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第2回 神獣を「シェイピング」せよ


 ――ギギギィッ、と。

 不快な金属音が、王立騎士団の演習場に響き渡っていた。


 目の前に鎮座するのは、巨大な銀色の檻。その中で、一頭の美しい獣が狂ったように暴れている。

 全身を白銀の体毛に包まれ、背中にはクリスタルのような翼を持つ聖獣――『シルヴァリオン』。

 かつて建国の英雄と共に戦場を駆けたとされる伝説の神獣だが、今のその姿に神々しさはない。


 自分の翼を血が出るまで噛みちぎり、鉄格子に頭を打ち付け、虚空に向かって絶叫を繰り返している。


「……ひどいものですね」


 私は手元に持った「行動記録用」のメモにペンを走らせた。

 私の隣では、黄金の甲冑に身を包んだ騎士団長ジェラルドが、苦渋に満ちた表情で唇を噛んでいる。


「リーゼ殿、どうにかできぬか。この神獣は、王家の象徴なのだ。だが、数ヶ月前から突如としてこの通りだ。高名な聖職者たちが『浄化の魔法』を何度も施したが、悪化する一方なのだ……」


「当然そうなりますよ。団長さん、あれを見てください」


 私は檻の隅に設置された『聖なる魔石』を指差した。

 そこからは、絶え間なく「浄化の光」が放たれている。


「あの魔石から出る光は、魔物にとっては高周波の騒音と同じなんです。あの子は、その不快な刺激から逃れたくて暴れている。それに対し、神官たちが『鎮静の術』という名の強制的な麻痺を上書きし続けた。……結果、彼は学習したんです。暴れても、魔法をかけられても、この苦痛(刺激)からは逃げられない。これは典型的な『学習性無力感』、そして自傷行為による自己刺激行動ですね」


「がくしゅう……むりょく……? 何を言っているのかさっぱりわからんが、つまりは『病』ではないと?」


「ええ、環境設定ミスによるパニックです」


 私はため息をつき、一歩前に出た。

 背後で、私の相棒となった元・ダメ犬(現・神獣)のクロが、心配そうにクーンと鳴く。


「クロ、大丈夫ですよ。……さて、団長。今すぐあの魔石を撤去し、周囲の騎士たちを下げさせてください。視覚的・聴覚的なノイズが多すぎます。あと、私に竹竿一本と、新鮮な魔力の果実を用意して下さい」


「竹竿だと? そんなもので何をするつもりだ」


「『ターゲット・トレーニング』ですよ。暴力や魔法を使わずに、彼の意思で行動を選ばせるためのね」


 準備が整うまで、私は檻の外でじっと待った。

 周囲の騎士たちは「あの小娘、何をするつもりだ」「神獣に竹竿で立ち向かうのか」とヒソヒソ笑っている。

 笑わせておけばいい。科学(行動分析学)は、常に魔法よりも地味で、そして確実なのだ。


 静寂が戻った演習場。

 私は檻の扉を開けさせた。


「グルアアアアアッ!」


 シルヴァリオンが私を威嚇し、前脚を振り上げる。

 私は動かない。ただ、竹竿の先に小さな赤いボールをつけたものを、彼の鼻先数センチのところに差し出した。


「(標的提示。ターゲット:赤いボール)」


 獣は戸惑った。今まで自分に近づく人間は、皆、剣を向けるか魔法を放つかだったからだ。

 目の前の「赤い球」が気になり、彼は威嚇を止め、ふん、と鼻先でそれを突いた。


 カチッ!


 私は左手のクリッカーを鳴らし、即座に魔力の果実を一粒、足元に置いた。


「(正の強化。行動:ターゲットへの接触。報酬:果実)」


 シルヴァリオンは驚いたように目を見開き、果実を口にした。

 ――美味しい。

 その「結果」が、彼の脳内にドーパミンを放出させる。


 もう一度、竿を差し出す。

 今度は、彼は自分から積極的にボールに鼻を寄せた。


 カチッ! 果実。


「信じられん……あの凶暴な神獣が、あんな棒切れを追いかけている……」


 ジェラルド団長が呆然と呟く。

 私は内心でほくそ笑んだ。

 これは魔法ではない。

 『ある行動をすれば、良いことが起きる』という随伴性(つながり)を、彼の脳に書き込んでいるだけだ。


 私は徐々に竿を動かし、彼を檻の外へと誘導する。

 一歩、また一歩。

 「自発的な行動」によって外の世界へ踏み出した神獣の瞳から、濁った殺意が消えていく。


 しかし、その平和な空気を切り裂くように、冷ややかな声が響いた。


「――そこまでだ。その神獣は、我らテイマーギルド『アイアン・フィスト』が回収する」


 演習場の屋根から、数人の男たちが飛び降りてきた。

 先日のバルガス男爵の配下たちだ。彼らは手にした「拘束の魔法鎖」をジャラジャラと鳴らし、不敵な笑みを浮かべている。


「リーゼ、貴様がギルドから持ち出した黒狼も返してもらおうか。ギルドの財産を私物化するなど、万死に値する!」


 男たちが殺気を放ち、一斉に襲いかかってきた。

 騎士たちが動こうとするが、男たちの放った煙幕魔法により視界を奪われる。


 私は逃げなかった。

 むしろ、まだ私の横で果実を食べているシルヴァリオンの首筋を、優しく撫でた。


「……ねえ、シルヴァリオン。あの人たち、とっても騒がしいでしょう? 追い払ってくれたら、最高のご褒美をあげますよ」


 私は竹竿を、襲いくる男たちの方へと向けた。


「ターゲット:あの人たちの武器」


 シルヴァリオンの瞳が、黄金色に輝いた。

 彼はまだ、私に忠誠を誓っているわけではない。

 ただ、「あの竿の先にある対象に接触すれば、快楽が得られる」と学習しただけだ。


 神獣が動いた。

 銀色の閃光が走り、次の瞬間、男たちが手にしていた魔法鎖や剣が、粉々に砕け散った。


「ぎゃああああっ!?」

「な、なんだこの速度は!? この神獣は、瀕死で動けなかったはずでは……!」


 私は転がった男たちを見下ろし、パチンと指を鳴らした。


「あなたたちの『調教』は、タイミングも方法も最悪なんです。恐怖で縛れば、対象は逃避するか、あるいは貴方たちが一番油断した瞬間に牙を剥く。……ほら、彼は今、私を守ったんじゃない。私の『指示』に従うことが、彼にとって最大の報酬になるよう、自らの環境を《整えた》だけです」


 腰を抜かした男たちを騎士団が取り押さえる中、シルヴァリオンは満足げに鼻を鳴らし、私の手のひらをペロリと舐めた。


「あ……。痛いですよ、ザリザリして」


 私は苦笑いしながら、彼の巨大な頭を撫でる。

 それは、服従ではなく、対等な「ビジネスパートナー」としての契約が成立した瞬間だった。


「(触覚的報酬の受容を確認。信頼関係の構築における第一段階、クリアですね)」



 遠く、王宮のバルコニー。

 豪奢なドレスを纏った少女が、双眼鏡を片手にこちらを凝視しているのに、私はまだ気づいていなかった。


「……面白い女。私の『魔力暴走』も、その棒切れ一本で直せるのかしら?」


 不敵に微笑むのは、この国の第一王女、アルテア。

 彼女という名の「最難関ターゲット」が、私の行動分析学メソッドを待っている。


 私はクロとシルヴァリオンを引き連れ、高く広がる空を見上げた。

 さて、次の一手スモールステップは、どう設定しましょうか。


 私のストップウォッチは、まだ止まりそうにない。

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