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浦和探偵事務所帖 ぱぁとちゅ♡ 萬屋マイク  作者: 揚羽(ageha)


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9/12

ティンク

 帰り道だった。歌舞伎座の灯りが、まだ背中に残っている。芝居の熱、拍手の余韻。その中で、俺の手には投げてもらった手拭いがあった。推しからのものだ。隠す理由もない。俺はそれを、無防備にくるくると流すように歩いていた。久美子が横目でそれを見て、呆れたように言った。

「……それ、完全に自慢ですよね」

そのときだった。

「あの……すみません」

声は低く、落ち着いていた。夜の街に溶け込みながら、妙に芯がある。振り向くと、着物姿の女性が二人立っていた。派手さはないが、なぜか視線を外しづらい輪郭をしている。

「少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか」

俺は自分を指差した。

「俺に? 手拭いはやらねぇぞ」

二人は名を名乗った。エリカと舞香。歌舞伎座では席が近かったらしい。喫煙所でも、食事処で御膳を広げた時間も、不自然なほど重なったという。偶然にしては出来すぎている、と感じたのだろう。銀座でとりあえずの珈琲は高い。だが久美子が、

「話だけ聞きましょう」

と言った。近くの喫茶店に入った。探偵だと名乗った瞬間、二人の空気が変わった。覚悟が、椅子に腰を下ろした。

「探してほしい人がいるんです」

エリカはそう言った。声は落ち着いている。だが、言葉を選ぶまでの間が長い。妙義山での登山中、滑落しかけたという。死を覚悟した、その一瞬、リュックがありえない角度で鎖に引っかかった。その一拍があったから、手を伸ばすことができた。それがなければ、ここにはいない――そう言った。舞香の話は海だった。砂浜を歩いていた。波は穏やかだった。だが次の瞬間、身体は持っていかれた。水の中で上下が分からなくなり、何度も底に叩きつけられ、水を飲んで気を失った。後で聞いた話では、舞香の身体は沖から陸へ糸で引かれるように、まっすぐ波打ち際へ戻ってきたという。二人は同じことを言った。助けられた、と。だが、誰に助けられたのかは分からない。

「なので……せめて、お礼が言いたいんです」

俺は、山の神、海の神、という言葉を頭に浮かべた。そこで話を終わらせることもできた。だが久美子が静かに言った。

「マイクさん。まさか、断りませんよね?」

逃げ道はなかった。

「……やるよ。ま、まかせろって」


 調査は重かった。二人はすでに、日本中の神社仏閣を回り尽くしていた。秩父の古社、熊野信仰に連なる社、海沿いの祠。霊媒師、拝み屋、占い師。都内の有名どころから地方で名の通った者まで。どこでも、似た答えが返ってきた。

「守られたのは確かだが、誰かは分からない」

二人は大学時代、オカルト同好会の先輩後輩だったらしい。だからこそ、この手の話を感情に溺れず、整理して語れたのだろう。依頼を受けた俺も、丁寧に調べた。神道、仏教、修験道、教会。山岳信仰、海神信仰。妖怪譚、民俗学。だが、どれも決定打にはならない。行き詰まった。時間はかかったが、最後に辿り着いたのが、妖精だった。そこで俺は井村君枝を訪ねた。日本における妖精研究の第一人者だ。彼女の蒐集には、コナン・ドイルが妖精の実在を信じ、イギリス・コティングリーで撮影された、あの有名な妖精写真に関する資料も含まれていた。ドイルは、こう言ったという。

「世界には、まだ説明されていないものがある」

井村は俺に言った。

「信じるかどうか、じゃありません。人が関わってしまった事実が、残るんです」

その言葉が胸に残った。理屈ではなく、肌感覚で言えば、日本では、天狗か――と、俺は勝手に考えた。足りない頭の中で共通点が浮かび上がった。空を飛ぶ。人の近くにいる。強い力を持つ。信仰と伝承と生活の隙間に存在する。


 俺は何かに導かれるように、栃木の古峯神社へ向かった。参拝を済ませ、天狗の像の前に立つ。声は出さない。心の中で、ただ言った。

「礼を言いたいだけだ」

二人の感謝の言葉を、そこに置いてきた。その瞬間、電話が鳴った。エリカだった。

「……もう、探さなくていいです」

「お?」

「直接、来ました。心に。気持ちは十分、伝わったって」

俺は硬直した。通話を切った直後、留守電の通知が一件入った。舞香からだった。内容は同じだった。さすがに背中が冷えた。軽いパニックに近い感覚だった。俺は走って車に戻り、久美子に電話した。

「なあ……これ……」

「ありますよ」

即答だった。

「見えないだけです。イエス様も、お釈迦様も、守護霊も。海外では妖精。日本では妖怪や天狗さま。名前が違うだけです」


 俺は納得しきれなかった。だが思った。俺が今ここにいることも、和歌山から流れて浦和に辿り着いたことも、何かに拾われた結果なのかもしれない。たしか久美子の身に危険が迫った時も、胸騒ぎがした。後日、事務所に二人は来たらしく、机の上には、たんまりとチョコレートが置いてあった。久美子は、きちんと報酬も請求したようだ。思い返せば、歌舞伎座で手拭いをもらったこと。声をかけられたこと。すべてが、どこかでつながっている気がする。人間不信になりかけて、やめた。神様不信にも、なりきれなかった。見えないものは、見えないままでいい。だが、確かに作用する。

「アーミン、ナムナム、天狗さまだぜ」

宝くじでも、買ってくるかぁ。

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