プロローグ:月に照らされた廃墟街
この物語は、戦場の都市で生きる者たちが「選ぶ」という行為にどう向き合うのかを描いたものだ。
ミコトは運ぶ者として、マーラは守る者として、こばとは未来を見る者として、それぞれが自分の役割に縛られながらも揺らいでいく。
銃火とコードが支配する世界の中で、彼らが抱える葛藤や痛みが、読む人の心に少しでも触れれば嬉しい。
ここから始まるのは、正しさを押し付けられ続けた者たちが、自分自身の答えを探す物語だ。
月夜の蒼い光に静かに照らされる極東の不凍港、海嶺市。 かつて貿易で栄えた街は、今や鋼鉄の檻として封鎖されていた。 空を舞うのは、カモメではない。 軍事企業アイアン・ガード社の無人攻撃ドローン〈ハウンド〉だ。
都市浄化作戦の名のもと、熱源を探知し、機銃を掃射している。 この光景を一人の男が満足そうに見ている。 この国の支配者である五福星の一人だ。 「凡人どもには自由はいらない、奴らにとってはただの毒だ」 男はペンダントの中の十代と思しき若い女性の写真を見ていた。 「ラ―ナ…」
封鎖線の内側、旧市街〈灰殻街〉。 国家の法はここでは意味を失っていた。 支配するのは、神の名を騙る略奪者たちだった。 街の隅にはいくつかの遺体が、人形のごとく静かに転がっている。
硝煙と瓦礫の迷路。 迷い込んだように右に左に弱々しく跳ねている子カエルを、一人の少女がすっと、軽くジャンプして避けて行った。 名はミコト。 黒いタクティカルスーツは返り血と煤にまみれ、切り揃えた黒髪が激しい動きに合わせて跳ねる。 彼女の背には、古びた外見とは裏腹に重厚な電子ロックで封印された一巻の巻物が固定されていた。 ――《天之神火之咲夜写巻》。 都市OSの深層を書き換え、神の権能を模倣する禁忌の設計図――
この言葉は、誰に教わるでもなく子供でも暗唱できる伝説の巻物でもあり、架空の存在でもある。 五福星が民衆に触れさせることを最も恐れる“鍵”だ。
「ミコト。止まりなさい」
瓦礫の影から、漆黒の強化外骨格を纏った一団が姿を現す。 その中心に立つ女――マーラ。 新興宗教〈聖域の鍵〉の女王にして、都市システムを司る〈祈り姫〉の実妹。 その瞳に宿るのは、情ではなく冷徹な任務意識だった。 「その巻物は、姉様が持つべきものじゃない?世界を焼き尽くすコードよ。返しなさい」
ミコトは答えない。 左手で巻物を抱き寄せ、右腕のニューラルリンクを加速させる。 視界に極彩色の戦術情報が展開される。 敵数、装備、弾道予測、心拍数。 かつてアイアン・ガード社の特殊工作員として叩き込まれた技術が、敵を“排除対象”として即座に分類した。その瞬間――
銃声と悲鳴の渦を突き破るように、澄んだ歌声が響いた。 「……あまのかみ、ひのさくや、うつしまき。すべてが終わって、すべてが始まる」
崩れかけた教会の軒下。 膝を抱えて座っていたのは、返り血一つ浴びていない少年だった。 名は、こばと。 この地獄でただ一人、現実から切り離された存在。 彼は虚空を見つめ、設計図の断片を子守唄のように口ずさむ。
次の瞬間、湾岸艦隊から放たれた熱線砲が灰色の空を切り裂いた。 ミコトは一瞬だけ迷う。 この少年を連れて行く余裕などない。 ――それでも。 「……」 彼女は少し躊躇した。 しかし、時間のない中での答えの出し方は訓練されていた。 少年の手を掴んだ。 冷たく、それでいて確かな重みのある手だった。
血脈の呪縛。 国家の陰謀。 神のコード。 すべてが渦巻く灰殻街で、ミコトの孤独な戦いが、今始まる。
読んでくれたあなたに、深く感謝したい。
ミコトが背負う巻物は、ただの装置ではなく「選択そのもの」を象徴している。
こばとの未来視は便利な力ではなく、命を削る代償であり、マーラの矛盾は“守りたいもの”がある者の苦しさそのものだ。
誰もが正しく、誰もが間違っている。そんな世界の中で、ミコトがどんな答えを選ぶのかを書き続けたいと思っている。
もしこの物語のどこかに、あなた自身の迷いや痛みに触れる瞬間があったなら、それはきっとミコトたちがまだ歩き続けている証だ。
次の章でまた会えることを願っている。




