捕らえた聖女の目が死んでる
捕らえた聖女は好きに嬲っていい、という許可が出た。
それは当然だろう。魔族と人間の戦争は、魔族側の圧勝で終わった。その最大の功労者はヴァルディである。望む褒美を与えられて然るべきだ。
ヴァルディは今回の戦争に、とても腹を立てていた。
魔族は魔族の領土で慎ましく暮らしていただけだというのに、先月、突然に侵攻してきた人間の王国。その王国には「聖女様」なる神の声をお聞きあそばす乙女がいるらしく、その聖女様が「魔族を滅ぼすべし」との神託を賜ったことが、侵攻のきっかけらしい。
ヴァルディは最前線に出て、たったひとりで人間の兵士を片っ端から潰していった。魔族は脆弱な人間よりも遥かに強く、その中でもヴァルディは抜きん出た存在だった。角と尻尾を除けば人間と変わらない見た目でありながら、彼の力は人間とは隔絶しているのだ。
好戦的なヴァルディは笑いながら戦場を駆け、尻尾で敵の剣を叩き折り、捻じれた角を返り血で汚し、素手に飽きたら炎を操り、楽しく死体の山を量産した。
だが、それも最初だけだった。
敵は弱すぎるし、そのくせ一人前に吠えるし、なんか魔族の悪口を言ってくるし、悪魔呼ばわりしてくるし、悪魔ってお前らが作った架空の存在だろうが、だいたい神託って何なんだよ、責任者出てこい、責任者って聖女か、ああ聖女むかつく。
次第にヴァルディの苛立ちは、開戦の発端である聖女に集約していった。顔も知らない聖女に怒りを募らせていった。争いを始めておきながら自分は戦いに参加せず、神殿の奥でふんぞり返っているだろう、傲慢な女を思い描いて。
そして魔族側はほぼ無傷、人間側の軍はほぼ壊滅、という戦況になったところで、人間の王国が白旗を上げた。
魔王は人間の降伏をあっさりと受け入れた。賠償の要求もしなかった。先述の通り、魔族側の損害はほとんどなかったからである。
損害らしい損害と言えば、笑いながら返り血を浴びて戦場を駆け回っていた戦争初期のヴァルディに対し、「戦闘狂」「鬼畜の所業」「ちょっとドン引くっていうかぁ」「だから顔はいいのにモテないんだ」「魔王城の洗濯係から苦情が来てます」等々の悪評が魔族界隈で盛り上がりをみせて、ヴァルディが凹んだことくらいである。
というわけで、魔王は人間の王国に賠償を求めないつもりだったが、その緩い方針にヴァルディは怒った。
「こっちは攻められた側だ。人間には身の程を弁えず魔族に挑んできた代償を払わせるべきだ。捕虜として元凶の聖女を寄こせ。ボロ雑巾にしてやる」と。
今回の戦いで一番頑張ったヴァルディの意見なので、魔王はこの要求もあっさりと受け入れた。「そうだね、君にはご褒美がいるね。好きなものを望むといいよ、ヴァルディ」と。
「あっそうだ。『頑張ったで賞』のメダルもいるかい? 金色の折り紙で作ったんだけど」とも魔王は付け加えたのだけれど、聖女をもらっていい言質を取るやさっさと部屋を出て行ってしまったヴァルディには聞こえていなかった。
魔王の許可を得たヴァルディは、さっそく人間の王国に使者を送り、聖女の身柄を要求した。きちんと「存分に痛めつける」と付け加えて。
魔族側からの唯一の要求に、人間の王国は即座に従った。王国はあんなに崇めていた聖女を、ボロ雑巾にされると分かっていて、何の躊躇もなく魔族に渡した。
こうして捕虜になった聖女は、ヴァルディの望み通り、ヴァルディに与えられた。
聖女を捕らえた地下牢に向かいながら、「果たしてどんな生意気な人間だろうか」とヴァルディは想像してみた。
きっとヴァルディが姿を見せれば、神聖な地を汚す魔族だの、野蛮な種族だの、捻じれた角が捻じれた心根を表しているだの、おうち帰れ悪魔だの、居丈高に罵って来るに違いない。これまでに対峙した人間たちと同じように。
想像しただけで腹が立つ。絶対泣かす。ギャン泣きさせてやる。そして「生意気言ってすみませんでした。もう魔族に逆らいません。この生ゴミめを許してください」と土下座させてやるのだ。
ヴァルディは勢いよく扉を開けた。
