不穏な空気
22話!
学園で生活しているクリスとライルの視点です。
10歳から15歳までの少年少女、育ち盛りの子供達、一番多感なその時期に基本的な戦い方から王宮で働く文官用の勉強まで幅広い範囲の教養を施す王立の教育機関。その名も王立剣術学校。
その白や青を基調とした大きな建物の二階。
一年S組という表札がかけられた教室の最前列窓際にある僕の席からは、彩豊かな花が咲き乱れる広い中庭を一望することができた。
……綺麗な景色……
癒されるとはこういう感覚のことを言うのだろうか?
頬杖をついた僕は未だ少し眠気の残る瞳で窓の外の光景をぼんやりと眺める。
温かい風が優しく吹く度に綺麗な花たちが仲良く揃って楽しそうに揺れる。蝶達もどこか嬉しそうにヒラヒラと舞っているように見えた。
……平和……安心できる……
不快になるような血の匂いも、淀んだ黒もここにはない。
それがたまらなく心地が良い。
荒んだ心に美しい自然の景色は一種の清涼剤に、癒しになるのだ。
……
でもそんなふうにマッタリとしていた僕の瞳はふと、どうしてか中庭の端、校舎の影のせいで日の光も当たらないようなところに不幸にも咲いてしまった一輪の地味な花に吸い寄せられてしまう。
時折吹く風にサワサワとほんの少しだけ揺れるその姿は、僕にはまるで無理をして他の花の真似をしているようにも、楽しそうにしている他の仲間を羨ましそうに見ているようにも思えて……
「……はぁ……」
意図せずして漏れる溜息。
もうあの銀色の仮面を被った子供と一緒にギルドの依頼を受けてから5日もの時が経っていた。
5日間というのは長いもので、結局授業開始初日から欠席をしてしまった僕に対する興味も関心もなくなり、僕に近づいてくるのがイリスの妹のソプラノと、後は権力目当てのような図太い子供達だけになるのには十分すぎる期間。
「…ふぅ……」
人知れず二度目のため息をついた僕はぼんやりと眺めていた一輪の花から目を離し、無言で授業の風景を眺める。
何十席もの整然とならんだ多くの生徒たちが座っている木製の椅子、机。
目と鼻の先にある豪華な教壇の上に立って数学を教えているのはおそらく平民出身で歳をとった先生。
……なんとなく昔の先生に雰囲気が似てるかな……
苦笑と共に僕にとっては10年前の――歴史的に考えれば1000年以上も前のことだが――学校の懐かしい記憶が脳裏に浮かんでくる。
……まぁ、嫌なことばっかりだけど……
思い浮かんだ嫌な記憶に呑まれる前に首を振ってすぐに打ち消した僕は、前世では高価な品物として一般庶民から敬遠されていた鉛筆という筆記具、秘伝の技法で木から作っているという白い紙を使って先生の書いた板書を黙々とうつしとっていく。
……4分の1+3分の1=……
一応授業を真面目に聞いてはいる僕だけど、やっていることはいかんせん全部が大体知っていることばかり。
事前に授業で遅れないようにと予習してきたことが裏目に出たのか、それとも単純に授業のレベルが低いのか。
予備知識として前世で学んだ知識を持つ僕にとっては控えめに言っても苦痛という他なかった。
……やっぱり学校は苦手かな……
「ここにある美味しそうな赤くて大きなパンを4人で平等にわけるとするならば……」
変わらずに豪華な教壇の上でつまらなさそうに抑揚の少ない声で喋る年老いた数学の先生。
僕がぼんやりとその声を聞いていれば、なぜか授業中にもかかわらず一機の紙飛行機が僕の銀髪を掠めるようにして開け放たれた窓から外へ飛び立って行くのが視界の片隅にうつった。
「……?」
僕の横の席で押し殺したようにクスクスと笑うソプラノ。
でも勿論真面目な彼女が投げたわけではない。
……またあの子達……
紙飛行機を投げたのは中流貴族出身の男の子達。
たまに僕にもちょっかいをかけてくる身の程知らずな彼らは授業中なのにいつも大きな笑い声をあげているのだ。
……本当に人間っていうのは変わらないものなんだね……
1000年以上も前と比較してまるで違いの見えない授業風景。
なぜだか僕は無性に悲しくなったのであった……
「はい、バッカード君。この問題の答えは?」
「ええ〜っと……少し時間を……」
先生に突然当てられて戸惑うバッカードという名前の少年。
その様子を見た年配の数学の先生は鼻を鳴らして怒りに眉を顰めた。
「バッカード君、君は私のしっかり授業を聞いていたのかな?
