公国騎士団長 エキザーベ その2
イミィグーン公国は、人口二十万人のちいさな国家であり、その常備軍である五千人の構成も非常にシンプルである。
公爵閣下 → 騎士団長 → 騎士 → 兵士長 → 兵士
というのが、公国軍の指揮系統である。
騎士団長が千騎長、騎士が百騎長、兵士長が十騎長に相当する。兵士長は騎士ではないので、十人長というほうが正しい。
実際のところ、公爵閣下はほぼ前線には出ないし、最高責任者をそう簡単には出せない。
なので司令官は騎士団長、つまりエキザーベがつとめることがほとんどで、今回も兵全体の指揮をとっていた。
「報告がありました。クロミィ卿、負傷された模様です」
エキザーベの視線を受けた副官が、ひっ、とちいさな悲鳴をあげた。
「そ、そんな怖い顔をされましても、自分の責任ではありませんが……」
「容態は?」
「け、軽傷です。軽い打撲のようですが、消耗が激しく、医師の指示で安静にせよ、と……」
「不幸中の幸いだな。しばらく休ませてやれ」
「あのぅ、自分も早朝から休みなく働いていますので、すこし休んでも……」
「この場で、二階級特進したいのか? みんなずっと戦っているぞ」
「……ですよねー」
そう応じたものの、もうじき昼になってしまう。
兵に休息をとらせるのも、責任者たるエキザーベの大切な仕事である。タイミングをはかるのは、正直かなりむずかしい。悩むエキザーベのもとに、あらたな連絡が届けられる。副官がにやにやしながら報告した。
「団長、ご面会のかたが見えていますが……若い女性のようです」
「あとにしろ、追いかえせ。いそがしいのはわかるだろう」
「かなりの美少女ですよ? それに、クロミィさまの知り合いだと言っていますが……あと、ヨヨちゃんがどうとか……」
「なんだと? よし、通せっ」
「団長もすみにおけませんなあ。こんな非常時に若い娘と逢瀬を楽しもうなど、奥さまに知られたら大変ですが……」
エキザーベがだまって腰の剣を抜くと、副官は血の気のない顔で、部屋からすっ飛んで出ていく。少女をつれて戻ってきたときも、まだ青い顔をしていた。
「おねーさん、ここでご飯がもらえる、って聞いたんだけどなー。おなかすいたなー」
その少女、つまりミサキの開口一番がこれである。
エキザーベはかるく眉間を揉んだあと、言葉を選ぶのにすこし時間がかかった。
「たしか……市街地外周の中央部における、戦闘に投入された、とかなんとか……うわさに聞いたのだが」
「うん、そだよー。あれ? 報告きてないのかなー。侵入した魔族は殲滅ずみで、戦いもひと段落ついたよ。ちなみに、詰め所にもよって、ヨヨちゃんたちにも会ってきたし」
「ほう? よく、その場所がわかったな」
ミサキが左側の剣――昨日は黒い魔力を放っていた短剣だ――をぽん、とたたいてみせる。
「おねーさん、魔族がいると、この剣が反応するからわかるんだよねー。特に大物はわかりやすいかなー。あと、目印のバーテンダーも、うろちょろしてたし。で、そこで聞いたら、ここならご飯があるよ、って教えてもらったわけ」
エキザーベは考えこんだが、それは短い時間だった。
「おい、食事の準備をしろ。兵たちに休息をとらせる」
あちこちで煮炊きの煙があがりはじめたころ、ようやく情報が集まってきた。
各所からの報告を総合するに、魔族を撃退できたのはまちがいなさそうである。なお、敵の侵入経路は、さっきセンヨヨのメイドたちから聞いた内容と、完全に一致していた。
(さすがは万魔長のメイドたちだな、報告が早くて正確だ)
エキザーベはその優秀さにあらためて舌を巻いたが、それだけに自軍のふがいなさが際立つように感じられた。
イミィグーン公国は、魔界にもっともちかい人間国家のひとつである。人魔大戦時には最前線の一翼をになうのに、こんなことではいけないのだ。
