闘技祭 イリスとリョウ
「てっきり俺は勇者の、ノリヒコの奴が出てくると思ってたんだがな……」
学生達の出し物が終わり、その後にはじまった本当の意味での闘技祭。既に数試合が消化され、大分空気も温まってきた衆人観衆の手前。意気揚々と闘技場に踏み込んだ俺は、しかしその直後に落胆のあまりそう呟く。
授業中にあれだけ睨み合っていたのだ。勇者本人が俺を叩きのめそうとするのが普通なんじゃないのか?
「ふん、ボクで悪かったね」
広い円形の闘技場、その中心。綺麗に敷き詰められた石畳の上で俺と睨み合っているのは、仮面をつけたローブ姿の子供。その足捌きこそある程度以上には武術を納めたものではあるが、その体格は決していいものではない。貴族のような特別な出自でなければ年齢的にもおよそ戦えるようには見えなかった。
「まぁ俺としては別に構わねぇけどよ……」
俺にも少なからずライルと同じように今の自身の実力を試してみたいという気持ちがあったのだ。でもそれはこんな子供相手にするべきことじゃない。誰が好き好んで弱い者イジメをしたがるというのだろう。
「では、これより第7試合!リョウ・アズラエルと銀の操者の試合を始めることとする!」
不思議と拡散する教皇の声。目の前にいる子供が銀の操者という巷でも有名な人間であることにリョウは気がつくが、その情報と目の前にいるまだ声変わりもしていない子供の姿がいかんせん噛み合ってはいなかった。
少年だと仮定するならばまだ13、4歳程度であろうか?ユーリやクリスよりはやや年上でリョウよりは年下という程度。
「やりづれぇ…」
打ち鳴らされた銅鑼の音を聞きながらリョウはそうボソリと呟く。僅か数分後にはその意見を撤回することになるなどとこの時の彼はまだ想像だにしていなかったのだ……
………………
「……イリス、ちゃん……」
王様の近くで教皇の隣。特別に用意がされた、闘技場全体が一望できるほどの高さにある特等席で僕は小さくそう呟く。
そう、僕の目線の先で今まさに二本の模造刀を引き抜いたリョウと向き合う彼女は、優しかった、かつては闘気を上手く扱うことすらできなかったイリスちゃんなのだ。
「クリス、よく見ておくといい。
これからはじまるのは将来勇者と共にきっと魔王を倒してくれるであろう者達の戦いだよ。闘技祭は間違いなくここからが本番だ」
「……」
教皇の言葉に無言でコクリと頷いた僕は、一本の細い剣を構える彼女の姿を真剣に凝視する。勿論戦いが好きというわけではないけれど、でも、直接彼女が戦っているのを見るのはこれが初めてで少しだけ興味があったから。
「よし……始めっ!」
僕の隣に立っていた教皇の宣言と同時に打ち鳴らされる大きな銅鑼の音。先に動き出したのはイリスちゃん。
「君のその認識、改めさせてあげるよっ!」
「あ゛っ?」
肩に両刃の剣を乗っけたイリスちゃんは15mほどの距離をゆっくりと進み……急激に速度をあげる。眼を魔力で強化した僕には問題なく見切れる速度ではあったが、横にいた教皇や王様は驚きのあまり目を見開いているようであった。
「うおっ!?
なるほどなぁ!大した速さだっ!」
驚き叫んだリョウは、なんとかイリスの姿を捉えていたのだろう。左手に持った一本の刀で側面から振り下ろされる剣と真っ向から打ち合い火花を散らす。ギャリギャリと剣と刀がお互いを削り合う異音が闘技場に満ちた。
……リョウの方が力が弱い……いや、イリスの闘気が強すぎる……?
