邂逅
クリスとイリスのお話です
《クリス視点》
「……なに……?」
暗闇の中を飛翔すること2、3時間。
件の山跡地にたどり着いた時に僕が抱いたのは圧倒的な違和感。
この土地全体に何か靄がかかっているような……それこそ全く違うものを見せられているような不思議な感覚。
疑問に思った僕はその場で幾度か背についた一対の光の翼で羽ばたき、停滞する。
「……変……」
僅かに感じる異形の魔力を放っておくわけにはいかないと、ゆっくりと高度を下げて見えてきたのは、古風というよりは寧ろ前世の僕にとって馴染んだ見た目の装備に身を包んだ一人の騎士。
……王国の騎士……?
……なんでこんなところにいるんだろう……?
気がつかれないようにと光る羽を消し去って、少し離れた茂みに着地をした僕は気配を辺りの自然と同化させ、ゆっくりとその騎士に近づいていく。
本来ならば争う相手ではないのだから隠れる必要もないのだけれど、なぜか僕は彼から異質な、奇妙な雰囲気を感じたのだ。
『なんだ貴様は?』
「……っ……!?」
ある程度の、話が通じる程度の距離まで僕が近づいた途端に声をあげる騎士。
視線こそ僕の方に向いてはいないけれど、彼は確実に僕の接近に気がついているようであった。
『早急に帰られるがよい!
どこから来たのかは知らないが、ここは力無き一般人が来るようなところではないのだ!』
騎士は藪の中に隠れた僕に向かって、表情を一切変えずにそう警告をしてくる。
……どうしよう……?
『おいおい!まずはどうしてここに来たのかって聞くのが道理ってもんじゃねぇのか?
お前は怒鳴ることしか出来ないのかっての。
もしかしてあれか?お前の首の上に乗ってるその大層な頭は飾りか何かか?』
驚き、悩んでいる僕が答えを出す前に、どこから出現したのか、一人の冒険者が近づいて来てそうその騎士に言う。
『……ふん!任務に私情を挟むなど笑止千万。しかも騎士に対してただの冒険者風情がなんたる言葉遣いか。
やはり冒険者という輩は皆須らく粗野で礼儀とやらを知らないらしい』
『はぁ、そのお上品でご立派な騎士様はなんでこんなところにいるんですかねぇ?
王様に尻尾でも振ってればいいのによぉ』
恐ろしい展開の早さ。
藪の中で戸惑う僕をよそに殺気出し合う二人の男達。
一触即発の雰囲気となっているこの場だが、どこかが、何かがおかしい。
『抜け。どちらの格が上かその身にしっかりと刻み込んでやろう』
『上等だ。騎士様のお上品な剣術とやらが本当に通用するのか教えてやんよ』
「……あ、あの……」
僕の声なんて全く聞こえていないようで、古風な装備に身を包んだ騎士は、引き抜いた骨董品の如き剣を神速で振りかぶり、間髪入れずに冒険者の男に残像が残るほどの早さで振り下ろす。
……は、はやいっ!?本当にこ、殺すつもりなの……!?
