高く涼やかな声。
気がつけば、王の胸から一本の短剣が生えていた。
赤く、ドロリとした何かが、心臓の拍動にあわせて王の体から外へと漏れ出ていく。
「中々隙ができないから、どうしようかと思っていました。
でも、ようやくこれで。これで、貴方も終わりです」
「ぐっ…き、貴様……」
凄惨な光景に似つかわしくない明るい少女の声。
心の弱かった愚王は、何かを掴むように手を伸ばす。
しかし、彼の弱った手では何にも届かない。浅はかな思考では、何を成し遂げるわけでもない。
「アハハハ!
国民の!この国に住む皆の!恨みっ!!」
「ああ……」
怪しく揺らめく蝋燭の灯りを、何度も何度も繰り返し振り下ろされる白銀の刀身が反射する。
少なからず鍛えていたわりに、心労のせいか、小さな娘を一人押しのけることすら叶わなかった愚かな王は、最後に短く溜息をついて、その醜い一生を終える。
怪しげな宗教を国教とし、大臣という抑止力も無しに国民から多額の税を絞りとった愚王の最期は、酷く簡単に、そう、とても呆気なく暗殺と言う形で幕を閉じた。
しかし、悲しいかな。
最期までこの愚王、いかに己が愚かしいことをしていたのか。結局、気がつくことはなかったのだ……
………………
「とうとうこの日がきてしまったか……」
「……当主様」
いっこうに昇らない朝日。どんよりと重い闇に包まれた王都。
王が暗殺され、一挙に乱れが広がる治安と指揮系統。
この世の終わりの始まりとしては、十分すぎるほどであろう。
絶望が王国に蔓延していた。
だがしかし、アズラエル家が現当主、ライネスを初めとして、純粋に己の信念に従って動く武人達は、このような状況にあっても必要以上に動揺することはない。
「わかるぞメイソン。私にはわかる。
西だ。西へと軍を集める。掻き集められるだけの兵と共に、出陣の用意をしてくれ」
そう、武人であり、戦闘のプロでもある彼らにとって、この程度のことは全て予測の範囲内。
信憑性は薄くとも、魔王と呼ばれるものがいるという仮説があれば、実際に、人智を超えるだけの力を持った魔将という化け物が徘徊しているのだ。
ましてや、世界の終わり、人類の滅亡が近いともなれば、太陽のひとつやふたつ、容易く消え去ってしまったとしても何ら不思議ではない。
「わかりました当主様。
……ですが、奥方様やライル様、クリス様のことは?」
「子供達か……」
西の方から感じる、底知れない、禍々(まがまが)しい闇の波動。
忠実な従者メイソンを前に様々な状況を想定しつつ、ライネスは深く思い悩む。
失明をし、今も寝たきりが続くライルと、ライネスですら測りかねるほどの、未知の力を持った聖女クリス。
今も尚、愛し続けているマーチ。守るべき大切な家族。
……内乱の時とは違う……私は、私は家族をおいて逝けるのだろうか……?