しっかりと聞いていれば悩むようなところなんてないはずだぞ。
授業中に他のところを見たり、私語をするなら出て行きなさい!」
「は、はい……ごめんなさい」
数学の先生はそう平民らしいバッカード君に注意という名の八つ当たりをする。
だけど本当に五月蝿い僕の近くに座っている貴族の子供達のことは見て見ぬ振り。
「そうだぞ平民!出てけよ!」
便乗する貴族の子供達に、唇をかんで悔しそうにする平民の優秀な子供達。
もう何回目かの数学の授業であれば、悲しいことだけどこれは別段珍しい光景ではないのだ。
立場の弱い方を怒るのは当たり前のことで、八つ当たりに使うことはたぶん、きっと仕方が無いことなのだろう。
考えてみればこの広い世界に人間の住める国はもうこの国、王国だけしかないのに、それでもその狭い世界の中でも階級分け、位付け、差別が行われているのだ。
だから子供の間だけ平等って言うのも変な話で……
……あれ?なら、差別って別に悪いことじゃないの……?
疲れているのかネガティブな方向にばかり進んでいく僕の思考。
まるでそれは前世の嫌な記憶を掘り起こされているようで僕は目を瞑って早くなってきた鼓動を抑える。
……僕は奴隷じゃない……悪いことだってしてないんだから……差別なんてされるわけないんだから……
瞼の裏の暗闇を見て何回か深呼吸をする。
呼吸の音に合わせて段々と安定し始める心音。
……でも、とっても悲しいことだけど、貴族の平民に対する虐めを知っていながら止めようとしない僕は奴隷じゃなくたって、たぶん醜い、とっても汚い人間なんだろうね……
胸のドキドキはおさまって、完全に安定した心音。
でも代わりに僕の気分は落ち込んでいく……
「クリスさん、大丈夫ですか?
なんだが随分と顔色がよろしくないようですけれど?」
長い間俯いていたからだろうか?
それとも他人から見てもわかるぐらいに凄く顔色がわるいのだろうか?
心配そうに僕の顔を覗き込んでくるソプラノの顔が僕の視界にうつりこむ。綺麗な金髪が窓から差し込む陽の光にキラリと輝いた。
「…だ、だい…じょうぶ……」
ソプラノの優しい心遣い。
その心配そうな声を聞いた僕はなぜかずーっと昔にお父さんがライルに言っていた言葉を朧げに思い出す。
(将来背中を守ってくれるいい仲間を見つけられるだろう)
確かこれはお父さんがライルとの別れ際に言っていた言葉。
でも……
……僕は本当に背中を、命を預けられるような友達が見つけられるのかな……?
ソプラノに小さく頷きを返し、チラリと周りを伺えば、そこには貴族達のことを疎ましそうな視線で見ながら真面目に勉強をする平民出身の子供達。
そんなこと意にも返さず、思い思いのことをして遊び、歓談する貴族の子供達の姿があった。
……やっぱり僕の友達は……
頭に浮かぶのは今は亡き白い髪の少女。
ソプラノの実の姉にして僕の初めての友達。
「ふふ……」
それはもう何度も繰り返した思考。
小さく苦笑した僕は意識を切り替えようと黒板の方へと視線を戻す。
変わらず一つの問題に対して抑揚のない声で授業を続ける先生。
僕も頑張らなくちゃ……
僕の耳がとても興味深い内容の話を拾ってしまったのは二時限続いた数学の授業の終盤のこと。
「……そういえば知ってる?
なんだか南の方がかなり危ないらしいよ?」
「ふふん、僕の偉い父様が大臣から直接教えてもらったらしいんだけどね。
どうやら王都に駐留している軍も一部を残して近々南に向かうらしいんだ」
「流石はフォルコン様!
私も初めて知りました!
近いうちに大きな戦争が起きるんでしょうか?」
「あぁ、そうらしいね。
でもとっても残念だよね、はぁ、僕も年齢さえ足りていて戦場に行かしてもらえれば、それこそ歴史に名を残すぐらいの戦果をあげれていたっていうのに」
はっきりと捉えたのは得意げな男の子の声、それを持ち上げるようにして褒める他の男の子や女の子の歓声。
それは何気ない会話。
よくある自慢話。
でも僕の中で何かがひっかかったのだ。
楽しそうな声を聞きながら僕は一人で思い悩む。
……後半はともかく……王都から南の方に援軍を送るのって本当のことなのかな……?
普段なら軽く流すような話し。でも、なぜか僕は嫌な予感がしていた。
……援軍が必要ってことは、魔物が沢山暗黒の大地から流れ込んできてるか、突然現れた大型の魔物に押されてるってことだよね……?
