公女殿下親衛隊長 クロミィ その2
騎士団長がうやうやしく椅子を引き、公女さまがそこにお座りになる。
公女さまはクロミィよりも四つ年下のはずだが、その落ち着いた物腰と、おとなびた外見のせいで、逆に年上に見られることも多い。
いまも公族にふさわしい態度と振る舞いで、上品な美しさをただよわせている。
クロミィは、おどろきを隠すことができなかった。
そもそも公女さまが団長室のような、野暮ったいところにいらっしゃるのは、前例がない。お座りになっているのも、公族には似つかわしくない、質素で武骨な騎士団用の椅子である。
公女さまのご意図がまったく読めなかったが、それでもクロミィは、自分自身の任務を思い出し、それを最優先させた。
「ミサキ、剣をおさめろ。公女さまの御前である」
「いやでーす」
公女さまを前にしても、ミサキの声には緊張感のかけらもない。クロミィは舌打ちをしそうになる。
「おろか者め、本来であれば、公族の前で騎士以外は帯剣など許されないのだぞ!」
「文句があるなら、おねーさんは出てくよ? 別に来たくて来たわけじゃないしねー」
「それは困りますね」
静かに応じたのは、公女さまである。
クロミィは口を閉ざして、次の言葉を待った。
「クロミィ、そこのちいさな女の子を連れて、席を外してくれませんか」
クロミィは、自分の耳をうたがった。
公女さまの様子を必死にうかがうが、その表情は完璧な微笑の仮面に隠されて、まったく読み取れない。
「クロミィ、公女殿下のご命令である。従うのだ」
団長が、無表情なままで、平坦な声で宣告する。
「で、ですが……ミサキは危険人物ですし……自分は公女さまの親衛隊長です」
「クロミィ、なんども同じことを言わせるな、出ていけ」
「だ、団長! 納得がいきません、理由の説明を! そ、そうでなくては、認められませんっ」
「はいはーい、おねーさんも認められませーん」
予想外のところから援軍がやってきて、クロミィは口をあけたまま固まった。
驚愕と困惑と激情とが脳内でミックスされているクロミィをそのままに、公女さまが静かに問うた。
「ミサキさん、ですね。はじめまして。ところで、認められないというのは、いかなることでしょうか」
「あのね、さっきも言ったけど、おねーさんは面倒ごとを避けたいわけ」
「お話を聞いていただくだけでも、お願いできませんか」
「いや、それはダメだよねー。親衛隊長のクロミィちゃんにすら聞かせられない、っていうことは、これからする話の内容がおもっくそヤバイってことでしょ、ね? さすがにそんなのはストレスがマッハだから、ハゲる前によろこんで門前払いなのが確定的に明らかかなー」
「……クロミィには、話せないわけではありません。ただ、聞かせたくないだけです」
「それはそっちの事情だよね。おねーさんに言われても困るな―」
公女さまは形の良いあごに手をあてて考えこんでいる。
一方のクロミィも、必死に考えこんでいた。
なぜ、自分が、十歳の女の子とセットで出て行くように言われたのかはわからない。
そこまでの仕打ちを受けるほど、公女さまに嫌われたのであろうか。知らず知らずのうち、おおきな失態を演じていたのかもしれないが、思いあたるものはない。
しかも、『話せるけども聞かせたくない』というのはどういうことか。そこまで、すさまじい内容の話だというのか。
クロミィとしては、退去を拒否したい気持ちは、当然ある。だが、残って衝撃の事実を聞いてしまうことへの恐怖も、ないわけではない。
経験不足なうえに融通の利かないクロミィは、このようなときにどう振る舞えばよいのか、判断がつかない。
公女さまは団長と二言三言、小声で相談したあとで、ミサキのほうに向きなおった。
「その子はどうします?」
公女さまが指摘されたのはケイコのことだったろうが、その十歳の女の子は、ミサキのスカートと一体化したかのように動く気配がない。
「だいじょーぶだよー。ケイコちゃん、おねーさんよりも口はかたいから、たぶんだけど」
「そういうことでもないのですが……よいでしょう、わかりました」
公女さまは、お話しされるご決心をされたようである。
クロミィも、最後まで聞く覚悟を、ひそかに決めていた。
「それでは、これからするお話の内容は、かならず他言無用でお願いします。……二週間ほど前のことですが、わたくしは……魔族に襲われたのです」
既知である。
