魔術剣士ミサキちゃん その2
ババアが、全力で走ってくる。
ものすごい勢いで、しかも、すさまじい形相で。
ぶっちゃけ、あれほど怖かったことはない。
立ちすくむ俺に向かって、
「女子のくせに、屋台で立ち食いとは何事じゃあ!」
と、ババアがしわくちゃの顔を歪め、歯の無い口から唾を飛ばして説教する。
串焼きを咥えたまま、呆然とした俺が辺りを見わたすと、周囲の連中は『ババアの言うことはごもっとも』ってな感じで、俺が全面的に悪いとばかりに、トゲのある視線を向けてくる。
はい、これがどうやら『人間関係の豊かな地域社会』ってやつみたいです。
つまり、現代日本と真逆です。地域社会がひとつの家族なんです。
地域の人間全員が、顔なじみで親戚みたいになってるわけで、素行の良くない少年少女を見つけると、親でもないおじさんおばさんが、堂々とお説教を始める。もちろん、周りの連中はそれを正しいことだと思ってる。
それにより、地域社会全体で子どもを育てていくらしい。
まあ日本だって、昭和のころはそうだったらしいけどな。
こういう地域社会が、悪いというつもりはない。現代の地球上だって、世界のどこかにはまだ残ってるだろうさ。
でも、俺はこういうのに慣れてない。個人主義の確立した現代っ子なんだよ。
それでも俺は、ババアに頭をさげた。まだこの世界に不慣れなときだったから、トラブルとか起こしたくなかったからな。
残念なことに、その後も行く先々で、色々なババアにより説教は行われた。
いわく、
「女子の癖に、一人称が『俺』とは何事じゃあ!」
「女子なら、ズボンではなくスカートを穿くのが当然じゃあ!」
「女子だったら、一歩下がって男を立てんかい、この小娘があ!」
うぜぇ。マジで、うぜぇ。でも、それ以上に怖えぇ。
ことあるたびに、場所を選ばず、前から横から後ろから、ババアが全力疾走してくるんだぜ? もう完全にトラウマもんです。魔族なんかより、ババアの方がよっぽど怖い。
しかたがないので、俺も妥協した。すっげーやりたくなかったけど、この世界で『女のふり』をすることにしたのだ。
すなわち、スカートを穿き、女言葉を使い、ひかえめに、おしとやかに振る舞うことになった(ただし、スカートの下にはバミューダみたいなのを穿いている。じゃないと気持ち悪い)。
それでも、一人称が『わたし』っていうのは、オカマっぽくてどうにも受け入れられず。
『ボク』っ子なら大丈夫かと思ったのだが、ババアが速攻ダッシュしてきたので諦めた。
悩んだあげく、俺はある人物のことを思い出した。
日本にいたころ近所に住んでいた、すっげー美人で、すっげー強くて、すっげー頭のネジの弛んだ女の人。地元の超有名人で、超変人。ただ悪い人じゃなかったんで、俺も遊び半分で、その人の妙な仕草とか独特な口調とかマネしてたわけだ。
そこで、その女の人の行動や言動を、マネしよう、と思いつく。それなら『女のモノマネ』になるだけで、オカマになるわけじゃない。
で、一人称は『おねーさん』になった。そこから連想して、自分には妄想妹がいる、という設定が生まれたわけだが、まあそれは別の話だ。
まあこれで、俺は男としてのプライドを失わず、女言葉でしゃべることができる。
なんて知的でお利口さんなんだ、俺。
……ごめんなさい、嘘つきました。
知的だとか、利口だとか、そんなことなんて、本当はどうでもいいんだ。
俺の望みは、たったひとつのシンプルなもの。それは、
『おちんちんを返せ!』
それだけだ。
おちんちんが、ない。
あるべきものが、ない。
あって当たり前のものが、ない。
股間にぶら下がっているはずの大事な宝物が、ない。
そのことで、俺がどれだけ精神的に不安定になっていると思う?