でも、ならなんで……?
ただの取るに足らない自慢話……?
ギルドにコッソリと顔を出していた僕だからわかることだけど、別段南の方に行く依頼が増えているようには思えなかったのだ。
……ギルドに確認に行ったほうがいいかな……?
南の方が危ないって言うんならそれについての情報だって絶対にあるはずだし……
流石にここから遠く離れた南の土地の気配を探るなんてことが僕に出来るはずもなく、ここで考えていても結局は全て推測の域をでない。
……でも…なんだかこれは何かとっても大事なことのような……
「……はい、今日の授業はここまで!」
でもそこでちょうど僕の思考を遮る鐘の音が響き、先生が終了の言葉を告げる。
「各自しっかり復習をす…「起立!礼!」…う、うむ……」
それをさらに遮るようにして級長ーー僕の隣に座っているソプラノだがーーが声を張り上げ礼をする。
考え事の途中で立ち上がらなくちゃいけなくなったことは残念ではあったけれど、この時ばかりは五月蝿かった貴族の息子達も面倒臭そうに礼をしているのだから仕方が無い。
ソプラノの実家はイスラフェル家。
剣の貴族と言われ、上位貴族の中でもトップに位置する家柄の彼女の発言力は先生をも遥かに凌ぐのだ。
どんな貴族の子弟でも逆らうことはかなわない。
なんだか少しだけ嬉しかった。
「ねぇクリスさん。ぼんやりしてないで、暇なら私と少し世間話をいたしませんか?」
「ぇ……?」
休み時間になって僕が一人、先程からひっかかっていた不安を整理しようとしていれば横にいるソプラノがそう声をかけてくる。
……ぼんやりとしてたわけじゃないんだけど……
僕は正直、今世における女の子と共通の話題をよく理解できていないし、そもそもコミュ力がないしと、かなり辛いのだがいかんせん横に座っているソプラノの言葉を無下にするわけにもいかない。
ソプラノが近くにいてくれないと、それはそれでよく知らない貴族の息子や男の子達に話しかけられて困ることになるのだから。
「あのですね?クリスさん。
私が昨日見つけたお菓子の名店なんですけど……」
僕は例外だけれど、学校に入学するまで基本的に家の外に出してもらえていなかった貴族の子供達からすれば、王都の中とはいえ城下町ですら宝の山。
貴族の階級のせいで気軽に話せる相手がいないのか、ソプラノは僕に向かって嬉しそうに、一方的に語りかけてくる。
「ほら、あの大通りをギルドの近くまで歩いて一本裏に入ったところにあるお洋服屋さんがですね、私の家が贔屓にしている……」
……なんとなく場所はわかるんだけど、仮にも貴族の女の子がそんなところに行っても大丈夫なのかな……?
ソプラノの話を聞いているうちに段々と僕は感じていた不安が別のもにすり替わっていくのを感じていた……
「クリス」
静かで、それでいてよく通る綺麗な声。
学校で行われる授業、その全てが終わった時、突然僕のところに来たのはお兄ちゃんのライルであった。
「……?」
僕が疑問符を浮かべてライルを見れば、ライルは少しだけ困った顔をして言う。
「急に来てごめ…「きゃぁーー!ライル様よ!!」」
ライルの言葉を遮るようにして耳に響く沢山の女の子達の黄色い悲鳴。
僕には男の子達からライルに向く嫉妬や尊敬の視線も見えた気がした。
「ふふふ……ごめんねクリス、今日父様が南の戦場にむけて出陣なされるそうなんだ。
何かやることがなければ一緒に見送りに行かないかい?」
女の子達に軽く手を振りながら僕のことを軽く引き寄せて囁くライル。
少しだけ耳元がくすぐったかった。
……見送り……?行けるけど、で、でも……
ライルが言っていることは理解できた。でも、流石にこれは状況が悪すぎる。
……め、目線がっ……
一緒にいる僕もライルのあおりを受けているのか沢山の好奇の視線が突き刺さって非常に居心地が悪い。
僕が冷や汗をかきながら小さくなっていれば、皆の目から隠すようにしてライルがさらに僕を抱き寄せた。
「ごめんねクリス。
でも、クリスがあんまり変わっていなくて僕は安心したよ。
とは言っても、少しずつでいいからこういうのにも慣れていかなくちゃダメなんだよ?」
「……ん……」
持っている精神力を総動員して小さな声で返事をした僕はそれで力尽きる。
多くの人から注目を浴びたせいですでに真っ白になってしまった頭はもうとてもじゃないけれど限界であったのだ。
「ほら、足元に気をつけて」
どうやって運ばれたのかいつの間にか乗せられていた馬車。
結局何十人もの生徒たちに見送られながら僕は馬車で数十分の距離にある実家へと帰省したのであった……
………………
《ライル視点》
久しぶりにあった僕の大事な妹で愛しいクリス。
本人が知っているかどうかはわからないけれど、彼女は将来は僕の妻になることが決まっている大切な妹だ。
でも少し薄暗い馬車の中で見るクリスは、最後に会ったときからまだ一週間も経っていないというのにどこか疲れたような、やつれたようなそんな印象を僕に与えた。
……やっぱり学校が良くないのか……それとも誰か僕のクリスにちょっかいを出してる不埒な輩が……
「クリス、体調が悪いのかい?
