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無口な天使  作者: ソルモルドア
世界を渡って
45/78

二年の歳月




 


「教皇様、これでようやく……」



 感極まった様子で涙を流す一人の聖職者。そんな彼に教皇はニコリと笑いかけると、まるで長年の苦労を労わるように優し気な声で語りかける。



「ええ、これも神のご加護があればこそ。


 みなが日々神に尽くしていたからこそ実現した奇跡です」



 クリスが聖女となってから2年と少し。


 ライルやリョウが少し前に15歳となって成人し、学園でも既に最高学年になっていれば、クリスもようやく13歳。

 聖女付きの侍女として教会とアズラエル家を往復しているユーリも今年で既に10歳を迎えていた。



「国民全体に公布をおこないましょう。

 よこしまなもの達が多数蔓延はびこる暗黒の時代は近いうちに終わりを迎え、このニクズクの、教皇の名の下に地上に平和が訪れると宣言するのです」


「は、はい!教皇様!

 私にお任せください!」



 教皇の指示に深々と礼をし、弾む足取りを隠そうともせずに走り去る男の聖職者。


 それを教皇はどこか黒い笑みを浮かべて見つめつつ……



「私の名の下でね……」



 怪しげに眼を輝かせてそう一言呟いたのだ。










 王都の中心部。王宮よりも高く増築され、その権威を町中に伝えんと堂々とそびええ立つ白亜はくあの教会。その最上階。


 白を基調として清潔感溢れるその部屋の中で教皇はお気に入りの、まるで血のように赤いワインで唇を湿らせていた。



「どうかな?

 クリスもそろそろこのワインの味が分かる年頃になったかい?」



 教皇が軽くグラスを傾ければ、まるでルビーのように美しいワインが光を鈍く反射し、その芳醇ほうじゅんな香りを教皇の対面に座る美しい少女の下へと届ける。



「……」



 曇りのない銀色の瞳に、穢れを知らない銀色の長髪。


 人形のように表情がないことを除けば一切の非の打ち所がなく、どこか神々しい雰囲気を纏った美少女、聖女というくらいにいる彼女は、しかし軽く首を振って教皇に否定の意思を伝えた。



「そうか。

 ふふ、この味がわかるようになればクリスももう一人前なんだが……」



 薄く微笑を浮かべてまた一口、そっとワインに唇をつける教皇。


 クリスと呼ばれた美少女は、作り物めいたその表情を変えることもなければ、一言も発することなくその様子をじっと見つめている。



「「……」」



 カチャリと時折教皇がグラスを傾ける音だけが聞こえる静かな室内。


 そこに満ちているのはどこか居心地の良い沈黙で、この二人の付き合いの長さを、付き合った時間の密度の濃さをあんに表していると言ってもいいだろう。


 そこには二人だけの世界が確かに存在していたのだ。





「……ようやく……」



 そして長い沈黙のあと、あたかも今思い出したかのように紡がれる鈴の音のように美しく高い声。それは教皇の目の前に座る美少女から発せられたもので、見た目通りに儚く美しいもの。



「あぁ、ようやくだ……」



 少し低く、まるで男のような声色と口調で聖女クリスの言葉に同意を示した教皇は宙空を見つめ、おもむろに目を瞑る。



「長かった……」



 もうそれほど若くはない教皇の一言一言に苦悩が、疲れが見て取れた。



「……」



 聖女としてクリスを担ぎ上げてから早2年、王に取り入ってから実に10年近く、幸せになろうと志した時からすればもう何年たったのかすらもあやふやで……



「だが、これでようやく報われる……」



 明日に控えた勇者召喚。異界より力を持った神の使徒を召喚し、この暗黒の時代に終止符を打つこの儀式。

 召喚された勇者がマトモな者でありさえすればもう黒い魔物の影に怯える必要もない。私が築いた地位も、名誉も、財産も、その全てが不動のものに……



「ふふふ……」



 教皇は僅かに感じる不安を吹き飛ばすかのように笑みを浮かべる。


 そして、それを見ていた聖女クリスもまた同じように淡く微笑んだのであった……









 ………………


 《クリス視点》










「クリス様、今日もお疲れ様でしたのです」



 相も変わらずにピンク一色で眼に痛いクリスの部屋。


 でも悲しいかな、もう学校の寮なんて比べものにならないぐらいに長く過ごしていたせいか、いつの間にか違和感すら感じなくなってしまった自室に今日もクリスはいそいそと帰宅する。



