波乱の予感 ①
チュンチュンと覚醒を促す優しい小鳥達の囀り。柔らかいベッドの上、窓から差し込む朝日から逃げるように寝返りをうった彼女は直後に聞こえた呆れたような女性の声でようやくその重たい瞼を持ち上げる。
「お嬢様は本当に昔から朝が弱いですね~」
「……おはよ……」
「はい、おはようございます。ほら、もうベッドから出るには随分遅い時間ですよ」
寝ぼけ眼を擦りながらゆっくりと身を起こしたクリスの顔に熱いタオルをペタリと貼り付けたのは乳母でもあるメノト。その太ましい体型はクリスが子供だった時から一切の変化がないが、きっと年齢のせいだろう、優しげな瞳をした彼女からは悲しいかな、以前まではあった覇気が感じられなくなっていた。
「……うん……」
「お嬢様、学校が忙しいのはわかりますが、いくら学校がない日だからと言って気を抜いてはいけませよ。眠らないことが悪いのはもちろんですが必要以上に眠ることも美容に悪いんですからね」
「……そう……」
「ほら、そろそろお嬢様も学校で気になる殿方の一人や二人はいるでしょう。意中の彼をゲットするためにも女の子は体に気を使わなくてはいけないんですからね!」
「……うん……」
お節介がすぎるのだろうか、未だに半分夢の中といった様子で濡れタオルを掴んだままぼうっとするクリスを見たメノトは一つ大きく溜息をついて、学園の寮で一緒に暮らすユーリに普段のクリスの様子を聞き出そうと心に決めたのであった……
「ライル、お前とリョウに教会から出場要請だ」
ライルと勇者様が睨みあってからはや数日。学校が休みの日、久しぶりにアズラエル家の実家に呼び戻された僕とライルを前にしてお父さんは言った。
「闘技場が完全に再建されたのは知っているな?
今度そこで勇者とやらの降臨祝いと称した闘技祭が行われる予定になっているんだが……」
疑問符を浮かべる僕とライルを前に説明が足りなかったかとより詳しい説明を付け加えてくれるお父さん。ご飯を食べたばかりで働かない頭を持て余す僕と違ってその話を聞いた途端にライルの表情はすぐに深刻なものへと変化する。
「父様、それはつまり……」
「……あぁ、間違いない。教会は貴族側から実権だけでは飽き足らず、名誉までもを完全に奪いに来ているということだ」
肘掛け椅子に座ったお父さんは万年筆を片手に苦々しい顔でライルの言葉を引き継ぐ。
僕のあまり良くない頭ではわからないが、たぶん教会が闘技祭、多くの観客の見ている前で将来有望とされる貴族の子息達を打ち倒し、貴族側の権威を完全に失墜させようとしているという趣旨の内容なのだろう。もう何度も聞いたことがあるような権力争いについてだ。
「ところでクリス、話は変わるが聖法とやらの中には体力を回復させるものや怪我を治すもの以外にも呪術的に相手の体調を崩すものがあるというが本当か?」
「……は、はい……」
僕はお父さんのいきなりの問いに少々面食らいながらも頷く。なんでそんなことを質問されたのかはわからなかったのだが、確かに聖法ならぬ魔法には味方を回復させるだけじゃなくて物理的に、精神的に敵を破壊する方法が数多く存在するからだ。
「そうか……ならば致し方ない。本当はこのようなことを頼むのは心苦しいのだがな……」
一瞬だけ眼を瞑り、何かを考え悩むような表情を浮かべたお父さんはやがて重々しく頷く。
「……すまないがクリス、試合前にはできる限りライルとリョウのサポートをしてやってはくれないか?」
「……え……?」
「聖女という立場上複雑な気持ちかもしれないが、ライルやリョウが正々堂々と戦って負けるとも思えない。なれば、二人を打ち倒そうとする教会が何か卑劣な手段に打ってでるであろうということは想像に難くないからな」
疑問符を浮かべた僕に説明をするお父さん。彼の鋭い視線はきっと僕を通して教会側の思惑を見通そうとしているのだろう、その鋭い瞳から発せられる温度の低い視線に宿っているのは純粋な怒り……だろうか?
