暗雲
顔をあげたクリスの視界に入るのは、延々と続く鉛色の空。
太陽の日差しを全て遮る、分厚い暗雲。
体に纏わりつくような湿った大気の中を、天と地の狭間を、クリスは光の尾を引いて飛翔する。
「……暗黒、大陸……」
ポツリと呟いた言葉は、まさしく今、クリスの目の前に広がる光景を、端的に表しているだろう。
クリスの行く手を塞ぐのは、密度の濃い闇。粘つくような不快な黒。
五感の一つ、視界が酷く制限をされるこの世界。
存在するもの全てが異質で、どこか狂っている。
「……暗い……」
西側の国境を発見し、越え、既に暗黒の大地に踏み込んでいるクリスではあったが、彼女のここまでの道のりがそう単純なものであったかと言えば、そうではない。
ここまでの行程で、クリスが家を出てから丸1日近くの日数が経過しているのであれば、その飛翔距離を、常識で計ることはできないであろう。
「……嫌な、光景……」
皹の入った不気味な仮面を片手に持った、彼女の遥か下。強化したその目線の先には、赤茶けた大地が延々と広がっていた。
つい先ほど。西側の国境手前までは、青々とした草木が生い茂っていたはずなのだ。
それが、いつの間にか不毛な、草木一本と生えない大地へと変わっている。
そのギャップは凄まじく、およそ自分の瞳で見ていなければ、信じ難いものであった。
「……」
闇の中。視線を地上に彷徨わせれば、ところどころ、徘徊をしている魔物の群れが、クリスの視界に入る。
赤茶けた大地の上で、何かを咀嚼する彼らの姿は、ただただ醜悪。
一般人であれば、それを見ただけで吐き気を我慢することは難しいだろう。
「……っ……!」
そんなことを考えながら飛んでいたために、注意力が散漫していたのだろうか。
飛翔するクリスの目と鼻の先。
突如として目の前の闇の中から飛び出してくる、成人男性ほどの大きな影に、クリスが反応したのは遅かった。
「……危ないっ……!」
驚愕。衝突する寸前、咄嗟にクリスが掲げたのは、魔力の籠った右腕。
まだ子供らしく、か細いその手に当たった大きな影は、聞き苦しい断末魔の叫びと共に爆散。
鉛色の雲の下、黒色の体液を、クリスの体に、大地に撒き散らす。
「……危な、かった……」
体に付着したドロリと粘つく体液。鼻を突く異臭。首を振って、クリスは気持ちを入れ替える。
かなりの速度で飛んでいるはずのクリス目掛けて突撃を敢行してきたのは、ガーゴイルや、ブラッドデーモンと言った魔物の群れの一部。
なぜ気がつかなかったのだろう?
羽ばたきを止めて、辺りを見渡してみれば、中空の至る所に彼らはいた。
「……囲まれ、た……?」
『ギェエエエエ!!』
クリスの少女らしい高い声と、突撃をしてくる魔物達との奇声が被る。
知能の低い彼らは、まるで火に飛び込む虫のように、光り輝くクリスに向かっては、粉々に、塵へと姿を変えていく。
「……ごめん……」
言葉と共に振るわれるクリスの細い両腕。舞い散る黒血。
いくら魔物とは言え、別段人間に迷惑をかけたわけでもない彼らを手にかけるという行為に、クリスは些かの心苦しさを感じていた。
「……ごめんね……」
また一つ散り逝く魔物の儚い命。自身の手に沿って生まれた魔力の残滓。悲しそうにその姿を、目で追うクリス。
だが、時に避け、時に撃墜して進むクリスの銀眼に迷いの色は一切無い。
そう、仮面をつけて、魔法で己を誤魔化していた時の彼女はもういない。
確固たる意志。力強い魔力の波動。邪悪な魔物達を消し飛ばず覚悟。迷う時間はもう終わったのだ。
「……」
僅かな時間の後に、全ての魔物は塵となって消えていた。邪悪な命の残り火が、隙あらばクリスを蝕もうと迫るが、クリスにはそれすらも通用しない。
一瞬にして思考を切り替えた彼女の興味は、もうそこにはない。
「……どこ……?」
魔物だったものの残骸が散らばる、赤茶けた不毛の大地に目を走らせ、クリスはそう一言小さく呟く。
クリスの飛翔速度ならば、もうとっくのとうにライル達一行に追いついていてもおかしくはない、という推測がクリスにはあったからだ。