「……ユーリも…お疲れ……」


「ありがとうなのです!」



 花が咲いたような笑顔でクリスを迎えてくれたのは、齢10歳になったユーリちゃん。


 そこそこ身長が伸びたはずのクリスよりもほんの少しだけ背が高くなった彼女は、きっとそういう年頃なのだろう、何故かよくおねえさんかぜを吹かせようとしているのだ。



「クリス様、クリス様はやっぱり今日も大浴場の方には行かないのですよね?」



 否定形の質問はクリスとユーリが長い間一緒にいるあかし。クリスが大浴場を嫌っていることをユーリはよく知っているのだ。



「……うん……」


「もう、クリス様は仕方がない人なのです。

 わかりました、今日もあたしがお湯を貰って来てあげるのですよ」



 コクリと頷いたクリスを見て少しだけ寂しそうにしたユーリちゃん。

 彼女はわざわざクリスのわがままのためにお湯を貰ってきてくれるようで……



「……ありがと……」



 クリスはその親切な心遣いに素直にお礼を言う。クリスはお風呂が苦手なのだ。



 ……他人と裸を見せ合ったり、わざわざ熱いお湯の中に入るだなんて……



 前世においては勿論、今世における実家でもなかった謎の風習。

 でも、なぜかこの教会では何故かお風呂やら浴場と呼ばれるところで多くの人が裸になって体を洗ったりするのだ。



 ……なんだか頭がボンヤリとして気持ち悪くなるし……何より人が多いし…うん、きっと僕には無理……



 毎回手間をかけてしまって申し訳ないとは思っているけれど、でもクリスの体は常に魔装に覆われているから汚れない。



 老廃物だって魔法で綺麗にできるし……つまり、僕にお風呂は必要ないんだ!



「…ふぅ……」



 内心で怒涛の言い訳を終えたクリスは溜息を一つついて柔らかいベッドの端に腰掛ける。

 枕元に置かれたピンク色のウサギの人形、ウサたんがチラリとクリスの視界の端にうつった。



 ……明日、僕は勇者を召還をするんだ……



 柔らかいベッドの反発をお尻の下に感じながら、クリスは何気無く思考を切り替える。



 ……し、失敗できない大切な儀式……



 すぐに頭に浮かぶのは異界より勇者を召還するために作り上げた術式で……教皇と一緒に、時には一人で作り上げたこれはたぶんとっても大切なもの。


 今を生きる皆の希望の星。暗黒に覆われそうになっている人の世の未来を照らす一筋の光。



「……」



 ウサたんを抱いて少しだけ疲れの溜まった眼を瞑れば、まるで昨日のことのように聖女として過ごした二年間のことが脳裏に浮かぶ。



 教皇の遊説ゆうぜいに着いて回った先ではなんだかチヤホヤされて……

 教会に寄付されたお金の一部で作った孤児院の子供達は皆可愛くて……

 学校では少し特別扱いだったかも。



 それは思い出すと気分が良くなるような楽しいことばかりで、たぶんクリスにとっては大切な、掛け替えのない日々の記憶。刀や血、奴隷や貴族とは縁遠い幸せな記憶。



「……楽し、かった、よね……?」



 そう、確かに命をかけて守りたいと思うぐらいにクリスの生きる世界は輝いていた。



 ……とってもとっても僕に優しくて……僕は幸せで……



 ……でもやっぱり世の中には楽しいことばっかりじゃなかったんた……



 ベッドに腰を掛けた姿勢のまま眼を見開き、僅かに力を込めて右手を振れば一瞬でクリスの手元に顕現する白いボロボロの仮面。



「……」



 ……この仮面をつけて……黒い魔装を纏った僕が見たものは……










 ………………


 《イリス視点》









 至る所で赤い花が咲き、銀色の風が吹き荒れるそこは、たぶんこの世の地獄と表現するのが一番いいのだろう。


 唯一頼りになるのは自分の力だけ。空から蜘蛛の糸が垂れてくるわけでもなければ、都合良く神様ほとけさまがいるわけでもないのだ。



「ひ、退けぇ!退却しろぉ!」



 けたたましい音をたてて打ち鳴らされているのであろう銅鑼どらの音を、退却の号令を遠くに聞きながら、イリスは銀色の仮面の下で唇を噛む。



 ……もうもたないのっ!?