現状、イミィグーン公国軍は、完全に烏合の衆になっている。原因のひとつとして、致命的に指揮官が足りていない。
常備軍は五千人だから、もちろん千騎長は常に五人いるのだが、そのうち三人はそれぞれ、公爵閣下夫妻、第一公子、第二公子の親衛隊長を兼ねている。つまりいまは、優先して公族の警護にあたっているので、おいそれと前線に出てこられない。だから、軍を指揮できない。
残るふたりの千騎長はというと、すなわちエキザーベとクロミィなのである。
これはもう、組織的に問題がある。
今回の一件のかたがついたら、千騎長と親衛隊長の兼任を禁止せねばならない。
本当はいますぐにでもそうしたいのだが、公爵閣下と後嗣たる第一王子の親衛隊長たちには特に相当な名誉と地位がある。つねに安全な後方にいれるうえ、しかも高給取りでちやほやされる『おいしい身分』であるから、きっと本人たちが、全力で罷免を拒否するにちがいない。
だからといって、千騎長の座を簡単にゆずるとも思えないから、面倒なことこのうえない。
『公国の伝統として、千騎長と親衛隊長は兼ねて当然である』
とかなんとか抜かして、両方の地位にしがみつくにちがいない。
(名誉、か。実力のない名誉など、くそくらえだ)
内心でエキザーベは唾をはいた。いつからだろうか、この国では、実力よりも、地位や名誉などの形式に重きをなすようになりつつある。
(第二次人魔大戦から、平和な時間が長すぎたのかもしれない)
平和は結構なことである。軍人であるエキザーベもそう思うが、だからといって腑抜けになってよいわけがない。
だからこそ、エキザーベは身分の低い下級騎士であったクロミィを、その実力に期待して、一気に副団長に抜擢したのである。
残念なことに、周囲は懸念した通りの反応をした。
なまじ、クロミィが凛とした美少女であったのが、よくなかった。
『女は楽でいいな、外見だけで副団長になれるのだから』
『下級騎士が、からだを売って出世したらしいぞ』
『団長も、十七歳の魅力には勝てませんか』
『肉の剣をあつかうのが得意とか』
『おお、えろいえろい』
根も葉もない、悪意に満ちたうわさが広がるなかで、クロミィはよく耐えてくれた、と思う。
公私ともに、うまずたゆまず努力してくれたおかげで、ようやく最近になって、周囲もクロミィの実力を認めはじめていた。女性であることを理由に、公女さまの親衛隊長に任命したことも功を奏していて、その信頼も厚く、まさにこれからというときだったのに……その公女さまが、残念なことになってしまった。
(本当はゆっくり休ませてやりたいが、この状況ではそうもいかん)
「ところで、クロミィのことだが、いつごろ復帰できそう……」
「それ、ダメだよー」
できたてのシチューをほおばっていたミサキが、いきおいよく口をはさんできた。
報告の裏をとって内容を確認するため、この妙な少女はこの部屋に残して、戦闘時の話を聞きながら食事をさせていたのである。
「しばらく休ませてあげないといけないかなー。昨夜もほとんど寝てないみたいだしー」
「だが、そうもいかん。非常時だからな」
「問題ないよー。敵が雑魚の千匹や二千匹なら、おねーさんひとりでどーとでもなるかなー。持久力には自身があるからね―。シギ本人が出てこない限りは、なんとかするよ―」
「しかし、指揮官が足りないのだ。大規模な軍隊を率いた経験のある騎士は、ほかにいない」
「大規模な軍隊の指揮官? そんなら、クロミィちゃん以外に適任がいるでしょーに。まあ、騎士じゃないけどさー」
「だれだ? 思いあたらんぞ」
「ヨヨちゃん」
思わず、エキザーベはのけぞってしまった。あわてて副官に雑用を押しつけて追い出すと、ふたりきりの団長室で、ミサキに渋い顔をむける。
「莫迦なことを言うな。センヨヨどのが敵でないのは承知しているが、魔族だぞ」