「心配しなくても大丈夫。僕はもうクリスに迷惑はかけないから」
「……ライル……?」
お父さんに睨まれて小さくなっていた僕の肩に手を置いたライルは真剣な顔で語る。律儀な彼は僕が一度だけ勇者様からライルを庇った時のことを気にしているのかもしれない。とはいえ僕はなんとなくそれ以上の決意をライルから感じたのだが、結局その正体を掴むことは出来なかった。
「そういえば父様、闘技祭には勇者自身も出てくるとお考えですか?」
ライルの疑問にもっともなことだとお父さんは頷き、暫し悩んだ後に返答をする。
「本来ならばそれほど重要な立場の者を出場させることのなかった闘技関係の大会であったが……わかるな?今は些か事情が違う。
聖女であるクリスを初めとして教皇も聖法とやらを使うことができると聞いたからな」
「つまり……」
「あぁ、向こうは勇者を出すことも辞さない。おそらくは末端の戦士達にいたるまで出場者全員が貴族側を打ち倒さんと死ぬ気で向かってくる可能性が高いと言うことだ」
本当に回復してもらえるかすらも怪しい貴族側とは違ってな、と苦々しく言うお父さんの口元には、だが、怪しげな笑みが浮かんでいた。
勇者はともかく貴族側には少なからず今まで回復魔法など無くても戦ってこれたという実績が、誇りがある。回復して貰えるから安全だと今更武器を手に取り初めたような軟弱者共に負けることはない、きっとお父さんはそう思っているのだろう。
「実力のほどはわかりませんが……なるほど、少々厄介なことになりそうですね」
「うむ……いくら実力が低いとはいえ、死を恐れない相手というのは往々にして厄介なものだからな……。
それに教皇の名の下で行われる闘技祭であれば、例え教会側を打ち倒したとしても国民の教会側の物覚えが悪くなるということは考え難いということもまた問題だ」
この大会、たとえ利が一切無くとも、教会側に何ら打撃を与えられなくとも名誉のために貴族側は負けられないのだ。と真剣な顔で語るお父さんはどこか鬼気迫った様子であった。
僕を聖女としたことで貴族側からは敵対視され、教会側からは予想していたほどの援助を受けられず、どちらからも微妙な目線で見られているアズラエル家にとってはもしかしたら今が頑張りどころなのかもしれない。せめて力があるところを見せ付けて舐められないようにしたいのだろう。
「わかりました父様、ですが勇者だけが少々気がかりです。
教会側が真に貴族側の権威を失墜させようとするならば一般人に、平民に混じって出場してくる可能性も否定はできません」
「うむむ、どちらにせよライルが負けるとは思わんが……」
力強く頷き、訥々(とつとつ)と意見を述べるライルの横で僕は俯く。
同じ人間に刀を向けるライルがなんだ不憫で、何で今の時期にこんなことをするのか、なんでお父さんや教皇達が名誉やら権威やらにそこまで固執するのか。その意味が僕には良くわからなかったから……
…………
………
……
…
「もう知っている人もいるかも知れませんが、王様と教皇様が共同で執り行う勇者降臨の闘技祭が今月末に行われる決定しました。
私達は学校として参加をし、学年ごとに出し物をおこないます。今回は闘技というだけあって文民の生徒達には残念ながら出番はありませんが、気を抜くことなく一丸となって頑張っていきましょう」
「……今月末ですか?」
休み明けの朝、壇上の教師から告げられた言葉に思わずと言った様子で聞き返すソプラノ。この前の一件でなんとなく喧嘩別れのようになってしまった彼女だが、多少疎遠になったようにも感じる程度で、変わらずに僕の隣に座っていた。
「そうですね。闘技祭に関する詳しい内容は後で掲示をしておきますので各自確認をしてください」
柔らかい口調で女性教師がHRの終わりを告げる。ソプラノのいつもの号令がかかり、礼が終わった後には教室の中はまるで蜂の巣をつついたかのような大騒ぎになった。
「……」
その様子をぼんやりと見つめる僕に話しかけてきたのはソプラノ。どこか真剣な顔をした彼女は宣言するかのように強い口調で言う。
「ク、クリスさん!私は勇者様のことがきっと……ええ、きっと好きなんですわ!」
ノリヒコではなくて勇者様。多くの雑踏に紛れたソプラノの言葉を拾えた者はきっと少なかっただろう。
「初めてですけど、たぶん私のこの気持ちは愛。
今後クリスさんとは勇者様を巡って争うことになるかもしれませんけど……ま、負けませんからねっ!」
