因縁
《クリス視点》
「……はぁ、はぁ……」
額に浮かぶ玉のような汗。
クリスは大きく深呼吸をし、必死で荒くなっていた息をおさめていく。
「……終わ、った……?」
一体どのぐらいの間、戦い続けていたのだろう。
終わりがないのではないか、と絶望しかけたことも一度や、二度ではない。
「……」
辺りを見渡し、新手の姿がないことを確認したクリスは、大分光量の落ちた翼をゆっくりと羽ばたかせ、地上へと降りる。
ガクガクと震える膝が、自身の意思とは関係なく赤茶けた地面についた。
ライル達を探そうと、我武者羅に動いたのがいけなかったのか。
そもそも暗黒の大地で、光属性の魔法を併用していたのがいけなかったのか。
先ほどまで、彼女は己のキャパシティを遥かに超える量の魔物と、相対していたのだ。
かつて戦った魔将ほどの強さではなかったが、速度を優先した分、残された余力は限りなく少ない。
「……探さ、なきゃ……」
前世での辛い経験もあって、感情が顔に出にくいはずのクリスではあったが、今、彼女の美しく整った顔には、苦悶の表情が浮かんでいた。
多くの命を奪ったと言う罪悪感だけではない。
彼女の底なしの魔力に限りが見えているからだ。
夜通し飛び、この辺り一帯の魔物を、殲滅し尽したのであれば、それだけで済んでいるのは、むしろ奇跡と言えるだろう。
「……?」
やがて、地に膝を着き、辺りをゆっくりと見渡していた彼女の視界に、何かがうつりこむ。
空中から見ていたときには、ただのゴミ、あるいは、小高い丘のようにしか見えなかった建造物。
しかし、空中から地上に降り、視線の高さが変化したことで、クリスは遠くにある何かを発見したのだ。
「……遺跡……?」
不審気なクリスの声に反応を示すものはいない。
だが、おそらく人工物であることに、間違いはないだろう。
崩れてはいるものの、よくよく見れば、明らかに自然にできたものではない。
「……遺跡……」
……そうだ、きっとあそこが僕の目指していたところ。
ライルが、リョウがいるところっ……!
限界近くまで酷使をし、反応の鈍くなった体に鞭を入れて、クリスは再び輝く翼を展開する。
クリスにあったのは、妙な確信。ライルが何の目的もなく、こんな危険な場所に足を踏み入れるはずがないという信頼。
何かに引き寄せられるようにして彼女は、その朽ち果てた都市へ向かって飛翔を開始した……
………………
《ライル視点》
「危ないっ!」
「!?」
目と鼻の先、目の前の空間を、音を立てて横切る黒色の巨大な鎌。
自身の死を覚悟していたはずのライルは、未だに自分がまだ生きているという事実を、すぐには受け止めることができなかった。
「君は……?」
「ああ!もう!反応が遅い!
向こうに行ってろ!」
ライルの瞳に映り込んだのは、闇の中でも酷く目立つ白髪。銀色の仮面、剣。
しかし、それが誰かを確認する間もなく、ライルの視点は回転する。
投げられたのだと気がついた時には、もうライルの目の前に、その白髪の人物はいなかった。
「速いっ!」
壁際の本棚にぶつけた腰の痛みも忘れて、驚愕に目を剥くライル。
どうして、この暗黒の大地に人がいるのか。
グレンとリョウは無事なのか。
そんな疑問を思い浮かべるよりも先に、体勢を立て直した彼の視線は、闇の中を舞う白い閃光に釘付けになっていた。
「暗くて見えにくい!」
まるで少女のように高い怒声。
勇者にすら匹敵するほどの速度で動きながら、白髪の彼女は背負ったリュクから何かを抜き出し、辺りに放り投げる。
途端に仄かに照らし出される巨大な書庫。
少女が投げたのは、発光する筒のようなもの。
薄ぼんやりと露わになった巨大な蜘蛛状の魔将は、複眼はあれど、おそらく光を感じてはいないのだろう。
何ら変わった様子をみせてはいなかった。
「はぁ!」
交錯する巨大な鎌と、白い閃光。
裂帛の気合と共に振り下ろされた見知らぬ少女の一撃が、すれ違いざまに、ライル達の力ではビクともしなかった魔将の硬い甲殻に深い裂傷を刻む。
緑色の体液が初めて迸り、ギチギチという、魔将の聞き苦しい怨嗟の声が、薄暗い書庫の中に響き渡った。
「……くそッ、ライル!