『貴様は以前から気に入らないと思っていたんだ』
『奇遇だな、俺もだ』
すかさず飛び下がり、余裕を持ってそれを躱した冒険者の男は短剣を抜き、笑いながらもう片方の手の先から拳大の火球を……
「……やめて……」
ここまできて僕はようやく違和感の正体に気がつく。
そう、目の前で戦う二人の男達にはまるっきり生気が無く、どこかその存在が薄っぺらかったのだ。
武器を持たせてまるで生きているかのように振舞わせても、やっぱり違和感は隠せない。
それに……
「……魔法…ない……」
火の玉を手の先から出すなんて普通の冒険者ができるわけがない。
前世なら当たり前のことでも、今世においてそんなことが出来る人間はもう僕を除いて他にはいないのだから。
「……時代…錯誤……」
僕は二人の男達が血飛沫をあげて戦っている光景から目を逸らさずに集中。
かなりの魔力を込めて手を高く打ち鳴らす。
「……幻覚……」
甲高い音と共に作り出された魔力の波が、辺りに張られた完成度の高い幻覚を乱していく。
『これをぉかぁわぁすぅ……』
『おまえぇもぉなぁかなぁかやぁるぅ……』
乱された先から徐々に滲んで消えていく辺りの緑は、次第に茶色や灰色といった無機質な色に変化し、戦っていた二人の男達はそのセリフの途中で朽ち果て、暫しの時間をおいて、物を言わぬ土へと還った。
「……やっぱり……でも……」
……嫌な雰囲気が、黒くて濃い霧が消えない……
これは幻覚じゃないんだね……
体調に異変はなく、思考を誘導された気配もない。
僕は内容からも鑑みるにどうやら精神を乱すタイプの幻術ではなく、単純に縄張りに入り込んだ人の力量を測るタイプのものだったのだろうと当てをつける。
……凄い完成度だった……
前世でも見たことが無いほどに多量の魔力が込められた完成度の高い幻術。
僕は黒い霧の中、刀に手をかけながらより一層の警戒心を持ってゆっくりと歩き始める。
「……足跡……?」
警戒しながら歩いていたからだろう、黒くて深い霧の中でも目を凝らして見れば、どうやら僕の前にも人が来ていたようで、まだ真新しいちょうど一人分程度の小さな足跡が地面に残っているのがわかった。
フラフラとあちらこちらに足跡が動いていることをみるに、おそらく幻術から逃れられていないのだろう。
……まずいね……
僕はわずかな時間で思考し、結論を出す。
正体のわからない強敵を前に足手まといになるかもしれない人を助けるのは得策ではないのかもしれないけれど……でも、うん、僕は誰かを助けるために力を振るうって決めてるから……
「……助け…行く……」
……とっても恐いけど……うん、それ以外の選択肢なんてたぶんないんだ。
荒寥とした雰囲気に内心では怯えながらも、僕は灰のように無機質な地面を勇敢に踏みしめて歩く。
白く皹の入った仮面をつけ、黒いローブを纏った少女は今、一つの小さな足跡を辿って深く霧がかった死の世界へと足を踏み入れたのだった……
………………
《イリス視点》
「……あれ?なんだかおかしい?」
ボクの視界一杯に広がっているのは深緑の樹海。
足場が悪いところも多くてとっても歩きにくい。
「う〜ん…もしかして迷ったのかなぁ……」
適度に目印をつけて歩いていたはずなのだが、振り返って背後の木の幹を見れば、なぜかつけたはずの傷が一つ残らず消えているのだ。
「はぁ……山を一つ吹き飛ばしたってベガは言ってたのに、こうしてしっかり残ってるみたいだし……
もう少しぐらいしっかり調べてくれてもいいのにさ……」
ボクはベガに対してコッソリと愚痴をいいながら僅かに仮面をずらし、手で仰いで風を内側に入れる。
仮面の隙間に入ってきた涼し気な空気が汗ばんでいた額を冷やした。
「う〜ん……少し怪しい雰囲気はするけど、別に強そうな魔物の気配は感じないなぁ……」
大木の幹に手をついてボクは歩みを止める。
頭上で生い茂る木々の隙間からは緑色の蔓が幾本も垂れ下がり、夜ということで視界は悪く、背の高い木々が物理的にもボクの視野を狭めていた。
「もしかして場所を間違った……いや、でもギルドの人達とか騎士とかもいたし……」
すぐに真剣を抜いたり、妙にケンカっ早いところが些かおかしかったような気もするけれど、こんな山奥の警戒をさせられているのだ。
多少は機嫌が悪くなるのも仕方が無いことだろう。
胸中で頭を抱えたボクは仕方が無しに結論を出す。
「考えても仕方がないから一度戻ろうかな。
まだあんまり奥の方まで来たわけじゃないし少し時間をかければ目印がなくても帰れそうだしね」
次来る時はしっかりとベガに調査をしてもらってからにしよう。
方位磁石とかも用意しておきたいなぁ。
ボクは振り返って歩き出そうと足を上げて……
「えっ!?」
背筋を走る悪寒、嫌な予感。
ここ数年の間に蓄積していた少なくない戦いの経験から咄嗟にボクは横っ飛びに身を投げ出した!