「……え……あっ……」
最後の方で元々赤くなっていた顔をさらに赤くした彼女は何を思ったのか身を翻してスタスタと去って行ってしまう。
「とうとう悪魔にも青春がきたのか……」
「!?」
ヌッと僕の机の横からいきなり現れたフォルコンはなぜか少しだけ寂しそうにそう呟いた。
「……愛…青春……?」
前世から誰かを愛したことなんてなかった僕にはノリヒコという勇者様の本名ではなく、《勇者様》を愛していると言ったソプラノの気持ちがよくわからなかったのだ……
………………
《ライル視点》
「闘技際か……」
完全に復興を果たしたという闘技場。そこで何らかの催し物をやるということは国民の戦意を高めるという意味もあって完全に無駄なことではないのだろう。だが、今のこのご時勢でやるなんてなんともまぁ悠長なことだと思わない気がしなくも無い。
「ワイのおとんがゆうてたんやけど、西ねきの方はもう戦線を維持すんねんもなんぎらしい。ぼちぼち撤退も視野に入れてるで。そないな闘技際なんてやってる余裕はへんやろ」
雑音の多い教室の一角。深刻そうな顔で西側の状況を話してくれるグレン。
グレンにしろライルにしろこの学園を卒業したあとは数年とは言わず十数年の間は戦地に赴かなければならないのだ。闘技際なんかをおこなう余裕があったら少なからず赴任先の状況を改善してもらいたいというのが偽りざる本音であるというのは致し方ないことなのだろう。
「ついこの間大臣が壁を、東西南北に魔物の侵攻を食い止めるための大きな城砦の建設をするって法案を提出していたようだけど一体どうなったことやら……」
ライルはグレンを通じて知りえた西側の状況と自分の知っている東側の状況を考慮して今すぐにでも魔物を駆逐していかないことには王国に未来がないのではないかと考える。
教会の関係者達は皆一様に魔物達の王である魔王なる化け物一匹を倒せば全ての魔物たちを消し去ることができると言ってはいるが、魔物を人間と置き換えて考えてみればそれがいかにおかしな考えであるかは明白なものだ。もはや猶予はない。
「国の上層部は腐ってやがる。
見ろよ、あの勇者とやら。あんなのに未来を託しているんだろう?俺から言わしてもらえばあんなのはクソだクソ!ケツを拭く紙より使い道がねぇ」
荒れた口調でそう呟いたのはリョウ。先日勇者と睨みあっていた件で一方的に一人だけ罰を受け、便所掃除をさせられることになったのだから彼の不満もわからないことはない。流石に言い過ぎだとは思うが。
「そもそも魔将だったか?そこらの魔物より一段強い奴を倒そうとするだけでこっちの犠牲の量がヤバイってことぐらい上も把握してんだろ?
どうひっくり返ったらあんなチャラい奴にそれよりも強い魔王が倒せるって言うんだか」
「リョウ、あんまりそういうことをここで言うもんじゃないよ」
小さな声で嗜めるライル。今は休み時間でもあるため、クラスメイトのほとんどが勇者のところに行っている、もしくは闘技際のことについての話題に花を咲かしているとはいえ、一体誰が聞き耳を立てているかもわからないのだ。ライルやリョウ、グレンといった将来軍の中でも主力を担うであろう学生が弱音やら上層部に対する不満を漏らしていいはずがない。
「ちっ……」
「まぁ言おったくなる気持ちがわからなくもあらへんやけどな」
小さく舌打ちをするリョウに肩を竦めて同意を示すグレン。そんな二人を見たライルは小さく溜息をつく。
「勇者が強ければいいってわけでもないしね……」
父様から出るようにといわれた闘技祭。そこでおそらく自分かリョウのどちらかは確実に勇者と戦うことになるのだろう。そう、もし実際に魔物達の王を倒せるぐらいに勇者が強かったとしたら、それはそれでライル達の勝ち目がなくなってしまうから困るのだ。
「全く複雑な気持ちだよ……」
未来のためにと純粋に手を取り合うことのできない貴族と教会を揶揄したのか、そこにしっかり自分も含まれていることを嘆いているのか、雑音の多い教室の中でどこかライルの言葉は自嘲気味に響いた……
勇者とリョウを含め、ライル達が睨み合ってから幾日かが経ちました。ライル視点の部分ではさらに先の話しになっております。
もしわかりにくいようでしたら申し訳ありません(-。-;誤字脱字、意味不明な点も多々あることとは思いますが、どうかこれからも作者のことを見捨てないでいただけると嬉しいですm(_ _)m




