村人アレグー その3
実は、魔術による黒防禦を打ち破るには、聖法による白攻撃以外にも、別の手段がある。
それは、魔術で魔術を攻撃することである。
魔力同士は親和性が高いので、お互いを無効化してしまうから、攻撃が普通に通るのだ。
もっとも、今のアレグーたちに、そんなことは関係ない。
魔術は、魔族のものであり、人間には使えないからだ。
魔族で同士討ちでも起こらない限り、人間は聖法を使うしか道はない。
アレグーは前にでた。
佰魔長が斧を振るう。
魔術の黒い斧が、聖法の白い盾に触れた瞬間、『弾き』が起こった。
独特の破裂音がして、黒い光と白い光が煌めいたのが、その証拠だ。
その直後のこと。
すさまじい衝撃が、盾ごしにアレグーの左腕をおそった。
敵の攻撃は、黒い魔力と、斧を振り回す腕力の二種類で構成されている。
『弾き』が起こったので、魔力攻撃はゆるやかに防ぐことができた。ところが、物理的な腕力の方はそうはいかない。打ちこまれる斧を、ただ物理的に盾を使って防ぐしかない。
アレグーの左腕がじんじんと痺れている。こんな莫迦力を盾で受け止め続けるのは困難だと判断したアレグーは、回避へと行動を切り替えることにした。
斧は、あいかわらずの大振りである。
ぎりぎりでかわしざま、前へ出て、アレグーは白い聖力の剣を振るう。
踏み込みが浅かったのか、手ごたえが弱い。
だからといって、これ以上やつに近づくのは困難である。
もしも回避しそこねて斧の直撃を食らえば、一発で戦闘不能になるだろう。
なんとかする為には、やはり集団戦に持ち込むしかない。アレグーは叫ぶ。
「聖法武具を持たない者たちは、牽制攻撃を! 魔力の薄いところを狙って、弓や槍で攻撃するんだ!」
「魔力の薄いところって、どこだ?」
「黒い色が薄いところだ! それから、万が一に備えて、女や子供は村から避難させろ!」
「ダメじゃ! もしも村の外に、部下の什魔長や魔族兵士がいたらどうするのじゃ! 外に出てはならぬぞ!」
アレグーは、舌打ちしたいのをこらえた。
村長は、まだ自分たちがこの佰魔長に勝てると思っているのだろうか。
状況から考えて、村を放棄してでも逃げる、という選択肢を考慮すべきなのだ。
というのも、アレグーが、兵役期間中に戦った別の佰魔長より、明らかに強いからである。この佰魔長は、限りなく仟魔長に近い実力があるのではないだろうか、という疑いが、アレグーのなかで強くなりつつあった。
「あっ」
兵役経験のある村人のひとりが、白く輝く盾ごと吹っ飛ばされた。
物理的な腕力でも向こうが上、魔力と聖力でも向こうの力が上である。
(まずいな、いよいよ勝てる見込みがない)
背後から、女たちの悲鳴があがりはじめる。
女たちの目にも、アレグーたちが苦戦しているのは明らかなのだろう。
案の定、混乱が始まりかけている。
アレグーの言う通り避難すべきだ、いや、村長の言う通りこのまま待機すべきだ、とヒステリックな討論がはじまっている。
そんな、女同士の小競り合いに巻き込まれたのだろうか、ひとりの女の子が、突き飛ばされたかのようにフラフラと、戦場の方へ出てきてしまった。
「あっ……ケイコじゃないか! 出てくるな、下がれ、戻るんだ!」
十歳の女の子であるケイコは、佰魔長を目の前にして、震えて、動けそうにない。腰が抜けてしまったのかもしれない。
アレグーは自分の防禦で精いっぱいで、助けに行ける余裕がない。だがケイコには、助けに来てくれる両親もすでにいないのだ。
佰魔長が、ケイコを見つめて、サディスティックに歯をむき出す。
(だめだ、間に合わない。ケイコは殺される)
アレグーが諦めた、その直後のこと。
ひょい、という感じで、暗闇から無造作に手が伸びて、ケイコのちいさなからだが後ろへ引き寄せられた。
アレグーが呆然として見つめる先に、ひとりの少女がいた。
「ちょっと困るなー。おねーさん、三日ぶりのベッドで爆睡してたのになー。安眠妨害は困るんだよねー」
あっけらかんとした調子で、あのミサキが立っている。
右手に、ケイコのちいさなからだを抱えたままで、特に緊張した様子もなく、佰魔長のすぐ目の前に、悠然と立っていた。
「さて、と。ケイコちゃん、ちょっとおねーさんから離れててね」
アレグーは大慌てで叫んだ。
「おい、ミサキ! 何をするつもりだ、下がれ!」
「ま、泊めてもらった恩があるからねー」
それに対してアレグーが何かを言いかえそうとしたとき、女の子の悲鳴が響き渡った。
「いやぁああああああ!」
「ちょ、ちょっとケイコちゃん? どうしたの?」
「いやぁあああ、ママが、パパが! いやぁあああ!」
(まさか、思い出したのか?)
ケイコの両親は、ふたりともその目の前で、魔族によって殺されている。
そのときのトラウマのスイッチが入ってしまったのか、急にケイコが憑き物のように叫び出すと、ミサキの右腕にしがみついて離れようとしない。完全にパニックになっているようだ。
その悲鳴に引き寄せられるようにして、佰魔長が、ミサキの方へと、重々しい一歩を踏み出す。
アレグーは助けに行こうとして、
そして動けなかった。
さっきの戦闘で、ダメージを受けていたから?
村人を守るために、陣形を崩すことができなかったから?
いや、ちがう。
怖かった。
死ぬのが怖かった。
明らかに勝てない相手である佰魔長に、恐れをなしていた。
それだけのことだ。
どうせ自分が行っても、無駄だろう。
そう、言い訳をした。
悲鳴をあげるケイコを右腕にしがみつかせたままで、ミサキが左手一本で腰の短剣を抜く。
無駄だ。どうせ、無駄なのだ。
非力な少女では、あの斧による攻撃を防げない。
佰魔長がミサキめがけて斧を振りあげるのを見て、そう確信した。
呆れたことに、ミサキは巨大な戦斧を、たかが短剣一本で受けとめるつもりらしい。
斧が、振り下ろされる。
直後のことだ。
佰魔長の体が、攻撃を受け流され、大きく揺れた。
呆然と、した。
アレグーも、村人たちも、そして佰魔長でさえも。
ミサキの左手に握られていたもの。
黒い短剣。
どす黒い短剣。
黒い魔力を放つ短剣。
それは、魔族にしか扱えないもののはずだった。