逃亡美少女ミサキちゃん その1
俺の背中の、荷物が重い。
つぅのも、それはある意味で当然のことだ。なにせ、元は石ころやら金属片やらだった加工物が、リュックサックにみっちりと入ってるからな。
本当に必要な水や食料は、たいした量ではないし、別のポーチにいれてある。なので、やばくなったらリュックサックだけを切り離すことも、できなくはない。
たとえて言うなら、ミサイルポッドを満載したモビルスーツのようなものだ。ミサイルを全弾撃ち尽くせば、あっちゅうまに身軽になれる、っていうわけさ。
俺は、ふたつの細い月を右手に見ながら、慎重に夜道を進んでいた。
いや、厳密にはふたつとも月(衛星)かどうかは知らん。もしかしたらどっちか、あるいは両方が惑星なのかもしれない。地球から見たとき、木星とか金星とかもけっこうな明るさらしいからな。
なんていう、どうでもいいことを考えてるのは、ぶっちゃけ気をまぎらわすためだ。さすがに三万人以上に相当する軍隊の、敵兵士たちのあいだをこっそり抜けてく、っていうのは、かなり緊張する。
ヨヨちゃんは、俺のことを不マジメだとか心配してたけどさ、実際は逆なんだよ。
たしかに、この世界に来た当初は、本当に現実感というのが喪失してた。まるで、ゲームのなかの、仮想のできごとのように感じてたんだ。
でも、いまはちがう。
言葉とか、知識とか、技術とか……色々なものを手にして、奇妙な現実感をおぼえはじめていらい、俺の心には恐怖心というものが芽生えてたのだ。
すっげぇわかりやすくいうと、
「死にたくないです(ジャンピング土下座)」
っていうことだ。
この女体が仮に死んだら、俺の精神も消滅するんじゃないかって、本気で思いはじめてる。それほどまでに、この女体とシンクロしてる感じがある。
この感覚を、なんて説明したら、わかってもらえるだろうか。
あのバーテン姉妹は『体が覚えています』とか抜かしてたけどさ、実際はそんなもんじゃあないんだ。もっとこう……なんだ……そう、既視感だ! それに近いんだ。
みんなもあるだろ? テレビの再放送を見てて、『あ、これ見たことある』とか、友達のネタ話を聞いて『あ、これ聞いたことある』とか、そんなやつさ。それと同じなんだよ。
剣技を練習したときも、体が勝手に動いてくれる感じだったし、
言語を勉強するときも、口をついて自然と出てくる感じだった。
『ああ、そうそう、これだよ、これ! なんか覚えがある』
みたいな。
思い出して、納得して、すっげぇ不安になる。
もしかして、俺は元々、この世界の住人なんじゃないか、ってな。
(イ)太陽系第三惑星の、日本での、男子高校生としての生活。
(ロ)ファンタジー世界の、魔界での、逃亡美少女としての生活。
正しいと思われるものの記号を、回答欄に記入しなさい、って言われたとき、百パーセントの自信を持って、(イ)を選べる自信がない。
あまりにもリアル過ぎるバーチャルは、現実と区別がつかなくなる。
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感すべてが、この世界が現実だと告げてる。
俺自身、迷いと葛藤が、すごい。
ただ、それでも……
それでもアレの存在が……
荒れ狂う俺の心を鎮めてくれた。もちろんそれは……
おちんちんだ。
あの、甘くてクリーミィでとても素晴らしいおちんちん。
それはまさに、特別な存在なのだと感じました。
あの感触が記憶に残っている限り、俺の本体は男だ! と断言できる。
俺は回答欄に、確信をもって(イ)と記入した。そのペンを持つ右手は、恋人の存在を、まさに忘れてなかった。いまの一文の意味がわからないちいさなお友達は、けっしてご両親にその意味を聞いてはいけない。お兄さんとの約束だ。
さて、心のおちんちんのおかげで落ち着いた俺は、あらためて周囲の様子を確認した。
人間牧場の周囲には、テントのようなものが乱立してる。その数は相当なものだが、あまり整然としてる印象はない。野ざらしで寝てる敵兵もそれなりにいるので、テントは部隊長みたいな、それなりに高い身分の兵士ようなのかもしれない。
まあ、そのテントにしても素材はバラバラで、毛皮っぽいもの、布っぽいもの、木と草のほったて小屋に近いものもある。ぱっと見た目は、以前に写真で見た、群馬県の代表的な住居に近い感じだ。
ああ、もちろん、俺は明かりなんぞ持ってないぜ。それでも相手の姿がこれだけ見えるのは、細いといえども月が出てるからだ。当然、向こうからも俺の姿が見えるはずである。
まあ、ヤバいよな。
なにがヤバいって、この戦力差で戦うのもヤバいけど、それ以上に、戦う以上は相手を傷つけ、最悪の場合殺してしまうっていうのが、もっとヤバいわけだ。
いや、言いたいことは、なんとなくわかる。
言わなくても、ちゃんとわかる。
『お前、これまで何匹も魔族を殺してきたじゃねぇか、いまさらなに寝言ほざいてんだ。ついこのあいだだって、人間牧場の中庭で大暴れしただろ』
そう、言いたいんだろう?