地上よりも障害物の少なく、見通しの良い空を飛翔しているのであれば、そろそろライル達に追いついていてもいいはず……
「……ライル……」
クリスの頭に浮かんだのは、別れ際のライルの顔。
何かを取り作ったかのような笑顔。
……旅……こんな危険な地域にわざわざ行かなくたっていいのにっ……
クリスはライルが旅立った理由を知らない。
最後に彼がどんな気持ちでクリスと話をしたのかもわからない。
……なんで……?……僕に相談してくれたって良かったのにっ……
クリスの小さな胸の大部分を占めるのは、寂しさや悲しさ。そして純粋にライル達を心配する優しい気持ち。
「……どう、して……?」
己の、血に汚れた手を見るクリスの瞳が淋しげに揺らぐ。
……ライルは僕の力を知っているはずなのに……受け入れてくれたのにっ……
頭の中を何度も何度も過ぎる同じ疑問、不満。
しかし、ライルの、漢の立場になってみればわかるだろう。
青年達は、義憤に燃えていたのだ。
いくら、王国を魔物の手から救うためとは言え、血生臭いことを、危険なことを年下の妹に相談するはずもない。
ましてや、それが守りたい相手、想い人であるなら当然のこと。元々クリスに、ライルが旅の理由を説明するわけがなかったのだ。
「……ダメ、わから…ない……」
クリスに唯一わかるのは、ライルが王国のために、多くの人々のために行動しているということだけ。
クリスが家族を愛しているのと同じように、ライルのまた家族を愛しているのだと、クリスは信じている。皆のために頑張っているのだと信じている。
「……見つけ、なきゃ……」
不安そうに視線をめぐらすクリス。
足跡を探そうにも、魔物の足跡が多すぎてわからない。何の考えもなく飛び出してしまって来たからには、手がかりの一つでさえ存在しない。
「……ライルっ……リョウっ……!」
いつの間にか、再び集まってきていた魔物の群れ。
クリスの焦った小さな叫びは、無秩序に襲ってくる魔物達の奇声に遮られ、届かない。
「……どこに、いるのっ……!」
大きく旋回。クリスは追いすがってくる魔物の群れを、纏めて魔法で燃やし、必死で眼を凝らす。
いつになく真剣な瞳をした彼女は、傍から見ればとても、とても美しかった……
………………
《ライル視点》
……どこに、いるの……!
「!?」
ライルの形の良い眉が、ピクリと上がる。
視界のきかない暗闇の中、彼が向けた視線の先。東側の空。ほんの僅かに輝く、光点が見えた気がした。
「どないかした?」
先頭にたって遺跡と化した街中をゆっくりと、警戒しながら歩くライル。
彼の異変に目ざとく気がついたのは、二番手を歩く、槍使いグレン。
新手の魔物かと、一同の間を緊張がはしる。
「……いや、ごめん」
そうポツリと呟いたライルを襲っていたのは、不思議な感覚。なぜかライルの脳裏を過ぎる、儚げな妹の姿。
自身の一撃を受け止めるほどの力を見せつけられて、なお、ライルにとっては守るべき存在の、拙い笑顔。
「僕の気のせいだったみたいだ」
「さ、さよか」
ライルの言葉に、ホッと息を抜いたグレンの肩を、リョウが後ろから刀の柄で叩いて気を抜くなと促す。
朽ち果てた王宮まで残り僅かとはいえ、辺りに漂う魔物の気配は濃い。心なしか、先ほどよりも騒ついているようにも、ライルは感じていた。
「……先に進むよ」
……クリスのためにも、僕が頑張らなくちゃ……
愛しの妹の姿に力を貰ったライルは、疲れた体に鞭を打って、先へと歩みを進める。
「おう」 「ああ」
短く返事をし、後へと続く二人。
各々の武器を片手に音も無く、熟達した動きで前進する彼ら。
ポッカリと空いた、遺跡の入り口の向こう側に待ち受けているのは、地獄か、はたまた天国か……
更新速度の著しい低下、本当に申し訳ありません(°_°)
弟が艦コレに嵌ってしまった関係で、パソコンを取られてしまい、中々編集が捗らないのですorz
どうぞこれからもよろしくお願いしますm(__)m




