第3回 暴走王女の条件付け
「――無礼者! その薄汚い足を、私の絨毯からどけなさい! 今すぐ死刑よ、死刑!」
王宮の最上階、豪華絢爛な『薔薇の間』に、鼓膜を突き刺すような絶叫が響き渡った。
叫んでいるのは、この国の第一王女アルテア。その美貌とは裏腹に、手近な花瓶を床に叩きつけ、高価なレースのカーテンを剣で切り裂く姿は、まさに『暴走する災害』そのものだ。
周囲の侍女たちは震え上がり、近衛騎士たちは「王女殿下、お鎮まりください!」と情けなく右往左往している。
私はその喧騒の真ん中で、手に持ったストップウォッチのカチカチという音に耳を傾けていた。
「……なるほど。発声の強度は極めて高いですが、呼吸が浅い。これは怒りというより、過剰な覚醒状態に伴うパニック、および周囲の反応による『社会的注意』の獲得が目的ですね」
「何をブツブツ言っているのよ、この平民!!」
アルテアが私に向かって、重厚な銀のトレイを投げつけてきた。
私は首を数センチ動かしてそれを避ける。トレイは背後の壁に当たり、派手な音を立てて凹んだ。
「危ないですね、殿下。……では、騎士団長さん。事前の打ち合わせ通りに」
「は、はいっ! 総員、退去!」
ジェラルド団長の号令と共に、部屋にいた侍女も騎士も、一斉に部屋の外へと駆け出した。
重厚な扉が閉められ、室内には私とアルテア、そして私の足元で欠伸をしているクロ、二人と一匹だけが残された。
「……は? 何よこれ。逃げたの? あいつら、私を置いて逃げたっていうの!?」
「逃げたんじゃありません。『タイムアウト』です」
私はアルテアの正面にある椅子に、勝手に腰を下ろした。
「殿下。貴女が暴れるたびに、周囲が『お鎮まりください』と跪く。貴女にとって、それは一種の報酬(ご褒美)になっていたんです。暴走すればみんなが構ってくれる。だから行動が強化され、エスカレートした。……なので、今日からはその報酬をカットします」
「……何、言ってるの? バカじゃないの? 私が誰だか――」
「はい、お喋りはそこまで」
私は手元の本を開き、黙々と読み始めた。
徹底的な無視。行動分析学における『消去』の手続きだ。
「聞きなさいよ! 無視するな! この、無礼者! 殺してやる! 本当に殺してやるんだから!」
アルテアは叫び、椅子を蹴り、絨毯を剥がし、ついには私の本を取り上げようとしてきた。
私は一切目を合わせず、彼女の手をひらりと避け、隣のテーブルに移動して読書を続ける。
「あ、ああああああああっ!!」
アルテアの絶叫が続く。絨毯の上を転がり手足をばたつかせているらしい。
一分、五分、十分。
扉の外からは「リーゼ殿、大丈夫か……?」という騎士たちの不安そうな声が漏れ聞こえてくるが、私は無視を貫く。
やがて――三十分が経過した頃。
喉を枯らし、肩を上下させて激しく息をつくアルテアが、力なく床に座り込んだ。
「……もう、いいわよ。勝手にしなさい。……どうせ、誰も私のことなんて、見てないんだわ」
その呟きは、先ほどまでの刺々しさが消え、年相応の少女の孤独が滲んでいた。
「(消去バーストが収まりましたね。ここが『強化』のタイミングです)」
私は静かに本を閉じ、立ち上がった。
そして、あらかじめ用意しておいたワゴンの上から、一杯の温かい紅茶を彼女の前に差し出した。
「お疲れ様です、殿下。ようやく静かにお話しできる環境が整いましたね」
「……何よ、今さら。構わないでって言ったでしょう」
「いいえ。貴女が静かに座っている、その『適切な行動』に対して、私は最大限の敬意を払います。このお茶は、世界一の茶葉を使った特級品ですよ」
アルテアはおずおずとカップを手に取り、一口飲んだ。
その瞬間、彼女の瞳が驚きに丸くなる。
「……美味しい。こんなお茶、飲んだことないわ」
「貴女が穏やかでいる時にだけ、私は貴女の望むものを与えます。……あ、ちなみにそのお茶。あと三杯飲みたければ、この書類の束を片付けていただけますか?」
