人間牧場長 センヨヨ その1
すこし前の、話である。
――短い魔生でしたねえ。
しみじみと、センヨヨは感じていた。
いま、自分の首には、短剣が突きつけられている。相手がその気になれば、すぐにその首を掻き切ることができてしまうだろう。
もちろん、センヨヨは、まだ死にたくはない。だが、この状況では、まず抵抗もできない。
センヨヨだって身を守るべく、それなりに防禦をしていた、つもりだった。
この館の外側や室内に、メイドのシク姉妹のぶんも含めれば、四重もの防禦結界を張っていたのである。それが、この侵入者にあっさりと突破されてしまっている。
不意を突かれたのは認めるが、それにしても、相手の実力が尋常ではない。
こんな相手に、今さらどうこうできると思うほど、センヨヨは阿呆ではない。
ならばせめて、と考えたのは、人間牧場の住人たちだけでも助けてもらえないか、ということだった。
というのも、いま自身に短剣を向けている存在が、どうも魔族とは思えなかったからだ。
『あなた、人間でしょう、ちがいますかあ』
センヨヨは、できるだけ優しく、落ち着いた口調でたずねてみる。
返事が、ない。
沈黙だけが流れる。
なんだか不思議な空気だった。どうも、短剣を持った相手の方がむしろ困っている、という、そんな感じの雰囲気なのである。
動きが止まった室内に変化があったのは、ふたりの少女が飛び込んできたときだった。
「マスター!」
「いま、お助けします!」
ふたりの少女が、ほぼ同時に叫ぶ。
センヨヨはすぐに命令を出した。
『ふたりとも、近寄ってはいけませんよう。部屋に入らないでくださいねえ』
ふたりの男装メイドは、短剣を向けられた主人の姿を見て、部屋の入り口で急停止した。
そのシク姉妹は、ともに負傷しているように見えた。当然、ここにいる、この短剣の持ち主によって負わされたものだろう。
シク姉妹はそれなりの腕前だが、センヨヨほどではない。センヨヨ自身が勝てない以上、はっきりいって、ふたりのメイドがかなう相手ではない。返り討ちにあうのは、目に見えている。
センヨヨにしてみれば、妹のように育ってきたシク姉妹を、そう簡単に死なせたくはない。自分の安全よりも、メイドたちの無事を優先して、センヨヨはふたりを遠ざけようとした。
「メ……シ……」
不意に、短剣を持った存在が、声を出した。
『はい?』
「メシ……ミズ……」
『おなかがすいている、と?』
「メシ……ヨコセ……カユ……ウマ……」
『はあ、なるほど』
このときになってようやく、センヨヨは短剣の持ち主が女の子なのだと気づいた。
それが、センヨヨと、この変わった双剣の少女との出会いだった。
センヨヨは、考えていた。
どうも、目の前の短剣の少女のことが、よくわからない。
魔族の特徴がないので、まずまちがいなく、人間だろうと思われる。
センヨヨはすでに何回も人間界に調査にいっているし、牧場に何十人もの人間を飼っているので、はっきりいって人間には相当詳しいつもりだし、実際にそうだという確信がある。
ところが左手の短剣が、明らかに魔力とおぼしき黒い光を放っているのだ。
ただ、そのことは、まあ許せる範囲のことだ。というのも、メイドのシク姉妹も、純粋な人間なのに魔術が使えるからだ。
――本当におかしいのは、もう一本の短剣が、白く光っていることですねえ。
しみじみとして、センヨヨは首をひねった。
普通の人間は、聖法が使えるが、魔術は使うことができない。
魔術が使えるシク姉妹については、人間であるのに聖法が使えない。
すなわち人間というのは、どちらか片方しか使えないようなのである。
なので魔術だけ、聖法だけ、ということなら、まだ理解ができる。そのふたつを同時にあつかうなどというのは、常軌を逸しているように思えるのだ。
魔族も含めて、そんな存在は聞いたことがない。センヨヨが管理している人間牧場にも、もちろんそのような事例はない。
――もしかしたら、人間と魔族のハーフ、なのでしょうかあ。
シク姉妹が持ってきた人間用の食事を、短剣の少女はガツガツと食べている。センヨヨは慎重に観察してみたが、やっぱり、人間にしか見えない。
