会いに行けなくて……
《イリス視点》
目の前で膨れ上がる巨大な熱量。
轟音と共に目の前を奔る、ライルの体を呑み込んで余りあるほどに太い熱閃。
落下しつつある魔将から放たれた苦し紛れのそれは、廃墟の天井を溶かしただけでは止まらず、空に広がる分厚い暗雲に大きな風穴を開ける。
「あっ……」
ほんの目と鼻の先。指先を焦がすようにして通り過ぎていった死。
イリスは噴きあがる粉塵の中、思わず伸ばしてしまっていた自身の手の平を不思議そうに見つめる。
あたりには未だに熱閃の残滓が舞い、引火した数々の本が轟々と音をたてて燃え盛っていた。
「……」
自身の伸ばした手の先にいた一人の青年。
イリスの中で、ライルは確かに憎むべき相手。それはそう、夢にまででてくるほどに。
……ライルは幼い頃のボクを虐めて、馬鹿にして……ううん、そんな陳腐な言葉じゃ表しきれない。とにかくとっても、とっても嫌な奴……
「なのにどうして?
どうしてボクは……?」
支柱の一本でも折れてしまったのだろうか。ガラガラという音と共に進んでいく廃墟の倒壊。
まるで大地震がおきているのではないかと錯覚するほどの激震が、イリスを包む。
「ボクは、また……」
しかし、そんな状況にあっても彼女は動かない。
目の前には、未だ活動を止めていない魔将の影がチラついているというのに。
「また……」
かつて自分に優しくしてくれた義兄の姿が、ギルドマスターの姿が、イリスの脳裏に浮かんでは消える。
ギルドで仕事をする間に見てきた同胞達の死に際の表情が、光に呑み込まれる瞬間のライルの姿と被るっ……
「……救えなかった」
崩壊しつつある足場に膝をついたイリスは、そうポツリと呟いて肩を震わせる。
もう、周りのことなんて関係ない。相手が誰であろうと違いはない。
また救えなかった。また助けられなかった。
それだけが、ただグルグルと彼女の頭の中を巡る。
……また一人……ボクの前で……
「……?」
しかし、そんな時であった。
土埃の中から漏れ出る不思議な輝きが、彼女の泣き顔を照らす。
巨大な力の波動が、辺りに渦巻く風が、土埃を、闇を散らし、隆起した大地が魔将を飲み込み、崩れかかった足場を支える。
「な、何が起きてっ!?」
明らかな異常。理解の範疇に収まらない出来事を前に、狼狽の声をあげるイリス。
そして、全てがおさまった後。
彼女はとてもじゃないが信じられないものに遭遇することになったのだ。
「て、天使……?」
イリスの視線の先。神々しい銀の輝き。
闇の中にあって眩いばかりに輝く一つの光源。
天使のような翼を持った銀色の美しい少女が、見覚えのある少女が天から降りてくる。
「クリス…ちゃん?」
………………
《クリス視点》
「……ライル……」
間に合ったのだろうか……いや、クリスは今一歩遅かったのだ。
救えたのはライルの命だけ。彼女はライルの輝かしい未来を救えなかった。
人の体の中で、唯一外気に曝されている生きた細胞。
体は回復魔法で治れど、もとより再生能の無い人の瞳の細胞は、たとえ魔法であっても、再生することは叶わない。
ライルの漆黒の瞳が、光をうつすことはもうきっとない。
「……ごめん……」
クリスは意識を失ったライルを、そっと労わるようにして瓦礫の上に横たえる。
眼前の土の中、クリスが放った魔法を押し返して、徐々に体勢を立て直しつつある魔将。
悲しいかな、今はまだライルに構っている時間がない。そう、彼女にも。
「クリス、ちゃん……」
少し離れたところで呆然とこちらを見つめてくる白髪の彼女。
憔悴した様子の彼女を見つめるクリスの瞳から、思わず零れ落ちそうになる涙。
「な、なんでここに……?」
「……良かった……」
五体満足で生きているイリスの姿。
沢山の魔物を殺して荒んでいたクリスの心に、ライルを今一歩のところで守りきれなかったクリスの心の中にうまれる、ほんの僅かな温もり。
「う、後ろっ!
