蝕む漆黒の闇
《イリス視点》
「ここだよね……?」
ポツリと紡がれた高い声。
声の出処を見やれば、すぐに闇の中にあっても目立つ白い肌をした、肩にかかる程度の美しい白髪の少女を、発見することができるだろう。
彼女の魔物の如く、血のように紅い瞳は、油断なく辺りを窺っている。
「魔物の姿もない…みたいだね」
一寸の光すら刺さない暗黒の大地。
ベガから貰った薄っすらと発光する不思議な筒を片手に、地図と目の前の光景を見比べたボクは、一つだけ頷いた。
王都を出て早数日。
最後に超えた関所から、まっすぐ西へ向かって歩き続けていたボクの目の前には、大きな遺跡があったのだ。
……うん、情報通り……
ボクは半ば崩れ、おどろおどろしい外見をした遺跡を前にして、ホッと安堵の息を吐く。
歴史書から得た知識を元にして作られたこの地図によると、今、ボクが立っているこのあたりに、過去、大きな国があったということになっていたのだ。
それこそ、大きな地殻変動などがなければの話しだったのだが、今、この現状を見るに、一安心してもいいのだろう。
「とりあえず中に入ってみなくちゃね。
……っと足跡?」
一歩踏み出し、立ち止まったイリスの視線の先には、自身よりも一回り以上大きな、男性のものと思しき数人分の足跡がくっきりと残っていた。
「う〜ん……駄目もとだけど、一応この足跡を追ってみようかな?」
人型をとった魔物か、あるいは、貴族の子息達のものか……
いや、道中、意外なほどに少なかった魔物達。
なれば、これが貴族の子息の足跡である可能性が非常に高いと見て、間違いないだろう。
「そうだよね。
よくわかんないけど、ほとんど魔物の姿も見なかったし、これはたぶん、僕が追ってる貴族達の足跡だろうし……」
自身に言い聞かせるような独り言。
適当な当てをつけたイリスは、口元を少しだけ湿らせた布で覆って走り出す。
片手に握った長剣は十分に業物で、予備の武器もしっかりと用意してあれば、事前の準備に不足はない。
「……魔物以外にも注意しなくちゃいけないよね」
足跡を辿りながらも、空気が停滞していそうな所を避けて、イリスは進む。
長い間空気の流れもなく、淀んだこの暗黒の大地において、遺跡の中を探索するというのは、命懸けなのだ。
それこそ毒素が溜まった空気などを吸ってしまえば、ひとたまりもない。
不用意に進めば、耐性を持った貴族と言えども、そう長くは持たないだろう。
「死んでないといいんだけど……」
最後に、どこか冷たさを感じさせる声色でそう呟いたイリスは、濃くなっていく闇の向こう側、遺跡の奥へと軽快に進んで行った……
……………
《ライル視点》
「危ないっ!」
足元で撓み、ミシミシベキベキという嫌な音と共に、軋みをあげて崩落していく床板。
誤って踏み抜き、体勢を大きく崩したグレンの体を、振り向き様に手を伸ばしたライルは全力で掴み、支える。
「ひえぇ、危へんトコやった……」
グレンの手を掴んだ、ライルはすかさず後ろに跳躍。
先ほどまでライルがいたところも、ガラガラと音をたてて崩れていく……
「くそっ、どんだけ脆くなってんだ!」
出来た穴を大きく迂回して歩いてきたリョウが、イライラとした口調で壁を殴りつければ、既に長い年月の後に風化して、碌な強度を持っていなかったそれは、粉塵をあげて瓦礫と化す。
空いた穴から流れ込んでくる、どこか生温い空気。
簡単に外の闇を眺めることができた。
「……少しだけ休憩しようか」
きっと疲れや、途切れることのない緊張のせいで、イラついているのだろう。
ライルは、リョウのようにイライラとしているわけではなかったが、彼にもやはり随分と疲れが蓄積していた。
行く手を塞ぐ魔物の数こそ少ないが、辺りに蔓延する闇が、彼らの精神を少しずつ削っていたのだ。
常に闘気を使って、辺りを警戒していれば、その分だけ物理的にも消耗していくのは避けられない。仕方の無いことだろう。
「せ、せやな……」
ライルの提案に、同意を示し、腰をおろすグレン。不機嫌そうな面持ちで辺りを見渡すリョウ。
