人間牧場長 センヨヨ その2
「いつまで、このようなことを、お続けになるおつもりですか」
ひどくまじめくさった顔で、シク姉妹が問いただしてくる。
『ふたりは心配性ですよう。もう一週間も、無事に過ごせているじゃあないですかあ』
「無事ぃ? どこがですかっ」
『おおきな声を出しては、いけませんよう』
センヨヨは、ちらりと自分の首元を見た。そこには当然のように、刃先が突きつけられている。
シク姉妹は、その短剣と持ち主の両方に、うらめしそうな視線を向けていた。
シク姉妹が自分のことを大切に思ってくれる気持ちは、もちろんうれしいが、
――この短剣の少女を、不必要に刺激してほしくないですねえ。
という思いの方が、正直なところ、いささか強い。
いま現在、この短剣の少女は、センヨヨと一対一であれば、すこぶる穏やかである。
最初は『スマーキ』だったセンヨヨも、いまは両手を縛られているだけの状態だ。
この館にカチコミをかけてきたときには、少女はまるで狂気におかされたかのような、すさまじい戦いぶりだった。思い出すと、センヨヨでさえうすら寒さを覚えるほどである。
なので、シク姉妹が心配するのも、もっともなこととは思われた。
もちろん、センヨヨは、百パーセントの安全を確信しているわけではない。ただ、少女の言語の習得が驚くほど早いので、もうすこしたてば意思の疎通がちゃんとできるようになるから、まあなんとかなりますよう、というのが、センヨヨの立てている見通しである。
「甘いですっ」
はっきりと言われてしまった。聞こえないふりをして、センヨヨは指示を出す。
『食事は、ふたりぶんを合わせて、大皿にすべて盛ってくださいねえ』
シク姉妹が返事をせずに、ふたりそろって軽くまゆをひそめたのを見て、つとめて静かに続けた。
『まさかとは思いますが、一服盛ってはいけませんよう。そのうたがいを持たれないよう、取り分けずに大皿のままでお願いしますねえ』
姉のシククアが、声に出さずに、唇だけを動かした。
センヨヨはそれを読み取って、ゆっくりと首を左右にふった。
はっきりいって、シククアが提案してきたように、逃亡をはかることは不可能ではない、と思っている。短剣の少女は、結構無防備なところがあるし、そもそもセンヨヨを人質にして脅迫するという行為に、あまり頓着していないようにも感じるのだ。
自分の安全と、食料が確保できれば、それで良いと思っているふしがある様子である。
なので、センヨヨ(とシク姉妹)が逃げるだけなら、いつでもどうにでもなる、でしょうねえ、と判断している。ただ、牧場に飼われている他の人間たちの安全も確保したいし、なにより必要がなければこの少女を傷つけたくない。
妙な刺激をした結果、また少女の中でスイッチが入ってしまい、館のなかで短剣を抜いて暴れまわる、という可能性が、まったくのゼロではない。
貴重な研究対象を失うだけでなく、こちらにも被害が出てしまう、そんな事態は避けたい。
『とにかく、現状は、外部の敵に気をつけるようにしてくださいねえ』
シク姉妹は、不満たらたらの顔を隠そうともしなかった。
「マスター、ひとつだけ、お訊きしたいのですが……」
と姉のシククアが切りだして、
「……まさか、事態を楽しんでいらっしゃたりはしませんよね」
と妹のシクシヨが引き継いだ。
センヨヨは、沈黙をもって応えた。
「視線をそらしましたね?」
シククアが問い詰めてくる。
『……そういえば、あなたたちの怪我の具合はどうですかあ』
「今度は話をそらしましたね?」
シクシヨが締め上げてくる。
『本気で心配しているのですよう、女の子ですからねえ。痕でも残ったら大変ですよう』
いらだちで、ほっぺたをプルプルと小刻みに震わせながら、シク姉妹が同時に答えた。
