愚行
「……えっ?貴族の馬鹿が、国境を超えて暗黒の大地に踏み込んだっ!?」
「リス、声を抑えて」
貴族の一部の子息達が、独断で西側の国境を突破し、暗黒の大地へと踏み込んだ。そんな凶報が、ギルドに舞い込んで来たのは、ライル達が遺跡に辿りつく数日前のこと。
「急いで捜索隊を派遣しなくちゃいけないわ。少ないけど、王都に残っている実力者にも掛け合ってみないと」
落ち着いた雰囲気が漂うマスター室の中。忙しなく指示をとばすベガ。
彼女が関係各署に連絡をとったところ、国境を警備していた責任者を問い詰めている最中ではあるらしいが、貴族の国境越えに関しては、もう確定情報として扱っていいようであった。
「よりにもよって、こんな大切な時期に何を考えているのかしら!」
焦りを隠そうともせずに、悪態をつくベガ。
これが一般兵であるならば、そこまで大事になることもなかったのだ。
だが、暗黒の大地に入り込んだというのが、大貴族の子息というのが非常によくなかった。
「もうかなり奥地にまで進んでるころだと思うけど……」
ぼそりと呟いたボクの言葉に、眼に見えてベガは顔色を悪くする。
そう。なまじっか実力のある大貴族の子息達ならば、おそらく暗黒の大地の奥地にまで進めてしまうのだ。一般的な魔物にも苦戦をする兵士達とは、錬度が違いすぎる。
「そうよね……ええ、わかっているわ」
ただでさえ、薄氷の上を渡っているかのような、不安定な均衡。絶妙なバランスを保っている人間と魔物。
暗黒の大地の奥に住む、本来人と出会わないような魔物が、凶暴な魔将が、もし人間の血の味を知ってしまったら……
「急いで連れ戻さなくちゃいけないわね……。
それも、奥地にいる魔物達を、絶対に刺激しないように」
そう、基本的に暗黒の大地への進入が禁止されていることの大きな理由がこれなのだ。
ボクだって二年前、13歳の時に、一度任務で入ったことがあるだけであれば、生半可な実力の者が、適当な装備をつけただけで踏み込んでいい場所じゃない。
「リス、ごめんなさいね」
ギルドを纏める立場にもあるベガは、顔を苦しそうに歪めてボクの方を向く。
「今回の任務、おそらくはとっても危険な任務になると思うわ。
中途半端なギルド員を派遣するわけにはいかないし……正直、人員にそんなに余裕はないの。
最悪、貴女一人に行ってもらうってことも……」
本当に申し訳なさそうな口調で言葉を濁すベガ。
彼女を困らせたくなかったボクは、途中からその言葉を引き継いだ。
「大丈夫!
むしろボク一人のほうが速いし、追うのだって楽なぐらいだよ!
馬鹿な貴族の一人や二人、ぶん殴ってでも連れ戻してくるからさ!」
内心の不安は、不満は大きい。
何でボクが、自分勝手に行動した貴族の尻拭いをしなくちゃいけないんだ、って思う感情がないわけじゃない。
でも、ボクは大切な人のために言うのだ。不敵な笑顔で。
「ベガは安心して待っててよ!
用意が出来次第追いかけるからねっ!」
………………
その日のアズラエル家には、まるでお通夜のような暗い雰囲気が漂っていた。
ライルが、勇者に打ち勝った時のような浮ついた雰囲気は勿論、行方知れずとなっていたクリスが、発見された時のような明るい雰囲気でさえ、既に影も形もない。
だが、それも仕方が無いことなのだろう。
ライルとリョウ、アズラエル家の息子2人が、ミーカル家の長男と共に、信じられないような凶行に出てしまったのだから。
「ああ、ライル……私のライルがっ……」
「マーチ……」
カタカタと手に持ったティーカップを震わせて、嗚咽を漏らす妻。
ライネスはクリスの前だというのに、恥も外聞もなく、泣き崩れてしまった妻の細い体を支える。
「お前は少し疲れているのだろう。先に寝室に行くといい。もう眠りなさい」
メイソン、と長い付き合いでもある執事にライネスが声をかければ、有能な彼はそれだけで即座に行動に移した。
「奥方様、どうぞこちらに」
扉を開け、妻を誘導して去っていくメイソン。その背を気遣わしげな瞳で見送り、ひとつ頷いたライネスは、目の前に座るまだ小さな娘に声をかける。
「クリス、お前まで待っている必要はないのだぞ?