正確には十二日前のことだな、とクロミィは内心でうなずいた。その日から公女さまの護衛は、父である公爵閣下の親衛隊に移されたのである。言いかえれば、クロミィが公女さまから引き離された日である。忘れるはずもない。
「その襲撃のさい、わたくしは……その……そう、呪いを受けたのです」
「はい?」
初耳である。
クロミィは、すっとんきょうな声を出してしまい、団長に目だけで怒られた。かろうじて口は閉じたものの、クロミィが知らない話は続いていく。
「その……魔族の呪い、ですが、効果がよくわかりません。その……得体のしれないものなのです。確定的なことはわからないのですが、最悪の場合……魔族のようになってしまうかもしれません。この、わたくしが、です」
公女さまは、必死に言葉を選んでいらっしゃる様子だった。クロミィにとって衝撃的だというのはわかるのだが、内容の詳細がおぼろげで、なんともつかみきれない。
それは、へらへらしているミサキにしても同様だったようである。
「で、結論はなにかな? おねーさんに、なにをさせたいわけ?」
ミサキの問いに、公女さまはひとつ深呼吸をしてから、ほんの一瞬だけクロミィを見つめたあと、静かな口調で宣言した。
「必要であれば……わたくしを、殺していただきたいのです」
「なんということを! そんなことは、いけませんっ」
クロミィは反射的に口走った。直後にミサキがつぶやく。
「うわ、めんどくさーい。死にたいなら、勝手に死ねばいいと思うなー」
「ミサキ! 貴様、なんとほざいた!」
「クロミィちゃん、ちょっと黙っててくれるかな―」
「この状況で黙るなどと――」
「クロミィちゃんは、公女さまの気持ちよりも、自分の感情を優先してるよねー」
「――っ!」
「そんな風に自分勝手だから、出ていけって言われるんだよ、ね? それとも、冷静さを欠いていることすら、自分ではわからないのかなー」
(ミサキの言い分は、正しい)
それくらい、クロミィにだってわかる。知らず知らずのうちに、血のにじむほどくちびるを強く噛んでいた。体内で荒れ狂う感情のせいか、からだがフラフラする。
グラグラする視界のなかで、団長が手で『おさえろ』と指示しているのが、かろうじて見えた。
「ちょっと、使ってないのを借りるよー」
返事を待たずにミサキが、あいている椅子を持ってきて、クロミィはそれに座らせられた。許可のない着席により、非礼をとがめられるかと思っていたが、公女さまも団長も、なにも言わない。
あとから聞いた話では、このときのクロミィは、倒れる寸前の蒼白な顔色をしていたらしい。
ミサキは勝手に、自分たちのぶんも椅子を借りたようである。
ケイコを持ち上げてそのひとつに座らせたあとで、ミサキ自身は行儀悪く、背もたれをつかむと足を開き、後ろ前に座りこんだ。
「おねーさんの意見は、さっきの通りだねー」
「わたくしのお願いを、聞いていただけない、とおっしゃる?」
「だから、勝手に死ねってゆってるでしょ、ね?」
このあたりからクロミィは頭がもうろうとしていて、会話を追うのだけで精いっぱいになっていた。
「わたくしは、死を恐れてはおりません。ですが、呪いのせいで、魔族と化し、自分の意識や自由が奪われる可能性があるのです。自分で自分を殺せる、という保証がないのです」
「そんなら、じぶんのとこの兵士か騎士にもでも、殺してもらえばいいと思うなー」
「彼らに、主筋を殺したという汚名をきせたくはありません。正体がわたくしだと知って、ためらい、失敗してしまうかもしれません」
「それで、部外者のおねーさんならいい、と?」
「それもありますが、腕前の問題もあるのです。仮に呪いのせいで、わたくしが強力な魔族に変化したら大事になります。佰魔長ていどならまだしも、仟魔長クラスになってしまっては、兵士では手に負えなくなるでしょう」
「公国軍、いまは一万人態勢だよね。総動員してフルボッコにすれば、万魔長でもなんとかなるんじゃないかなー」
「それは無理です。軍が公族を攻撃したと知れれば、公国全体が大騒ぎになります。そのような醜聞がおおやけになっては、この公国はお取りつぶしになるでしょう」
「うーん、なんてゆーか、理由が完全にそっちの事情だけだよねー。さっきもそーだけど」
「それは十分に承知しております。ですが最悪の状況下において、確実にわたくしの命を絶つことができる者、それはミサキさん、あなたしかいないのです」
「初対面なのに、なんでそこまで断言するかな、ね?」