「「おかげさまで、大丈夫です!!」」
センヨヨが苦笑して短剣の少女を見ると、彼女は軽く肩をすくめてみせた。どうやらヒアリングの方もかなり上達していて、今の会話の意味も相応に通じていた様子である。
やっぱり、不思議な少女だと、あらためて思う。
いや、もっと言うと、変な少女なのだ。どうも、常識にとらわれない部分が存在している。その具体例として最たるものは、魔術と聖法の区別がついていない、ということであった。
両方同時に使いこなせること自体、きわめて異常なのに、その原理やちがいを理解できていないというのは、センヨヨの方がむしろ理解できないことだった。初めはふざけているのかと思ったが、少女が覚えたてのたどたどしいカタコトで、
「マジュツ、セイホウ、ナニソレ、オイシイノ?」
と訊いてきたことは、センヨヨの魔生の中でも一、二を争うほどの衝撃的な出来事だった。
さらには、まじめくさった顔で、
「ジブン、ホントウ、オトコ」
とか言い始めて、センヨヨを愕然とさせた。じゃあ、股間に男性器がついているのかと訊いたところ、急に声をあげて泣き出してしまい、錯乱した様子を見せたので、以後はこの話題を禁忌として、決して触れないようにしている。
ただ、よくよく考えてみると、たしかにこの少女は女らしくないところがある。
人質になっている以上、もちろんセンヨヨは一日中少女と行動をともにする。トイレに行ったり、お風呂に入ったりするときも当然一緒なのだが、なぜか短剣を突きつけている少女の方が、妙に恥ずかしそうにしているのだ。
また、ここに来たとき少女が泥だらけだったので、すすめて一緒にお風呂に入って汚れを落としてみたら、結構な美人さんであることが判明した。メイドのシク姉妹もかなり美形なのだが、凛としたそれとはちがうイメージの、可愛らしい感じの顔つきをしている。
まあセンヨヨだって女だから、このままではもったいと思って、髪の結いかたや、洋服のコーディネイトを教えてあげたのだが、少女はあまり嬉しそうな様子ではなかった。どうも外見にはこだわりがないようで、せっかくの容姿がもったいないとしか思えない。
で、結果として……シク姉妹に見抜かれたように、センヨヨはこの上なく楽しんでいる。
研究対象として、謎の多いこの少女はまさに最高の存在なのだ。そんなこんなで、今日もセンヨヨはノリノリで、言語の練習に付き合う、つもりだった。
異変があったのは、昼食の直後のことである。
『なぜ、侵入者を許したのですかあ?』
つとめて抑えた口調でセンヨヨはたずねたが、シククアは青い顔で、声を震わせた。
「申しわけございません。結界が、突破されまして……」
『シクシヨはどうしていますかあ?』
「中庭で、佰魔長以下、敵の魔族と交戦中です」
『ひとりでは厳しいですよう。すぐに、応援に行ってくださいねえ』
「ですが、マスターの警護が……」
『これは命令ですよう』
何度も振りかえるシククアをなんとか送りだすと、センヨヨは考えこんだ。どうやら、相当数の敵魔族に侵入されたらしい。
それは、珍しいことではなかった。相手が人間であれ、魔族であれ、自分より弱そうでむかつく相手には、ヒャッハー! とばかりに襲いかかる。それが魔族であり、魔界の社会常識として認められていることであるのだ。
すなわち、弱肉強食の文化なのである。センヨヨとしては、戦闘して相手より強いことを証明するか、降伏して相手の下につくことを認めるか、というふたつの選択肢があるのだが、残念なことに、後者を選ぶと自分の基本的魔権が無視されるだけなく、命の保証すらない。
よろしい、ならば戦闘だ。
現在戦闘中のシク姉妹は、その気になれば、ふたりで仟魔長とも渡り合える、と思っているし、実際に実績もある。