「でも、自称万魔長代行らしいから、きっと万単位の軍勢を率いた経験が豊富だよねー。それに頭もいいから、きっと役に立つよー」
「本気で言っているのか? 正気の沙汰とは思えん」
「ひげのおっさんだって、昨日ヨヨちゃんに『公国軍と作戦行動をともにし、シギを孤立させ、集団戦闘がどうのこうの……』って、言ってたじゃん」
「自分をひげのおっさん呼ばわりするな! あれは魔軍のちからを借りたいといったのであって、人間の軍を指揮させたいと言ったわけではないっ」
「どうでもいーけど、いまクロミィちゃんを使うのは、やめたげてよお!」
そこでエキザーベは、ようやく気づいた。
「もしかして、クロミィの状態は……そんなにまずいのか?」
「イエス、マイロード」
エキザーベはすぐに部屋を飛び出そうとして、腕をむんずとつかまれた。振り払おうとして、失敗する。少女とは思えないほどの、とんでもない莫迦力である。
「会うな、というのか? 理由は何だ」
「ひげのおっさんは口がかたいほう? それともガバガバ?」
ミサキはへらへらしているが、つかまれている腕はとにかく痛い。
「……公爵閣下と、ミィグシスの神に誓って、他言せぬと約束しよう」
「ま、いっか。ひげのおっさんは、公女さまの件も知ってたしねー。うーんとね、いま、ケイコちゃんと『いいシスター』が看病してるんだけど、まあ、あれだね、落ち着くまでは、人間でも『男』は会わないほうがいいと思うんだよね―」
その言葉の意味を考えていくうち、エキザーベは背筋が寒くなるのがわかった。
「おい、まさか……そういうことなのか。公女さまに続いて、クロミィまでも……」
「最後の一線は、なんとか守れたみたいだよー」
返事ができないまま、エキザーベは椅子にくずれ落ちるように座りこむ。頭をかかえこんだまま、衝撃から立ち直れないでいた。
(これはまずいことになった)
というのが、エキザーベの本心である。
血のつながった愛娘でさえ、魔族に穢されたと知れれば、すぐに見捨てた公爵閣下である。いくら一線を守れたといっても、クロミィがどのようなあつかいを受けるのか、想像するのも恐ろしい。どう転んでも、明るい未来は待っていないにちがいない。
ミサキがもぐもぐとパンを咀嚼しながら、いつもの口調で言う。
「まあ、指揮をまかせることについては、ヨヨちゃんとかるく話はしてあるんだよねー。さすがに表だってはまずいけど、参謀みたいに助言するだけならいーよってね。さしあたっては『司令部をもうすこし前に出してはどうですかあ』って言ってるかなー」
ミサキは、エキザーベの様子などおかまいなしで、ぺらぺらと続ける。
「市街地のそばに司令部をうつせば、前線にちかいから情報が集めやすい。しかも例の親衛隊の詰め所からもちかいから、ヨヨちゃんの意見も聞きやすい。当然、公女さまともちかいから、なにかあっても色々と安心。ほら、けっこう名案でしょ、ね?」
置物のように、ただ動けないでいたエキザーベは、ようやく震える声を出すことができた。
「……ミサキどの、クロミィのことは、他言無用を誓えるだろうか」
「いーよー。おねーさんも、クロミィちゃんにはそこそこお世話になったしねー。なんだかんだで、まあお姉さんキャラとして気にいってるから、せこいこと言わずに、ただで協力してあげるよー。うわっ、おねーさんって、美人のうえに性格もよくて素敵だよねー」
ミサキの食事が終わり、副官がもどってきたころ、エキザーベはついに決断した。
「司令部を前に出す。場所は親衛隊の詰め所ちかくだ。各員に指示を出せ」
これ以上の被害者を出せないためには、魔族でもあっても利用するしかない。自分のようなおっさんはともかく、若い女性にこれ以上の被害が出るのは、がまんがならなかったのだ。




