人間牧場長 センヨヨ その4
あの戦闘から、すでに一週間が経とうとしていた。
いまのところは平穏な日々が続いているが、いつまでもつか、怪しいものであった。
万魔長であるシギは、完全な恐怖政治を敷いている。部下の佰魔長が、勝手に単独行動できたとはとても思えないので、前回の牧場への攻撃もシギの命令によるものであろう、と考えられる。
シギの意図が正確には読めないのだが、第二波、第三波の攻撃があってもおかしくない、というのが正直なところである。
「「だから、あの女が必要だとおっしゃるのですかっ!」」
『ふたり同時に、大声を出さないでくださいよう』
「出したくもなります。だいたい、あの女だって、この館を攻撃してきたではありませんかっ」
姉のシククアが、かたちのよい眉をはねあげた。
『あの女ではなくて、ミサキと呼んであげてくださいよう』
「そのミサキが、マスターに危害を加える可能性がゼロではないでしょう。研究対象として必要ならば、ミサキを拘束してからにすべきですっ」
妹のシクシヨは、細い肩をいからせている。
『いやあ、でもう、拘束するのは不可能ですよう。だって、ワタシより強いですからねえ』
「「だから、危険なのですっ!」」
大声でキンキンする耳を押さえながら、センヨヨはちいさくため息をついた。
シク姉妹の言い分はこうである。
――今までこの人間牧場では、いちばん強いのはセンヨヨだったのである。魔族よりはるかに多数の人間たちを飼っていても問題にならなかったのは、圧倒的にセンヨヨが強かったから、という理由がおおきい。いま、ミサキによってそのルールを乱されれば、人間たちが暴動を起こすかもしれない危険がある――
『ひどいですよう、それではまるでワタシが、シギのように圧政を敷いているみたいではないですかあ』
「いえ、そうは申しませんが……たしかにセンヨヨさまは、亡きお父さまと異なり、牧場の人間たちにお優しいとは思います。ですが、人間全員が、われら姉妹のように、完全に忠誠を尽くしているわけではありません。魔界に入ったことを後悔して、人間界に戻りたがっている者たちもいるのです」
『では、どうしろというのですよう』
「ミサキに、自分の立場というものを、わからせるべきです。動物と同じで、厳しいしつけが必要なのですっ」
という姉も厳しいが、
「いっそ、ミサキを実験動物として、人体実験をしてみてはいかがでしょうかっ」
という妹は輪をかけてひどいと思う。
不意に、センヨヨの私室のドアが、軽くノックされた。
「つぅかさあ、声が筒抜けなんだけど。そぅいうの、いちおうは俺に聞こえないように話したほうが、いいんじゃねぇのか?」
『……ミサキ、この一週間で言語がすっかり上達したのは結構なことですが、言葉使いが下品ですよう』
「細けぇこというなよ。ところで午後はどうすんの? また国語の勉強か?」
『たまには、体育の授業がいいですかあ? たしかに、ちゃんとした剣技を学んでもいいかもしれませんねえ』
シク姉妹が、すばやく視線を交わし合うのが見えた。
「よろしければ、お相手をつとめましょうか」
とシククアが言い、
「いえ、ぜひさせてください」
とすぐにシクシヨがのってきた。
『およよ……』
困りましたねえ、とセンヨヨは内心でつぶやいた。
どうやらシク姉妹は、剣技の訓練をする振りをして、ミサキをボコるつもりのようである。
シク姉妹はメイドであるが、同時にセンヨヨの警護役として、ひと通りの武芸をセンヨヨの亡父から教わっている。魔族仕込みなので、人間の流派ほど洗練されていないとはいえ、魔術斬糸以外の腕前は、主人であるセンヨヨより上である。
というか、センヨヨは、斬糸以外がまともに扱えない。よくいえば斬糸のエキスパートだが、ぶっちゃけそれ以外は、からきしなのである。
少し考えたあとで、センヨヨはすぐに結論を出した。
『では、とりあえず、「受け流し」と「弾き」の基礎を指導してもらえますかあ?』
「「よろこんでっ」」
ふたり同時に笑顔でハモるのを聞いたあと、そのシク姉妹にばれないように、センヨヨはミサキに近寄ると、そっと耳打ちをした。
『ちゃんと、手加減してあげてくださいよう』
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武道場には、ゼイゼイという荒い息の音がひびいている。
音の主であるシク姉妹は、疲れ果てた様子で、剣を持ったままその場にへたりこんでいた。
センヨヨは、あひるのように口をつき出し、すこし困惑して沈黙を守っている。
「『受け流し』に『弾き』かあ。まぁ、けっこう簡単な技だけど、使い勝手が便利でいいや」
――簡単な技のわけがないですよう。
と、センヨヨはさらに口をつき出してしまった。
現に、センヨヨ自身は魔術武具どうしの「受け流し」が使えない。使えないからこそ、あきらめて通常の武具を捨てて、魔術斬糸一本に絞っているのである。
もっというと、「受け流し」が使えるほどの技量や運動能力がないのである。正直なところ、運動オンチに近いと言われても否定できない。その「受け流し」をこうも簡単に習得されてしまっては、センヨヨの立つ瀬がない。
そんな主人を救ったのは、シククアだった。
「マスター、ミサキの体さばきをみている限りでは、もともと『受け流し』を識っていたと思われます」
センヨヨは不思議そうな顔をしてしまったのだろう、シクシヨが荒い息のままで続けた。
「まちがいなく、『受け流し』をしてきた経験があるはずです。あきらかに、経験者の動きなのです。体が『受け流し』のやり方を覚えていた、と言っても良いでしょう」
