学校って疲れるよ……
「……大丈夫、かな……」
藪の中から怒りの形相で飛び出していったソプラノの様子をコッソリと僕は窺う。本当なら一緒について行くべきところなのかもしれないけれど、でも流石に見知らぬ沢山の上級生の前にいきなり出て行くのは気が引けてしまったのだ。
「……人、多い……無理……」
だって僕がどんなに頑張ったところでたぶんソプラノの足を引っ張るだけになってしまうから……
「貴方っ!何の根拠もなくゆぅ……ひ、人に難癖をつけて怒鳴るだなんて恥を知りなさい!!」
「……!?」
藪を飛び出して行ってから一分とたたずに激昂するソプラノの声が僕の耳に届いた。怒っていても勇者様のことに関しては機密事項だということを忘れてはいないのだろう、咄嗟に言い直したのは流石と言わざるをえない。
「えっ!?
ってな、なんで違う学年がここにいるんだ!今ここで授業をしているのは6-Sだけだぞ!」
「悪いことをしている方を注意するのになんで場所と時間が関係あるんですかっ!」
ソプラノに怒鳴りつけられた少年は一瞬だけ驚いたような顔をして呆けるが、その直後には強気に言い返し途端に発展する激しい口喧嘩。最初に喧嘩をふっかけられていたはずの勇者様はその様子をニヤニヤしながら見ている、言い方は悪いけど遠目から様子を窺っていた僕にはそう見えたのだ。
「大体貴方の様な下賎なっ…」
「……君たち、今が何の時間かわからないわけではないだろう?」
徐々に熱が入ってきたのか差別用語を使おうとするソプラノ。しかし、その言葉はすんでのところで第三者によって遮られた。
「ネロ、言いたいことがあるなら休み時間に。それとソプラノ嬢、今貴女の学年は教室で座学をしているはずではありませんか?お引取りを」
「……ライル」
そう、隠れてことの成り行きを見守っていた僕の視界の中に入ってきたのはお兄ちゃんでもあるライル。冷静に対処をする彼の姿にソプラノから酷く怒鳴りつけられていたネロという少年もどこか安心をしたような顔をする。
「あら、ライルさん。
いらっしゃったのならわかりますわよね。ネロでしたか、そこの無礼者を速やかに処断してはいただけないでしょうか?」
「……ソプラノ嬢?」
だがしかし今日のソプラノはどこかがおかしかった。
差別発言を起因とした殴り合い、もしくは斬り合いに発展するのを止めようとして割って入ったライル。
だが結果だけ見ればそれは失敗だったと言わざるをえないだろう。ライルの行動は残念なことにソプラノを初めとして勢いづいた公爵家のご令嬢達、勇者様の取り巻きの無駄にプライドの高い女の子達が口を挟む余裕を与えてしまう結果となってしまったのだから。
「そうよっ!どこの馬の骨かもわからないゴミがなんで私のノリヒコにっ!」
「なんて気持ち悪い!死刑にすべきですわっ!」
元々勇者様に突っかかっていった理由を知ってか知らずか、口々にネロと呼ばれた少年を糾弾しはじめる外野の女の子達。藪の中の僕はそれを見てとても恐ろしいと生唾を飲み込む。
「ライルさんもわかりますよね?
どちらが悪いか貴方にだってそう、まさに一目瞭然ですわよね?」
「……」
普段と違って聞き分けのないソプラノの様子に驚いたのか、それとも多くの女子生徒や一部の男子生徒達があっという間に勇者様の味方についたことに驚いたのか、ともかくライルは声をつまらせる。
今まで傍観していたはずの勇者様はそんなライルの様子を見て面白そうに言った。
「ええっと……そう、君はライル君だったよね?」
「……?」
妙に丁寧な、見られることを意識したような話し方。チラリと一瞬だけ虚空を睨んだ勇者様はライルに向かって爆弾を落とす。
「いやさ、君の言い方や動作を見てるとなんだか俺の方が悪いって言っているようにも感じられてねぇ。
いや、勿論俺の勘違いかもしれないよ?でもね、そういう風に思われるのはう〜ん、やっぱり悲しいかなぁ……」
「は?」
勇者様の言葉の意味がわからないとばかりにライルは首を傾げる。だが、今やネロと同じように彼にも周りの女の子達からの敵意の視線が多数刺さっていた。
「いやいや、俺もこういう風なことを言うのは嫌なんだけどね。でもほら、君は俺が悪いと思っているからそんなことを言うんだろう?」
「ライルさん…見損ないましたよ」
勇者に同調してライルを責めるソプラノ。
僕の隠れている藪の中からでもライルの顔が歪むのがわかった。頭が良い彼ならばもう完全に状況を把握しきったのだろう。明らかに何かがおかしい、洗脳をされてしまっているかのように勇者様を肯定する多くの生徒達の前にライルは何の策も持たずに飛び込んでしまったのだ。
「ラ、ライルは関係ないだろっ!
