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第4回 国家という名の巨大な檻


「反逆だ! 魔女リーゼを捕らえよ! 王女をたぶらかし、国を私物化する不届き者を排除せよ!」


 王都のメインストリートを、重装備の私兵軍団が埋め尽くしていた。

 先頭に立つのは、既得権益を奪われ逆上した門閥貴族の筆頭、グレンデル公爵だ。背後には、彼が金と脅しでかき集めた三千の兵が、ギラギラとした殺意を漲らせている。


 対する私は、王宮正門のバルコニーから、優雅に身を乗り出して彼らを見下ろしていた。

 左手には愛用のストップウォッチ。右手には、拡声の魔導具。

 私の隣では、黒狼のクロと銀翼のシルヴァリオンが、あくびをしながら「まだ始めないのか」と言いたげに尻尾を振っている。


「公爵、定刻を三秒過ぎていますよ。スケジュール管理もできないから、貴方の領地の生産性は上がらないんです」


「黙れ、小娘! 貴様さえいなければ、この国は平穏だったのだ! 全軍、突撃――」


「あ、待ってください。突撃の前に、兵士の皆さんに『条件提示』があります」


 私は拡声器のボリュームを最大に上げた。


「現在、反乱軍に参加している兵士の皆さん。皆さんが公爵から約束されている報酬は、銀貨十枚ですね? しかも、それは勝利した場合のみ支払われる『不確実な報酬』です。違いますか?」


 兵士たちの足が、わずかに止まる。

 私はニコリと微笑み、指をパチンと鳴らした。


「今、この場で武器を捨て、『待て』の姿勢を取った方には、即座に金貨一枚を支給します。さらに、そのまま王宮の整備作業に従事してくれた方には、現在の三倍の基本給と、成果に応じたボーナスを『確定報酬』として約束しましょう」


「な……何をふざけたことを! 騙されるな、そんな金がどこに――」


 公爵の叫びを遮るように、私はもう一度指を鳴らす。

 すると、王宮の壁面に設置された巨大な魔導スクリーンに、現在の国庫の残高と、兵士一人ひとりの名前が刻まれた『トークン・レジャー(行動報酬台帳)』が映し出された。


「これは魔法ではありません。私がこの一ヶ月、王女殿下と共に進めてきた『無駄な儀礼費の削減』と『腐敗貴族からの資産没収』によって捻出した、正当な予算です。……さあ、選んでください。死ぬかもしれない確率論の銀貨か、今すぐ手に入る確定した金貨か。どちらが貴方たちの『行動』を強化しますか?」


 静寂が訪れた。

 一秒後。

 カラン、カラン、と金属音が響き始める。

 それは、三千の兵たちが一斉に武器を地面に投げ捨て、その場に「お座り」をする音だった。


「……よし。皆さん、大変『良い子』ですね。報酬は今、皆さんの個人口座(魔導カード)に振り込みました」


「ば、馬鹿な……忠誠心はどうした! 騎士の誇りは!」


 唯一人、馬上で立ち尽くす公爵に、私は冷ややかな視線を向けた。


「公爵。忠誠心なんて不確かな概念を期待するから、裏切られるんです。人は、自分にとってメリットがある行動を選択する。それが行動分析学の基礎です。貴方はありもしない権威と、『罰』と『恐怖』で彼らを縛ろうとした。でも、私は『正の強化』で彼らを導いた。……勝負になりませんよ」