ライル、生きてるか?」
「リョ、リョウ!無事だったのか!」
思わず見惚れていたライルが、聞き慣れた声に右を向けば、不自然に左手をダラリと垂らしたリョウがそこにはいた。
担いでいるのは、足を無残に潰され、意識を失ったグレン。重体である。
「一応だがな。
誰だかわからねぇけど助かった。援護をするぞ」
左手をダラリと垂らしたまま、リョウは凄惨な笑みを浮かべて言う。
訓練を受けた貴族は、常人では動くことのできないような大怪我を受けようと戦い続けるのだ。
受けた傷はかえす。やられっぱなしでは名が廃る。
「わかった。だけど、僕らの攻撃じゃ、あの硬い甲殻を貫通することはできない。
狙うのはあの赤い複眼だ。いいね?」
「ああ。任せな!」
負傷し、意識がないままに呻くグレンを、戦場から離れたところにおいたライルとリョウは、ボロボロの刀を片手に戦場へと舞い戻る。
なぜか魔将の眷属と思わしき、小型の魔物の姿もなければ、敵影は目の前の巨大な蜘蛛一匹のみ。
素性は定かではないが、勇者に匹敵するほどの味方がいる以上、五分には持ち込める!
「援護する!」
「……」
チラリと一瞬だけ交錯する、ライルの漆黒の瞳と、銀色の仮面をつけた少女の紅の瞳。
この時のライルは、まだ、その視線に込められた意図を知る由もなかった……
………………
《大臣視点》
ここは剣の貴族の屋敷、イスラフェル家の屋敷であろうか……
無言のままの勇者と大臣の前に、紅茶の入ったティーカップを並べると、一礼をして去っていく見た目麗しいメイド。
彼女の制服の裾に銘打たれているのは、剣の貴族の家紋。
裏口から入るようにひっそりと屋敷の中に入った大臣ではあったが、そこは流石に腐っても元官僚。
元より高かった観察能力で、自身の置かれた状況を正確に判断していく。
……剣の貴族の屋敷に居候をしている勇者に匿われている私。
はて、イスラフェル家はどちらかと言えば、勇者の件以来、教会側だと思っていたが……
言わずもがな、大臣は反教会派の筆頭。
今でこそ政治的に抹殺をされはしたが、その憎しみばかりは消えはしない。
なぜ、政敵とも言える貴族の屋敷に匿われているのだろう?