「おい聖女様、どうだ地下牢の居心地は……」
鉄格子の中には、横転した三角座りの姿勢のまま起き上がろうともせず覇気のない顔でこぢんまりと床に転がっている聖女がいた。
目が死んでいる。
ものすごく目が死んでいる。
辛うじて白目は剥いていないがむしろ白目を剥いていて欲しかったと思うくらいに濁り切った瞳で虚空を見つめている。
ややちょっと少しだいぶ想像と違っていた聖女の様子に、ヴァルディは入室時の勢いを失った。
ボロ雑巾にしてやるつもりだった相手が、思わず「大丈夫ですか。人生に疲れましたか。温かいものでも飲みますか」と声をかけたくなるような様子で床に転がっているのだから、無理もなかった。
「あ……? えー……ああ、牢屋の見張りの方ですか……?」
聖女は鉄格子の前で棒立ちのヴァルディに気付いたようで、のろのろと視線を向けてきた。視線は上げても、こぢんまり三角座り横転スタイルを崩す様子はない。
「すみません、うるさかったですよね……牢屋で歌って申し訳ありませんでした……神殿の連中の悪口に置き換えた聖歌を熱唱してすみませんでした滅びろクソ神官どもぉ……」
聖女はさっきまで替え歌を熱唱していたらしい。確かに声が掠れていた。
地下牢で替え歌(しかも聖歌)を熱唱するに至った心境が気になりすぎて、ヴァルディは困惑した。あと替え歌の内容も気になる。語尾のように滑らかに接続していた「クソ神官ども」という発言も気になる。気になることが多すぎて、ヴァルディは棒立ち状態から動けない。
「すみません見張りさん、もう静かにしますね……お騒がせして申し訳ございませんでした……捕虜の分際で無駄に空気を消費してごめんなさ……こほっ、けほ」
替え歌で声を枯らした聖女が咳込むのを聞いて、ヴァルディは我に返った。
そして、聖女を罵倒する気満々だったその口を開き、こう言った。
「なんか温かいもの飲むか……?」
ヴァルディは温かい紅茶を二人前載せたお盆を手に、地下牢に戻ってきた。両手が塞がっているので尻尾で器用に鉄格子を開けて、中に入る。
初期位置(床)から動いていなかった聖女は、優雅なティーセットを持ち込んできたヴァルディを、きょとんとした顔で見上げた。汚泥よりも濁っていた彼女の瞳に、微かな光が射す。
「ほら、紅茶淹れたから。とりあえず飲め」
「えっあなた神……?」
聖女はようやく三角座り横転スタイルを解除し、よろよろと起き上がった。ヴァルディはお盆を持ったまま牢の中を見渡し、テーブルも何もないことに今気づいた。牢には固いベッド以外の家具はない。まさか捕虜にした聖女と茶をしばくとは思っていなかったから無理もない。
仕方がないので、ヴァルディは牢内で唯一の家具であるベッドに腰掛け、聖女にも座るように勧め、ふたりの間にお盆を置いた。幸い床並みに固いベッドなので安定はいい。カップに紅茶を注ぎ、聖女に手渡す。
「わ、わー……紅茶だあ……式典の時しか飲めないやつだあ……わああ、高級品の蜂蜜まで……やっぱりあなた神……?」
聖女は青白かった頬を喜びに染めて、いそいそとカップを受け取った。一口飲んで、「あったかい……美味しい……もしやあなた、紅茶の神……?」と、感動の面持ちでヴァルディを見つめてくる。
戦った人間たち同様、聖女からも悪魔呼ばわりされるだろうと思いきや、この短時間で三度も神扱いである。ヴァルディは心配になった。こいつは本当に、王国の鼻持ちならない「聖女様」なのだろうかと。
「紅茶の神じゃねえよ。俺は見ての通り魔族だ。この角が見えねえのか」
「すみません、魔族の方を実際に見るのが初めてで……。確かに角ですね。羊みたいにくるんとしてて可愛い……えっ、つまり羊の神……?」
「なっ、可愛っ、だ、だから神じゃねっつってんだろ、おい蜂蜜もっと使えよ喉にいいんだから」
「えっいいんですか蜂蜜……そうか、蜂蜜の神……!」
ティースプーンで掬った蜂蜜を幸せそうに口にする聖女を、ヴァルディはまじまじと観察した。
白い肌。白銀の髪。さきほどまで三日前に死んだ魚よりも鮮度を失っていたが今は紅茶と蜂蜜を前に輝きを取り戻した、美しい薄青の瞳。