私はニコニコ笑いながら、脇に抱えていた『滞っている政務の書類』をドサリと机に置いた。
アルテアは顔を引きつらせる。
「……はぁ!? これ、宰相が『王女には無理だ』って言って取り上げた、予算書じゃない! なんで私がこんなこと!」
「『無理だ』と言われて、その通りにするんですか? 貴女なら、この程度の数字の羅列、一瞬で整理できるはずですが。……もしできたら、次は紅茶だけじゃなく、私の自作した『魔力循環をスムーズにする特製マッサージ』も付けてあげますよ」
「な……っ! 私を、さっきの犬と同じように扱うつもり!?」
「いいえ。私は『可能性のある生徒』として扱っています。……それとも、やっぱり無能な王女として、一生無視され続けますか?」
アルテアは私を激しく睨みつけた後、ひったくるようにペンを握った。
「……やってやろうじゃない! 後で泣いて謝っても知らないから!」
それからのアルテアの集中力は、凄まじいものだった。
もともと彼女の『暴走』のきっかけは、膨大な魔力と知能が、退屈な日常で発散されずに鬱屈していたことにある。適切な課題(刺激)と報酬(強化子)さえ与えれば、彼女は最高精度の演算マシンへと変貌するのだ。
一時間後。
机には、完璧に整理された予算案の山が築かれていた。
「できたわよ! ほら、文句ないでしょう!」
アルテアが勝ち誇ったように叫ぶ。
私は書類をパラパラと確認し、深く頷いた。
「素晴らしい。期待以上です、殿下」
私は彼女の隣に歩み寄り、その白く細い指先を優しく取った。
そして、これまで誰にも許さなかった彼女のパーソナルスペースに踏み込み、その頭を優しく、丁寧に撫でた。
「よく頑張りましたね。Good girl(良い子です)、アルテア」
「っ……な、なななな……っ!」
アルテアの顔が、一瞬で真っ赤に染まった。
彼女は高慢な王女として、常に跪かれる対象だった。だが、対等な視線で『承認』され、労われる経験など、一度もなかったのだ。
「……な、なによ、これ。変な感じ。……胸の奥が、ふわふわするわ。魔法……? 何か魔法をかけたのね!?」
「いいえ。これは『正の強化』という、魔法よりも強力な絆の形です。……さて、明日はこれの倍の量の書類を用意しておきますね」
「えっ!? ……あ、明日も、来てくれるの?」
「もちろんです。貴女が『良い子』でいる限りは」
アルテアは、もじもじと指先を弄りながら、消え入りそうな声で言った。
「……だったら、明日も。……終わったら、その……また、撫でなさいよね。命令よ」
扉の外で聞き耳を立てていた宰相と騎士たちが、腰を抜かして雪崩れ込んできたのは、その直後のことだった。
『暴走王女』が、大人しく机に向かって「もっと難しい仕事はないのか」と呟いている光景は、彼らにとって天変地異に等しかったらしい。
呆然とする宰相に対し、私はクロの背を撫でながら、平然と言い放った。
「宰相閣下。この国の統治が乱れているのは、国民や王族の資質の問題ではありません。報酬の設定と、環境のデザインが間違っているだけです。……これからは、私がその『再構築』を担当させていただきます」
「な……貴様、一介のテイマーが、この国をどうするつもりだ……!」
「決まっているでしょう? 国家という名の巨大な群れを、正しく『しつける』。……世界で一番、平和で統制の取れた庭園にしてみせますよ」
私の不敵な笑みに、宰相は蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
隣ではアルテアが、「リーゼ、次の書類はまだ!? 早くしなさい!」と、すっかり『仕事のご褒美』を待ち望む瞳で私を催促している。
さて。
王女の条件付けは完了。
次は、この腐りきった「国家のシステム」そのものを、私のクリッカー一つで従わせてみせましょうか。
私はストップウォッチの針を進めた。
変革のカウントダウンは、もう始まっている。




