公女殿下親衛隊長 クロミィ その4
ミサキに説得されたケイコが団長室を出ていくまで、クロミィはうつむいたまま、ひとことも発することができなかった。
ミサキにぺしぺしと肩をたたかれて、ようやく顔をあげたクロミィは、かろうじてかすれた声を出した。
「あの……団長……その……いまのは……」
騎士団長エキザーベは、渋い顔で、渋い声を出した。
「他言無用だ。まあ、お前なら口はかたいだろうがな」
クロミィの淡い期待に反して、団長は否定をしてくれない。二の句が継げないでいると、パッパラパーの女が容赦なく暴言を吐く。
「で、どうなの? どこまでされたの? 先っちょだけ? それとも中に出されたの?」
「きっ、さっ、まっ」
クロミィは激情のおもむくまま、剣を抜いた。公女さまの御前でも躊躇はしなかった。
「いやいやクロミィちゃん、大事な話だよ。だって、対応が変わってくるでしょ、ね? まあ、さっきの話を聞くかぎり、『呪いが発動する』かどうか、つまり『にんっしんっしちゃう』かどうか、で公女さまをぶち殺すかどうかが決まるわけだよねー」
ついに。
とうとう。
公女さまが、すすり泣きをはじめられた。
(こいつは殺さないとダメだ!)
ミサキに勝てるかどうかは問題ではない。大切なのは、殺したいという事実である。クロミィは剣先を正面に構える。団長の止める声にも構わず、全身全霊で切り捨てようとして――
『いやあ、妊娠はしないので、心配いりません。断言できますよう』
――そして、急停止した。
公女さまも、泣きやまれた。
「あの……本当ですか……」
『本当ですよう。というか公女さま、あなたもご存じでしょうが、人間と魔族のあいだでは、子どもはできませんよう』
「で、ですがっ……あの魔族、シギは……『オレは受胎実験を成功させた。だから、お前も確実に妊娠する。お前はもう、オレの女だ』と……、自信満々で、そう、言ったのです。わたくしにむかって……その、ひどいことを、したあとで、です」
『ありえませんよう。そんな情報もありませんし、ワタシは不可能だ、という証拠を持っていますねえ』
「確実、なのでしょうか? 魔族の子どもを妊娠したことで、わたくしは化け物のようになってしまったりはしないのでしょうか」
『しないですねえ。そもそも受胎実験は、魔王陛下の命令で、ワタシの亡父が「人間牧場」にて、さんざんおこなってきたことなのですよう。人間の男と魔族の女、あるいは魔族の男と人間の女、年齢や経験など、色々な組み合わせで実験したようですが、どのパターンでも妊娠や出産はしませんでしたねえ。だから、不可能だ、と断言できますよう』
懸命に言葉の意味を考えている公女さまにかわり、団長が口をはさんできた。
「失礼するが……では、なぜ、シギとその部下は、いまもその受胎実験をおこなおうとしているのだろうか」
『理由の半分は、ワタシが「人間牧場」での受胎実験を、禁止したためですねえ。まあ、正直なところ、わが父ながらひどいことをしていましたからあ。本人同士が合意の上ならいまも認めていますが、さすがにする連中はいませんよう』
「残り半分は?」
『シギが、人間の女と無理やりにナニをするのが、大好きだからですねえ。どうやら、紫色ではない人間の白い肌が、とてもお気に入りらしいですよう』
「……ゲス野郎め」
『シギにしてみれば、魔王陛下の指示にしたがうという大義名分のもと、自分の白い肌フェチも満足させられるわけで、一石二鳥みたいですねえ』
「左様ですか……ところで、この公国にシギが軍を率いて攻めてくる、という話があるのですが、ご存知ですかな」
『魔族と人間のあいだに不戦協定があるので、不可能です――』
センヨヨが断言したあとで、すこし口調を変えて続ける。
『――のはずなのですが、シギは人間界に、ちょっかいをかけているようですねえ。実際に、軍の一部を侵入させているのも承知していますよう。本人は、魔王陛下の了解を得ていると言っているようですが、どこまで本当かはわかりませんねえ』
「まさか魔王が、また人魔大戦争を起こそうとしているのでは?」
