第七十三話
「生誕祭?」
美咲は食事の手を止めて、母親の言葉を繰り返した。
少食の母は既に食事を終えており、食後の紅茶に口を付けている。
「ええ、あなたにはクリスマスの方がわかりやすいかしら?」
クリスマスといえば、キリストの降誕を記念する日だ。
この世界では人類が初めて誕生した日となっている。
「クリスマスかぁ……」
現代にいた頃は兄と二人で聖夜を迎えていた。
ホールケーキを買い、余った分は次の日に食べていたものだ。
翌日のケーキは格別に美味しく感じたのを覚えている。
「姫様の世界では変わった呼び方をするようですね」
斜め前の椅子に座り、器用にフォークを使うレイブンが口を開いた。
その隣では朝にも関わらず、皿を何枚も重ねている恭輔が座っている。
国王である父の意向で、恭輔とレイブンも城にいる間は一緒に食事をすることになった。
その父は昨夜の飲み過ぎが祟り、朝食を摂れない状態なので部屋で休んでいる。
「レイブンさん、話し方は普段通りでいいですよ」
急に姫様と言われても違和感を感じる。
今まで旅をしてきた仲間に言われると尚更だ。
「それでは、お言葉に甘えて……美咲ちゃんの世界と、この世界は似たような風習があるみたいだね」
レイブンの言うとおり、クリスマスと生誕祭は非常に似ている。
生誕祭ではサンタクロースの格好をするらしい。
クリスマスプレゼントは存在しないが、なぜかサンタの格好をするという。
「行きたいなぁ、城下町……」
生誕祭ともなれば、町の賑わいは相当なものだろう。
ぜひとも見たい。
しかし、ドレスで行けば人の視線を集めてしまう。
そうなれば生誕祭を楽しむどころではないだろう。
諦めるしかないのだろうか。
悲しそうに窓の外を眺めていると、母が小さく笑った。
美咲はそれに気付き、首を傾げた。
「仕方ないわね、今日だけは特別よ?」
「え?」
「もちろん、お父さんには内緒でね」
母は悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべている。
その笑顔からは40歳を超えているとは思えない。
美咲は勢いよく椅子から立ち上がった。
その衝撃でテーブルの上のグラスから水がこぼれる。
「行ってもいいの!?」
「ええ、だから落ち着きなさい」
こぼれた水をジュリアが拭いている。
その光景を目の前にして、美咲は大人しく椅子に座った。
「だってさ、恭輔」
「は?」
いきなりレイブンに話を振られ、恭輔は間の抜けた返事をする。
脈絡もなく言われてしまえば、仕方ないことだろう。
「美咲ちゃんの護衛は君の役目だろう?」
コーヒーカップを傾けながら、さも当然という顔をしている。
恭輔としても言われる前から付いていくつもりだった。
しかし、一つだけ気になることがある。
「お前は――」
「僕は大切な用事があるから無理なんだよ」
レイブンは聞かれるであろうことを先に答えた。
その予想が当たっていたようで、恭輔は口を閉ざした。
「恭輔が護衛でよろしいですか?」
恭輔から不満の声が上がらないことを確認して、レイブンは王妃に了承を得る。
王妃は微笑みながら頷いた。
「ええ、反対する理由がないわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
当人である美咲を置いて話は進んでいく。
それを防ごうと美咲は話に割り込んだ。
「別に護衛なんて必要ないんじゃ――」
「それは駄目よ」
美咲が言い終わる前に母の鋭い声が上がる。
普段とは異なる声質に、美咲は黙り込む。
「結界を張っても絶対に安全とは言い切れないの」
「貧困層ですか?」
レイブンの指摘に、ためらいながらも王妃は頷いた。
王族としては知られたくない事実なのだろう。
「貧しさに耐えられず、狼藉を働く者もいるのよ。認めたくないけどね」
王妃は悲しそうに呟いた。
王国といえども全ての人が平等に暮らせるわけではない。
貧富の差が出ることは仕方ないことだ。
「でもね、それだけじゃないの」
まだ不安要素はあるのだと、王妃は付け加えた。
三人の視線が王妃に集まる。
「ウィンズヘイムは知ってるかしら?」
王妃の視線はレイブンと恭輔に向けられている。
美咲が知らないというのは前提としてあるようだ。
実際、聞いたことのない名前だった。
「セントリアの裏側に位置する国ですよね?」
世界中を旅するレイブンは、やはり知っているようだ。
恭輔も思い出したようで、レイブンの言葉に頷いている。
話の内容が理解できていない美咲に、ジュリアが丁寧な説明をしてくれた。
ウィンズヘイムはセントリアに次いで軍事力を持っている。
セントリアが議院制なのに対して、ウィンズヘイムは国王の独裁政治が特徴だ。
また、セントリアに強い対抗心があり、一方的にライバル視しているらしい。
その強大な力で周辺の町を強引に領地化しているとのことだ。
「そのウィンズヘイムが魔王軍と協力関係にあるという噂が入ったの」
「魔王軍と?」
初めに反応したのはレイブンだった。
元魔王軍である彼も知らなかったらしく、怪訝な顔をしている。
「刺客が町にいる可能性もあるから、美咲一人じゃ心配でしょ?」
「うーん、そういうことなら仕方ないね……」
そう言われると、町に出ることが不安になってくる。
美咲の不安を察したのか、母が優しく微笑んだ。
「大丈夫よ、町には警備兵だっているんだから」
「う、うん……」
不安にさせたのはあなたです。