褐色の肌、黒い髪、紅の瞳をしたヴァルディとは全てが正反対の、儚い色彩の女性である。
聖女が心ゆくまで蜂蜜を舐め、紅茶を飲み干すまでをぼんやりと見届けてから、ヴァルディは口を開いた。
「落ち着いたか?」
「はい! ありがとうございます、神……じゃなくて、魔族の、えーと……?」
「ヴァルディ」
「ヴァルディさん。はじめまして。私はシェリネです」
人間に名前を求められたのも初めてなら、名乗り返されたのも初めてであるヴァルディは、奇妙な心地がした。この心地を何の感情に分類すればいいのかを考えた末、『見た目だけじゃなくて名前まで弱そうで哀れである』という憐憫を抱いたのだ、と思うことにした。
「聖……シェリネ。お前、本当に聖女か?」
想像していた聖女像とは全く異なるシェリネを前に、もしやいけ好かない聖女が身代わりを立てたのではないかと思い、本物かどうかを確認してみたのだけれど、途端にシェリネの顔が曇った。
「あー……はは……ですよねー……聖女に見えませんよねー……」
きらきらしていた彼女の瞳から、凄まじい勢いで輝きが失われていく。
「心身ともに清らかであることが聖女の資格なのに、あのクソ神官ども滅びろって歌っちゃった私の心が清らかなわけないし……身体の方だって、もう……二日もお風呂に入ってない……」
すっかり死んだ目に戻ったシェリネに、ヴァルディは驚愕した。その瞳の儚げな色彩が変わったわけではないのに、体感的には薄青が墨汁色になったかと思うほどの死に具合である。
「きっと明日には風呂なし三日目の不潔な身体として、聖女の資格失うんだ……はは……いや、いいんですよ、もう、私なんて用なしの存在ですから……もうお前には魔族に嬲られて相手の怒りを鎮める以外に使い道がないって、迅速に捕虜として送り出された粗大ゴミですから……」
「そ、粗大ゴミ」
紅茶を出した時にはしゃんと伸びていたシェリネの背が、速やかに丸まり始める。鋭角の猫背で鬱々と覇気のない声を垂れ流すシェリネを前に、ヴァルディはどうすべきか分からない。
「もう誰も私を聖女として求めないでしょうし……なんか私のせいで魔族の国に喧嘩を売ったことになってますし……」
こちらが何もしなくとも全自動で絶望していくシェリネが、何か重要そうなことを口走ったので、ヴァルディは彼女のか弱い声に必死に耳を傾けた。
「魔族の領土が欲しいって言ってさぁ……聖女のご神託ってことにして国民煽ってさぁ……いやそんなの知らんよ。言っとらんよ。神の声とか聞いたことないよ。そんなの神殿が一番知ってるでしょ。そして負けたら全責任を私に押し付けて躊躇なく賠償金代わりですよ神は死んだ……」
「!」
ヴァルディはうろたえた。聖女に怒りを抱く最大の理由だったはずの「聖女が神託とか抜かして戦争を仕掛けた」が、事実ではないことがあっさりと分かってしまったからだ。
もちろんシェリネが嘘をついている可能性だってあるのだが、否、この粗大ゴミよりも粗大ゴミの自覚を持ち、煮干しよりも干からびた目をし、死霊術傀儡よりも死んだ声を垂れ流す彼女に、嘘を吐くほどの元気があるとはとても思えなかった。
「きっと国のみんなに、嘘の神託でやらかした偽聖女だって思われてる……聖女であること以外、私に存在意義なんてないのに……私はもう聖女じゃない……あれ、涙出てきちゃった……はは……枯れたと思ったのに、水分補給したらすぐに出るんだぁ……人類の神秘だぁ……貴重な紅茶を無駄にしてごめんなさ……うっ、ううう」
シェリネは両手を膝の上で握り締め、べそべそと泣き始めた。ヴァルディはビクッと肩を跳ね上げ、意味もなく牢の中を見回し、どうすべきかと頭を抱え、やがて恐る恐る、シェリネの猫背に手を置いた。
「なんか、その、わ、悪かった。聖女に見えないから聖女かどうか確認したわけじゃなくて、うん、シェリネはすごく聖女っぽい見た目だと思うぞ、色とか」
泣かせて土下座させる予定の相手だった、ということをうっかり忘れながら、ヴァルディは慣れない手つきでシェリネの背を撫で、懸命に励ました。