「……いや……何も、そう、何も伝えなくて構わない。
メイソン、お前から少し遠征に行くと、暫くの間だけ家を開けると、家族にはそう伝えてくれ」
悩んだ末に、ライネスによって苦しげに紡がれた言葉は、現実を覆い隠す優しい嘘。
聖女であるクリスはともかく、今も寝たきりが続くライルや、その介護を献身的に続ける妻に、これ以上の負担をかけることを、彼は良しとしなかった。
「ライネス様がそう仰いますなら」
メイソンの言葉を聞いたライネスは、どこか寂し気に笑うと、その腰に2mを優に超える大太刀を挿し、黒いコートを身に纏う。
さすれば、そこにいるのはもう子を思う父ではない。
彼は魔物を屠る一人の戦士へと変貌をとげる。
全ての憂いを、心残りを押し込める。
……魔物と最後に戦ったのは、一体いつのことであっただろう……
現役を退いて早幾十年。
後世の指導をしながら漫然と生き、まともに刀を振るったのも数年も前、内乱の時が最後。
「ふむ……」
手に直に伝わってくる刀の重みは、握る柄の冷たい感触は、若かりし日の決意を彼に思い起こさせる。
そう、この血に濡れた無骨な手でも守れる人がいるのならば……
手の届く範囲の人を守ることができる可能性があるというのならば……
「行くぞメイソン。
他の貴族達にも伝令を走らせるように指示をだしてくれ。
もとより、そんなのものが必要とも思わんがな」
「御意」
貴族としての矜恃が、家族に対する愛が彼を突き動かす。
ここに至ってはただ家族のために、民のために、死力を尽くして戦うのみ。
「ライル、クリス……元気でな」
遠く離れたここからでもわかるほどに集う沢山の兵士達。闇の中、赤々と焚かれる無数の篝火。
彼らの指揮をとるライネスの姿は、老いているとはいえ、娘のクリスから見ても、十分に漢らしく頼もしい。
「……分かれ、道……」
真摯な瞳で父の姿を眺めていたクリスは、そうポツリと言葉を零す。
そう、きっとここがクリスの人生の中でも一番の正念場。
王国にふりかかる災難を退けることができるのか。
西方から近づいてくるあの禍々しい魔力の塊を打ち倒せるのか。
はたまた為す術もなく滅びるのか。
きっとこの数日の間に王国の、人類の、クリスの命運が決まるのだろう。
「……やるべき、こと……」
戦いが間近に迫った今、誰しもが己にできることをやろうとしている。
それぞれの思惑は違えど……決して一枚岩でないにしろ……
「……」
クリスは手の中にある一冊の本にポトリと視線を落とす。
大臣によって翻訳され、聖法と言われる、この世界の魔法を扱うことのできる数少ない人間、聖女であるクリスに託されたその一冊の本。
心労からか、死んだように虚ろな眼をした教皇には届かなくても……でも、少なくてもクリスにはこれに書かれていることを実行しようという気概があった。
「……やる……」
ここで活きる前世の経験。
複数人によってのみ発動させることのできる魔法を、彼女は一人で編み上げることができる。
鍵になるのは、今世で培ってきた膨大な魔力。
かつて多くの人の命と引き換えに発動した魔法を、彼女は一人の力で発動することができる。
だが、クリスは一人、太陽のない暗い空を見上げて、歯を食いしばる。
封印を施すためには、少なからず魔王を消耗させなければいけないのだ。
クリスは魔法を発動するためだけの余力を残しつつ、封印できるほどにまで魔王を弱体化させなければならない。
「剣を、刀を、斧を、槍を掲げろ!
決して臆するな!王都を死守するのだっ!」
「「「うぉおおおおお!!」」」
多くの貴族達のかけ声によって、雄叫びをあげ、士気をあげる多くの兵士達、義勇兵、ギルド員。
彼らがこれから行うのは、おそらく確実に生きては返れないであろう死の行軍。
だが、それをクリスは止めようとはしない。
ただ突撃していく彼らを、クリスはみすみす見殺しにするのだ。
「……恨んで……」
「……いいからっ……」
クリスは王国の、大多数の人間の未来のために犠牲を許容する。
物語の勇者や英雄のように犠牲のない、あるいは、少ない勝利など、現実にはありえない。
すでにクリスは覚悟をしていた。
より多くの人が生き残れる未来のために、罪を犯す覚悟を、死に逝く人々から恨まれるだけの覚悟をしていたのだ。
「……お父さん……」
でも、頭では割り切っているはずなのに涙は止まらない。
ライネスは彼女がこの世界に産まれ落ちてから、おそらく初めて出会った男の人。
いつも自分のことを大切に思っていてくれた男の人。
彼女が刀を持ち、この世界を救おうと決めた大切な要因。大事な家族。
「……ごめん、なさい……」
優しく頭の上に手がおかれたような、そんな幻想。
彼女は結局、軍を率いて西へと進む、実の父親を引き止めることはしなかったのだ……
更新が遅くなっております。
リアルが忙しいので、かなり校正なども甘いです。
本当に申し訳ありませんorz




