さようなら、令嬢
港町ツレールは、屈強な漁師が声を荒らげ、芯の強い女性たちが背中を押す、活気溢れる町だ。
新鮮な魚が市場に並び、買付けに訪れた商人や料理人、観光客で賑わっている。
孝太たちは町の外に車を隠し、海の匂いを感じながら町中を歩いた。
「パパ、へんなおさかながいるぞ!」
「おー。なんだこれ? 真っ赤なフグか?」
「それはリンゴフグですわ。一口食べれば死にますわ」
「怖すぎて草生えるわ」
ルミは見たことのない魚に興味津々で、市場の床を埋め尽くすほどのそれに、膝を折り目を輝やかせた。
「で? あんたの会いたい人って?」
「……わたくしが追いだしてしまったクラスメイトですわ」
「なるほど。謝りたいのか」
「ええ。記憶が戻るまでのわたくしでしたら、つゆにも思わなかったでしょうけど」
「……なあ、転生前のあんたはどんな暮らしをしてたんだ?」
ルミを注意深く見つめながら、孝太は横で物思いにふけるアレミシアに問いかけた。
こんなところで話すのもなんだと漁港に移動した三人は、波止場に並んで腰をおろし、波にあわせて上下する漁船を眺める。
「ルミ、おふねみてくるぞ!」
「おう。気をつけてな」
ルミはその場を離れ、残された孝太とアレミシアを、しばしの沈黙が包む。
やがて頭の中が整理できたのか、アレミシアは前世の記憶を語り始めた。
「……わたくしは、死の直前まで病院しか知りませんでしたわ」
「重い病気だったのか?」
「ええ。心臓が悪くて、友達と遊ぶことも、ましてや恋なんてしたこともありませんわ」
「……そっか」
「十七歳になった翌日、わたくしの心臓は止まってしまいましたの」
アレミシアは立ち上がり「こんなに元気なのに信じられますか?」と、その場で回ってみせた。
「そして、目覚めたらこの世界にいた、と」
「……ええ。なぜそうなったのか、なんてわかりませんわ。けれど、思うのです。前世のわたくしが願っていたことを、ひとつずつ叶えてあげたいと」
「そりゃ、いい心がけだな」
アレミシアは薄く微笑む。
孝太はなんとなくだが、彼女の気持ちが理解できた。
不意にいなくなってしまった妻の気持ちに、自分がどれだけ応えられていたのだろうか。
もし、もう一度会えるのなら、仕事に追われてできなかったことをしてあげたい。
些細なことに、「ありがとう」と言いたい。
「俺も……」
「アレミシア……様……?」
「えっ?」
「やっぱり! アレミシア様だ!」
「ヒューズ……」
孝太が口を開きかけたとき、背後から歩み寄る人物がいた。
ひどく汚れたつなぎを着た、十代半ばの少年は、抱えていた漁網をその場に放りだし、アレミシアの手をとった。
「どうしてこんなところへ!? お久しぶりですね!」
「ええ、ええ。元気そうでなによりですわ」
「それだけが取り柄ですからね。今は親父の船を手伝っているんです」
「そう……」
「そういえば、聞きましたよ。ご結婚されるとか」
「ええ。アレン様と」
「……おめでとうございます」
孝太は二人を置いて、ルミのもとへ歩いていった。そして、小さな手を握り、「あっちでお魚でも探すか」と離れていく。
アレミシアは逡巡したのち、意を決してヒューズへ深々と頭を下げた。
「ヒューズ……本当にごめんなさい」
「アレミシア様……」
「謝っても許してはくれないでしょう。ですが、謝らせてください」
「頭を上げてください! 僕は気にしていませんから!」
「……アレミシア、本当にいいんだよ。もう」
「ヒューズ……」
今にも泣き出しそうなアレミシアの両肩へ手を乗せ、ヒューズは優しく微笑んだ。
「短い間だったけど、僕みたいな庶民が王都の学園で勉強できて、素敵な友達ができたんだ。怒る理由なんてないだろ?」
「……あなたは、いつまでも変わらないのですね」
「そういうキミは、少し変わったね。穏やかになった」
アレミシアとヒューズの友人関係は、入学して間も無く、彼女が失くしたお気に入りのブローチを彼が必死で見つけ出したことから始まった。
底抜けのお人よしは、刺々しくささくれていたアレミシアの心に平穏をもたらし、いっときの安寧を与えた。
だが、平和な学校生活は、それほど長続きはしなかった。
ある日、第一王子であるアレンは、嫌味たっぷりにアレミシアへ「案外、きみには庶民が似合うのかもしれないね」と笑う。
そんな風に思われてはいけないと、彼女はその日からヒューズへ辛くあたった。
そして、春を迎える前に彼は学園を去ったのだ。
「わたくしと友達でいてくれますか?」
アレミシアはヒューズの手をとったが、彼は悲しそうに首を左右に振った。
「それはもう無理だよ。きみは将来の王妃なんだから」
「だったら、結婚なんてやめますわ!」
「そういうわけにもいかないだろう? 国が関わっているんだから」
「ですが……わたくしは……」
「アレミシア、きみならきっと、この国をもっと良くしてくれるだろう? そして、身分も関係なく暮らせる世の中になったら……そのとき、改めて友達になろう」
ヒューズは足元の漁網を拾い上げ、アレミシアに軽く手を振ると、振り返らずに船へ向かってゆく。
「うぁ……あぁっ……あああああっ!」
アレミシアは膝から崩れ落ち、咽び泣いた。
ヒューズの顔が涙でぐしゃぐしゃだと知らずに。
「おねえちゃん、だいじょうぶ?」
孝太に連れられてやってきたルミは、優しくアレミシアの頭を撫でた。
アレミシアは顔を服の袖で乱暴に拭うと、勢いよくその場に立ち上がり、涙が流れないように唇を噛み締めた。
「大丈夫か?」
孝太は顔を見ないように問いかけた。
静かに頷いてみせたアレミシアは、出港していくヒューズの船を見送ると、漁港に背を向ける。
「泣くのはこれで最後ですわ」
「強いんだな。あんた」
「当然ですわ! わたくしは未来の王妃! さあ、行きましょう」
アレミシアの視線の先には、遅れてやってきた執事たちの姿があった。
「ねえ、孝太さん」
「ん?」
「私ね、頑張るから。覚えておいてほしいの」
「……ああ。忘れねーよ」
孝太の顔を見ずに、それまでの口調とは打って変わった言葉があたりに響く。
「桑名メイ、って人間が、たしかに存在していたって」
それは、彼女が″アレミシア″として生涯を生きる誓いであった。
「行こうか、ルミ」
「うん! おねえちゃん、ばいばーい!」
孝太とルミは、アレミシアが向いている方向と逆へ、手を繋いで歩いていく。
「お嬢様! ご無事ですか!?」
「ええ。寄り道させてしまいましたね。さあ、王都へ行きましょう」
「お嬢様……何かありましたか?」
「なにもありませんわ」
「……そうですか。では、参りましょう」
執事たちは柔らかくなったアレミシアの雰囲気に戸惑ったが、すぐに気を取り直して場所へ向かう。
その背を追って歩き始めたアレミシアは、一度だけ振り返り、もう見えなくなった親子の背中に向かって呟いた。
「……神よ。彼らに良い旅を」
そして、くるりと踵を返し、再び歩き始める。
その顔は、これまでで一番の、晴れやかな顔であった。