ただ、それはセンヨヨの結界内で、という条件がつく。ふたり単独で戦わせるのは初めてのことなのである。主人とメイドという立場とはいえ、実際には亡父のもとで、姉妹同然に育ってきたのだ。シク姉妹にはなんとしても、無事でいて欲しい。
他にも、牧場にいる人間たちのことも、問題になる。
もともと先代の魔王の指示で、センヨヨの亡父が、人間研究のために始めた牧場である。だが、『敵である人間のことを知るべきだ』という牧場の存在意義を理解していない魔族は多い。人間を見れば、何も考えずにすぐ殺してしまうような、低能の輩が多いのである。
魔王が代がわりし、父が亡くなってからは、その傾向はさらに悪化している。センヨヨが人間側に寝返り、人間を保護していると勘違いして(まあ実際にはほぼその通りなのだが)、積極的に襲撃してくる阿呆どもが後を絶たない。特に万魔長のシギとその一派は、対人間の最強硬派で、タチが悪いことこの上ないのだ。
シク姉妹を守る。牧場の人間も守る。両方やらなくちゃあならないってのが、主人兼牧場長としてのつらいところである。センヨヨが覚悟をきめようとしたとき、不意に両手が軽くなった。
視線を落とすと、両手が自由になっている。拘束していたロープが切り落とされていた。もちろん、切ったのは少女の持っている短剣である。
突然のことに、少々とまどったあとで、センヨヨはお礼を言った。
『ああ……どうもありがとうございますう……その、オレさん?』
「チガウ」
『はい? なにがですかあ?』
「オレ、ナマエ、チガウ」
『へえ? いつもご自分のことを〈オレ〉と話しているので、名前だと思っていましたよう。いい機会ですから訊きますけど、名前はなんですかあ?』
少女が、一瞬固まったように見えた。十数えるくらいの沈黙ののち、
「……ミサキ。ミサキ=ウマガイ」
という答えが返ってきた。
――間違いなく、偽名ですねえ。
センヨヨはすぐに見破ったが、偽名にしても、聞き慣れない奇妙な名前である。この世界では、こんな風に母音ばかりが続く単語は、まず存在しない。第一、発音しづらくて仕方がない。あとで時間があれば、名前の由来をぜひ聞いてみたいものである。
『ワタシを自由にしてくれたということは、状況はわかっていますねえ。敵が来ているのですよう』
「イッシュクイッパン、オトコダチ。キョウデ、ナナシュクナナパン」
意味不明の発言であるが、その意図するところは、センヨヨにもなんとなく理解できた。
『いえ、結構ですよう。ここはワタシの牧場なので、ワタシが責任もって戦いますからあ、ミサキはここにいてくださいねえ』
まばたきを繰り返すミサキを残して、小箱を手にしてセンヨヨは部屋を出た。箱から愛用の指輪を取り出すと、走りながらすべての指に装着する。
両手が縛られていたのと、この二週間練習できなかったので、すこし違和感があるが、そんなことは言っていられない。
あまり肉体労働は得意ではないので、ふうふう言いながら廊下を走り終えると、扉をあけて中庭へとおどり出た。瞬間、
『裏切り者は、死ねぃ!』
大柄な魔族が、雄たけびとともに槌を振りおろしてきた。
センヨヨが、さがって回避しながら、指輪をはめた右手をふるう。
槌を持ったまま、魔族の動きがピタリと止まった。
『さようならですねえ』
センヨヨが手首のスナップをきかせると、離れた位置にいたにもかかわらず、その魔族の四肢が切り裂かれた。
これがセンヨヨの得意技、〈斬糸〉だった。十個の指輪につながった、十本の極細金属繊維をふるって、遠距離から相手を切り刻むのである。
無言のままセンヨヨが左右の手を動かすと、たちまちに敵兵士の屍体が積み上げられる。
周囲にいた他の魔族たちが、戦慄の叫び声をあげた。




