勇者様を呼び出そう!
とうとうここまできました。
世界を救ってくれるかもしれない勇者様を呼び出します。
王都の中心に作られた荘厳な外見をした一つの教会。王都の敷地内であればどこにいても見えるほどに高く、それこそ天を突くほどに見栄えのいい尖塔を持ったそれは、横で太陽の光を反射して黄金色に輝く王宮にも負けず劣らず美しい。
平民が貴族を敬わなくなった原因にして、王都をある意味で腐敗に導いたその白亜の建物。国民の血税を吸い上げて輝くそんな教会のことを、巷の人々は親愛の情を込めてニクズク教総本山ナツメグ教会という名前で呼んでいた……
チラチラと燃える幾本もの蝋燭。多くの黒い影が、揺らめく炎によって灰色の壁面へと投げかけられる。
そこはナツメグ教会の遥か下。地上からは遠く離れ、窓の一つもなければ、蝋燭以外の光源の存在しない薄暗い地下室。
流石に呪文の失敗を考慮して作られただけあって頑丈に作られているようだが、同時に飾り気や生活感といったものが著しく欠如しているその部屋は、見る者にどこか寒々しさや寂寥感を与えるような造りになっていた。
「……」
そして今、そんな無機質な部屋の中でおこなわれているのは、一見すると邪教によるあやしげな集会。一歩間違えば即座に逮捕されてしまうような、そんな危ない雰囲気を醸し出す儀式。
参加しているクリスでさえも心配になってくるほどに不気味な様相であれば弁解のしようもない。
「……少し、右……」
多くの聖衣を纏った聖職者達が、幾つもの細長く不可思議な形をした蝋燭を聖女や教皇の指示に従って幾何学的な模様の上に配置する。
真剣な面持ちでその周りを暗黒の大地で採取した魔土で固め、過去繁栄を極めた国の遺跡から採取することに成功した遺物を所定の場所に並べていく。
「……それ、真ん中……」
かつて勇者が帯びていたと言われる錆び、欠けた聖剣はクリスの指示に従って異界と常世を繋ぐ道標として魔法陣の中央の台座に刺され固定された。
「ふぅ。聖女様、これでようやく準備は整いました」
「……ありがとう……」
どことなく緊張した面持ちでクリスにそう告げたのは神経質そうな顔をした一人の男の聖職者。
最後に、描かれた文字に間違いがないかどうかを自分の眼でチェックしながら僕はそれに一言お礼を言い、頷きを返す。
男の聖職者は僅かに顔を赤らめつつもどういたしましてと言ってくれた。
「ふむ……いいかいクリス、落ち着いてやるんだよ?
成功するかしないかは確かに重要だが今は忘れるんだ。後先のことは考えないで出来るだけこの一回に集中するといい」
灰色の地面に描かれた赤い文字の形を引き続き確かめている僕に横から話しかけてきたのは優しげな顔をした教皇。彼女はプレッシャーをかけるわけではないが、と前置きを入れてからそう言う。
「……うん……」
僕はそれにも一つ頷きを返し、内心で教皇の心遣いにお礼を言う。
長い間一緒に生活をしていた僕らであれば、もう必要以上の言葉を口に出す必要はないのだ。
「ボクはクリ…え、ええっと、聖女様の護衛に付きます……」
僅かに言い淀み、それでも僕の横に立っていてくれるのは銀色の仮面に茶色いローブを纏った《銀の操者》。
言葉の端々(はしばし)に感じられたのは、忙しい任務の合間を縫うようにギルドから派遣され、僕や教皇の護衛の一人として来てくれた彼女の優しい心遣い。それがとっても嬉しかった僕は彼女に淡く微笑みかける。
「……だいじょうぶ……心配、ありがとう……」
この二年、教皇やアンナにみっちりと教えを受けることで随分上手くなった僕の言葉はとても流暢で、以前よりも遥かに滑らかに僕の意思を他人に伝えることを可能にしていた。