昔、テレビを見ていて、乳ガンになった初老の女性が、手術のときに乳房を残すとか残さないとかで悩んでたのを見て、
「おいおい、ガンなんだろ? 命かかってるんだろ? ババアの用済みの乳房なんて、切っちまえばいいじゃねえか」
そう簡単に吐き捨てていた俺を、許して欲しい。
失って、初めて分かる男の象徴。
女の象徴のひとつが乳房なのであれば、それを守ろうとしたバアさんの言い分はもっともなのだ。
許してくれ、あのときのバアさん。
おちんちんがない、という悩みは、たぶん俺にとって、想像以上のストレスになっている。
正直言って、おちんちんのためなら、手段を選ぶ気はない。
俺としては、おちんちんが戻るのであれば、この際フタナリでも大歓迎だ。
この少女の体のままでもいいから、おちんちんだけでも返してもらえないだろうか。
一度やってみたかったんだ、フタナリで
「おちんちんしゅごぉおい! ひゅごいよぉほおおお!」
とかな。
ごめん、下品だとは思うが、こんな冗談でも言ってないとやり切れないんだ、これが。
おれはため息をつくと、何もついていない股間を、手でぺしぺしと叩いた。
さびしい。股ぐらが、さびしすぎる。
周りに人がいるときには、流石にこんなおげふぃんなことはしないが、独りでいるときは、気がつくと股間に手をやっていることがある。
いわゆる、エア・ポジショニング修正、というやつだ。
やばいな、俺。さっきからおちんちんの話しかしていないぞ。
(もう、ミサキはおちんちんのことしか考えられない女の子なんでしゅ)
嘘じゃない。だが、妙な誤解を招きそうだな。
ちょっとでも油断するとおちんちんのことを考えてブルーになる。このまま変態街道を進みたくないので、気分転換のため、俺はなるべくケイコちゃんのことを考えることにしてた。
あの村を追い出されてから、俺がずっとぺろぺろ言っているのはそのせいだ。
今日は両方の月が太いので(ちなみにこの世界に月は二つある)、明かりなしで夜道を歩くのに不都合はない。
それに夕方から夜中までがっつりとベッドで爆睡したので、眠気もない。
唯一の懸念は、夕食を食わなかったことだ。荷物に保存食は入っているとはいえ、堅焼きビスケットや干し肉は、いまひとつ味気ない。やはりたまには温かい家庭料理をいただきたいものである。
ちなみに、この世界で米や醤油、そして味噌にはお目にかかっていない。存在してないのかもしれない。日本にいるときはパン食だったくせに、いざ食えないとわかると、急に和食が恋しくなって――。
不意に、左腰にさしている黒い魔剣が、小刻みに振動を始めた。
俺は慌てて気配を殺すと、急いで物陰に隠れる。
どういう理屈かわからないが、この剣は、魔族の存在を感知して、反応する。
まるで、マナーモードの携帯電話へ着信があったときのように、いきなり振動するのだ。
(結構、振動がはげしい。強力な魔族が、近くにいる)
剣の振動音を聞かれないように、左手で剣を軽く押さえつつ、辺りの様子をうかがう。
九匹……いや、十匹か?
それぞれの魔族が、さっきの佰魔長と同等か、それ以上の魔力がありそうな大物である。
下級の魔族兵士がいないのが不思議だが、この十匹だけでも十分な戦力である。
彼らは、俺とは逆方向に進んでいるらしい。
もしかして、目的地は、あの村か?
この近辺は、やせた土地が広がってるだけで、他に目的地になるようなものはないはずだ。
俺は、親指の爪を噛んだ。
これだけの部隊だ、仮に魔族の目的地があの村であれば、一方的な虐殺が起こるだろう。
文字通りの皆殺しが起こるにちがいない。
俺はヒーローじゃない。ヒロインでもない。
それに、俺は自分の戦闘能力に関して、うぬぼれていない。
この女体は廃スペックだが、リーチが致命的に短い。
だいたい俺は、男のときは百八十センチあったのだ。剣道では、長身とリーチを生かして戦っていた。 それが、いまは百六十センチあるかないかである。
おまけに、おっぱいなんていう戦いに邪魔なものもぶらさげている。
なにより、命より大事なおちんちんがない。
いいじゃねえか。あきらめようぜ。
あいつら、俺のことを穢らわしいとか言って、追い出したんだぜ?
助ける義理なんて、これっぽっちもない。
爆睡ベッドのお礼は、さっき返したからな。
しーらないっと。これは村人の責任だろ?
ま、運良く村を放棄して逃げてれば、何人かは助かるだろうさ。
そうさ。あきらめよう。それでいいのさ。
『お母さん』
あっ。
不意に、ケイコちゃんの声が聞こえたような気がした。
小動物を思わせる、ちょっぴり眠そうな目。
必死に自分のスカートを握りしめる、ちいさな手。
最後に、村の出口まで見送ってくれて、さびしそうに手を振る姿。
嗚呼……ぺろぺろぺろぺろ……
「ちくしょう……ちくしょうめ」
俺はくるりと方向転換をすると、物音をたてないように走り出した。
昨日、自信満々で活動報告を書いた。
予約掲載日を一日まちがえた、という可能性が、無きにしもあらず、というわけでもないのかもしれない。
簡潔に言うと、すみませんでしたm(_ _)m、ということである。