「な、なにがっ!?」
体の側面に走る熱い感覚。
ボクは左半身を地面に擦りながらも即座に受け身を取り、バックステップで距離を取る。
……右腕を切られたっ……
軽く舞い散った紅い鮮血。
興奮しているせいか痛みは感じないが、どうやら結構深く切られているようだ。
見る見るうちに裂けた茶色いローブが血を吸って赤くなっていく。
「くっ!」
唐突に、再び迫ってくる死の予感。
ボクは今度もまた背後から感じたその感覚を頼りに思いっきり前へと跳躍。
転がるように着地をしたボクは苔むした岩の上で体勢を立て直す。
僅かに回避が間に合わなかったのだろう。背中には決して二本目の浅いとは言い難い傷がついていた。
「いたっ…くっ、敵はっ…どこに!?」
足を止めないように常に動き回る。
受けた傷は二つだけでありながら非常に深く、体から流れる出血は闘気を纏ったところで止まらない。
きっともう止血も無しに何分も続けて動くことは出来ないだろう。
ボクに残された時間が短いということが容易に予測できた。
「か、『看破』!」
焦ったボクは力を行使する。
局所的な突風に辺りの小石や枯れ葉が舞い上がり、部分的に土がめくれ上がり、赤い瞳を輝かせたボクを中心にして言葉と共に不思議な波動が巻き起こった。
でも周囲には深い霧が発生するだけでもっと視界が悪くっ……
「いや!これはっ!?
な、なにが起きてるの?」
突如として発生した深い霧は、樹海の深緑を端から漆黒へと塗り潰していく。
「し、視界がっ!」
焦り、警戒するうちにいつの間にか星の光も届かない、一寸先すらも見通せない闇がボクを取り巻いていた。
『くっくっくっくっく……』
どこからか、それこそ全方位から聞こえてくるような嗤い声。絶えず聞こえてくる恨み言。
それは時折ノイズが走っているように歪み、途切れている。
「お前が魔将か!姿を見せろ!」
不気味な声に感じたのは生理的な嫌悪感。
ボクは姿の見えない敵に対して鈍く感じる痛みを、恐怖を押し殺して叫ぶ。
……み、右にいるの?
それとも左?
ボクの叫びは闇に吸い込まれるようにして消える。
無論、問いに対する答えは返ってこない。
「……っぐぅ……」
背筋にはしる悪寒と共に本能でボクは一歩後退。
それと同時にお腹に一筋の深い裂傷が刻まれる。
ギリギリで上半身と下半身が泣き分かれるのを回避することに成功したボクは、苦悶の声をあげつつ、今になってようやく剣をすら抜いていないことに気がつき愕然とする。
自分でも信じられないぐらいに相手のペースに呑みこまれていたのだ。
……そ、そんな……ボクだって随分沢山の戦いを経験してきたはずなのにっ!
呑まれちゃ…諦めちゃダメだ!
「ボ、ボクは負けない!
こんなところで死ぬもんか!ぐっ…」
己を鼓舞するように叫び、的確に急所を狙ってくる見えない斬撃を本能に従って剣で弾く。
斬られた腹筋から血が迸る。
「はっ!っ!
燃え…尽きろ!『発火』!!」
まるで意思を持っているかのように蠢く闇。
気合を入れたボクは血反吐を吐きながら、痛みを我慢して辺りに蔓延する黒い霧を振り払い全力で言霊を紡ぐ。
血が足りない状態で過度に力を使いすぎたせいか、ほんの一瞬意識が暗転し踏鞴を踏むことになった。
……ダメっ……ここで踏ん張らないとっ……
ボクの意志に従ってメラメラと広範囲に噴きあがる炎。辺りの闇を焼き、ボクの血に濡れた体と、鈍く輝く鋼の剣を照らしはじめる。
邪悪な闇が、敵の気配が僅かに遠ざかった気がした。
「な、情けないなぁ……」
でも、反撃もここまで。
今のボクには虚勢をはる力もなければ炎を維持するだけでも精一杯。
は、はぁ……もう足が、手が動かないや……
間違いなく一時しのぎにはなった。
でも手に持った剣はまるで鉛の塊のように重く、足はまるで自分のものでないかのようにピクリとも動かない。次に繋がらない。
「はぁはぁ……このままっ……このままボクは…死んじゃうのかな……
一体…今まで何のために…い、生きてきたんだろ……」
ボクは重い唇を開き、疑問を、後悔を小さな声で口にする。
……親からも望まれないで生きてきたボクはっ…ボクは一体なんのためにっ……
ボクは一体何がしたかったの……
徐々にボクの命の灯火が弱くなっていき、それに比例するかのように作り出した炎の勢いが弱まっていく。
死に直面したことで走馬灯のように頭を過ぎるボクの一生。
幼い頃の大切な、掛け替えのない友達の顔。
「あぁ……クリスちゃんにあ、会っておけばっ…よかったなぁ……」
ポロリと瞳から零れる涙。
炎が完全に消え、辺りに闇が満ちる。
禍々しい気配が近づいてくる。
こっちにこないで……
…………
………
……
…
パチ、パチパチと不規則に何かが弾けるような音。
少しずつボクの意識が現実へと浮上してくる。
「…う…ん……?」
体の半身にまるでお風呂に入っているかのようなポカポカとした温もりを感じたボクは、眼を瞑ったままで淡く微笑む。
……気持ちがいいなぁ……
……なんだか嫌な夢を見ていたような、酷く恐い夢を見ていたような気がするんだ……
何もできていないのに、途中で死んじゃうって恐い夢……
『…目が、醒めた?』
突然ボクの思考に割り込んでくる奇妙な声。
……誰……?
