人間牧場長 センヨヨ その3
〈斬糸〉は細い金属繊維なので、本来はとても脆い。
それをカバーしているのが、魔力の存在である。斬糸そのものを魔術でエンチャントすることで、その切れ味と耐久性を大幅に上昇させることが可能なのだ。
くわえて、斬糸は攻撃だけでなく、防禦にも役立つ。術者の魔力の強弱にもよるが、仮に魔術武具で攻撃された場合などは、黒い魔力同士なので『受け流し』の技術を応用し、かなり強靭な防禦陣を形成することができるのだ。
――出てこなければ、やられなかったのにねえ。
しみじみと、センヨヨはため息をついた。
すでにその周囲には、十数匹の屍体が転がっている。敵の魔族兵士たちは、いかにもセンヨヨが悪いといわんばかりの、恨めしそうな視線を向けてくるのだが、当の本人にしてみれば、それが非常に不満だった。
――しかけてきているのは、そっちですよう。
センヨヨだって、本当は、殺魔などしたくないのだ。
同じ種族である魔族を殺して、うれしいはずがない。
そっちが引けば、こっちも引く。それだけのことなのだ。どうしてそれが理解できないのか。
『人間に寝返った、裏切り者めぇ!』
もう耳にタコができてもおかしくないほど、何度も言われた言葉である。
『はいはい、わろすわろすう』
ぼやきながらも、両指を繊細に動かす。青い血しぶきと悲鳴と怒号がまき散らされ、さらに屍体の数が増えた。
増えたのだが、それ以上に敵の数が増えている。
センヨヨも、ようやく事態の深刻さに気づきはじめていた。どうやら敵は、数百匹規模で兵士を送り込んできているようなのだ。なので佰魔長がいるのはもちろんのこと、下手をすれば仟魔長も来ている可能性がある。
なんとかして、状況を把握したい。双子のシク姉妹を後退させ、偵察要員として使えればよいのだが、それが今はできそうもない。シク姉妹を離脱させると、戦線が崩壊してしまう。
普段であれば、結界――つまり、黒い魔術斬糸を網のごとく、密に張りめぐらせたもののことだ――を利用して、時間を稼いだり、敵の動きを制限したりして、センヨヨひとりでも有利に戦うことができる。
現在の状況は、そうではない。
いつもはセンヨヨがみっつ、シク姉妹がひとつの、合計で四重の結界を張っているのだ。そのすべてがミサキによって破壊されたあと、センヨヨ自身が人質になっていたので、張り直しができていない。シク姉妹のぶん、結界ひとつも、現在はすでに突破されている。
結界がない上に、敵の数が多い。
斬糸をふるって敵を近づけないようにしながら、センヨヨは横目でシク姉妹の様子をうかがった。ふたりがかりなのに、佰魔長に押されているようである。
奇妙だった。
シク姉妹はセンヨヨほどではないが、魔術斬糸を使いこなせる。すくなくとも、姉妹の片方で佰魔長とわたりあえる程度の、実力はあるはずなのだ。
その直後、目の前で血祭りにした什魔長のひとりが、断末魔をあげた。
「シギさま、お助けを……ぬわーーっ!」
瞬間的に、センヨヨの心が氷点下まで冷えた。
――こいつら、あのシギの部下たちですかあ?