俺だって、もっともな話だと思うさ。けど、これにも理由があるんだ。
やっぱ、いままでの戦闘って、現実感が希薄だったんだよ。魔族に襲われっぱなしで、色々と考える余裕がなかった、っていうのももちろんあるけどさ。
ひどいたとえ話かもしれねぇけどさ、いままでは
『小さい子どもが、遊び半分で、意味もなく虫を踏みつぶす』
っていう感覚に近かったかもしれない。いや、ホントごめん。ひどすぎるよな。
いいわけがましいけど、この女体のスペックが高すぎた、ってのもあると思う。こっちが本気で攻撃すると、向こうはあっけなく死んじまうんだ。差がありすぎたんだよ、あまりに非現実的で、それこそゲーム感覚にさせるほどにな。
でも、ちがう。いまはちがう。
魔族であるヨヨちゃんに世話になったのは、ぶっちゃけ、かなりおっきかったね。
当たり前のことだけど、魔族にだって両親や兄弟はいる。家族がいるんだよ。
俺がいままで殺してきた魔族の連中にだって、家族……いや、正確にいうと遺族になるのか、そういう存在があって、きっと悲しんだり苦しんだりしてるんだろう。俺のことを憎んでるかもしれないな。
もちろん俺にしてみれば正当防衛なんだが……さっきの話とからめると、余計にややこしいことになるわけだ。
さっきも言ったとおり、俺は
「死にたくない」
と感じてる。けど一方では
「殺したくない」
とも感じてるわけだ。
マジで板ばさみになって、俺もほとほと困り果てた。んで、そういう気持ちを、ありのまま正直に相談してみたら、
『それなら、なるべく戦わずに、ひたすら逃げてしまうのがいちばんよいですよう』
と、ヨヨちゃんがアドバイスをくれた。
まったくもって、その通りでございますです。その巨乳は伊達じゃなかった。
ってなわけで、目下、俺は一心不乱にスネークしてる。残念なことに、ダンボールはないけどな。いまも、隠れるために、なるべく背の高い草むらを、しゃがみ歩きに近い感じで進んでる。
シギ軍団の魔族兵士たちは、油断してるのか、いい感じにぐっすり寝てくれてる。うまくいけば、マジで戦闘なしでなんとかなるかもしれない。
そんなとき、不意に、音が、した。
音のぬしは俺じゃない。ガサガサ、パリパリと、目の前の草むらが音を立ててる。
草むらの背が高いから、こっちは見えないはずが、向こうがどうなってるのかも見えない。
息をひそめて、なんとかやりすごせそうかなぁ、と思った、その瞬間。
草むらが割れて、そいつが姿をあらわした。
目が、合う。
合ってしまった。
知ってる顔だ。たしか、シギの部下のグラマー姉ちゃんだ。
『……え? な、なんでよ』
これある、を覚悟してた俺とちがって、向こうは青天の霹靂だったろう。
結論からいえば、容赦なく殺すべきだった。
そうしてれば、殺す相手は、この女魔族ひとりで済んでたのだ。
でも、できなかった。短剣を抜けなかった。
相手が女だ、っていうのも、もちろんあったしな。
すこしのあいだ、ふたりとも固まってたが、それでも動き出しは、俺のほうが早かった。一気に飛び出して、その腹めがけて拳をたたきこむ。
『ひぎぃ!』
悲鳴が聞こえたが、ただそれだけだった。
この世界は、マンガやアニメとはちがう。
見よう見まねの腹パンで、相手が都合よく失神したりはしなかった。
むしろ逆効果で、相手の闘争心をかきたてただけ、だったかもしれん。
シーゼとかいう女は、憎悪のこもった目で、俺のことを睨めつけてた。
『この……クソ人間め……お前たち、起きて! 目標の人間が、逃げようとしているのよっ』
このうえなく大失敗でござる、の巻。
俺は身をひるがえし、ヨヨちゃんの助言とおりに、迷わず逃げた。
背中のほうから、ひとりではない足音と、怒声が聞こえる。そのうち、けたたましい鐘の音も鳴りはじめた。きっと、夜襲があったときの合図かなにかなんだろうな。
追手の数は、みるみるうちに数十人規模に増えたようである。
シーゼを殺さなかったせいで、ちょっと大変なことになってるな。
事態がこうなったのは私の責任だ。だが私は謝らない。
重いリュックサックを途中で背負いなおし、中から聖輝石がはいった袋のひとつを取り出すと、中身を適当にばらまきながら、俺は走り続けた。
追手のひとりがその聖輝石を踏んだのだろう、かんしゃく玉が、はじけたときのような音がする。
『いでえぇ~。足が、いでえぇよぉお~』
背後を振りかえると、見事に足をヤケドしたデブな兵士が、地面をのたうちまわってる。
つぅか、魔族の一般兵って、はだしの連中がけっこういるのだ(これはヨヨちゃんの情報通り)。あとはサンダル履きみたいのもちらほらいる。靴みたいな上等なものは、部隊長クラスでないとはいてないっぽい感じだ。
そんなわけで、忍者のマキビシよろしく、聖輝石を適度にばらまいてく。
おっての ついげきそくどを にぶらせるこうかは ばつぐんだ!
ただし、夜に白く光る聖輝石は目だってしまうので、こちらの逃走経路がまるわかりになる、という致命的な欠点もあるのだった。
手持ちの広辞苑に
「まきびし」
が載っていなかった。
そこまでマイナーなものだったろうか、これ。




