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着鎧甲冑ドラッヘンファイヤー  作者: オリーブドラブ
第二話 久水家にて、ひと悶着あり
19/103

叶わぬ恋は、真夏に溶けて

 ――小学校三年の夏休み。


 兄貴と一緒に、河川敷でキャッチボールに興じていた時のことだ。


「おーい龍太ぁ、行くぞー!」

「う、うんっ! ……あ、あれっ!?」


 当時中学二年だった兄貴の投げるボールは、キャッチボールをする感覚でも野球部のピッチングに匹敵していた。当然、一般ピープル程度の身体能力すら持たない小三の俺に、そんなもん取れるはずがない。

 しょっちゅうグローブを弾かれ、まるで昭和の特訓のような状態になっていたのだ。兄弟同士のキャッチボールで。


 ――今思えば、戦闘ロボットを素手で殴り壊せる兄貴とのキャッチボールなんて、自殺行為も甚だしい。我ながら、よく生きていたものだ。


「ふえぇ〜、またとれなかったよぉ……」

「仕方ないさ。練習したら、きっと出来るようになるよ」


 だが、当時の俺は他所のキャッチボールというものを見たことがなかったので、それが「やむを得ない」ことなんだとはわからなかった。

 ゆえに「キャッチボールとはこういうもの」、「俺はキャッチボールすらできない運動オンチ」という、間違いなのかそうでないのか、微妙な認識を植え付けられていたのだ。


 ……まぁ、そんなことはどうでもいい。このことから何か言うことがあるとするなら、それくらい当時の俺が「バカ」だったということくらいだ。

「うーん……ぼく、キャッチボールにむいてないのかなぁ」

「ま、向き不向きはあるよな。親父だって、道院長にもなって『固め技は得意じゃない』とかホザいてたし……」

「どーいんちょー? なにそれおいしいの?」

「あ、ああいやっ! お前が気にするようなことじゃないよっ!」


 この時はまだ、親父や母さんと四人一緒に暮らしていた。なのに父親や兄のことをよく知っていなかった俺は、多分かなりの親不孝者なんだろう。

 隣町に親父と兄貴の道院があったなら、両親がいる間に知る機会なんていくらでもあったはずだ。なのに、俺は何も知らなかった。

 それは親父達が隠していたからなのか、俺が無関心なだけだったのか。今さらと言えば今さら過ぎるせいで、今となっては、それを聞く気にもなれない。


 今になってその時を振り返れば、そんなことを考えさせられてしまう……という時期に、彼女は俺の前に現れた。


「あなた! わたくちのちもべになりなたい!」


 飛んで行ったボールを拾おうと、茂みに入り込んだ瞬間。


 そこで待ち構えていたかのように、小さな女の子が飛び出してきたのだ。いきなりのしもべ扱いと共に。


「わあ!」

 驚いて尻餅をつく俺を見下ろし、この頃から茶色のロングヘアだった彼女――久水梢は、ドヤ顔でこちらに迫って来る。


「ふっふん、びっくりちた?」

「……びっくりした」

「――やったぁ! びっくりちた、びっくりちた!」


 呆気に取られていた俺の反応を見て、キャッキャとはしゃぐ彼女。まるで、幼稚園児のようだった。

 一応、俺とは同い年であるはずなんだが、当時の久水は実年齢より、かなり子供っぽかったのを覚えている。背丈も、女の子ってことを差し引いても、割と小さい方だった。


「えっと、きみ、だれ?」

「わたくち? わたくちはこずえ! こずえさまってよびなたい!」

「こずえさま? ……おぼえにくいよ。こずちゃんじゃだめ?」

「だめ! こずえさまじゃなきゃだめ!」


 自分より小さい女の子だから、という理由で、子供ながらに「優しくしなきゃ」と思っていたんだろう。俺は草むらで待ち伏せしていたことを、特に追及することも怒ることもせず、彼女と友達になろうとしていた。


 ――ちなみに、この頃の俺は、今のようなボッチではなかった。男子ばかりではあるが、それなりに一緒に遊ぶ友達はたくさんいたのだ。

 そういう子達とは、「〜君」と呼んであげるだけで友達になれた。だから、いきなり湧いてきた彼女のことも「〜ちゃん」と呼んでやれば、簡単に友達になれるとでも思ってたんだろう。