そいつが俺の彼女を寝取ったのがいけないんだっ!しかもお前はそのあと遊びだったって……あいつが今どんな気持ちでいるのかわかっているのか!」
ネロと呼ばれた少年は無実を証明するかのように必死で叫ぶ。だがしかし、それは勇者様を前に即座に一蹴されてしまった。
「うん?君が言っているのは以前にパーティーで出会った女の子のことかな?
……あ〜でもね、彼女はどうも俺に下心を持って近づいて来ていたみたいでねぇ。本当に不潔だよねぇ、俺も泣く泣く断らざるをえなかったんだ」
「まぁ、なんて汚らわしい。むしろ捨てられたぐらいで済んで感謝すべきですわ」
「ライル様もそんな死んでも構わないような屑をお庇いになられるなんて……」
事実を知らないのに勇者様のよくわからない弁明を一歩的に肯定し頷く多くの生徒達。ネロという少年は小さく嘘だと呟く。
……こんなの酷い……
ここまでくると流石の僕ももうただ見ていることなんてできなかった。
……詳しい事情はよくわからないけど……でもなんであんなに多くの人達がよってたかって……
きっと僕は自分のお兄さんが、いつも僕に優しくしてくれる肉親が周りから敵意の目を向けられている姿に過去の自分を投影したのだろう。とてもじゃないけれど耐えられなくなった僕は歯を痛いほどに噛み締めてガサリと隠れていた藪の中から飛び出す。
「……ライル……」
……僕なんかとライルじゃ釣り合いがとれてないかもしれないけどっ……
……でも、それでも僕は絶対に見捨てたりしないからっ……
一生懸命に走る僕にいつの間にかソプラノを応援する気は全くなくなっていたのだった……
………………
《イリス視点》
ズキッ!
……まただっ……
ボクは自分の無い胸を掻き抱く。ライルにわけのわからない罪がなすりつけられるたびに、勇者がそれを見て笑うたびに何故か胸が切なく、痛くなる。
「でもほら、君は俺が悪いと思っているんだろう?」
ニヤリと嗤う勇者の顔は過去にボク馬鹿にしていたライル達が浮かべていた表情と同じもので、たぶん他人を蔑むような、バカにするような醜いもの。
……なんでっ……
でもなぜかそれを見てもボクは不快感を一切感じることがなかったのだ。
……な、なにこれ……なんで嫌だって思わないの……?
疑問を感じ、悩む。正体が掴めない何か、わからない何かに自分を書き換えられていくような恐怖。
勇者が笑みを作るたびに、歪んだ感情がその整った顔に浮かぶたびにそんな恐怖をボクは感じた。
……これは危険……ボクがボクじゃなくなるっ……
「…くっ……」
長年戦いの中で培ってきた勘に従いボクは無理矢理勇者から視線を逸らして目を瞑る。いつの間にか早くなっていた呼吸を整える。無意識のうちにボクの手はかつてクリスちゃんから貰った短刀を握りしめていた。
……だ、大丈夫……もう平気……
記憶の中の優しい彼女から元気を貰う。暖かい感覚が体に満ち、優しい気持ちになる。ボクは乱れた気を整えた上で再度勇者を睨んだ。
……どんな方法を使ったのかはわからないけれど辺りにいる人全員の精神に、無差別に干渉をしようとするなんて……
人々の間に聖法と呼ばれる未知の技術の存在が知れ渡り、魔将と呼ばれる人智を遥かに越えた力を持つ魔物達と既に幾度となく刃を交えたことのあるイリスの考え方は非常に柔軟だ。
魔法というものを、勇者が持ったスキルという概念の名前すら知らなくても、それでも勇者が何らかの異能を用いて人々の在り方を歪めようとしているということに気がついたのだから。
「……許さない」
他人の考え方を、価値観を無理に歪めるような好意の植え付け。それはその人の積み重ねてきた人生を否定することと同義。少なからず自身の生い立ちにコンプレックスを感じると同時に誇りにも思っていたイリスにとってそれは決して看過することのできない行為。
「……ノリッ!?」
しかしクリスちゃんから貰った短剣を片手に勇者の名前を叫んで踏み出そうとしたイリスの足はピタリと止まる。
「……あれ…?」
彼女の赤い瞳の見つめる先にいたのはまるでライルを庇っているかのようにして立つ一人の小さな女の子。
年齢を加味しても小さな身長。不釣り合いに長くて美しい銀髪。スカートの下で震える折れそうなほどに細い足は透き通るように白くて、角度によっては光っているようにすら見える玉露の肌。
そう、彼女の見つめる先、今にも泣き出しそうに潤んだ瞳をした女の子の名前は……
「ク、クリスちゃん……」
なんで君がここにいるの……?
イリスの小さな呟きはあたりの雑踏に紛れて消えた……
誤字脱字の報告をどうぞよろしくお願いします。自分でも一応校正はしているのですが、何分時間も無ければスキルもないためかなり難航しているのですorz