嫌なことをされたり、変な男に言い寄られたりしたらすぐ僕に言うんだよ。
学校は好きなときに休んでいいからね?
なんだったら僕の部屋で生活したって構わないんだよ?」
「……」
自然と少し熱くなってしまった僕に対して無言でコクリと頷くクリス。
それはいつもどおり素っ気無い態度。
昔からこうだった気もするし、数年前はもう少し柔らかい雰囲気を纏っていたような気もする。
「僕はクリスの味方なんだからね?」
ダメ押しでもう一言。
でもやはりといえばそれまでだが、クリスからの反応は非常に薄く、素っ気無いものであった。
……はぁ…学校で僕に近づいてくる女の子たちならみんな五月蝿いぐらいにおしゃべりなのに……
可愛らしい妹の銀の長髪に手櫛をいれ、その柔らかさを堪能するライル。
二歳差とはいえかなり身長差のある妹の横に座ってニヤニヤとだらしなく笑う彼に普段の威厳はなかったのであった……
「いつもすまないな、ライル。
だが、これから私が言うことを心して聞くんだ」
僕の前に立つ、いつになく真剣な顔をした父様。
「私のような退役軍人を含め、主だった各貴族の当主達は一部を残して皆、これから王命を受け軍を率いて南へと赴かねばならない」
そこで一旦言葉を切った父様は僕の眼をしっかりと見て言う。
「魔物を統率している新手の化け物が現われたという情報だが、はっきりと言おう、これはおそらく誤報であると。
過去に幾度と無く大規模な遠征はあったが、今回の遠征ははっきりと言って異常だ。
南には大規模な穀倉地帯があるが、王都に流れ込んでくる難民もなければ物資の滞りも無い。
表向きは南の地、一帯の管轄を任されている斧の貴族、その親族からの情報だとはされているが……」
そこで一旦言葉をきった父様は一度空を仰いでから先の言葉を続けた。
「内乱とでも言うべきか……もう長いこと人と人とが争う戦争が起きていないのはライルも知っているな?」
「はい、父様。と言いますとやはり……?」
僕の頭を優しく叩く父様。
「これはライル、頭の良いお前だから言うことだ。心して聞いてくれ。
おそらく、いや、間違いなく我々が王都を離れた際に何かが起きる。
それは新手の新興宗教によるものかもしれないし、一部の貴族のクーデターかも知れん」
僕はそこまで聞いて父様の言いたいことが、僕らを思う優しさがよくわかった。
「……はい。
アズラエル家の時期当主として、長男として、父様がいない間は僕がこの手で出来得る全てを守ってみせましょう」
「すまん……マーチもクリスも心残りではあるが、これも王命。
私も出来る限りのことはしよう。私兵も可能な限り残していくつもりだ。
だがライル、それでも十全とはいえないのだ。
……いつもお前には苦労をかけるな」
「いいえ、刀の貴族に生まれた長男であるならばそれは当然のこと。
刀を初めて手にした時から既に覚悟はできています」
「そうか……私はいい息子を持ったようだ」
最後に僕を一度だけ抱きしめた父様は嬉しそうに微笑むと僕のところからクリスのところへと向かっていった。
「父様……」
……僕は父様のように強く、立派になれているだろうか……?
まだ確定はしていない不確かな未来。
あるかもしれない内乱。現在も起きているかもしれない水面下で争い。
あるのは僅かな不安と……期待。
僕のこの刀は……家族を、クリスを守れる?
僕の力はどこまで通用するのだろう?
だが本人も気がつかない間にライルの体は軽く振るえ、唇は僅かに吊り上っていた。
そう彼は天才剣士。
初陣に向けて彼の闘志は静かに燃えていたのだ……
少しあげるのが遅くなってしまいました……最近何かと忙しくてorz
校正がかなり不十分です。もしかしたらとても読みにくかったかもしれません。
雰囲気だけでも掴めていただければ幸いです。