気をつけて!魔将がっ!!」
しかし、邪悪な魔将は、少女達の感動的な再会を待っていてくれるほどに優しくはない。
クリスの手前、けたたましい音と共に炸裂する瓦礫の山。土塊。
背後から迫ってきているのは、幾本もの鎌状の足。
鮮烈な痛みに脅かされ、瞳を潰された魔将は、新たな乱入者を見つけて怒り狂っているのだ。
「クリスちゃん!!」
「……大丈夫……」
しかし、立ち上がりこちらに駆け寄ってこようとするイリスを、クリスは優しく視線で押しとどめる。
魔力に限界は近くとも、クリスはかつて魔物の中でも最上位にあたる龍種の魔将ですら倒したことがあるのだ。
この程度に、彼女が遅れをとることなどありえない。
「……負けない、から……」
瞠目するイリスの視線の先、クリスの指先から迸る白い魔力線。
宙に浮かぶ巨大な魔法陣。
魔法の理に従って、いくつもの魔法が合成され、その力を高めあう。
『キシャアアアアア!』
不思議な力によって弾かれる怪物の奇怪な手足。
ならばと、溜めもそこそこに奇声をあげ、放たれる二発目の熱閃!
「あ、危ないっ!」
「……無駄……」
喉が千切れんばかりに叫ぶイリス。
ライルを戦闘不能に追いやった攻撃を前に、しかし、クリスはピクリと眉をあげることさえしなかった。
『反射、増幅、災いを退けよ』
クリスの目の前に展開していた魔法陣に激突する熱閃!
再びおこる激震、轟音、堪らずに膝をつくイリス。
最悪な未来が彼女の脳裏を過る。
あの熱閃の威力を知る彼女からしてみれば、クリスのそれはもはや自殺以外の何物にも見えなかったのだ。
「ク、クリスちゃんっ!!」
しかし、最悪の事態を想定しながら、恐る恐る様子を窺ったイリスの視界に入ってきたのは、無表情のままに熱閃を受け止めるクリスと、眼を開ける事ができないほどに強烈な光の嵐。
「凄い……」
その光景にイリスは、目の前にいる少女が、かつて豚王と戦ったときにもいた天使であると確信する。
クリスが、かつて自分の命を救ってくれた黒いローブの少女なのだと気がつく。
気がついていなかっただけで、すぐ近くに彼女はいたのだ!
聖女としてだけではなく、色んな形でイリスと関わっていたのだ!!
「そっか……」
徐々におさまっていく光の奔流。
ようやく視界が開けたその時、クリスの目の前には凝縮され、低く鳴動を続ける一つの光球が存在していた。
魔将の顔の変化などイリスにはわからないが、彼女には今やその醜い顔が恐怖に歪んでいるようにも見えた。
「……終わり……」
短い死刑宣告。なにかを悲しむような表情をしたクリスはサッと手を振る。
何気ないそんな動作で、再びあたりは光に包まれた!
『ギェエエ……』
堅く眼を閉じたイリスは、プツリと不自然に途切れる、魔将の断末魔の悲鳴を聞く。
消えていく光の残滓。静かに集まってくる闇。でも、もう不思議と恐怖は感じなかった。
「……大丈夫……?」
一体どのぐらいの間、イリスはそのままでいたのだろう。
ともすれば、先ほどまで恐ろしいまでの力を振るっていた少女とは別人。気がつけば、どこか不安気なクリスによって差し伸べられた小さな、小さな白魚の手が彼女の目の前にはあった。
「クリス、ちゃん……」
安心からか、懐かしさからか。
イリスの瞳からは、いつの間にかボロボロと涙が零れ落ちていた……
…………
………
……
…
「クリスちゃん、本当にありがとう」
「……ううん……」
クリスの前で嬉しそうに微笑むイリス。
たったそれだけのことで、クリスは今まであった遠慮がなくなり、彼我の距離が急激に埋まっていくのを感じていた。
「クリスちゃんがいなかったら……うん、今回もまた助けてもらっちゃったね」
頭蓋を撃ち抜かれ、骸と化した魔将の手前、クリスが作り出した小さな光球の下。
泣き笑いのような表情でクリスの手を握るイリスの顔に、嫌悪や恐怖といった表情は一切浮かんでいない。
彼女は心の底から、クリスとの出会いを喜んでいるのだ。
「ホントは、ホントはずーっと会いに行きたいって、こんな風に話しがしたいって思ってたんだ」
「……うん……」
「でも、でもね、ボクはクリスちゃんがボクのことを忘れてるんじゃないかって……
ボクにとっては忘れられない子供時代でも、クリスちゃんにとってはそうじゃなかったら……なんて考えちゃってさ……」
話すことが多くて止まらないと言った様子で喋るイリス。
暗黒の大地の中にあって、異質なことに、辺りには一匹の魔物の気配すらもない。
既に意識を失ったリョウや、グレンの治療も出来得る範囲で済ました彼女達には、幾ばくかの時間の猶予があった。
「……僕も、同じ……」
イリスの飾り気のない好意に少し照れつつも、クリスは頷く。
消耗し、重くなった体。磨り減った魂。
でも、そんなことよりも、イリスと出会えた。分かり合えた。また話せた。
この事実だけで、全てにお釣りがくる。
「えへへ、嬉しいな。
ボクなんて、もう一生クリスちゃんに会わないで、影からクリスちゃんのことを支えていようなんて考えてたんだ」
「……あ、ありがと……」
イリスに釣られるようにして、思わずニッコリと微笑むクリス。
しかし、クリスには気になっていることが一つだけあった。
それは、イリスがクリスの持っている力に言及をしてこないということだ。
「……イリス……」
イリスもかなりの力を持っているなら気がついているはずなのだ。
人の怪我を治す、空を飛ぶと言ったことは聖女であるからと納得できても、勇者よりもズバ抜けて高いクリスの戦闘力に疑問を持たないはずがない。
……どうして?どうしてイリスは聞かないの……?