シギの軍団といえば、魔軍のなかでも精鋭ぞろいである。普通の魔族兵士より、最低でも五割増しだと思った方がよい。シク姉妹が苦戦しているのも理解できた。佰魔長とは名ばかりで、実際には仟魔長に近い実力を持っているのかもしれない。
センヨヨは、つとめて冷静に、脳内で優先度を再確認した。
一番は……牧場の人間たちを守ること。
つぎに……自分の命を守ること。
その、順番だった。自分のわがままで人間たちをここで飼っているのだから、牧場長として、彼らの安全は責任もって確保しないといけない。
いま、牧場の人間たちには、館近くの避難所に移ってもらっている。
最悪の場合、魔族による虐殺を防ぐため、人間たちには別の場所へ逃げてもらうべきかもしれない。人間単独で魔界を移動するのは不可能に近いから、シク姉妹に託して誘導してもらうのがよいだろう。
そういう意味では、センヨヨ自身がおとりとして、敵を引きつけておく方法がいちばんやりやすい。
……などという本音を話してしまえば、シク姉妹が黙っていない。絶対に主人と一緒にいる、というに決まっている。すこし心が痛むが、この忠実なメイドふたりも、なんとかして騙しておく必要がある。
ちなみに、念のため言っておくと、センヨヨは自己犠牲が美徳とは思っていない。
自分が死なずに済むのなら、よろこんで全速力で逃げ出すだろう。滅びの美学や玉砕覚悟の戦闘などは、豚のえさにもならない汚物だと思っている。
ひとたび生を受けた以上は、とことんあがいて生き延びるのが、生をくれたものへの恩義である、とセンヨヨは信じていたのだ。
冷えた理性と、熱い情熱を同居させながら、センヨヨは斬糸をふるうが、思わずぐちが出てしまった。
『いつも通りに四重結界を張れていればねえ。もしくは、今からでも結界を張る時間が稼げればねえ……』
「ハイ、カセグ。カラダデ」
カタコトだが、強い意志を感じさせる声が聞こえてきた。直後に、センヨヨの横を影が駆け抜けていく。影の左側は黒く、右側は白く光っていた。
『……ミサキ?』
人間離れした速度と体さばきであっという間に最前線に立つと、
「コンニチハ、シネ!」
という叫び声とともに、瞬時に三匹の魔族兵士を昇天させた。
『無茶ですよう! ひとりで突っ込みすぎぃ――』
い、の形の口のまま、センヨヨは固まった。
ごり押しとか力攻めとか、そういうレベルを超えている。
ミサキのやりようは、ほとんど制御不能の狂戦士といってよい。
この館に侵入してきたときもそうだったが、まともな戦い方をしていない。短剣二本が、強力な聖力と魔力を持っているのをいいことに、ただ振りまわし、切り刻んでいるのだ。弾きや受け流しといった技術も理解していないだろうし、そもそも普通の剣ならとうに折れているにちがいない。
「オトコハ、シネ!」
再びミサキの叫び声が聞こえてきたが、明らかに私怨がこもっている。よほど魔族軍が嫌いなのだろうか。
佰魔長の一匹が、ミサキを見つけて斧を振りおろしてくる。それをバカ正直に受けとめたミサキが、力まかせに斧を押し返すと、すごい早さで反撃に転じた。当の佰魔長も驚いただろうが、見ていたセンヨヨも驚いた。
――ああ、彼女は、人間ではないですねえ。
それを、素直に理解できた気がした。
佰魔長のほうが、頭ひとつ以上は背が高いし、腕は二倍以上も太い。なのに、ミサキは正面からそれをはね返したのだ。おまけにその後の反撃動作の、早いこと早いこと。
すごい莫迦力に、尋常ではない反応速度と瞬発力。
ミサキは見た目が可愛い少女なのに、筋力や反射神経などのスペックが、魔族の男と同等以上ということなのである。
常日頃から、きたえている人間のシク姉妹でさえ、こんな戦闘の動きはできない。こんな人間が、存在するはずはない。いっそミサキが実は魔族でした、といってくれれば、センヨヨはそれを素直に信じたかもしれない。センヨヨは、思わずちいさく身震いをした。
ミサキ周辺の戦闘は、きわめて一方的である。