「聖女の資格だって大丈夫だと思うぞ、本当に心が清らかじゃない奴は心が清らかじゃないことを落ち込まねえだろ。風呂だって二日くらい入らなくても誤差の範囲だ、なんかお前いい匂いするし、大丈夫だって、シェリネは聖女だ、なあ、泣くなよ」
「で、でもぉ……風呂なし二日まではギリいけるけど、三日目には聖女じゃなくなるって、先代聖女の日記に記載がぁ……」
「分かった、分かったから、あとで風呂に入れてやる、好きな入浴剤も使わせてやる、だから泣かないでくれ」
ヴァルディは腰掛けているベッドのシーツを適当に引き千切り、「ほら鼻水を拭け、いらない布だから遠慮するな」と、シェリネに差し出した。そしてしばらく、シェリネがシーツだった布を顔に押し当てて泣くのを黙って見守った。
「すみません、ヴァルディさん……気を遣わせて……」
顔を上げたシェリネに微笑まれて、ヴァルディは慌てて目を逸らした。潤んだ彼女の透き通った瞳を、どうにも直視できなかったからである。
「ヴァルディさんは優しいですね……」
「え、いや、まあ、別に気を遣ったわけじゃないし。これくらい普通だし」
「王国の兵士を皆殺しにしたヤバい魔族が『聖女泣かす』と言って私の身柄を求めてきた、と事前に聞かされていたのですが」
「うっ」
「ヴァルディさんはただの牢屋の見張りなのに、私に紅茶を持ってきてくれたり、励ましてくれたり。そのなんかヤバい魔族とは全然違う、優しくて親切な魔族なんですね……!」
「うっ!」
純粋な感謝の念で輝く瞳で見つめられ、ヴァルディは罪悪感に胸を押さえた。そう。罪悪感である。この動悸・息切れの原因には他の要素もある気がしないでもないが、現在のヴァルディに認識できる自分の感情は、罪悪感の一点のみだった。
「しかし、私を捕虜に求めたというヤバい魔族の方は、いつ牢屋に来るのでしょうか?」
「えっ、あー、いやー」
「一体どんな怖い方なのでしょう……王国への賠償に私情を反映できるくらいですから、きっと高位魔族の方ですよね。あのクソ神官その1なんて言ってたかな。『火炎の悪魔』とか『煉獄のお留守番』とか、ともかく炎っぽい呼称で呼んでいた気が」
「うっ」
「見た目は確か、黒い髪で、浅黒い肌で、瞳の色が……」
「そそそそんなことよりシェリネ、腹は空いてないか?」
雑過ぎる話題転換だったが、シェリネはものの見事に食いついた。
「空いてます! あらゆる意味で胃に穴が開きそうな状態です!」
「よし。ただの牢屋の見張り番かつ炎とは無縁かつ全く地位の高くない俺は、上司の命令で監視している捕虜のお前を餓死させるわけにはいかないから、今からお前に飯を食わせようと思う」
ヴァルディは魔王城の敷地にある自宅にシェリネを連れ帰り、魔動式冷蔵庫にあった適当な食材で、手際よく料理を作った。決して台所を覗くなよとシェリネに言い、炎を自在に操って料理を完成させていく。
シェリネはテーブルに並べられた料理を、喜色満面で頬張っていった。
「美味しい」「神」「焼き加減が神」「出店レベル」「繊細な火加減が神の御業」「見張りの前職は料理長ですか」「総じて神」等々、シェリネの惜しみない賛辞にヴァルディは鼻が高い。
「いやまあこれくらい普通だし。家庭科で5を取った俺には造作もないし。っていうか、王国の『聖女様』なら、普段からもっといいものを食ってんじゃねえのか?」
「いえ、聖女は清貧を体現しないといけないとかで、質素な食事です。主に草です。味の付いた飲み物すら、式典など外部の人がいる席でしか出てきません。クソ神官……神殿の運営中枢を担う皆さまは別ですけど。神殿の内装も清貧の真逆えっ嘘このお肉超美味しい」
神殿の話をするときシェリネの目が死にかけたが、口にした肉料理に一瞬で心を奪われたらしく、あっという間に瞳を輝かせた。
そのことに非常に気分を良くしたヴァルディは、いそいそと肉を切り分けてシェリネの皿に追加する。味変用の別添えソースもかけてやる。他人の食事を見るのがこんなに楽しいとは知らなかった。