「う、うん。
聖女様も頑張ってね……ボクは応援してるし、いつでも、どんな時でも君の味方だから……」
僕にだけ聞こえるように囁かれた小さな声、優しい言葉。
でもイリスはきっと僕がもう彼女の正体を知っているということを知らないのだろう。
僕達はお互いにお互いのことを考えてはいても、中々切り出すような切っ掛けも無く、この付かず離れずの距離を二年間も保ち続けていたのだ。
「……うん……」
……少しだけ寂しいけど……でも、イリスはこうやって僕のそばに居てくれるし……イリスが隠していたいことを僕が勝手に暴くのはきっといいことじゃないから……
頭に浮かんだ白くて小さな子供。
思わずむかしの彼女を思い浮かべて懐かしい気持ちになってしまった僕は、一度首を振って思考を中断する。
……ううん、今は集中しよう。僕は聖女で、これは失敗するわけにはいかないんだから。
周りのノイズは消して召喚に集中……
「……」
色んな人に話しかけてもらったおかげで随分とリラックスできたのだろう。僕は軽くなった心で雑念を排除し、体の中で渦を巻く魔力に意識を向ける。
……血管を巡る魔力は……髪から、手から、僕の体から放出されて……
僕を中心にして不気味に鳴動を始める大気に敏感に気がついた護衛達は剣の柄に手をかけ、僕のそばで臨戦体制を維持する。
……行くよっ……
そして僕は徐に口を開いたーー
………………
《???》
「んっ……?ここはどこだ……?」
新鮮な土の匂いに芳醇な緑の匂い。
大都会に住んでいる人間であれば、まず嗅ぐ機会のないような青臭い自然の匂いに鼻腔を擽られることによって俺はゆっくりと眼を覚ます。
「あ~っと、知らない天井……ってわけじゃないのか?」
ぼやけた眼を擦り、お決まりの言葉を言おうとした俺は途中でそれを否定し、憎いほどに青い空を片手で仰ぐ。
「んっ…?ここどこだよ……?」
僅かに鮮明になってきた瞳で辺りを見渡せば、それはまさしく見渡す限りと言う言葉が相応しいのだろう、地平線の先まで広がっているのではないかと思えるほどに果ての無い草原が眼に入る。人工物は勿論、その影すら一向に見当たらない。
記憶を辿ってみようにもそれは酷く曖昧で、自分がどうしてこんなところにいるのかもわからなければ、今までどこで何をしていたのかすらも上手く思い出せず、結局俺には何もわからなかった。
「一体これはっ……」
『状況の整理は出来たか?』
「ーーっ!?」
そしていきなりかけられた不可思議な声に驚愕して振り返ればそこにいたのは一人の青年。
淡く青く発光していることも、その格好の異質さも看過できないレベルではあったが、それよりも何故かその妙に整った顔を見ていると無性に苛立ちを覚えた。
『これからお前にはある世界に行ってもらう。
喜べ、貴様が常々(つねづね)行きたがっていた剣と魔法のファンタジーだ』
そして最初に声をかけられた時のように頭に響く不可思議な音。人を見下したような不遜な言い方。
俺の苛立ちを知ってか知らずかその男は変わらない様子で言葉を続ける。
『不安か?だがもとよりお前の素の力にはこれっぽっちも期待などしておらん。
安心しろ、貴様の願いを聞きとどけてやる。
それこそ世界の許容量に収まる程度のものならいくらでもな』
「……」
状況をまるで掴めなかった俺はしばらく黙考し、そして口を開く。
「……あ~っと、なんだかごちゃごちゃ言ってるみたいだけどさ、そもそもお前何様だよ?」
口から出たのは汚らしい濁声
そういえばこの声は俺の顔と同じように他人を不快にさせる能力があったんだということを俺は改めて思い出した。
「何わけわかんないこと言ってんだ?