個人戦闘を重視する魔族は、元来、包囲戦闘や集団戦闘が苦手である。だから数の多さを生かしきれていないのは理解できるが、それにしたってミサキが強い。
そのミサキは集団戦闘もやりなれているらしく、敵に突入するなり、敵の指揮系統は素裸にむかれてしまった。中庭に侵入した敵は完全に混乱しているし、屍体の数はどんどん増えていく。
正直、ミサキひとりでどうにかなりそうな感じがしないでもない。だいいち、ミサキがセンヨヨの前にいる以上、当たってしまうかもしれないので斬糸は使いにくい。
すこし迷ったものの、シク姉妹が佰魔長を倒せて、ひと息つけたこともあり、ここをミサキにまかせてセンヨヨは目的を果たすことにした。
『時間が必要ですう! もうすこし、がんばってくださいねえ!』
センヨヨにしては、めずらしく大きな叫び声をあげてしまう。
「ハイダラー!」
理解不能な叫びが返ってきたが、どうやらミサキはやってくれそうである。
センヨヨは扉そばの箱から新たに斬糸を取り出すと、糸に魔力をこめ、館の出入り口に結界を張りめぐらせた。
そのまま小走りにかけだすと、人間たちの避難所出入り口にも結界をかける。元からシク姉妹がかけていたぶんもカウントすれば、これで合計三重結果である。四個目はいつも自室まわりに張っているのだが、さすがに今回はセンヨヨ自身が前線に出ているので、必要ない。
結界の位置と強度を確認して、これでひと安心、とうなずくと、センヨヨは中庭を目指した。これで戦闘に専念できるはずで、息を切らしながらも、ふうふうとセンヨヨは走る。
『あららのらあ』
戻ってきて、思わず間抜けな声を出してしまった。
戦闘は、すでに大勢が決していた。魔族兵士たちは、ほぼ逃走にうつっている。シク姉妹がこちらに走ってきたので、状況を訊いた。
「あの忌々しい女、さすがに腕は立つので……」
シククアが、ひたいの汗をぬぐう。
「……強引に佰魔長だけを狙い打ちにしたようです」
シクシヨが、返り血をぬぐう。
『仟魔長は、どうですかあ?』
「いても逃げたが、もともといないかでしょう……」
「……部隊長がいないせいで、敵の指揮系統は崩壊しています」
シク姉妹が報告する。その向こうで、
「ヨクモアワレナ、オレサマヲ、オソッテクレタナ!」
という雄たけびが聞こえてきた。
――〈哀れな、自分が、襲われた〉?
どういう意味なのだろうか。
そういえばミサキはここにきたとき空腹でボロボロの外見だったが、もしかして魔族の襲撃でも受けていたのだろうか。だとすれば今になって、そのお返しをしようと戦っているのかもしれないが……この魔界に入り込んだ以上、人間が襲われるのは仕方のないことだ。
半ば呆れつつも、センヨヨはメイドに指示を出した。
『もういいでしょう。屍体の後片付けだって、大変ですからねえ。彼女を止めてくださいよう』
「「あれを……止めろと?」」
普段は絶対に逆らわないシク姉妹が、涙目である。どうしようかと困っていると、敵が完全に逃げ出した後で、ミサキの方が自分から戻ってきた。
返り血で真っ青に染まった姿で、静かにこちらに歩いてくる。
シク姉妹が、ごくりとのどを鳴らすのがわかった。
ミサキが戻ってきたとき、センヨヨは軽く肩をすくめて、
『ご苦労さまでした。助かりましたよう』
といって、両手を揃えて前に出した。ミサキの強さは存分に思い知ったのである。また拘束生活に戻るのは、いたしかたないことだ。
シク姉妹が、もともとマスターを人質に取らなければ、こんな苦戦はしなかった、とささやくのが聞こえてくる。
それが聞こえたのか聞こえていないのか、ミサキはかるく首をひねると、その両手の短剣を鞘におさめ、
ハッシと、センヨヨの巨乳を鷲掴みにした。
しばしの沈黙。
やがてミサキが二度三度と満足そうにうなずいて、
「ハラ、ヘッタ」
とつぶやくと、その手を離して、館の中に入っていった。
センヨヨは自由なままの両手を広げると、シク姉妹に向かって、今度はおおきく肩をすくめた。




