第六十五話
{偽善者なんだよ、君は}
(違う、私は……)
{そう思い込んでいるだけで、本当は――}
「やめてぇぇぇっ!」
美咲は悲鳴を上げて、上体を起こした。
肩で息をしながら、額の汗を拭う。
「夢、か……」
呼吸を整えて、視線を辺りに巡らす。
美咲が飛ばされた場所は森の中だった。
幹の細い木が無数に生えており、日の光が差し込んでいる。
静かな森の中で、風で木の葉が揺れる音がする。
「恭輔!レイブンさん!」
少し離れたところに、仰向けに倒れている恭輔を見つけた。
その近くには、うつ伏せのレイブンが倒れている。
鉛のように重い体を引きずるようにして、歩み寄る。
「恭輔、起きて」
美咲は恭輔の傍らに座り込み、体を揺する。
小さな呻き声を上げて、恭輔は目を開けた。
「恭輔、大丈夫?」
「ああ、何とかな」
恭輔は右腕で上体を起こし、辺りを見回した。
意識を取り戻した恭輔を見て、美咲は安堵の息を漏らした。
「ここは、どこだ?」
「説明は後でするから、先にレイブンさんを起こそうよ」
恭輔は納得がいかないような顔で頷くと、近くにあった剣を鞘に収めた。
その間に、美咲はレイブンの肩を叩く。
「レイブンさん、レイブンさん!」
美咲は何度も名前を呼んだ。
レイブンはゆっくりと目を開け、美咲に視線を向ける。
「あれ、美咲ちゃん?」
レイブンは意識が朦朧としているのか、しばらく美咲を見つめていた。
やがて、何かを思い出したのか目を見開いた。
「レイム!」
バックステップで体勢を整えると、前方を睨みつけた。
しかし、景色が変化していることに気付くと戦闘態勢を崩した。
「レイムは?」
レイブンは獲物を狙う獣のような目つきで、視線を巡らした。
その様子を見て、美咲がはっきりとした口調で口を開いた。
「私が説明します」
二人の視線が美咲に集まる。
美咲は深呼吸をして、ゆっくりと話し始めた。
二人が意識をなくした後のこと。
自分達が何故このようなところにいるのか。
☆★☆★☆★
「杖の魔法か……」
恭輔は地面にあぐらを組んで座り、話を聞いていた。
武器だけで転移なんて話は聞いたことがなかった。
それどころか、歴史の本で読んだことすらない。
「うん、ヴォイドが助けてくれなかったら、私達はここにいなかった」
ヴォイドのおかげで、生き延びることができた。
あのままでは三人とも命はなかっただろう。
「それで、結局ここはどこなんだ?」
恭輔の問いに、木に背中を預けていたレイブンも頷いた。
美咲は意外そうに、レイブンの顔を見つめている。
「レイブンさんでもわからないんですか?」
「この世界は森が多いからね、上空から見れば何かわかるかもしれないけど」
美咲は顎に右手を当てて、考え込んだ。
自然と指輪が視界に入り、右手を視線の高さまで上げる。
(ヴォイド、ここはどこなの?)
美咲は心の中で、ヴォイドに話しかける。
しかし、ヴォイドからの返事はない。
不思議に思い、首を傾げる。
「どうした?」
その様子を見て、恭輔が声をかける。
美咲は指輪を見つめたまま、小さく唸り声をあげた。
「ヴォイドからの返事がないの」
「まさか……」
レイブンは小さく呟いた。
その声で、美咲と恭輔がレイブンに顔を向ける。
「小さい頃、鎌に宿る人格の話を聞いたことがあるんだ」
「それって、魔界での話ですか?」
美咲の問いに、レイブンは無言で頷いた。
二人から疑問の声が上がらないことを確認すると、話を続けた。
「その鎌には凶暴な人格が宿っていて、生命力を奪うといわれていたんだ」
その力の強大さに耐えきれず、持ち主が制御できなくなった。
鎌が魔力を暴走させ、辺り一面は焼け野原となってしまった。
持ち主が正気を取り戻した時には、鎌の人格は消えていたという。
レイブンは一気に話し終えると、深く息を吐き出した。
「空間転移は失われた魔法だから、三人も転移させることで魔力が尽きてしまったんだろうね」
「それじゃあ、ヴォイドは……」
美咲はその後の言葉を濁した。
信じたくはないが、ヴォイドの応答がないのは事実だ。
指輪をはめた右手に視線を落とし、右手を握り締める。
(ありがとう、ヴォイド)
心の中で感謝の気持ちを述べた。
力を入れていた右手を緩めて、顔を上げる。
「これからどうする?」
美咲が普段と同じ顔つきになったことを見て、恭輔は口を開いた。
魔王と話すという目的は、不本意な結果ではあったが達成した。
その結果を踏まえて、どう動くかという意味だ。
唸り声を上げている美咲の横から、レイブンが口を挟む。
「ここで話していても仕方ない、とりあえず歩いてみよう」
空を見上げれば、太陽は真上にきている。
野宿を避けるためにも、レイブンの言うとおり歩くしかない。
美咲は腰かけていた岩に、両手をついて立ち上がる。
歩き出そうとした時、恭輔が声を上げた。
「いいのか?」
何事かと、美咲とレイブンは振り返った。
恭輔の視線はレイブンに向けられている。
「こいつは魔王軍だったんだろ?」
レイムの城で聞かされた、レイブンの正体。
魔王であるレイムの兄であり、魔王の影として暗躍していた。
それと行動を共にしていいのか。
「でも、軍は抜けたって――」
「いつ裏切るかわからないだろ?」
城での出来事も演技かもしれない。
今まで行動を共にしていて、素性を明かさなかったのはそのためではないか。
そのうち気が変わり、不意打ちを受けてはたまったものではない。
「この場で決着をつけておいた方がいいんじゃないか?」
「恭輔!」
「いいんだよ、美咲ちゃん」
レイブンは左手で美咲を制した。
恭輔の目の前に立ち、真正面から目を合わせる。
「もう信じてくれとは言わない。ただ、旅には付いて行かせてほしいんだ」
レイブンは真っ直ぐに恭輔の目を見つめる。
そこには強い決心が垣間見えた。
「僕が信じられないようなら、後ろから斬ってくれて構わない」
「レイブンさん……」
なぜそこまでして、一緒に旅をしたいのか。
恭輔には理解できなかった。
美咲が何かをねだるような目で、恭輔を見つめている。
恭輔は大きくため息をついた。
「わかった、その時は遠慮なく斬らせてもらうよ」
恭輔は観念したように両手を上げた。
素直に認めないところが、恭輔らしかった。
「ありがとう、恭輔」
レイブンは微笑んで、礼を言う。
改まって礼を言われ、恭輔は顔を背けた。
「よし、じゃあ行こっか!」
美咲の一言で三人は歩き始めた。
特に当てもなく、人のいる場所を目指して。