『ふむう……つまり、ミサキはある種の、記憶喪失に近い状態なのでしょうかあ。きっと、言語も剣技も、昔はちゃんと使いこなせていたのでしょうねえ。そうすると、言語や剣技の上達が異常に早いのも、いちおう納得ができそうですよう』
返事が、ない。
不審に思ったセンヨヨがメイドふたりの顔を見ると、明らかにミサキを見る目つきが変わっていた。
「身体能力の高さといい、剣技の見事さといい、尋常ではありません」
「ミサキを甘く見ていました。正直、反省しております」
姉妹に異口同音に言われて、センヨヨはやれやれとひと安心しようと――
「「だから安全のために、ミサキを殺すしかありません」」
――できなかった。ほとんど呆然として、センヨヨはシク姉妹の真剣な顔を、ただただ見つめていた。
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「ナイフ、よし」
「滑り止め、よし」
「クロスボウ、よし」
「音のしない靴、よし」
「侵入用の合い鍵、よし」
「万が一の逃走経路、よし」
「暗殺の準備、すべてよし!」
『いや、あのう……』
「「あとは、マスターのご命令のみでございますっ」」
――この子たちったら、マジでやる気ですよう。
センヨヨは、心の底から嘆息した。キラキラした目を向けてくるふたりのメイドを横目で見つめて、もう一度ため息をつくと、その覚悟を決めた。
『本当に、逃走経路は用意しているのでしょうねえ?』
「マスター、われら姉妹が失敗するとでも?」
『そういうレベルの話ではないのですがねえ……』
「はっきりおっしゃってください、作戦に不備があれば改めますっ」
『そうではなくてえ……それならハッキリ言いますがあ……』
かなり迷ったあとで、センヨヨは、ゆっくりと、正直に言った。
『ミサキの寝込みを襲う、というのは、まあ悪くないですが、このワタシが、人質にされていた一時期に、そのことをすこしでも、考えなかった、とでもう?』
姉妹ふたりが、同時にまばたきを三回した。口を開いたのは姉のシククアである。
「マスター、つまりどういうことですか?」
『ミサキは、寝ているときの方が危険だ、ということですねえ』
「マスター、もうすこし詳しくお話しくださいませんか?」
妹のシクシヨに言われて、センヨヨは決断することにした。
『このさい、実際に寝込みを襲ってみましょうかあ。そうすれば、意味がわかりますよう。それから、しつこいようですが、逃走経路を再確認してくださいねえ』
ミサキが寝ているのは客間である。
合い鍵を使ってシククアが解錠しようとしたところ、扉に鍵はかかっていなかった。
その不用心さにセンヨヨはあきれて首を横に振り、
その油断に姉妹は勝利を確信して首を縦に振った。
シク姉妹が、先をあらそうように、音もなく客間に侵入する。センヨヨもしかたなく、静かに室内にはいった。
ベッドには、いびきを立てて、ぐーすかと寝ているミサキの姿が見える。
シククアがナイフを手にし、
シクシヨがクロスボウを手にした。
その、直後のことである。
〈明確な敵意を感じました〉
ミサキの、声がした。
いや、もっと正確にいうと、ミサキのような声がした。
シク姉妹が、激しく動揺して立ちすくむのが見える。この声を聞いたことのあるセンヨヨでさえ、不安な気持ちになった。
そういう印象を与える声なのである。声というより、無機質な音声といった方がよいのかもしれない。もしも幽霊が存在して声が出せるのであれば、こんな声であるにちがいないかった。
身動きが取れない主従三人の前で、むっくりという感じでミサキがベッドに身を起こした。
〈本体の意識がありません。オーバーロードシステムを起動します〉
「マスター……こ、これは……」
『静かに。余計な動きをしないでください』
センヨヨは、思わず唇をなめようとしたが、舌の方もカサカサになっていた。
ミサキが、ベッドに起きたままの姿勢で、ゆっくりと左腰の短剣を引き抜いた。
その短剣が根元から白く光っていき、夜の暗い客間を、明るく照らし出した。
〈システム起動しました。……わたしに、なにか、用ですか〉
ふたたび、声がする。剣を持つ左手は、腰のあたりのままである。そのせいで、ミサキの顔が下からの光で照らされ、幽鬼のようにひどく不気味な印象を三人に与えた。
硬直しているふたりのメイドに代わり、センヨヨが静かに口を開いた。
『また、お会いしましたねえ』
〈そうですね。あなたは前回と同じで、敵意はないように思われます〉
『このふたりも、まあ、敵意はないですよう』
〈いまは、そのようですね。さっきは、ちがったようですが〉
『本人たちも反省しているので、穏便にお願いしますよう』
〈くり返しますが、わたしに、なにか、用ですか〉
『いえ、用は特にありませんねえ』
〈では、お姉ちゃんに、なにか、用ですか〉
『いえ、そういうわけでもありません。ただ、なんというか、このふたりはワタシのメイドなのですが、この子たちにも、あなたのことを教えておこうかなあ、と思ったのですよう』
〈そうですか。それなら、もうよいですね。このような夜中ですので……〉
『わかっています、わかっていますよう。すぐに出ていきますので、ゆっくり休んでくださいよう』
すっかり硬直しているシク姉妹を無理にうながして、センヨヨは客間をあとにした。背中の方から、
〈オーバーロードシステムを終了します〉
という、無機質な音声が聞こえてきて、センヨヨはかすかに首を振ると、廊下へ出て、深呼吸をした。
『とりあえず、水を一杯ほしいですねえ。ノドがカラカラですよう』