『…起きてくれると、嬉しい……』
……仕方がないなぁ……
ボクは目を擦りながらユックリと体を起こして、目の前の光景を理解できずに首を傾げる。
『……』
パチパチと軽い音を立てて燃える薪を挟んで丸太の上にチョコンと座っているのは、白い仮面を被って黒いローブを着た小さな子供。
「ぁ……う、うん。
あれ?君は……って、あっ!」
寝ぼけ眼でボクはそう問いかけ…驚きの声を上げてしまった。
男か女かは勿論、歳を取っているのかいないのかすらわからない特徴的な声でボクに話しかけてきたその子は、たぶん一年前に話して、豚王と戦った時にもチラリと見たあの子だったから。
「ず、随分ひさしぶりだね……。
でもどうしてこんなところにいるの?」
仮面越しに殺風景な辺りの光景を臨む。
岩場と言うには岩が少ないし、荒野と言うには少しまだ草が残っているようなそんな場所。
『…足跡、追って……場所、変えた……』
「……?
あれ、ボク……」
ボクが状況を把握できずに首を傾げれば、目の前の子もまた不思議そうに首を傾げる。
何かドス黒いものが視界の端に入ったような気がして徐に下を向いたボクは……
「ぇ……?」
そこにあったのはズタズタになって、もはや服としての機能を果たしていない茶色いローブ。辛うじて形を残しているだけのギルド指定の上着。
「も、もしかして夢じゃない……?」
乾いた血が所々にこびりついているせいか、元々の色彩が上書きされ、赤と黒の二色だけになってしまった服。
体に傷こそないが、それはボクがさきほどまで夢だと思っていたことが、実は現実であったということの証明以外の何物でもなかった。
『…夢じゃない、と思う。
…手当てした、まだ痛い……?』
どこか申し訳なさそうに途切れ途切れの言葉で話す子供。
白色の仮面のせいでボクの方からその子供の表情を窺うことは出来ないけれど、たぶんボクの身を案じてくれているのだろう。
「て、手当って……あ、うん。大丈夫みたいだけど…って、でも、あれ?
……ボ、ボクは死んだんじゃ……」
斬られた痛みが、何も出来ずに命を弄ばれた恐怖が蘇る。
夢だと思って無視していた息苦しさが舞い戻り、嗚咽が漏れる。
何故か赤々と燃える薪のそばにいるのに寒気を感じた。
「っ……」
ボロ切れ同然となってしまったローブの下で昔クリスちゃんから貰った短刀を抱き、座り直したボクは必死に涙をこらえて問いかける。
「な、なにがあったのか、教えてくれないかな……?」
目の前に座る白い仮面を被った怪しげな子供は少し悩んだそぶりを見せた後、不思議な声で途切れ途切れに、でも丁寧に事のあらましを説明してくれたのだった……
拙いながらに日々苦心しながら書いておりますw
まだ辛うじてお気に入り登録が減ってきていないことが力の源でしょうか。
できれば末永くお付き合いいただけるとうれしいです




