村長代理アレグー その1
村人たちが、パニックになっている。
女も子どもも年寄りも、そして兵役を済ませた男たちでさえも、だ。
当然のことだろう。人口わずか八百人のこの村に、十匹の魔族、それもすべて部隊長が現れたのだ。
内訳は、佰魔長が九匹。そして、仟魔長が一匹。
佰魔長が魔族百匹ぶん、仟魔長が千匹ぶんだから、合計すると魔族千九百匹ぶんに相当する戦力である。つまり、人間の兵士の千九百人ぶんだ。
この村を統治しているイミィグーン公国の正規軍だって、常備軍は全軍で一個旅団、つまり兵士五千人しかいないのである。いま、この村にやってきた魔族の戦力が、どれほど大きいのか、莫迦莫迦しいくらいの規模だ。
おまけにやつらは、村の出口を封鎖して、包囲する配置を取っている。
佰魔長一匹に勝てない村人たちが、もはやどうすることも出来ない状況だった。指示を出すべき村長が、早々に泡をふいて倒れてしまったことも、村全体が混乱するのを助長していた。
「アレグー、俺たち、どうしたらいいんだ」
村人たちの中でもそれなりに冷静な者は、若者のまとめ役であるアレグーのまわりに、自然と集まってきた。
「どうしようもないだろう。勝てるはずがない」
アレグーは断言する。
さっきミサキは、倒した佰魔長の部下に気をつけろ、と言い残して去った。無警戒だったわけではない。だが、部下でなくて上司にあたる仟魔長が出てくるというのは、さすがに想定外だった。
さっさと村を捨ててみんなで逃げれば良かったのだろうが、あとの祭りである。
「あいつら、こんな田舎の村に、何しに来たんだ」
「それは俺の方が聞きたいが……」
アレグーは、つとめて冷静な声で続けた。
「……理由がわからないが、やつら、部下を連れてきていない。非常に強力だが、数は十匹だけだ。なんとか隙をつくって、女や子どもは逃がしたい。おれにも大事な妹がいるしな」
笑ってみせたつもりだったが、アレグーの口はただ歪んだだけだった。村人たちの不安を取り除く効果は、なかったようである。
「仟魔長が、村に入ってきたぞ!」
「とにかく、様子を見に行こう」
アレグーと若者たちは、ひどく重い足取りでそちらに向かった。
『この村の責任者を、出せ』
仟魔長が、魔族訛りの重い声で言う。
(交渉するつもりなのか、この圧倒的な状況で?)
アレグーは困惑したが、すぐに殺されるわけではない、と理解して、かすかに安堵した。
村長がすでに昏倒していたので、村人たちは困ったあげく、アレグーを代表者にしたてあげた。早い話が、みんな魔族に怯えて、近寄りたくなかったのである。
「おれが、この村の代表の代理である、アレグーだ」
アレグーだって、死ぬのは怖いし、魔族は怖い。だが魔族の返答は、すぐにそんなことを忘れさせた。
『では、アレグーに命ずる。この村の、生殖可能なメスたちを、集めて渡せ』
「……は?」
『この村のメスどもは、我らが主人、万魔長であるシギさまの、受胎実験の対象として選ばれた。これは名誉なことである』
アレグーは、相手の魔族が何を言っているのか、理解できなかった。ただ、その言葉の禍々しさだけが頭の中を鳴り響いている。
「それは……どういう……」
『物分かりの悪いクズだな。シギさまが、人間のメスが我ら魔族の子を宿せるかどうかの、崇高な実験をしたいとおっしゃっているのだ。くり返す、十代から二十代の、生殖可能なメスを渡せ。そうすれば、他の連中は殺さずにおいてやる』
ようやくその意味を理解したとき、アレグーはすごい力で殴られたような衝撃をおぼえた。
「おにいちゃん……」
アレグーの、今年十八歳になる妹が、震える声でつぶやくのが聞こえた。
妹は、一ヶ月後に結婚を控えている。
結婚式の準備をする妹の、この上なく幸せな顔が、アレグーの脳内にちらついた。
その妹を、さしだせ、と言っているのだ。
結婚相手から引き離して、魔族のなぶりものにしろ、と言っているのだ。
『安心しろ。シギさまは、年をとって三十歳になったメスは、実験対象から外して帰してやる、とおっしゃっている。シギさまの優しさに感謝するがいい』
仟魔長が、自慢げに胸をそらして続ける。
『ひとつ言い忘れていた。孕んでいるメスも、もちろん対象になる。胎児も実験材料になるからな』
(ふざけるな、そんなことさせるか!)
