人間牧場長 センヨヨ その6
シーゼ。
それが、彼女の名前である。
女性の身でありながら、万魔長シギの副官をつとめている、
ということになっている。表向きには。
まあ副官とは名ばかりで、実際はシギの愛人である、というのが裏向きの話である。
シーゼは、まさにグラマーな体型をした若い美女であるから、もっともな話であるし、本人もそのことを特に否定していないようである。
シーゼの実力のほどは、センヨヨはよく知らない。まったくの無能というわけでもないだろうが、センヨヨより強くはないだろう、と思われた。
『シーゼはひとりですかあ?』
「そのようですが、お会いになりますか」
センヨヨはおおきくうなずいた。正直なところ、シギが一万匹近い麾下の全軍を率いて攻めてきたら、この牧場を守りきれない。相手の出かたを見て、戦闘が回避できるのであれば、そうしたいのが本心である。
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『魔王陛下に恥をかかせた人間の女を、さっさと差し出しなさいな』
応接室に通されたシーゼの、開口一番のセリフがそれである。
『……? 急に陛下のお名前が出てきたので、驚きましたよう』
センヨヨの返答の半分は演技であるが、残り半分はそうではない。
――しまったあ。
センヨヨは内心で、本気でぼやいていた。
ミサキには、これまでの経緯を、それほど詳しくは聞いていない。ミサキは言葉を話せるようになっていたのだから、もっと詳細を聞き出しておくべきだったのだ。この牧場に来るまでに、ミサキが魔族の軍勢と戦闘していたことは承知していたが、相手が魔王陛下やその親衛隊であるとは、夢にも想像もしていなかった。本当だとすれば、それは大変なことである。
『あらやだ、とぼけているの? 二度は言わないからね』
『……困りましたねえ。では、ありていに正直に話しますが、あなたが思いえがいている人間の女は、記憶喪失の上に失語症で、いままでの経緯がよくわかっていないのですよう』
『はん、言いわけはいらないわ。くわしいことはシギさまが調べるから、こっちにその女を引き渡しさえすればいいのよ』
『お断りしますねえ』
センヨヨは即答した。
『陛下に恥をかかせた女とやらが、ここにいる人間の女と同一人物である証拠がありませんよう。ひとちがいでない、という確証がほしいですねえ』
『なにそれ? あんた、なにさまのつもり? シギさまにお願いして、牧場ごと皆殺しにしてもらってもいいのよ?』
『証拠がないのか、出し惜しみしているのか、どちらですかあ? 恫喝でごまかすような、レベルの低いことはしないでくださいよう』
『……なんですって?』
『それに、人間研究をする牧場の意義を理解できないほど、知能が低いということも、まさかないですよ、ねえ?』
シーゼの顔が、怒りに震えている。元が美人なせいもあって、余計にその表情が恐ろしい。そばに控えているシク姉妹は、シーゼが暴発するのではないか、と気が気ではなかった。
センヨヨが、その声音を、急に穏やかなものに変えた。
『まあ、本当に戦う気なら、シギは問答無用でしかけてくればよいわけですからねえ。そうしないのには、理由があるのでしょう?』
返答は、ない。ただ顔をそむけただけだった。
『この交渉がうまくいかないと、あなたに対するシギの態度が、残念なことになるかもしれませんよう。話し合いがうまくいけば、それはワタシもうれしいのですがねえ』
シーゼがけわしい顔のまま、視線をセンヨヨにもどした。しばらくにらみつけたあとで、吐き捨てるように言った。
『その女を、殺せとは言われていないわ』
『陛下が、ですかあ? それとも、シギが?』
『シギさまのほうは、殺してしまいたいみたいね』
――なるほどねえ。だいぶ、読めてきましたよう。
内心の動きを、いっさい表情に出さないようにしつつ、センヨヨは提案した。
『事実関係を確認するために、該当の人間の女に、聞きとり調査をする必要がありますねえ。しばらく時間をもらいましょうかあ』
『ちょっと、ふざけないでよっ。かならず連れてこい、と指示を受けているのよ?』
『誰の指示ですかあ? 陛下ですかあ、それとも、シギですかあ?』
シーゼが、厚みのある肉感的な唇を、おおきくゆがめる。センヨヨは、ここぞとばかりに強く出た。
『その人間の女を無理やりに連れ出して、なにかあったら、あなた責任が取れるのでしょうかねえ。もし、彼女が暴れ出してケガでもしたら、どうするのですかあ? もし、彼女が恐怖で自殺を図ったら、どうするのですかあ? 取り返しのつかないことになれば、それはそれは、陛下はお嘆きになることでしょうねえ』
シーゼは、ほほをプルプルと震わせていたが、ようやくといった感じで口をひらいた。
『聞き取り調査は、一日もあれば済むんでしょうね』
『まさかあ。最低でも一週間ですよう』
『シギさまが、気が長いとでも思っているのかしら?』