少し不安そうな顔をしたクリスに気がついたのだろうか。
しかし、イリスは前方の闇に視線を固定したまま、クリスの言葉を遮るように、その握った手に力を込めて言った。
「よ、よし!うん!
ボクにはボクの仕事があるんだ!」
「……え……?」
「もう随分時間がたっちゃったみたいだし、クリスちゃんもかなり疲れてるよね?」
急な話の流れに着いていく事の出来なかったクリスは、曖昧に首を縦に振る。
そんなクリスを見て、ぎこちなく笑みを浮かべたイリスは言った。
「ク、クリスちゃん、ライル達をつれて先に王都まで戻っていてくれるかな?
面倒だけど、うん、ボクは少しこの辺りを調査してから帰らなくちゃいけないんだ」
「……で、でも……」
戸惑うクリスの肩を優しく掴んで、イリスは不自然なほどに明るく喋る。
「この仕事が終わったら、絶対に会いにいくからさ!
ほら、ボクのことは心配しないで!
これでもクリスちゃんよりもお姉さんなんだよ?」
「……う、うん……」
そう、辺りに跋扈していた多数の魔物は、クリスがここに辿りつくまでに一掃しているのだ。
少なくても、今は危険がないはず。
「……わかった……」
仕事ならば仕方がない。
手伝うにしろ、調査などと言われてしまっては、何をすればいいのかクリスにはサッパリわからない。
待っていると言いたくても、流石にライル達をそこまで放置しておくわけにもいかないのだ。
「……イリス、気を、つけて……」
一抹の寂しさを感じながらも、脳内で多くの魔法陣を起動。クリスは自身を含む4人の人間を運ぶための魔法を組み上げる。
「うん。わかってる…わかってるよ」
「……え……?」
唐突に感じた柔らかい感触。
いきなりイリスに抱きしめられたクリスは、ビックリしながらも、ゆっくりと自分よりも背の高い彼女にしがみつく様にして抱きつき返す。
どこか甘く、安心できるような温もりをクリスは感じた。
「えへへ、ごめんね。
でも、これでボクももう少し頑張れそうだよ」
「……そう……」
赤くなっていないだろうか?
いや、暗いからわからない?
クリスは赤くなった顔を見せないようにと、イリスに背を向ける。
徐々に薄くなっていく温もりに、寂しさはもう感じない。
また、すぐにもう一度会うことが出来るのだから。
「……じゃあ……」
「うん。クリスちゃんも元気でね!
元気で、元気で過ごしてね……」
クリスは気がつかない。
なぜかイリスが、その紅の瞳に涙を浮かべていたことにも。
その体がプルプルと小刻みに震えていたことにも。
照れと、恥ずかしさ。それを上回る多幸感に支配されたクリスは、ライル達を連れてゆっくりとその場を飛び去る。
一人残されたイリスは、そんなクリスの姿が点になるまでずっと手を振っていた。
胸に大切な短刀を抱きながら、その紅眼に、クリスの姿を、ずっと、ずっと焼き付けていた……
「クリスちゃん、ボクは頑張るからね……」
家族喧嘩が酷く、投稿が遅れてしまいました。
両親の喧嘩は幾つになっても立ち位置に困りますね。推敲もままならず、完成度は非常に低いものであると思います。
後々校正していきたいと思っていますので、どうかご容赦くださいm(_ _)m