アレグーがそう叫ぼうとする直前に、村の若者のひとりが、聖法武具の剣を抜いて、ひとり仟魔長へと突撃をした。
「やめろ!」
叫んだアレグーは、思い出していた。たしかこの若者は、妻が妊娠中で、はじめての子どもだと大喜びしていた男だ。
仟魔長が、面倒くさそうに湾曲した大刀を抜くと、無造作に横に振るった。
突撃した若者が、瞬時に肉片となって、地面に叩きつけられる。
アレグーの背後で、お腹のおおきな若い女性が、夫の名前を呼びながら失神するのが見えた。
佰魔長の一匹が、聞くからに下品な声で言う。
『仟魔長さま、面倒なので、男や年寄りは殺してしまいやしょうぜ』
『だめだ。なんのために、什魔長や兵士たちを置いてきたと思っている。統制のとれない雑兵を残し、お前たちだけをつれてきたのは、ことを穏便かつすみやかに済ませるためだ。あいつらは、男と見れば殺すし、女と見ればすぐに犯すので、手に負えん』
もっともらしい態度で言うと、仟魔長が顔の向きを変えた。
『人間ども、できれば夜のうちに済ませたい。メスを渡せ。実験の分類上、処女と非処女と経産婦を区別して管理したい。ただしく自己申告するようにな』
アレグーは返答の代わりに、震える手で剣を抜いた。
振り返ると、大切な妹を見つめる。
「俺が時間を稼ぐ。お前はなんとか逃げろ。幸せになれよ……」
「おにいちゃん!」
仟魔長が、呆れた表情になる。
『無駄だぞ。包囲しているからな。……おいお前ら、何度も言うようだが、余計な手を出すなよ。忘れたのか、前の村でオスをすべて殺したとき、メスも全員自殺してしまっただろう。オスとガキは残しておいたほうが良さそうだ。まったく人間というやつは、面倒でかなわん』
仟魔長が、うんざりした様子で大刀を振るった。
物理的な力も、魔力も圧倒的だった。
防禦した聖法防具の盾ごと、アレグーの体が吹き飛ばされる。左腕の骨は折れたかもしれない。その痛みに耐えかねて、アレグーはその場にくずれおちた。
仟魔長が、ふたたび刀を振りあげる。その瞬間、
「待ってください! 言うことを聞きます!」
妹の声が聞こえて、アレグーは愕然とした。
妹は震える足取りで仟魔長の前に立つ。
「わたしが行けば、おにいちゃんと、婚約者は助けてもらえるのですね」
『万魔長であるシギさまの名誉にかけて、約束しよう。ところでお前、性交や出産の経験はあるのか?』
「いえ……し、処女です……」
満足そうに、仟魔長がうなずく。
『オスを生かしておいて利用した方がいい、という指示はこういうことだったのか』
などとつぶやいて、二度三度とうなずいている。
激情と激痛に思うように言葉が出せないアレグーに向かって、妹がうっすらと笑いかけた。
「大丈夫、三十歳になったら返してもらえる。十二年なんて、あっという間だよ……」
アレグーの視界が、歪んだ。
怒りと、情けなさと、そして無力感がアレグーを襲う。
「だめっ!」
不意に、女の子の叫び声。
魔族の方へ歩もうとした妹を、ちいさな手が引きとめていた。