かなりの距離を歩いたライル達一行ではあったが、いかんせん遺跡の中は、盗賊の類を警戒するためだろう、とても複雑な構造をしていた。
中に仕掛けられた罠に関しては、既に魔物が引っかかっていたり、長い年月を経て起動しなくなっていたため、さほど注意する必要がなかったというのが唯一の救いか……
「ふぅ……」
壁に寄りかかるようにして体を休めるライルは、今まで歩いていた道のりを、頭の中で反芻する。
なぜか痺れてきた手足の先を気にしながらも、思考を止めないライルには余念がなかった。
「……このまま進めば、たぶん書庫のようなものがあると思うんだ。
うん、そろそろ進んでおこうか」
遺跡の外観と、歩いた距離から計算するに、もう大部分は見尽くした。
書庫の保存には、直射日光が当たらず、低い湿度と適温が保たれている状況というのが望ましい。
昔も今も考えていることが変わらないというのであれば、これから向かう北側のどこかの部屋の中に、魔物の群れと、このかつて繁栄を極めたであろう国との壮絶な戦いの歴史が、綴られているはずなのだ。
「……」
ライルの言葉を聞いて、鈍い動きで立ち上がるリョウとグレン。
疲れきった仲間の様子に、一抹の不安がライルの頭を過るが、彼は首を振って、極力そのことからは意識を外すようにした。
所詮、彼らは温室育ちの貴族。
幾ら才能が、腕があろうとも、まだまだ経験は浅く、イリスのように、辺りに注意を払う余裕を持ってはいなかった……
「ここが、書庫なのかな?」
ゆっくりと扉を開け、中に踏み込んだライル達を出迎えたのは、本特有の匂いと、長い時をかけて堆積していた分厚い埃。
そう、ライル達はとうとう、書庫と思しき巨大な部屋に辿り着いたのだ。
「……そないみたいやな」
優に数メートルを越す巨大な本棚の群れ。
油断なく槍を構えつつも、きっと目の前の光景に圧倒されているのだろう、引け腰なグレン。
空気の汚さに、制限される視野に不快感を感じたのだろうか、無言で顔を顰めるリョウ。
「付かず離れず、適度に別れて探そうか」
ライルの言葉に頷いた一行は、不可解な紋様や、読めない文字を後目に探索を開始する。
そして、さほど時間をかけることなく辿り着いたのは、おそらく年代別に分けられ、整理された本棚の最後の列。一番端。
纏めて手に取った数冊の書類を片手に、ライルは疲れたような笑顔を浮かべた。
……これで、これできっと、皆救われる……
喜ぶ妹の顔が、ライルの瞼の裏に浮かんでは消える。
生来大人しく、引っ込み思案だった妹が、聖女として戦わなくてはいけないかもしれないなんていう未来を、これで変えることができるのだ。
これを読み解くことによって、王国は、僕らは、救われるのだ。
「よし、リョウ、グレン。もうここに用はないよ。
撤退しよう」
「「……」」
広い書庫の中、ことのほか響くライルの声。
静まり返ったまま、反応のない仲間達。
疑問に思ったライルは、少し離れたところにいる彼らの方へと顔を向ける。
「どうし…た……」
彼らは知らなかったのだ。
ダンジョンしかり、遺跡しかり、そこには必ず、そこを根城にしている大型の魔物がいるということを……
「こりゃぁ、死んだな」
いつの間に構えていたのだろう、2本の刀を握りしめたまま、小さくポツリと呟いたリョウの視線の先。
書庫の天井から彼らを見下ろしていたのは、どこか知性を感じさせる、一対の気味の悪い紅の複眼。
太く、闇に溶け込むような8本の足。付属する、研ぎ澄まされた刃物よりも、なお鋭い鎌状の爪。
ギチギチと嫌な音をたて続ける口から垂れる酸性の液体は、目の前の獲物に興奮している証拠だろうか?
「魔将……」
もし、勇者がここにいれば、きっとBOSSモンスターだと言っていたであろう。
未だ人の味を知らない魔将の姿が、興味深そうに目を光らせる化け物の姿が、そこにはあったのだ……
更新日時が、更新されているかもしれませんが、基本的には誤字脱字の修正、校正をしているだけです(;´Д`A
内容にほとんど変化は無いと思うので、二度目に読み直して落胆しないよう、気をつけていただけると幸いですm(_ _)m