 ここで撤退することになったら最前線の人達が……



「キシェエエエ!!」



 イリスの意識が一瞬だけ目の前の事象から逸れたことに気がついたのか、聞き苦しい奇声をあげながら突撃をしてくる一般的な成人男性の背丈の数倍はありそうな異形の魔物。



「見えてるよ!」



 常人にとっては致命的な隙。


 だが、こと剣をもって【銀の操者】として働いているイリスにそもそもそんな隙は存在しないし、仮にあったとしてもたかが魔物一匹に遅れをとることなんて天地がひっくり返ったところであり得ない。



「はぁっ!」



 魔物が振るう鋭い爪にあわせて短く息を吐いたイリスは、尖った鳥の嘴のようなものの下を潜り抜けるようにして魔物の懐に踏み込み、過剰な闘気を込めて右手に持った剣を一閃する。



「グッシェエエエ……」



 断末魔の叫び、ブチブチという生理的に嫌悪感を抱くような不快な音。

 イリスの振った剣は、軋むような音をあげながらも一刀の元に魔物の分厚い組織を切り裂き、生暖かく粘着質な体液を辺りにぶち撒け、生命活動を止めた巨大な魔物を地に沈めた。



 ……これで何匹目っ!?



 しかし戦場において余韻に浸る時間などはない。

 イリスは即座に死角から跳んで来た小型の魔物を左足を軸に蹴り上げ、腰から抜いた短刀で刺し殺す。



「ギエッ!」



 流れるように短刀引き抜いた彼女は返り血を避けるようにして一歩後退。

 今度は横から迫ってくる数匹の魔物に対処する。



 ……数が多いっ……



 徐々に後退していく軍隊の中核から取り残されないようにと、徐々に位置取りを修正しながら動き回るイリスは、それこそ当たる幸いと魔物を蹴散らしてまわっていた。



「燃え尽きろっ!『発火』」



 剣を振る傍らに唱えた言霊は、イリスの前にいた緑色をした蛙のような化け物を内側から焼き尽くし、体液や腐臭と一緒に炎の残滓を辺りへと撒き散らす。



「切り刻まれろっ!『鎌鼬』」



 撒き散らされた火種が風に煽られ、火力を上げる。


 作り出された幾つもの炎の弾と、それ自体も魔物を切り刻む暴風となりうる言霊をイリスは連続で射出する。



 ズドォオオ!!

 連鎖的に響く地響き、轟音をたてて燃え上がる炎。



 だがまるで蟻のように、それこそウジャウジャと際限無く暗黒の大地の奥から湧き出てくる魔物達は、まるで減るということ言葉をしらないかのようにかのようにワラワラとイリスの前に立ちはだかる。



「……くそっ!」



 ……こんなんじゃもう最前線の人達は……ボクもそろそろ限界っ……



 魔物の爪を、牙を受け止めるたびに段々と感覚が薄くなっていく手足。

 体中に残っている闘気の総量も少なければ、イリスは渋々撤退を初めることを決意した。



 ……結局ここも守れなかった……



 それは純然たる事実。

 聖女や教皇と言った名の下に集まった兵力をどれだけ動員してもダメなのだ。


 イリス1人がどれだけ頑張ったところで大局を動かすには至らないどころか、最前線に取り残されている仲間達を助け出すことすらままならない。



「悔しいけどここは退くよ……」



 ……ここで残って闘っても無駄に屍を晒すことになるだけ……きっと誰も幸せにならないから……



 最後に悪態をついたイリスは所々が破れたローブの裾を翻す。


 銀色の仮面をつけた彼女は素早く撤退を開始した……







 最初の魔将が確認されてから既に三年。


 統制がとれている、とれていないに関わらず突発的な魔物の大量発生が各地で相次ぎ、王国は既にその領土を十年前のおよそ三分の二に至るまで減らしていた。



 王国が設定した絶対防衛ラインはとうの昔に破壊され、急遽きゅうきょ新しく開発、建造がなされた幾つもの砦やバリスタも大きな成果をあげることはなく……






「ごめん、クリスちゃん……」



 人類はもう幼い聖女が召還してくれるであろう勇者に期待をするしかないというところにまで追い詰められていたのだ……







《人物紹介》



クリス……現在13歳。聖女として既に2年も過ごしているため精神的にも安定し、話すのも少し上手くなった。


ユーリ……クリスの妹分的な存在。現在10歳。よくクリスの世話を焼いている。


教皇……女性なのだが、色々あって男のようになってしまった。歪んだ性格をしている。


イリス……現在15歳。ギルドの中ではトップクラスの力を持ち《銀の操者》と呼ばれている。


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