村人アレグー その2
アレグーは、落胆しきっていた。
一世一代の勇気を振り絞ってミサキを夕食に誘ったのだが、
「あー、ごめん。おねーさんホントに疲れてるから、ご飯食べずに寝かせてもらうんだー」
と言って、少女は宿屋に入るやいなや、ベッドにもぐってしまったようなのである。
嫌われた訳ではなさそうである。しかし、好かれている訳でもなさそうなので、何の慰めにもならない。
そもそも、あんな美少女なのだ。性格が破綻でもしていない限り、恋人やら許嫁やらがいてもおかしくはない。自分には高根の花だったのかもしれない。
それでも諦めきれずに、今度は朝食に誘おうか、とアレグーは悩みはじめる。
もっとも、それが実行されることはなかった。
事件は、その日の夜のうちに起こったのである。
「魔族が現れたぞ!」
見張りの叫びとともに、村の中心にある教会の鐘が鳴らされる。
寝ていた村人たちも飛び起きると、男たちは武器を手に取り、女たちは子どもをつれて避難をしはじめた。
「敵は何匹ですか」
「一匹だが……どうやら、佰魔長らしい」
げっ、と誰かがうめくのが、アレグーにも聞こえた。
佰魔長というのは、文字通り、百匹の魔族を部下にもつ部隊長のことである。
什魔長は部下が十匹、仟魔長は部下が千匹であり、名前がそのまま、部下の数を表している。
このあたりは、人間の軍隊の、十騎長、百騎長、千騎長と、組織的には変わりない。
ちがうのは、その個人戦闘能力である。
たとえば仟魔長は、部下千匹と、同等の能力を持つのだ。
つまり、魔族の部隊長である仟魔長一匹と、部下の魔族千匹が『同時に』戦っても、互角の勝負になる。
仮に、人間の部隊長である千騎長一人と、部下の人間千人が『同時に』戦えば、いくらなんでも数がちがうから、千騎長は一方的に負けてしまうだろう。
そこが、最大のちがいである。
まさに一騎当千、それが魔族の部隊長なのだ。
そして今、一匹の佰魔長があらわれた。
普通の魔族の、百匹分の個人戦闘力を持っている。
おおよそ、人間の兵士一人と魔族一匹が同等の戦闘力と見積っても、百人の人間が戦う必要があるのだ。
村の人口は、八百人あまり。戦闘に適した年齢の男たちを総動員しても、百人には満たないだろう。これはもう、女や老人にも武器を持ってもらう必要があるかもしれない。
「アレグー、お前たちのような、兵役を終えて訓練済みの若い連中が頼りだ」
わかっています、とアレグーは大きくうなずいた。
アレグーは思いだす。
兵役の期間中、千騎長の指揮のもと、什魔長と佰魔長を相手に、集団で戦った経験がある。まったく想像のつかない敵ではない。
だからこそ、アレグーは訊いた。
「本当に、佰魔長ひとりなのですか? 部下の什魔長や魔族兵士たちは、いったいどこに?」
「わからない。ただ、佰魔長ひとりなのは幸いだ。部下たちを呼ばれる前に、叩いてしまおう」
(これは厳しい戦いになる)
アレグーには、それがわかった。
そもそも、佰魔長は強敵なので、本来であれば十分な準備が欲しい。
ところが、準備している間に、敵も部下の魔族を呼んで、戦力を増強するかもしれない。
だから、準備不足の状態で、速攻勝負に出ないといけないのだ。
*******
佰魔長と激突したのは、村の集落の入り口だった。
集落の内部に侵入されたのは残念だが、なんとか防禦の陣形をつくれたのは幸いである。
向こうは一匹で魔族百匹ぶん、つまり人間百人ぶんに相当する力を持つ。
人間側としては、陣形を組んで、集団戦に持ち込むしか勝ち目がないのだ。
(でかいな)
アレグーの、素直な感想である。
魔族はツノが生えていたり、キバが生えていたりするとはいえ、身体の構造は人間に近い。
身長もそう変わらないはずだが、この佰魔長は同世代の人間の中でも背の高いアレグーより、さらに頭ひとつ背が高い。しかも、体つきもすごい。腕の太さは丸太のようであり、アレグーの二倍くらいの太さがありそうである。
にらみ合っていたのは、ほんの一瞬のこと。
佰魔長が、巨大な斧を構え、おたけびをあげた。
その斧と、体の表面から、黒い煙がにじむように出てくる。
人間たちの間から、恐怖の叫びがあがった。
(想像していたより黒い……これは魔力が強いぞ)
アレグーは、自分の足が震えるのがわかった。
魔力というのは、文字通り、魔族が使う魔術の力のことを示す。
色の黒さは、そのまま魔力の強さと比例するのだ。
そして佰魔長が、大きく斧を振るう。
にじみ出る魔力が、残像のように斧の後を追って、黒い弧をえがいた。
「下がれ!」
アレグーの叫びもむなしく、斧そのものにより数人の村人が吹き飛ばされ、さらに斧が放つ黒い魔力により、別の数人の村人が苦しそうに倒れ込んだ。
それでも斧を大振りしたことで、佰魔長の脇が、がら空きになる。
そこに数人の若い村人が槍を突き出したのだが、かすり傷すらつけることが出来ないまま、槍先が弾かれてしまった。
愕然とした表情の村人たちは、佰魔長の返す斧で、さっきと同様に吹き飛ばされた。
「村長、自分が前に出ます! この佰魔長は、魔力で自分のからだを覆い、鎧のように防禦をしているのです。通常の武器では、攻撃がほとんど届きません」
「だめじゃアレグー、お前は村の若者のまとめ役じゃから、部隊長として指揮をとってくれねば困る」
「村長、あれは佰魔長の中でも強い部類です!」
さけんだアレグーが指さす先には、さきほどの攻撃で倒れて動かない村人たちがいる。
「もう十人ちかくの被害が出ています。我慢できません! 徴兵制があり、兵役があるのは、まさにこういうときの為なのですよ!」
村長の反論を聞かずに、アレグーは飛び出した。
村人の先頭に立つと、公国軍からの支給品である、剣と楯を構える。
アレグーが念をこめると、その剣と楯が、うっすらと白い光を放ちはじめる。
それを見た佰魔長が、邪悪な表情を浮かべた。
『ほう、聖法武具か。すこしは楽しめそうだ』
魔族訛りと笑いを含んだ低く太い声に、アレグーの肝が冷える。
(ちくしょう、その余裕を、お前の命取りにしてやる)
アレグーの指示で、同じように兵役経験のある村人たちが、佰魔長を半包囲する。彼らの手には、やはり白く光る剣と楯があった。
魔術を魔族特有の能力とするなら、聖法が人間特有の能力だった。
魔力は黒い光を放ち、聖力は白い光を放つ。
魔族の魔力を打ち破れるのは、人間には聖力しかない。
いま、佰魔長は魔力を鎧のようにまとって黒防禦をしている。これを打ち破れるのは、聖力を帯びた白剣のみである。黒い魔力を、白い聖力で『弾き飛ばす』しかないのだ。