『記憶喪失や、失語症の意味を知らないほど、阿呆ではない、とは思っていますねえ』
『……三日よ。それ以上は待てないわ』
『夜も寝ないでがんばって、五日というところですかねえ』
『あのねえ、本当に三日が限度なのよっ。シギさまに、三日以内って、そう命令されているのよっ』
『シククア、シクシヨ。シーゼさんがお帰りになりますよう。交渉が決裂したので、きっとシギはシーゼさんを褒めてくれるでしょうねえ』
シーゼが、射殺さんばかりの視線を、センヨヨに向けてくる。
『……四日。これが限度。一日分は、あたしがシギさまになんとか頼んでみるわ』
『ううん……まあ、ここが限界でしょうかあ。しかたないですねえ』
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「ヨヨちゃん、おつかれぇ」
シーゼが退去したあとで、ミサキが平然と姿をあらわした。
まあ、隠れて立ち聞きしているのには気づいていたので、それはよいだろう。ただ、その態度はちょっと気にいらない。
『ミサキ、まるで、ひとごとのような口調ですね』
「え? そんなことねぇよ、マジ真剣だって」
『このさいだから、ハッキリ言っておきますがねえ。たしかにミサキの話のとおり、本当は別世界の人間かもしれないし、夢の世界のできごとかもしれませんよう。様々なことをうたがっていることは理解していますが、それを確認するすべがないのも、たしかなのですよう。だから――』
「だから、マジメになれって言うんだろ? わかってるってばさ」
『――とてもそうは、見えないのですがねえ』
「まあまあ」
と、ミサキは両手をあげてセンヨヨを制した。
「たしかにさ、俺も最初のころは、アバウトだったさ、それは認める。気づいたらこの世界にいて、現実感が完全になかったからな。でも、いまはちがうさ」
『どう、ちがうというのですかあ?』
「そりゃあ、三週間もたった、っていうのもあるけどさ。言葉を学んだりとか、この世界の知識を得たりとか、剣技を習得したりとか、色々とやってみたからさ、この女体にフィットしてきた、つぅか、しっくりしてきた、つぅか、なんつぅかさ。そんな感じなんだ」
『ほほう……』
センヨヨは、思わずうんうんとうなずいてしまった。人間を対象とする研究者としては、とても気になる発言だったからだ。
「これもヨヨちゃんのおかげさ。感謝してる。ありがとな」
前のめりで話を聞いていたセンヨヨは、不意にそんな言葉を聞いて、思わずほほを染めてしまった。
『……き、急になにを言いだすのですよう。ビックリしますよう』
「あ、ヨヨちゃん赤くなってるう。かっわいいんだぁ」
『もう、なんなのですよう。なにを言いたいのですよう』
「だから、俺はここを出て行く」
ミサキは、穏やかな口調で続けた。
「さんざん世話になったし、これ以上の迷惑はかけらんねぇよ」
ゆっくりと、静かに深呼吸をしてから、センヨヨは口を開いた。
『ミサキ、伝えておきますが、ワタシもいちおうは部隊長なので、麾下の魔軍は存在するのですよう。彼らを連れてくれば、そう簡単に一方的な状況にはなりませんからねえ』
「でもそれは、ヨヨちゃんの本心ではないね。身内同士での殺し合いはイヤなんだろ?」
ミサキはセンヨヨに横顔を見せたまま、視線だけを向けてきた。
「いまさら、遠慮とかすんのやめようぜ。本音で話したほうがいいだろうさ」
魔族は、瞳の色が、黒か褐色であることがほとんどである。ミサキの緑色の瞳は、宝石のように珍しく、美しかった。それをほれぼれと見つめながら、センヨヨはおもむろに口を開いた。
『これ以上、シギとの関係をこじらせたくはないですねえ。ですが、ミサキを失いたくないも本心なのですよう。なんとかして、人間界まで送ってあげたいのですがあ』
「どれくらい、遠いんだ?」
『ここからなら、そうでもないですが……ところで本当に、魔王城で魔王陛下とひと悶着あったのですかあ?』
「魔王かどうかは知らんが、触手野郎とケンカはしたぜ」
ミサキの話をセンヨヨがくわしく聞いたかぎりでは、
『どうやら、その相手は魔王陛下にまちがいなさそうですねえ』
という結論になった。
「本当にそうなのか? あんな変態が魔王なのかよ。人ちがい、いや、魔ちがいの可能性はねぇのか?」
『魔物的な要素だけではありませんよう。地理的な要素も、魔王城の特徴に一致していますし、護衛の兵士たちも、親衛隊と見てまちがいないでしょうねえ』
「ふぅん、あんなのがアタマはってるんなら、この魔界も大変だなぁ。ところで、そのときの話、もっとくわしくしたほうがいいのか? 実際、パニクってて、あんま覚えてないんだけど」
『できうるかぎりは聞きたいですねえ。ところで、よいことをひとつだけ教えてあげますよう。この牧場から人間界までの距離は、魔王城からここまでの距離の、いいとこ五分の一くらいなのですよう。がんばれば、そう時間はかかりませんねえ』




