第七十九話
店を後にした美咲は町の中を歩き回っていた。
どこか座ってケーキを食べる場所はないか探していた。
「お、あそこのベンチがいいかな」
噴水の近くにベンチがあり、大きな木が日陰になっており気持ち良さそうだ。
ベンチに腰掛けようとした時、異質な光景に目を奪われた。
穴の開いたシャツに靴底が割れてしまった靴。
目が隠れるほど伸び放題でボサボサの髪をした少年だった。
整った町並みとは明らかに不釣合いだった。
人目を盗んで必死にゴミ箱を漁っている。
向こうからは木の陰になってこちらが見えていないようだ。
「ねぇ、一緒にケーキ食べる?」
驚かさないように、こっそりと近付いて声を掛けた。
少年は大きく肩を震わせて、勢いよく振り向いた。
かえって驚かせたようで、美咲を睨みつけた後すぐさま駆け出した。
「あっ!待って!」
少年を見失わないように美咲も走り出した。
小柄な少年は建物の間を縫うように駆け抜ける。
走ることが苦手な美咲は風魔法を駆使しながら追いかけた。
中心地から離れていくにつれて、町の様子が徐々に変わっていく。
舗装された道から砂利道に変わり、足が取られて転びそうになる。
「ここは、貧困街?」
少年を追いかけて走り回るうちに貧困街に入ってしまったようだ。
どの家も屋根の一部が欠落していたり、壁に穴が開いていたりとボロボロだ。
強風が吹くと砂が舞い上がり、剥がれかけた屋根が音を立てて震えている。
「あ、見つけた」
先ほどの少年が一軒の軒下で肩を大きく上下させて呼吸を整えていた。
逃げ切れたと安心しているのか、ホッとした表情を浮かべている。
少年に近付こうと歩き出して、ふと足を止めた。
不用意に近付くと、また怖がらせてしまうのではないだろうか。
急に知らない人に声をかけられたら、誰だって驚くだろう。
今度は驚かせないように、離れたところから声をかけた。
「あの~」
少年は美咲に気付くと、睨みつけながら身構えている。
少しでも油断すると噛み付いてきそうだ。
「違うの!君を捕まえようとか思ってないから安心して、ね?」
依然として少年は黙り込んで睨みつけている。
どうにかして警戒を解かなければと慎重に言葉を繋いだ。
「えっと、この箱が何だかわかる?」
美咲は先ほど買ったケーキの箱を自身の顔の横に掲げた。
しかし、少年からは全く反応がない。
美咲はそのまま話し続けた。
「なんと!中に美味しいケーキが入ってます!」
少年の眉が僅かに動いた。興味を示しているようだ。
その反応を見逃さなかった美咲は畳み掛ける。
「多めに買ったから一緒に食べない?」
少年は無言で頷いた。
心の中でガッツポーズをして、少年の隣に座った。
少年は箱の中身に興味津々で、逃げる様子はない。
「じゃじゃーん」
美咲が箱を開けると、少年は目を大きく見開いた。
中には色とりどりの可愛らしいケーキが入っている。
少年は喉を鳴らして、勢いよく美咲を見上げた。
少し釣り目の丸い瞳が前髪の間から覗いている。
「好きなの取っていいよ」
少年は箱の中に手を突っ込むと、手でケーキを掴みそのまま口に運んだ。
よほど気に入ったのか2口3口と食べ続けた。
その様子をしばらく見つめた後、美咲も箱の中からケーキを取り出した。
銀紙に載ったケルマケーキを膝の上に置き、使い捨ての木製スプーンで口に運ぶ。
甘さが口いっぱいに広がる、懐かしい味。
行列に並んだ甲斐があったというものだ。
「そうだ、名前は何ていうの?」
「……グレイ」
少年、グレイは初めて声を発した。
まだまだ幼さの残る高い声だ。
食べ終えたグレイは手に付いたクリームを舐めている。
「グレイ君か、カッコいい名前だね」
「別に普通だよ」
グレイはそっけなく答えた。
元々が冷めた性格なのか、まだ警戒しているのだろうか。
「いつもあんなことしてるの?」
あんなこととは、ゴミ箱を漁ることだ。
グレイも理解しているようで黙って頷いた。
「家にお母さんと僕しかいないから、自分の食べる物は自分で何とかしないと」
いわゆる母子家庭ということだ。
残飯を漁らなければならないほど、貧富の差が激しいとは知らなかった。
こんな小さい子供を犠牲にして、自分達は豊かな生活を送っていたのか。
何とかしたいと思ったところで、今の自分が声を上げても相手にされない。
国王の娘といっても、ただの飾りだ。
急に現れた王女の話など誰が聞く耳を持つだろうか。
美咲を通して父親と話してるのであって、美咲自身と話をしているのではない。
毎日のように貴族と会食をして、それを嫌になるほど痛感した。
「ねぇ、もっと食べてもいい?」
物思いにふけっていた美咲はグレイの声で我に返った。
グレイは物足りなそうにケーキの箱を指さして、美咲を見つめている。
子ども好きの美咲はグレイの仕草で雷に打たれたような衝撃を覚えた。
「ぜーんぶお食べ」
自分の食欲など、どうでもいい。
もっと食べさせてあげたい衝動に駆られて、箱ごと差し出した。
「その子から離れなさい!」
グレイの食べっぷりに見惚れていた美咲は背後から聞こえた声で我に返った。
振り返ると、水で満杯になったバケツを両手に持った女性が美咲を睨みつけている。
「その恰好、貧困街の人間じゃないね?」
「あ、お母さんですか?」
美咲は自分のケーキを傍らに置き、素早く立ち上がった。
小走りで母親に近付き、深く頭を下げた。
「お子さんとは繁華街で、わぷっ!」
母親は左手のバケツを地面に置くと、右手のバケツを両手で持ち美咲にぶちまけた。
頭から水を被った美咲は全身びしょ濡れになってしまった。
「お母さん!違うよ、その人は--」
「帰って!2度と息子に近付かないで!」
グレイの言葉に一切耳を貸さず、母親は声を荒げる。
こうなってしまっては何を言っても無駄だろう。
美咲は顔を上げて、濡れてグシャグシャになってしまった髪をかき上げた。
「申し訳ありませんでした」
再び頭を下げる。今度は謝罪のためだ。
かき上げたはずの髪がまた落ちてくる。
最近、似たような感覚になった気がする。
そうだ。レイムに偽善者と言われた時もこの感じだった。
美咲は頭を上げると、すぐさま踵を返す。
一切振り返らずに貧困街を後にした。