それにそもそも、魔族と人間のハーフに関する資料が、ない。実在するという証拠もない。それこそ伝説や神話の世界にしか、魔人のハーフは存在していないのである。
――推測を検討するだけの材料が、足りないですねえ。
ちいさく首を振ってその考えをひとまず横に置くと、つぎに、センヨヨはこれからのことを考えはじめた。
センヨヨは、いま現在、ロープでぐるぐる巻きにされている。人間界の言葉でいうところの、『スマーキ』にされているのだ。
つまり、センヨヨ自身は人質になっているわけである。すなわちこの短剣の少女は、
・センヨヨがこの館のトップであること。
・その身柄を押さえておけば有利になること。
ということを、正確に把握しているようである。だから、知能には問題がないのであろう。ただそうすると、まともに言葉が話せない、というのが、どうも不思議で仕方ない。
現に、食事を終えて一息ついた様子の少女は、センヨヨの方を、ときおり困った様子で見つめている。
――さて、どうしましょうかねえ。
センヨヨは、そう内心でつぶやきながらも、自分の顔がにやけてしまうのがわかった。
それはセンヨヨの悪癖ともいうべきものであって、死への恐怖よりも、知的好奇心の方が勝ってしまっていたのである。
とりあえず現状として、シク姉妹を除いては、自室に誰も近づけないようにしている。
そのシク姉妹に関しては、ある意味で諦めている。
このふたりのメイドは、どうもセンヨヨに心酔しているようなところがあって、たぶん自分が死ねば殉死するだろうし、どうせ止めても聞かないだろうから、このさい自分の知的欲求をみたす賭けに、とことんつきあってもらうことにしたのだ。
センヨヨは、シク姉妹に命じて、人間用の本を持ってこさせた。
それはむかし、自分自身が人間の言葉を覚えるときに使った、まさにちいさな子ども向けの本であった。
もともとは、センヨヨの亡父が集めた本のうちのひとつである。亡父は、魔界の中で人間研究の第一人者といってよい存在であった。人間を捕獲し、牧場をつくり、その文化や生態を詳しく研究していたのである。
ただ、娘であるセンヨヨと決定的に異なるのは、父親の方は、魔王の命令で人間を打倒するべく、敵を知るために研究をしていたのに、娘の方は人間そのものに興味を持って研究をしていた点だった。
はてさて、スマキ状態のセンヨヨが、なんとか首を動かしてその本をさし示すと、短剣の少女は状況をすぐに理解した様子だった。
――やはり、知能は悪くないですねえ。
センヨヨがさらに満足したのは、短剣の少女がスマキを崩し、センヨヨの片手を解放してくれたことだった。おかげで、左手で本のあちこちをさし示して、これこれと説明することができるようになったのだ。
かくして、センヨヨが教師になっての、言語の練習がはじまった。
――この短剣の少女は、本質的には敵ではないですよう。
すっかり楽天的になったセンヨヨは、言語を教えることに熱中した。
言葉がまともに話せるようになれば、この館にカチコミをかけてきた理由もわかろうというものだし、魔術と聖法が同時に使える謎の理由も、聞き出せようというものである。
室外で待機しているシク姉妹は困惑しているようであるが、もうすこし我慢してもらうしかない。そのうち、彼女たちも、この少女がそれほど有害ではないとわかってくれるだろう。
とまれかくまれ、ひと通りの言語練習が終わった。
センヨヨが判断したところ、言語の発音自体には、特に問題なさそうである。口や舌、のどには別段の異常がない、ということだ。
そこでセンヨヨが考えたのは、失語症の可能性である。
すなわち、話そうとしても話せない、以前は話せたのに話せない、そういう症状ではないか、とうたがったのだ。
なにぶん魔族と人間はしょっちゅう戦争をしているから、頭部に損傷をおって、そのような状態になってしまった魔族や人間を、しばしば目にしているのである。
ところが、少女の状態は、そういう症状とも異なっているらしい。脳には異常がないようだし、精神的なものが原因でもないようなのだ。
センヨヨはますます楽しくなってきてしまい、笑みを隠すのに、かなり苦労することになった。