『わかりませんよう。別に隠しているわけではないのですが、最近は魔王陛下と連絡がとれないのですよう。さっきも話した通り、ワタシの万魔長への任命も、音沙汰がありませんねえ。ほかの万魔長も、音信不通のようなのです。くわしい状況は、誰もわかっていないのですが、噂では、魔王陛下は魔王城に引きこもり、なにかの実験に没頭しているとか、していないとか……』
ふうむ、と団長がうなずく。
一緒にうなずきかけて、クロミィはギョッとした。
いつのまにか、この魔族に対する警戒心を捨ててしまっていたことに気づく。無害そうだとはいえ、簡単に心を許すわけにはいかない。
うなっている団長にかわって、公女さまが魔族に質問をされる。
「ところでセンヨヨさんは、シギという魔族のことを、どのようにお考えですか?」
『大嫌いですねえ。乱暴だし、無責任だし、考えなしだし、部下は野放しだし、「人間牧場」の人間を攻撃しようとするしで、困っていますよう。典型的な暴れん坊ですねえ。自制心のかけらもありませんが……』
「……が?」
『とにかく、戦闘力は抜群です。うっとうしいことに、圧倒的ですねえ』
「センヨヨさんも、シギとおなじ万魔長なのでしょう?」
『とてもではないですが、一対一では歯が立ちません。特にわたしは、個人戦闘力はかなり低いほうなのですよう。現に、人間のミサキに三十三対四で完敗していますしねえ』
「さきほどもそのお話がありましたが、ミサキさんは……それほどの?」
『寝込みを襲われたことを差し引いても、まあワタシよりは強いでしょうねえ』
「……では、シギを相手にしたのであれば?」
返事をしたのは、話題にされていた当の本人である。
「あ、それ無理。いくらおねーさんでも、あれは無理ゲーだからねー」
「お手合わせしたことが、ある、と? ……そうですか、ダメですか、それは残念ですね」
『もしかして、公女さまは、シギを倒せるなら倒したい、と?』
「いいえ、ちがいます。そのぅ……おろかなことを考えました。忘れてください」
センヨヨが、ちらり、とミサキの様子をうかがっている。
「どうしたの、ヨヨちゃん」
『ミサキがシギと戦ったのは、いつですかあ。たぶん脱出時なので、半年前でしょう。あれから半年で、ミサキはどれくらい強くなりましたかあ』
「強くなったっつーか、力をコントロールする技術はうまくなったと思うけど、どーしてそんなこと訊くのかなー」
『いやあ、おおきな声では言えませんが、ワタシとしても、シギを倒してくれるなら、いっそお願いしたいくらいですからあ。精鋭ぞろいとはいえ、部下である兵士のほうはどうにかできないことはないですが、シギ個人は手におえませんからねえ』
ミサキは、めずらしく真剣な表情で首をふった。
「いや、おねーさんと基本スペックがちがいすぎるから、無理。むこうはでかいからねー、リーチも長いし、パワーもあるし、耐久力もあるかなー。ま、持久力だけなら勝てそうだから、長距離走とかだったら勝負してもいーけどねー」
団長が、身を乗り出してきた。
「では、センヨヨどの。貴方もシギに敵意をお持ちなら、万魔長代行として、麾下の軍勢の力を貸していただけませんか。公国軍と作戦行動をともにし、シギを孤立させ、集団戦闘に持ち込むのです。このさい、ミサキどのの助力も借りれば……」
「おやめなさいっ」
公女さまのするどい口調に、団長が口を閉ざす。
「すみません、わたくしがおろかなことを言いました。忘れてください」
「ですが……」
「大切なのは、公国の民を守ることです。わたくし個人の復讐など、どうでもよいことです。ましてや、魔軍と連携するなど、いくらセンヨヨさんが善良であっても、民や他国に説明がつきません」
強い口調で断言すると、公女さまはセンヨヨのほうにむきなおる。
「貴重なお話をありがとうございました。『呪い』のこと、発動の可能性がほぼないと聞きまして、大変に安心いたしました。もしも国都をお出になるのでしたら、確実に安全に出立できることをお約束いたします」
『それは、どうも。すでに外が昏いので、あした出発させてもらいますねえ』