見るからに刀に負荷をかけるような戦い方をしているリョウだが、彼は鍔迫り合いをするイリスを、銀の操者を押し返せない。もとより技巧派というわけではないリョウは本来有り余る力で有利を築き、冷静な思考で戦闘を楽しむタイプなのだが、イリスを前にしてみればその力でさえも霞んでしまっていた。
「へぇ、これに反応するなんて君も意外と戦えるんだ。そこらへんの貴族よりは……マシかもねっ!」
イリスの仮面の下にある赤い瞳に一瞬過ったのは憎しみだったのだろうか。続く間違いなく負の感情が籠った言葉にリョウが眉をあげる。
「てめえっ!馬鹿にっ……してんのか!!」
一度は弾きあい、再び噛み合う刀と剣。必死の形相で剣を押し返しながら吼えるリョウとそれを鼻で笑うイリス。
騒がしい会場の中。強化した聴力でそのやり取りを聞き取ってしまったクリスは、その端正な顔を少しだけ悲しそうに歪めていたのであった……
「わけわからねぇこと言いやがって!」
一合、二合。重ね合わされる刃と刃。打ち合っていなかった方の刀をリョウが振るえばそれをローブ姿の子供はそれを危なげなく回避する。続いて繰り出された流れるような反撃にギリギリで刀を合わせたリョウは堪らずに一歩後退した。
……重ぇ、重ぇ……なんつう一撃だっ……
この一撃一撃の重みは一体どこから来ているのだろう。天才と謳われるライルのそれと比較しても遥かに重いと言える一撃は体重差で遥かに有利、力自慢なはずのリョウを着実に追い詰めていく。
「ちぃ!右かっ!」
速く、鋭く、重い一撃。残像が残るほどの速度で横から無防備な脇腹を狙って剣を振るってくるローブ姿の子供。銀の操者と呼ばれる子供の攻撃を経験と根性だけでリョウは捌く、捌く、捌き続ける。
……こいつ、つえぇ……
間断なく響くのは金属と金属が打ち合う甲高い音。今更焦りなどといった初々しい感情に屈するリョウではなかったが、受けに徹したところで勝ち目がないということは陽の目を見るよりも明らかであった。
このままではせっかく自分のような子供を養子にとってくれたアズラエル家の顔に、ライルの顔に泥を塗ることになってしまうかもしれない。
……悔しいが認めてやるぜ、こいつは大したガキだぁ……
僅か数分とたたずにリョウは外見だけで銀の操者の実力を判断し、舐めていた己の未熟さに気が付く。ここまでの力を見せ付けられてしまっては認識の甘さを改めないわけにはいかなかったのだ。
……まるで歯がたたねぇ……
目の前でブレるようにして消える小さな体。思考もほどほどに反射だけでリョウの体は動く。
「ぐっ……」
上段から振り下ろされる剣を二本の刀で防げば、即座に繰り出される蹴り。肘で弾いたと思った次の瞬間には回し蹴りがリョウの腹部に突き刺さっていた。
「……て、てめぇ…まだ…本気じゃねぇな?」
致命的な一撃ではないにしろ多少臓器を傷つけられてしまったのだろうか。
闘気を纏っていたにもかかわらず蹴られた衝撃で僅かにたたらを踏んだリョウは口から僅かに垂れる血を手の甲で拭って笑う。冷静に考えてみれば、追撃をしてこないことや、速度もって畳み掛けてこないあたり未だに銀の操者が本気を出していないのは明らかであった。
「……」
仮面の下から覗く不気味な紅い瞳が嗤う。リョウを挑発するような輝き纏わせる。
「ちっ…」
もうリョウには辺りの歓声が聞こえていなかった。手に汗を握るクリスやユーリの様子も、瞠目する貴族達の姿もその例には漏れず、既に彼の視界には完全にはいっていない。
……さて、どうやってこいつを崩す……一矢報いるためには……
一点に集約された思考。リョウは荒い息を落ち着けながら考える。相対する相手が持つのはライルに勝るとも劣らない技量に、自分よりも遥かに強い膂力、身軽さ。対して自分が使えるのは二本の慣れない模造刀と貧弱な己の体のみ。
「へへへ、これからだぜぇ……」
もちろん勝てる見込みなど万に一つ。極僅か。戦っているのが闘技場の上であれば利用できるものすら何もない。
目の前にあるのは越えられないほどに分厚い壁。しかし圧倒的な実力を持った銀色の仮面を前にしてニヤリとリョウは笑っていたのであった……
…………
………
……
…
「……リョウっ……」
小さく息を呑んだクリス。
彼女の魔力で強化した瞳には、爆音と共に吹き上がった土煙の中。ゆっくりと膝をつき、その場に倒れ伏すリョウの姿が映っていた。
「……し、勝者は銀の操者!」
霧が晴れ、クリスの小さな呟きを聞いてハッとしたように教皇がそう告げる。その声は些かと言える枠を超えて震えており、いっそ滑稽なほど。
「……っ……」
唇を噛んで俯くクリスの前で担架に乗せられて運び出されるリョウ。歓声を背に悠々と帰っていくイリス。
「……そ、そうだっ……」
しかし俯いていたクリスは即座に自身の役目を思い出す。聖女であれば怪我をしたリョウを治癒することになんら躊躇いを抱く必要などないのだ。
「……治療、する……」
クリスのためだけに用意された特等席を蹴って立ち上がり、リョウを治しに行こうと飛び出す。タイミング良く彼女に声がかかったのはまさにその矢先の出来事であった。
「聖女様!こちらに馬車の用意がございます!
リョウ・アズラエルは外の病院に運び込まれる手筈になっておりますゆえ、どうぞこちらに!」
「……う、うん……」
聞きなれない声のした方を向けば、そこにいたのはギルド員と思しき一人の青年。
一瞬だけ教皇と目を合わせたクリスはすぐにコクリと頷き、名前も知らない青年の後に続く。
どこか青ざめた顔をした教皇はクリスのその小さな背を特に見送るわけでもなく、王様の楽し気な声に耳を貸すわけでもなく、どこか呆然としているようであった……
久しぶりの投稿でした。
前のほうの話しも随時校正しつつ、最新話のほうも適宜更新していきたいと思っております。