その言葉を飲み込み、美咲は着替えるために席を立った。
☆★☆★☆★
「お気を付けて!」
美咲と恭輔は警備兵に敬礼で送り出された。
美咲は歩きながら右手を振る。
坂の傾斜で警備兵が見えなくなり、美咲は前方に顔を向ける。
空は雲が多く、少し肌寒い。
「やっぱり私服が一番だよね~」
ドレスの動きづらさから解放され、両手を上に伸ばす。
いつも通りの白いブラウスにショートパンツ、レイブンが買ってくれたショートブーツは非常に動きやすい。
城下町の様子が確認できる位置まで坂道を下り、二人は足を止めた。
昨日とは違う町の様子に、恭輔は呆気にとられている。
「これは、すごいな……」
大通りは人で埋め尽くされていた。
昨日の時点で人の多さに嫌気が差していた恭輔は、人混みを眺めただけで顔をしかめる。
「それじゃ、行こっか」
美咲は強引に恭輔の腕を引っ張り、人混みに向かって歩き始めた。
背後で恭輔が何か言っているが、騒音で何も聞こえない。
このままでは買い物もできないので、とりあえず人の少ない場所まで進むことにした。
美咲と恭輔は人の往来が少ない公園の近くで足を止めた。
それは大通りに比べて少ないというだけで、昨日に比べれば賑やかだった。
「なんか……疲れたな」
恭輔は近くのベンチに腰を下ろした。
美咲も隣に座り、深く空気を吸い込んだ。
すると、甘い香りが美咲の鼻をくすぐる。
それは前方の屋台から出ているようだ。
「ごめん、ちょっと待ってて」
そう言い残して、美咲は屋台を覗き込んだ。
中では中年男性が額に汗を浮かべて、作業している。
「何を作ってるんですか?」
「ああ、ケルマ飴だよ」
「ケルマ飴?」
聞いたことのない名前だった。
漂う香りはバニラアイスに近く、甘党にはたまらない。
「この地域じゃ採れない果物だからね、知らなくて当然だよ」
屋台の主人は丁寧に説明をしてくれた。
ケルマ飴はケルマの実の果汁を固め、成型した特産品らしい。
富豪が買い占めることもあるほどの名品とのことだ。
「生誕祭は必ず出張販売するんだ、食べてみるかい?」
「はい、お願いします」
美咲は城を出るときに母親から貰った小遣いを取り出した。
正直、一日で使いきれる金額ではない。
城で働く全員のお土産を買っても余るだろう。
「はいよ、出来立てのケルマ飴」
「ありがとうございます」
主人に渡された品物は水飴だった。
この世界では水飴は珍しいようだ。
甘い香りに耐えられず、美咲はケルマ飴を口に運んだ。
「うんっ! 美味しいです!」
「そりゃよかった。お嬢ちゃんほど美味そうに食べる人は初めてだよ」
主人は嬉しそうに笑っている。
満面の笑みを浮かべる主人を見て、美咲も自然と笑顔になる。
「美咲、いつまで話してるんだ?」
恭輔が不機嫌そうな声を上げている。
ベンチから立ち上がり、歩く準備は出来ているようだ。
「ごめん、今行く!」
美咲は急いで残りのケルマ飴を口に含んだ。
ゆっくりと味わうこともできず、飴を飲み込む。
セントリアでは食べることができないので、帰りにお土産として買うことにした。
「またあとで来ますね!」
「おう、待ってるよ」
美咲は既に歩き始めている恭輔に、駆け足で追いついた。
その後ろ姿からは不機嫌な様子が窺える。
長時間待たせたつもりはなかったが、恭輔には耐えられなかったらしい。
自分に非があるのは明らかなので、友人の絵里香に教えてもらった謝り方を試すことにした。
「ごめんね、怒らせちゃった?」
恭輔の前に回り込み、上目遣いで小首をかしげる。
絵里香曰く、美咲は憎たらしいほど上手いらしい。
もう一人の友人である雪穂には、あざといと一蹴された。
美咲の仕草に、恭輔は仰け反った。
しかし、すぐに体勢を立て直して咳払いをする。
「別に、怒ってるわけじゃない」
恭輔は表情を全く変えずに、美咲の横を通り過ぎる。
動揺しているのか、右手と右足・左手と左足が同時に出ている。
美咲は込み上げる笑いを堪えながら、恭輔の後ろに付いて歩き始めた。
商店街に差し掛かり、すれ違う人が増えてきた。
その区画はケーキを扱う店が集まっており、華やかな飾り付けの店が多い。
店に入らずとも、通りを歩いているだけで楽しめる。
「あれ?」
美咲は一軒の店の前で足を止めた。
その店は生誕祭にも関わらず、飾り付けが一切されていない。
左右の店が派手な飾りをしているだけに、余計に目立ってしまう。
「お休みなのかな?」
顔を上げると、店の看板に『ケーキファクトリー』と書いてある。
店内を覗くと照明が点いているので、休みではないようだ。
美咲は好奇心に駆られて、店に足を踏み入れた。
その頃、恭輔は……。
「こんなに大きな祭りは初めてだよ」
恭輔は美咲がいないことに気付かず話しかける。
当然ながら、反応があるはずがない。
「美咲?」
恭輔は返事がないことに異変を感じ、後ろを振り返った。
美咲がいない。
「美咲、どこだ?」
辺りを見渡すが、どこにも見当たらない。
大声で名前を呼んだせいで、周囲の人々が何事かと振り返る。
恭輔は周囲の視線から逃げるように、建物の陰に駆け込んだ。
「まさか、誘拐?」
事情を知らない恭輔は悪い方向に考えてしまう。
それを止める人物がいないので、想像は膨れ上がっていく。
「身代金目当てか? それとも美咲の命が狙いか?」
いずれにせよ、早く助け出さなければならない。
恭輔は建物の陰から飛び出し、商店街を駆け出した。
忙しくなってきたので、更新速度が遅くなります。
ご了承ください。