 私はバルコニーから飛び降り、クロの背に乗って公爵の前まで歩み寄った。

 公爵は泡を吹いて落馬し、近衛兵たち――彼らもまた、私の『ボーナス査定』によってやる気満々の精鋭たちだ――に引きずられていった。

 これで、旧勢力の掃討は完了。

 国家という名の巨大な「群れ」から、問題行動を起こす個体を取り除いたに過ぎない。


◇ ◇ ◇


 数年後。

 王宮の玉座の間では、戴冠式が執り行われていた。

 黄金の冠を授かったのは、かつての暴走王女、アルテア。

 彼女は今、凛とした表情で玉座に座り、集まった文武百官を堂々と見据えている。


「本日をもって、私は女王としてこの国を統治する。……ただし、内政の全権は、我が信頼する宰相リーゼに委ねるものとする!」


 万雷の拍手の中、私は宰相の椅子――ふかふかのクッションが増量された、私専用の特等席――に腰を下ろした。


 式典が終わり、二人きりになった玉座の間。

 アルテアは重い冠を放り出すと、真っ先に私の元へ駆け寄ってきた。


「リーゼ! 見た!? 私、一度も噛まずに演説できたわよ! 完璧だったでしょう!?」


 彼女の瞳は、期待に満ちてキラキラと輝いている。

 女王になっても、彼女にとっての最大の報酬(強化子)は変わらないらしい。


「ええ、100点満点です、アルテア様」


 私は椅子から立ち上がり、彼女の頭を優しく、そして存分に撫で回した。


「ひゃうんっ……。ん、んふふ……。もっと、もっと撫でなさい! あ、それと、明日の執務スケジュールも、全部私が終わらせておくから! だから、ご褒美のティータイムは二時間に延長よ!」


「はいはい。お仕事が進むなら、いくらでも延長しましょう」


 かつての我儘王女は、今や「仕事をすれば褒められる」という学習ループに完全にはまり、大陸一の働き者な女王へと進化を遂げていた。

 これこそが、私の設計した「国家環境デザイン」の真骨頂だ。


 私は、窓の外に広がる王都の景色を眺めた。

 街では、兵士たちが効率的に清掃を行い、商人たちは公正な取引ポイントを競い合い、国民は「善い行い」をするたびに付与される行政サービスを享受している。

 暴力も、理不尽な重税も、不条理な処罰もない。

 ただ、適切な行動に、適切な報酬が与えられる。

 この世界全体が、私の管理する巨大な「飼育箱ラボラトリー」になったのだ。


 私はバルコニーに出た。

 そこには、クロとシルヴァリオン、そして新たに「条件付け」された数頭のドラゴンたちが、静かに待機していた。


「……さて。みんな、準備はいいですか?」


 私が指をパチンと鳴らすと、何百もの魔物たちが一斉に耳を立て、私に注目した。

 その統制された美しさは、どんな軍隊よりも、どんな魔法よりも力強い。


「皆さんが『待て』を続けられたおかげで、この国は平和になりました。……ご褒美に、今日は特製の魔力肉を奮発しましょう」


 魔物たちの歓喜の咆哮が、王都の空に響き渡る。

 私は満足げにストップウォッチをポケットにしまい、クロの柔らかな毛並みに身を預けた。


「……リーゼ様。お忙しいところ恐縮ですが、隣国の皇帝陛下から親書が届いております」


 新任の秘官が、緊張した面持ちで報告に来た。


「なんでも、隣国で魔物の大暴走が起きており、我が国の『調教技術』を伝授してほしいと。……もし断れば、武力行使も辞さないという、かなり高圧的な内容ですが」


 私はティーカップを口に運び、愉快そうに目を細めた。


「武力行使? ふふ、面白いですね。……アルテア様、次は『国家間の条件付け』の講義を始めましょうか。隣国の皇帝陛下も、きっとすぐに『待て』ができるようになりますよ」


「いいわね! 私がその皇帝を、徹底的にしつけてあげるわ!」


 アルテアがやる気満々で拳を握る。

 どうやら、私の仕事はまだまだ終わりそうにない。


 世界という名の巨大な群れを、私の思い通りに整える。

 暴力でも、支配でもなく――ただ、誰もが抗えない「幸福な報酬」によって。


 私は空を見上げ、最後にもう一度だけ指を鳴らした。


「スモールステップの積み重ねが、世界をハックする。……さて、次はどの子を『良い子』にしてあげましょうか?」


 天才調教師(トレーナー)の、異世界テイム無双は――まだ、始まったばかりだ。

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