 だが、「初めての女友達」としてマークしていた久水は、なかなか手強かった。

 俺の「こずちゃん」呼びを許さず、なんとか「こずえさま」と呼ばせてやろうと、やたら強情に俺を言いなりにしようとしていたのだ。


「おおぅ!? まさか龍太に初カノか!? 俺を差し置いての初カノか!? いいぞいいぞもっとやれ! 押し倒せっ!」

 俺が女子と絡むのが初めてというだけあってか、遠くで見ていた兄貴も妙なテンションで荒ぶっていた。……この日の夜、親父と母さんに嬉々として語っていたのは言うまでもあるまい。

「りゅーたん? あなたはりゅーたんっていうの?」

「りゅうた、だよ。りゅーたんじゃないよ」

「ようし、きょうからあなたはわたくちのちもべよ、りゅーたん!」

「だからちがうってば……」


 ――その日から、薮から棒に俺をしもべ扱いする、その女の子に連れ回される毎日が始まったわけだ。

 特にお互い約束を交わしたわけでもなく、ただ何となくという感覚で、俺達は決まった時間にいつも同じ河川敷に集まっていた。

 あの子と遊びたい。この時にここに来れば、あの子に会える。互いに、そう思い合っていたのかも知れない。


 ままごと、追いかけっこ、かくれんぼ。二人でも出来る遊びは、とことんやりつくした。そして町に出掛けては、商店街でおじいさん達に「小さなカップル」などと持て囃されたこともある。

 ……もっとも、その都度彼女は「ちがうもんっ!」と顔を赤らめて俺を蹴飛ばしていたのだが。


 ――意地っ張りでわがままで、自分の意見を曲げない頑固者。それが、今も昔も変わらない、彼女への印象だ。

 普通なら、めんどくさがって関わるのを嫌がるような子だったのだが、俺は彼女のことが気になって仕方がなかった。


 だから、どんな無茶な遊びや探検にも付き合った。兄貴も、「いい機会」だと言うだけで、特に干渉してくることはなかった。


 大きな飼い犬に喧嘩を売った彼女のとばっちりで、逆に二人で追い掛けられたり。町のガキ大将を、「女の子」であることを武器に川に突き落とす作戦に付き合わされたり。


 やってる最中はとにかく必死だったのだが、そのピンチを乗り切った後の快感は格別だった。いつも俺に甘かった兄貴や、他の男友達との遊びでは、到底味わえないスリルがそこにはあった。

