思い出に浸る
短くなってしまいましたが一応三章の最終話です(^з^)-☆
高度は高く、空にぷかりぷかりと浮く雲の上。
本来人が到達することの出来ない世界。遮るものの何もないその世界は、とっても綺麗で、広大で平和で、でもほんの少しだけ寒かった……
「……朝……」
距離を測ることですら馬鹿らしくなるほど遠く、今日もまた変わらずに地平線の果てから顔を出した太陽があたりの雲を、僕を紅く染め上げる。
きっとこれが朝焼けというやつなのだろう。
地上から見るよりも遥かに綺麗で美しいその光景は、ダイレクトに僕の胸に染み込み、その脆い心を揺さぶった。
「……すごく…綺麗……」
僕は白と赤の中間のような色をした大きな雲の山を突き抜ける。
雲の切れ間から眼下に見える緑色はきっと生い茂った木々で、所々に見える青はサラサラと流れる小川だろうか。
少し湿っているけど澄んだ、まだ少し冷たい朝の空気。
胸いっぱいに美味しい空気を吸った僕は雲の上、ただ一人孤独に飛翔する。
「……っ……」
そう、とっても綺麗で宝石みたいに美しい光景を見ているのは僕一人だけ。
孤独で。独りで。一人ぼっち……
一体何年になるだろう?
神様からこの世界を助けるようにと期待されてから……
一人で、自分が生きていた時代とは違った時代に飛ばされて、生き物の命を奪ってから……
「……独り……さび…しい……?」
いや、寂しくなかった。孤独でもなかったんだ……。
だって僕は君と知り合えたあの時から、僕と同じような境遇にあって、なおも光を失わない君と友達だったんだから。
一人で俯いていた時も……
仮面をつけて戦っていたときも……
学校で授業を受けていた時だって……
心はいつだってイリスと共にいるって……どこかで生きてるイリスと一緒だって……
「……イリス……」
朝日を受けてキラキラと僕の背面から生えた銀色の翼が輝く。
その先端からは白い雲のような何かが吹き上がり、大空に細い白線を引いていく。
「……ははは…」
自問を終えて漏れたのは小さな、小さな笑い声。
悲しさも、寂しさも一周してしまえばあとはもう虚無感が残るだけ。
まるで心に、胸に一つ大きな穴が穿たれてしまったかのような不思議な感覚。
自分を騙すのにも限界がある。
話しているうちにクリスには、もう彼女がイリスであるとわかってしまっていたのだ。
認めたくはないけれど……でも誤魔化しきれなかったのだ。
眼を瞑れば、まだ小さかった彼女の無垢な笑顔が……
僕はまだ白くて可愛らしくて、朝焼けのように紅く透き通った瞳をした君の姿をこんなにも鮮明に思い出せるのに……
「……本当…綺麗……」
ポツリと呟かれた言葉は一体誰に、何に向けた言葉だったのだろう。
知っているのはクリスと、そばにいた綺麗で紅い太陽だけで……
…………
………
……
…
「あれ?クリス様?
昨日はよく寝られなかったのですか?」
広い寮のリビング。お父さんが半ば強引に揃えた豪華なソファーに腰を下ろした僕を見てユーリは言う。
「なんだか顔色が少し悪いように見えるのですよ?」
自分ではよくわからないのだが、ユーリは心配そうに僕の顔を覗き込んでそう言った。
「……そう…かな……?」
ペタペタと触って何がおかしいのかなと首を傾げていれば、ユーリちゃんはなぜか少し慌てたように言った。
「不意打ちっ……い、いえ、か、顔色が少し悪いように見えただけなのですっ!」
「……そぅ……」
どうして慌てているのだろう?
疑問に思いつつも僕が苦笑をすれば、彼女は何故かとても驚いたような顔をし、まるで花が開いたかのように顔を綻ばせた。
「ク、クリス様……あ、あたしの勘違いだったみたいなのです!
むしろ今日のクリス様は、なんだか普段よりも反応がいいような気がするのですよ」
「……反応…いい……?」
「はいです!
いつもはなんだか結構ぼんやりって……あっ!い、今のは無しです!」
顔綻ばせて笑ったかと思えば、またすぐに慌てだすユーリちゃん。
僕が微笑ましい気持ちでその様子を眺めていれば、彼女は顔を真っ赤にし、早口で喋り始める。
「あ、あたしが朝ご飯をとって来るのですよ!
クリス様は、クリス様は少し休んでいるのです!」
「……ユ、ユーリ…ちゃ……」
本当に何をどう思ったのだろうか?