来たときとおなじように、あっさりと魔族の万魔長代行は帰っていった。おつきのメイドふたりも退出し、ミサキはケイコをむかえに出ていく。
団長室には、公女さまと騎士団長、そしてクロミィが残された。
室内の空気が落ち着いて、心も落ち着いてくると、ようやく衝撃の大きさが、実感をともなってクロミィに襲いかかってきた。
鉛のように重い手足を持ち上げ、必死に姿勢をととのえると、震える唇を懸命に動かした。
「公女さま、あの、さきほどのお話ですが……」
「ごめんなさい」
「いえ、その、はじめて聞くお話が多く……」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
「ええと、謝罪など、なさらなくても……」
「ごめんなさい。でもね、クロミィ、あなたにだけは知られたくなかった」
公女さまの声色は、強く、するどかった。まるで、クロミィを責めるかのように。
「だから、わたくしは命令したのです。あのケイコという女の子と一緒に、退室するようにと」
「もうしわけございません。やはりあの日、自分が警護をはずれたばかりに……」
「ちがいます。あの日、お忍びで、警護もつけずに侍女とふたりだけで外出したい、と希望したのはこのわたくしです。クロミィの責任ではありません」
「ですが、自分は公爵閣下より任命されし、公女さまの親衛隊長です。責任はとらないといけませんから……」
「ちがう、って言っているでしょ! いいかげんにしてよ!」
こんなにも、感情をむき出しにされた公女さまを拝見するのは、はじめてのことだった。団長も顔色を変えて立ち上がり、公女さまのお手を取ろうとする。
が、それは振り払われた。
「やめて、触らないで! このわたくしに、この穢らわしいわたくしに触らないで! そう、わたくしは穢されたの、汚されたのよっ。それが、わかる? あなたたちにわかるの? もう、おしまいよっ。わたくしの人生、おしまいなんだわっ。ほとんど決まりかけていた縁談も、すでになかったことになったわ。それはそうよね、こんな汚い女を、娶ってくれる男なんて、いるわけないものねっ。ありがとうございます、このわたくしは人間世界の表舞台から消えることが決まりましたわ! 隔離された僻地の修道院で、毎日かかさず神に恨みごとをつぶやくだけの、芋虫のような人生が待っているのよっ。どうしたの、笑いなさいよ、おかしいでしょ? 指をさして、笑いなさいよ!」
「う……あ……こう……じょ……さま……」
「お父さまもわたくしを見捨てたわ! 魔族に穢されたと知ってからは、抱きしめてもくださらないし、キスもしてくださらない。お母さまもそうよ! さっきはあんなことを言ったけどね、実際にはお父さまは、わたくしを殺したくてたまらないのよっ。だって、そうでしょ? どうせ生きていても役に立たない娘だもの、孕んでいる危険がある以上は、さっさと処理したいものねっ! 顔にかいてあるわよ、さっさと自殺しろってね」
「もう……おやめに……なって……」
「あんたたちだってそうよ! さっさと死ねって思っているのでしょう? わかっているわよ、でもね、死ねないのよ、死ぬのが怖いのよ、ああ、そう、死にたくない、まだ死にたくないの、いやよ、死にたくない、いやあぁあああぁああぁああああ」
とうとう、公女さまはその場に泣きくずれられた。ヒステリックに、大声に泣きわめかれる声だけが、室内にひびきわたる。
「クロミィ、ここはなんとかする。お前は、公女さまの侍女を呼んでこい」
「ですが……」
「わからないのか、発端はお前だ、お前がいると悪い意味で刺激になる。いいから、ここはまかせておけ。早く行けっ」
そのあとのことを、クロミィはよく覚えていない。
走ったような気もするし、誰かを呼んだような気もするし、ずっと謝っていたような気もする。
気がついた時には、真っ暗な自室のすみで、ひざを抱えて座りこんでいた。
窓から、夜空が見える。
雲のすきまから見える月が、きれいだったことだけ、不思議とよくおぼえていた。