 そうして俺達は、ふとしたことで顔を見合わせては、互いに笑い合う日々を送っていた。


 今までにない楽しみを提供してくれる。それが嬉しかったから、俺はいつも彼女に付き添っていたのだろう。


 ――彼女は見掛けない顔だったから、この町の住民ではないことは明白であった。しかし、彼女がどこから来た子なのかが気になることはなかった。

 そんなことを気にしていたら、楽しめるものも楽しめなくなる。子供ながらに薄々そう感じていたから、俺は彼女に出身を問うことはなかった。


 だから、俺は何も考えなかった。


 なぜ、彼女が「しもべ」としている俺との遊びにこだわっていたのか。

 なぜ、彼女は河川敷のあんなところにいたのか。

 なぜ、彼女と遊んでいると、こんなに楽しいのか。


 その理由を考えること自体を放棄して、俺は彼女との日々を好き放題に謳歌していた。それでいいと、信じて疑わなかった。


 ……だが、彼女の方は違っていた。


 ある日を境に少しずつ、表情に陰りが見えはじめていたのだ。


 最初は、夕暮れを迎えて別れる際に、少し寂しげな横顔が見えたくらいのことだった。

 しかし、そんな顔を見かける時間は次第に増えていき、最後は河川敷に集合した時から既に、曇りきった面持ちになっている程であった。

「こずちゃん、大丈夫?」

「うるたい! りゅーたん関係ないっ! それとっ、いつになったら『こずえさま』って呼ぶの!?」

 だが、理由を訪ねても、決して答えることはなかった。


 ――それでも、俺は彼女を諦めなかった。

 彼女が好きだったからだ。いろんな冒険をさせてくれる、俺を楽しませてくれる彼女が。

 いつしか、俺は「楽しいから」彼女に付き合っていたのに、気がつけば「彼女が好きだから」付き合うように変わっていたのだ。

 きっと、その頃からだろう。自分自身の、そんな気持ちに気がついたのは。


 気持ちが暗く、理由を訪ねても答えてくれない。なら、そんなものを吹き飛ばすくらい、明るく振る舞えばいい。

 直感的にそう判断した俺は、彼女を励まそうと、敢えて能天気に振る舞った。くよくよしてるのがバカらしくなるように、と。


 そんな俺を見ていた久水は、やがて水を得た魚のように、俺を弄りはじめる。そして、その時にようやく、彼女は以前のような笑顔を見せていたのだ。


「きゃはは、りゅーたん、ほんとにおバカ! なんでそんなにおバカなの?」

「こずちゃんがだいすきだからだよ」

「えっ……? だ、だめ! わたくちたち、まだこどもだもん! おとなにならないと、けっこんできないもん!」


 ……我ながら、結構とんでもないことを口走っていたもんだ。まぁ、向こうも子供ゆえか、割と単純に喜んでる節が垣間見えてたから、それは良しとするか。

 ちょっとわがままで活発で、意外に恥ずかしがり屋で。そんな彼女と一緒にいる時の俺は、堪らなく幸せだった。


 ――だが、そんな時間すらも長くは続かなかった。


 彼女の面持ちが微妙に暗くなりはじめた日から、二週間ほど経った頃。


 いつも来ていた河川敷には、彼女はもう……いなくなっていた。


「こずちゃん? どこ?」


 辺りを見渡し、名前を呼んでも返事はない。涙目になりながら、初めて出会った茂みを捜しても、姿はない。


 ――とうとう、自分と遊ぶことに飽きてしまったのか。

 そんな考えがふと過ぎり、気がつけば、俺は独りでむせび泣いていた。


 そして、そのままたった独りで夕暮れを迎えた後、俺はとぼとぼと帰路についていた。

 一日彼女に会えなかったというだけで、俺の胸にはぽっかりと穴が空いてしまったのだ。えもいわれぬ寂しさを肌で感じつつ、俺はぼんやりとした気持ちで町を歩いていた。


 ――その道中、近場のガソリンスタンドを通り掛かった時。


「……あっ!?」


 そこに停まっていた白塗りの長い車……即ち「リムジン」の窓に、あの姿を見たのだ。


「……!」


 何かを考える前に、俺は走り出していた。そして気がついた時には、俺は車窓の奥にいる彼女へ手を伸ばしていたのだ。


「こずちゃん!? こずちゃん!」

「えっ……りゅーたん?」

 向こうは驚いたように目を見開くと、慌てて窓を開いてこっちを覗き込んできた。湖のように澄んだ丸い瞳が、俺の視界に煌々と映り込んでいた光景は、今でも鮮明に焼き付いている。


「こずちゃん、どこいくの?」

「……とおく。うんと、とおく」

「とおく? もう、会えないの?」

 泣きそうな顔で訪ねる俺を見た彼女は、どうすればいいかわからない、という様子で俯いていた。

「梢、もう行きますよ。あら、お友達?」

 その時、彼女の母親らしき人が車の陰から顔を出して来る。その傍にいた初老の男性は、恐らく父親だったのだろう。

「茂も、片付けで疲れて眠っておるし、早く出発してホテルに行かねばならん。梢、早くさよならしなさい」

 諭すような口調で、男性は久水を説得しようとする。そのやり取りで、俺は子供心に「別れの時」が近いことを覚らされようとしていた。


 彼女がいなくなる。そう考えた途端、頭の中からサーッと体温が抜けていくような感覚に見舞われた。

 恐らく、「頭の中が真っ白」になるという現象だろう。


「いなくなるの?」

「うん……わたくち、かえらなきゃいけないから」

「そんなぁ……」


 瞬く間に目元に涙を浮かべた俺は、現実を突き付けられたショックから、彼女から目を逸らすように俯いてしまった。


 個人的には、引き留めたかったはずだ。彼女の後ろで苦笑いしている両親が見えなければ。


 ここでわがままを言っても、彼女達に迷惑が掛かる。何となくそう感じていた俺は、「本音を押し殺すこと」を学ばざるを得なかった。


 ――やだよ、いっしょにいたいよ! ぼく、こずちゃんが大好きなのにっ!