「……大臣さん、その飲み物には手を付けない方がいい」
「むっ、どういう意味だ?」
無意識のうちに渇いた喉を潤そうと、手にとっていたティーカップ。
疑問を浮かべる私に向かって、勇者は力なく笑みを浮かべる。
「少し見ていてくれ」
私からティーカップを受け取った勇者は、部屋の隅にあった小さな金魚鉢――部屋の趣味には酷く似合わないものだが――の中へと、その液体を注ぎ込む。
「なっ!」
驚く私の前で起こった変化は劇的なもの。
「ほら、飲まなくてよかった」
小さく微笑み、淡く光る勇者の掌。
暫く後に、何事もなく泳ぎ回る小さな金魚。
「ど、どういうことだ……」
「どうもこうも見ての通り。俺も、貴方も、もう必要のない人間なんですよ」
諦観の念が多分に込められた、悲しい響き。
勇者の傲慢な態度が認められていたのは、実力があればこそ。
大会、衆人観衆の前でライルに破れ、象徴とするにも力不足と判断された勇者の末路は、酷く悲しいものであった。
だが、元より一方的な召還で、勇者としての適正がない者だった場合の処遇は、いたって単純なもの。
多くのギルド員を集めていたことからもわかるとおり、都合の悪いものは、呼び出してから消す予定だったのだのだから当然だ。
「それが……それが、全て私のせいだとでも言いたいのかね?」
勇者の処分には勿論、大臣とて関わっていないとは言い難い。
大会のときに見せた勇者の剣術。
大臣には全くわからない部類のものであったが、まわりの貴族の当主から言わせれば、それは上達の見込みなしと判断するには十分なものだったのだ。
前線に送っても、こちらの言うことを聞くかもわからないような暴れ馬。
屠殺すべきと判断されるのに、さほど時間はかからない。
「いや、そうじゃないんだ……」
空になったティーカップを片手に、勇者はポツリと呟く。
太り、醜悪な見た目をした大臣に、彼は真摯な瞳を向ける。
「そうじゃない……俺はチャンスが欲しいんだ」
「……チャンスだと?」
「ああ、もう一度皆に認められたいんだ。
勿論、今までみたいにチヤホヤされるような、そんなのが目的なわけじゃない。
ただ、ただ、俺は、居場所が欲しいんだ……」
静かな、小さな、悲痛な叫び。
剣を持てば戦える。俺はまだやれる。
勇者の綺麗な碧眼は、そう大臣に訴えかけていた。
「ふむ……」
図らずして、大臣と勇者の境遇は似たようなもの。
居場所を取られ、信仰を失い、軟禁状態にある元勇者。
王宮を追われ、財産を奪われ、その身分を剥奪された元大臣。
大臣は目の前に座る男をじっくりと見て考える。
かつての自分が恨み、切り捨てたかった一人の男。
かつてのこの男は、性根から腐っていた。それは間違いない。
だが……
……何かに使えるのではないか?
我が王のため、この王国のために、まだ私にできることがあるのではないか……?
「俺に力を貸してくれないか?
このままいつ来るともわからない、終わりを待つつもりなんて俺にはないんだ」
それは、勇者としての勘か何かだったのだろうか。
勇者は焦っていた。クリスに見せてもらった、黒く塗りつぶされた地図なんて問題じゃない。
もっと恐ろしい何かが迫っていると。
「頼む。なんでもいい。俺を使ってくれ!」
勇者の土下座をせんばかりの姿は、果たして大臣の胸を打ったのだろうか?
教会側の権力を削ごうと、積極的に勇者を叩いていたことに、僅かながら、罪悪感を抱いたのだろうか?
「……いいだろう」
気がつけば、大臣はその太い首を動かし、頷いていた。
「力になれるかどうかはわからないが、一つ、私には研究していたものがある。
誰にも解読することができなかった秘伝書。王家と、それに連なる者だけが知る書物。
それの有りかを教えよう」
勇者の瞳は全てを見通す。
とんだ与太話であることに間違いはなかったが、火の無いところに煙はたたない。
この男の着眼点が鋭いというのは、少なくても確かなことなのだろう。
聖法を修めた聖女にも、教皇にも読めなかったという秘伝書に書かれていることが、果たして何なのかは、大臣にさえもわからない。
遥か昔の時代に書かれたものであれば、一銭の得にもならないようなことなのかもしれないし、この世界に満ちた暗雲を退ける力になるのかもしれない。
一つ託して見るのも一興か。
「毒にも薬にもならぬものかも知れん。
今、権力を失った私にできることなんぞ、高が知れているからな」
それは好奇心からでた、大臣のいい加減な発言であったが、今、目の前にいる、心身共に弱った勇者を喜ばせるには十分な一言であった……
パソコン戻ってこないかなぁ……
誤字脱字、矛盾点が多いことと思います。よろしければ、感想欄の方にでも報告いただけると嬉しいです(つД`)ノ