コロコロとよく表情を変えるユーリちゃんは、僕が聞く間もないぐらいの速度で寝巻きのまま寮の扉を開け放ち……
「行ってきますです~!」
外へと勢いよく飛び出していってしまったのだ。
「……ん……?」
あっと言う間に僕以外に息をするものがいなくなってしまった寮の一室。
静かで広いその部屋の中、東側の窓からこぼれた陽の光が銀色の長髪に反射してチラチラと揺らめいていた……
………………
《ライネス視点》
「……つまりはクリスを聖女として教会に差し出せと?」
「正しくは聖女候補だ、そしてこれは教皇様の意志であり王命である」
「ほぅ…?」
「光栄に思うがいい、教皇様直々に名指しされたのだからな」
場所は王都、その中心部。
王と教皇の印の入った命令書を尊大な態度で突き出す使者。
「神の言葉に等しい教皇様のご命令だ、わかるな?
この件においては、幾らアズラエル家であったとしても拒否権などないのだぞ。
まさかとは思うが異論があるわけであるまいな?」
豪華で広く、それでいて調和の取れた応接室。
尊大な態度の使者と大理石で出来た机を挟んでちょうど反対側。対面にある高そうなソファーに座っていたライネスは、顔色を一切変えずに冷たい声色で返答をする。
「……選出基準を聞かせてはいただけないだろうか?」
丁寧な言葉遣いに穏やかな喋り方。
だがそこには闘気ともまた違った力が、幾つもの戦場を駆け抜けてきた人間特有の、独特の力があった。
「わ、わ……」
無意識のうちでライネスを恐れ、生唾を飲み込んだ使者は眼逸らした後に不自然に声を張り上げる。
「わ、私の権限ではそこまで語ることは許されては……ゴ、ゴホン!
いや、そもそもそんなことは貴様が知って良いことではない!
す、速やかにクリス嬢の登城の用意を済ませよ!」
ライネスの質問は却下され、ついぞ答えを聞くことはできなかった。
だがその言葉を聞いてライネスは一つ頷くと立ち上がる。
「いいだろう」
「……ほっ」
意外と従順なライネスに思わず安堵の溜息をつく使者。
しかしその顔は次に続く言葉で引き攣ったものへと変化した。
「だが生憎今クリスはここにはいなくてな、悪いが行くのは私だけだ。
メイソン、わかるな?
私はこれから登城する。
馬の用意と即刻王と教皇に面会する段取りを」
「御意にございます」
王の命令書を携え、教皇の意志を伝えにきた使者を置いてきぼりにし、控えていたアズラエル家の執事が一礼し音もなくその場を後にする。
「な、な、なんだと……」
狼狽する使者を冷たい目で見下ろすライネス。
「使者殿、この件は私の大切な娘の人生と、アズラエル家のこれからを決めてしまうような重要なこと。
よもやこのような紙切れ一枚で事が全て済ませられると思っているわけではあるまいな?」
「な、なにっ!……貴様、その物言い!不敬であるぞ!!」
柔らかいソファから勢い良く立ち上がり顔を赤くして怒鳴る使者。
「……使者殿……」
静かに、まるで嵐の前のように凪いだ声。
長身を活かして使者を上から見下すライネスの黒い瞳に宿っているのは、怒りの炎だろうか。
普段から冷静なクリスとライルの父が王の印の入った命令書を紙切れ扱い。
そう、それだけライネスは頭に来ていたのだ。
いくら王命とは言え、大事に育てた愛娘を怪しげな宗教の元に嫁がせるなど言語道断。
それもただの候補だと?
拒否権がないだと?なんたる無礼か。
「今の私は貴族である以前に二児の父親。
それがわからないというのならば、もうこれ以上貴殿と話すことなど何もない」
「なっ……貴様そのような…」
なおも言葉を紡ごうとする使者。
それを見たライネスはどこか落胆したように一言だけ告げた。
「…使者殿がお帰りになる。
メノト、案内して差し上げろ」
「はっ」
「き、貴様ら!私にこんな真似をして許されると…あっ!痛い痛い!」
やけに筋骨粒々なメイド兼乳母兼護衛。メノトに脇を固められて外へと引き摺られ、まるでゴミのように外の通りに放り出される使者。
哀れにもたまたまあった水溜りの中に入り込んでしまった彼は、泥だらけになり、泣きながら王宮へと帰っていった。
「話をつけなければな……」
人がいなくなった応接間、外出用のマントを羽織ったライネスは真剣な面持ちで一人呟く。
その顔はもう戦士のそれではなく、我が子を愛する一人の親のものであった……
クリスとイリス、僅かに逸れる思いの丈。ずれて回る運命の歯車。
貴族政治とは決して相容れないニクズク教。
聖女候補と勇者召喚。
クリスの知らないところで少しずつ、でも確実に何かが動き出していたのだった……
少し切ない感じの終わりになっていればいいなと思っている作者です。
そして次の章はたぶんおそらくきっと平和になるでしょう。
エタるつもりもないですし、頑張って最後まで完結させる予定なのでどうか見捨てないでいただけると嬉しいですm(_ _)m