 ……そんな想いを、声を大にして言えたなら。今よりは、歯痒い思いはしなくて済んだのかもな。

 どうやら俺は、ガキの癖して利口過ぎたらしい。言えたかも知れない「わがまま」を言わなかったがために、彼女を引き留めようとすらしなかった。


「……ねぇ、こずちゃん。あ、じゃなかった、『こずえさま』」

「さいごくらい、こずちゃんでもいいよ」

「そ、そっか、えへへ」

 せめてわがままを言わない代わりに、何か気の利いたことを言ってやろうと考えた俺は、彼女が望んでいたはずの「こずえさま」呼びを実行してやった。……が、それは敢え無く空振りに終わる。


「こずちゃん、ぼく、やっぱりこずちゃんがすきだな。こずちゃんは、ぼくのことすき? きらい?」

「えっ! えーっと、えぇーっと、す、す、す……!」

 別れ際に、気持ちを確認しておきたかったのだろう。俺は向こうの両親が見ている前だというのに、なりふり構わず告白を敢行していた。

 もし好きになってもらうことが出来れば、いつかまた会える。そんな根拠のない夢を、胸中に詰め込んでいたからだ。


 向こうは顔を真っ赤にして、なんとか返事をしようと必死になっていた。「す」という最初の言葉から予想される展開に、俺は期待を溢れさせていたのだが――


「……ふ、え、えぇえぇえええぇんっ!」


 ――答えを聞く前に、彼女は大声で泣き出してしまった。


 何が起きたのかわからず、今度こそ完全に「頭の中が真っ白」になってしまう。彼女の両親はあわてふためきながら俺に一礼すると、使用人らしき男性にさっさと車のエンジンをかけさせ、ガソスタから走り去ってしまった。


 ……俺は、その後ろ姿を見送ることもせず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかったのだ。

 告白をして、返事を貰えるのかと思えば、酷く泣かせてしまった。何が原因かは今でもまるでわからないままだが、俺の何かに起因して起きたことだという点だけは、きっと紛れも無い事実なのだろう。


 ――そう。俺の初恋は、この時に散ったんだ。

 ふと知り合った、破天荒で時々かわいい女の子。久水梢にフラれる、という形で。


 ……それからしばらくして、近所や友達の噂話に耳を傾けていくうちに、俺は彼女のことを少しずつ知っていった。


 彼女ら久水家は、家族旅行の帰路につく途中、故障した車の修理のために松霧町に立ち寄っていたのだという。

 そこでの修理が難航していた上、娘の「こずちゃん」が自然溢れる町並みを気に入っていたため、彼らはしばらくここに滞在していたのだ。


 だが、資産家の娘、というのは友達作りが上手くはなかったらしい。

 決して悪い子ではないはずなのだが、高慢ちきな性格が災いしてか、この町の子供達からはつまはじきにされていたのだとか。

 いつもそのことでいじけては、河川敷の茂みに隠れていたのだそうだ。


 そして……彼女の行動に付き合っていた同年代の子供は、どうやら俺だけだったらしい。

 もしかしたら。もしかしたらだが、彼女がやたらと俺にこだわっていたのは、相手にしてくれる子供が俺しかいなかったから……なのかも知れない。


 その俺とも別れ、彼女は自分の居場所へ帰って行った。結構なことじゃないか。

 きっとそこなら、彼女を受け入れる世界があったはず。たまたま、ここの在り方に合わなかった、ってだけのことだろう。


 ……そう。だから俺はもう、「用済み」なんだ。

 彼女に付き合い、一緒に遊ぶ相手になってやった。俺が望めたのは、最初からそれだけだったんだ。

 いつまでも一緒にいたい、だなんて、身の程知らずも甚だしい。


 最初から叶わない恋だったんだと思い知らされた俺は、その頃からますます女子との関わりを避けるようになっていた。

 自信をなくしたから、というのが一番率直な動機だろう。

 俺なんかが恋なんて、出来るわけがなかったんだ。何を勘違いしていたんだ。……そんな風に、いつも俺は自分をケナして、自重していた。


 ……多分、矢村や救芽井に会うことがなければ、俺は女の子とほとんど口を利かないまま、大人になっていたのかも知れない。

 そんな灰色の人生から、もしかしたら脱出しつつあるのかも……なんて思い始めていた矢先に、まさか俺にとっての「失恋の象徴」がご降臨なさるとはな。


 ――今の彼女と、どう向き合うか。俺があの日の失恋を乗り越えられるとするなら、そのチャンスは今しかない。



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