近いうちに学校がはじまるんだ。早いうちに寝たほうがいい」
攫われたということもあって、一時的に学校を休学しているクリス。
銀色の瞳に、銀色の髪。自分やライル、マーチにもあまり似なかったこの無口な一人娘が、存外にライルに懐いているということをライネスは知っていた。
無表情で、ほとんど外見に変化のない彼女ではあるが、やはりライルのことが心配なのだろう。現に、こうして夜中まで起きているのだから。
「ギルドにも既に通達を入れた後だ。
何か吉報があれば、真っ先にクリスに伝えると約束をしよう。それではダメか?」
「……ううん……」
ライネスの言葉に小さく首を振ったクリスは、どことなく悲しそうな顔をする。
「どうかしたのか?」
「……少し、悲しい……」
「悲しい……?」
ライルが遠くに行ってしまったことが悲しいのだろか?アズラエル家に相応しくないような行動をとった兄のことを、悲しく思っているのだろうか?
その真意をライネスは掴むことはできなかったが、父親としてやるべきことはわかっていた。
「クリス、こっちに来なさい」
疑問の表情を浮かべながらも近づいてきた、なんとも可愛らしい娘。
齢にすれば13歳という複雑な年齢。いつまでもクリスを子ども扱いをしていると、自身でも自覚しながら、ライネスは自分の胸よりも低いところにあるその小さな頭を、ポンポンと優しく叩いて言い聞かせる。
少しでも娘の不安を和らげてあげたかった。
「クリスが心配することは何も無いんだ。
安心しなさい。これは機密だが、西の国境を超えた先で一度、ライル達の姿が確認されている。
見付かるのも時間の問題、そうだろう?」
「……うん……」
どこか照れたような娘の様子に、不安を解消させることができたかと、内心で安堵をするライネス。
だが、彼は自分の言葉の中に、言ってはいけないワードがあったことに気がついてはいなかった。
「……西、国境……」
クリスはライネスの大きな掌の下でそう小さく呟く。
彼女は既に、周りの大人達の反応からも、ライル達が暗黒の大地と呼ばれるところに踏み込んだというのは想像していた。そして、今、その方角までもが確定してしまったのだ。
「メノト、クリスをもう寝かせてやってはくれないか?
もう子供が起きてていい時間ではないからな」
「はい、当主様。
ではお嬢様行きましょうか?」
「……うん……」
ライネスの目の前で小さく頷くクリス。優しく微笑むメノト。
しかしここでライネスは妙な胸騒ぎを感じる。
メノトに手を引かれて、自室へと歩いていくクリスの後ろ姿を見た、ライネスの胸中を走る嫌な予感。
「……おやすみ……」
「あ、あぁ……いい夢を見るんだよ」
そんなライネスを知ってか知らずか、振り返って就寝の挨拶をする可愛らしい自分の娘。その姿に毒気を抜かれたライネスは、杞憂だったかと小さく微笑む。
……クリスが攫われたと思った矢先の出来事だったのだ。きっと私も疲れているのだろう。気のせいに違いない……
「旦那様」
「ああ、メイソン。ありがとう」
マーチを送ってきたのだろう。戻ってきたメイソンから渡されたコーヒーを、一口だけ含んだライネスは、一人椅子に座って目頭を揉む。
この1、2週間の間に色々なことがあった。そして、これからも色々なことがあるのだろう。
「メイソン、東側の住民の避難は完了したのか?」
「いえ、旦那様。
急がせてはいるのですが、未だ半分程度と言ったところでしょうか。避難場所のライフラインの確保も、まだ万全とは言えないのが現状です」
「そうか……」
小さく溜息をついたライネスは夢を見る。
自分の愛する家族、人民と平和に過ごす未来を……
「まさか、私が当主の時にここまで情勢が悪化するとはな……」
年齢も既に50に近い。見た目は若くても、既に戦い続けるだけの体力がないというのは、自分が一番よくわかっている。
「近いうちに私も戦場に出ることになるだろう。メイソン、お前も準備をしておけ」
「御意に」
だが、彼は根っからの武官なのだ。国難とあっては、老兵に鞭を打ってでも戦わなければならない。
貴族として生を受けたときから、それは既に決まりきったことなのだ。
「ライルやクリス、リョウやユーリ。できればあの子達を、辛い目にあわせたくはなかったのだがな……」
長年戦ってきた戦士の勘、とでも言うべきものだったのだろうか?
ライネスはこのとき、確かに近づいてくる死の足音を聞き取っていた。
「旦那様……」
長年連れ添った執事が一人。影ながら常に、ライネスに付き従っていた彼は言う。
「この不肖メイソン、地獄の底までお供いたします」
「すまんな……」
ちなみに、次の日の朝。一枚の書置きを残して、もぬけの殻となったクリスの部屋を覗きにきたライネスが、心労の余り倒れたという事だけは、ここに明言しておこう……
これから完結まで、かなり遅いペースでの更新になりそうです。
矛盾点があったら指摘していただけると幸いですorz