ってかここどこだよ?
アンタが俺をここ……っ!?」
言葉の途中で絶対零度の視線が俺の体を貫き、俺の口から一切の言葉がでなくなる。
『黙れ』
頭の中で響く有無を言わせぬ言葉。きっと言葉を奪われた俺は惚けたような表情で立ち尽くしていたんだろう。
『貴様がこれから行くのは神無き世界。無駄なことを考える暇があったらとっとと願いを言うがいい』
俺のことを見る男の眼は明らかに常人のそれではなく、その身からは漫画やアニメの中でのみ通用するような絶対的な力を感じた。
「……ひっ……」
俺の皮膚が恐怖からか粟立ち、鳥肌が立つ。
消されると、殺されると冗談ではなく思った。初めて感じたものだが本能でわかる、たぶんこれが命の危機というやつなのだろう。
『いいだろう……貴様の深層心理から読み取ったことを出来る限り反映してやった。
もう貴様に用はない。とっとと行け』
「…へっ……?」
そして呆け続ける俺の足元にポッカリと黒い穴が開く。
緑色の爽やかな景色にそぐわない黒。果てのない闇の中へと呑まれていきながら俺は混乱した頭で考えた。
……ああ、もしかしてこれが噂の転生イベントってやつだったのか……?
くそっ、何か願っておけば良かった……
自分が一体誰だったのかもわからないままに一人の男が消える。
彼が一体どこから来たのか、神無き世界とはどこなのか。
それこそまさに神のみぞを知るのみである……
………………
《クリス視点》
『……常世に満ちた闇を切り裂く光となりて!神代の剣を標に界を渡れ!!』
不思議な残響を残して灰色の壁に吸い込まれるようにして消えていく言霊。
乾いた唇で数十分にも及ぶ詠唱を敢行し、その全てが終わったところでついに魔法陣から目が潰れんばかりの光の奔流が溢れ出す。
「……っ!?」
……せ、成功した……?手ごたえはあったけど……
溢れ出す激しい光の波動は止むことがなく、瞼を隔てていてもなお眩しい。魔法陣に行き渡っていた魔力が急激に消費され、宙空に飲み込まれていくのを僕は目を瞑った状態で確かに感じていた。
「ま、まだっ!全員すぐに気を引き締めなさい!」
「!?」
教皇の叫びに惚けていた僕を含む多くの人達が息を呑み、驚きから僅かに緩みかけていた緊張の糸を引き締め直す。
そうなのだ。上手く術式が発動したからといって必ず勇者が召還されるかどうかはまだ確定したわけではない。前例が極端に少なく、曖昧な記述しか残っていないこの術式であれば、一つのミスや詠唱の間違いでどう魔法が働くのかわからないのだ。
最悪もしかしたら……
「大丈夫?
よく頑張ったね」
そんな中で僕に声をかけてくれたのは銀色の仮面をつけたイリス。
彼女は負担のかかる大魔法を一人で行使した反動のせいか少しだけふらつく僕を支え、労いの言葉をかけてくれる。
眩しすぎる光のせいで目を瞑っていたとしても、仮面の下で僅かに彼女が微笑んでいるのが至近距離にいる僕にはよく分かった。
「後はボクらに任せて。
聖女様……ううん、クリスちゃんは少し休んでていいからね」
柔らかく懐かしい匂いのするイリス。優しく僕を自分の背後に庇った彼女は華麗な動作で腰に履いた剣を抜く。
そんな彼女の大きな背を見た僕は元男としてほんの少し情けなくなったけど……
「…ありがと……」
でもその好意に甘えることにしたのだ……
感想、誤字脱字、意味不明な点など多々あると思います。
今、作者自身読み直してところどころ修正を入れていますがどうかご報告いただけると嬉しいです。
文章評価がとうとう平均4点をきって3点台に入ってしまいました。
どうすれば文章って上手くなるんでしょう……orz