「クロミィからの報告を聞きましたよ? 仟魔長にも一対一で勝ったのでしょう? いまお持ちのその剣も、おどろくほど白く輝いていて、高い聖力をお持ちのはずです。いま、この公国にいらっしゃるのは、まさに天の配剤かもしれません。まちがいなく、ミサキさんは現状では、この公国で最強の戦士です」
「『現状では』? ああ、つまり、他のひとを用意する時間がない、ということ?」
「その通りです。……いえ、正確ではないですね。はっきりもうしあげますと、その呪いがいつ発動するかよくわからないのです。時間があるかないのかもわかりません。ですが、わたくしとしましては、呪いがまちがいなく発動したと判明したら、ただちに『処置』していただきたいと思っています。それがいちばん安全だと思われるからです」
「えー、だるいなー、めんどくさいなー」
ミサキは椅子を前後にキイキイ揺らしている。
「それ、おねーさんはどんくらい拘束されるわけ? あんま暇じゃないんだけどなー」
「最短で、十日くらいだと思われます」
「長いと?」
「……わかりませんが、一ヶ月くらいでしょうか」
ミサキがあひるのように口をつきだしたまま、うんうんとうなっている。
「うーん、長いかな―。それに、やっぱ、おねーさんにメリットがないよね。公族殺しとかになるとさ、悪くすると他の国への出入りも禁止されるかもしれないよねー」
「この件は、父である公爵は承認済みです。もちろん、積極的に賛同はしていただけませんでしたが……仮にわたくしを『処理』したとしても、ミサキさんに迷惑はかからないよう、最善の努力はいたします」
「努力だけじゃダメだね。最低でも、その公爵さんとやらの直筆で、念書でも書いてもらわないとなー」
「わかりました、かならず用意いたします。それにくわえて、謝礼のほうも用意しましょう」
「謝礼? たとえば?」
「わたくしが用意できるだけの金貨をさしあげます。もしくは、宝石でも聖輝石でも結構です」
「いらないかなー。おねーさん、聖輝石はいくらでも自作できるし」
その返答に公女さまはすこし驚かれたようだった。騎士団長が、『相当な高位の聖法術を使えるようです』などと説明しているのが聞こえてくる。
「おねーさんの妹探しに、役に立ってもらえるとも思えないしなー」
ミサキはブツブツとつぶやいていたが、急にハッとした顔になった。
「およ? そうだ、ちなみに謝礼って前払い?」
「え? ……ええ、前金で半分、成功報酬をあとで半分、と考えていましたが」
「成功報酬? もし、呪いが発動しなかったら? なにをもって成功とするのかな、ね?」
「その呪いが無効だと判明すれば、それはある意味成功ですから、解決したとみなしてあとから残り半分をお支払いするつもりでした」
「ふむふむ。ところでその謝礼は、行動や命令でもオーケーかな?」
ミサキは、妙にニコニコしながら続ける。
「おねーさん、別にモノやおカネはいらないから。その代わり、いま、この公都にいる知り合いを、外に出してやって欲しいんだけど、お願いできるかなー」
「出す? ひとを、ですか? いくら厳戒態勢とはいえ、何も公都からの出入りを全面禁止しているわけではありませんので、通常の許可をとってもらえばよろしいのでは?」
「いやあ、実はちょっとワケありかなー。まあなんというか、身分詐称の連中なんだよねー」
公女さまに視線を向けられて、騎士団長が口をひらいた。
「つまり、その連中は、犯罪者ということなのか?」
「ハンザイ、っていうほど大げさじゃあないよ。本の買い付けに公都に来てるだけだしね。別に悪いやつらじゃないかな。ただ、外部の人間なのに、公国民のふりをしてるんだよねー」
「外国の民なのか? どこの国だ? スパイのたぐいであれば、簡単には見のがせぬっ」
「うーんとね、ある意味では、いちばん遠いとこにある国だと思うよー」
騎士団長は首をひねっている。そんななか、おとな用の椅子に座らせられ、床に届かない足をブラブラと揺らしていたちいさな女の子が、愛らしい声で訊いた。
「ねえミサキおねーちゃん、それってもしかして、さっきのわるい魔族のコスプレのひとたちのこと?」
「うん、そだよー」
部屋の空気が、一瞬にして固まったような気がした。
もともと白い公女さまの顔色が、見る見るうちに、白を通り越して鉛色になる。
騎士団長は公女さまの前なのに、非礼にも椅子を蹴って立ち上がり、かすれた声で怒鳴った。
「莫迦な……魔族だと? まさか、本物か? この公都の内部に、侵入しているというのかっ」