やがてシェリネは皿の肉を平らげ、「ああ……肉欲に溺れるって、こういうことなんですね……」と、大変幸せそうに微笑んだ。肉料理のレパートリー増やそう、とヴァルディは密かに誓った。
満腹になったシェリネは、しばらく恍惚とした顔で放心していたが、ハッと我に返り、辺りを見回した。上等な調度品が揃った居心地のいい部屋に、なぜか捕虜である自分がいる謎を改めて認識したようで、急に不安そうな顔になる。
「あの、ヴァルディさん。私、捕虜なのに牢屋にいなくていいんでしょうか? ヴァルディさんの上司だという、ヤバい魔族の方に怒られませんか? というかここ、どこですか?」
「えっ、あー、いやー、な、なに馬鹿なことを言ってるんだ。ここが牢屋だ。さっきまでお前がいた場所は待合室だ。俺は上司の命に従い、捕虜であるお前を正しく牢屋に移送したんだ」
「えっここが牢屋? てっきり待合室の方が牢屋かと……というか待合室って……?」
「ま、全く、人間は常識がなくて困るな。魔族の文化ではこれが常識だぞ」
ヴァルディは大嘘をこいてみたが、素直な性質らしいシェリネは「へー!」と素直に大嘘を受け入れた。魔族の文化ではこれが常識、という最強の説得カードをヴァルディが手に入れた瞬間である。
「じゃあ、客間に案内するから。ひとまず今日はそこで寝ろ」
「客間」
「ま……魔族は牢屋のことをお洒落に客間と言うんだ。魔族の文化ではこれが常識だぞ」
その後ヴァルディは、シェリネを確実に牢屋ではない豪華な客間に連れていき、確実に捕虜の待遇ではない広々とした浴室に案内したが、彼女は「魔族の文化」の一言で全てを受け入れた様子だったので問題はなかった。
約束通りにお風呂の許可をもらったシェリネが、嬉々として「では、ひとっ風呂浴びてきます! 聖女資格の喪失の危機、回避です!」と浴室に消える姿を見送り、ヴァルディはほっと一息つく。
客間のフカフカした椅子で彼女から身の上話を聞き出したところ、名声輝かしき「聖女様」が、神殿による金集めの道具としてゴリゴリに搾取される存在だったことが分かった。
それでもシェリネは「聖女であること」を大切に思っているらしいのが、ヴァルディにはよく理解できないのだけれど、彼女が大切に思っていることは大切にしたいとは思うので、毎日お風呂に入れてあげようと思ったし、なぜ自分がそう思うのかは、やっぱり分からなかった。
分からないことだらけではあるが、風呂上がりのシェリネが「牢屋のお風呂って広いんですねー」と、ほこほこ湯気を立てながらにこにこしている姿が可愛かったので、全部どうでもよくなった。
「おいシェリネ。風呂上がりのアイス食うか?」
「神……!」
こうしてヴァルディは、「聖女絶対泣かす」の初期方針を「聖女お腹いっぱい食べさせて暖かいお布団で寝かせてあげたい」に大転換させた。
転換ついでに、魔族に喧嘩を吹っ掛けシェリネをこき使った神殿の上層部各位の首を切り落とし、箱に詰めてシェリネにプレゼントする方針も追加した。
シェリネを捕虜にしてから、一か月後。
「どうだい、ヴァルディ。聖女ちゃんは元気かい?」
「もちろんシェリネは今日も可愛い、違った、もちろん今日も捕虜として、馬車馬の如くこき使っている。今は楽しく編み物、じゃなかった、不眠不休で内職をさせている」
「それはそれは。ヴァルディは容赦ないねえ」
「当然だ。仲良く一緒に暮らしてるとか全然そんなんじゃないから。全然可愛がってないから。毎日ものすごく虐めてる。昨日はヒンヒン泣かせてやった」
昨日、シェリネに「巣蜜のせトースト」を出してみたら、蜂蜜好きの彼女は泣いて喜んでくれたのだ。ヴァルディは鼻が高かった。
「そうかいそうかい。いやー、ヴァルディが楽しそうでよかったよ」
「ああ。毎日超楽しい」
魔王への報告を終えたヴァルディは、いそいそと自宅に向かった。シェリネへの贈り物を抱えた足取りは軽い。
彼が最初に思いついた贈り物は箱詰め生首だったが、その計画は数日前に頓挫していた。
シェリネの喜ぶ姿に思いを馳せたヴァルディが、嬉々としてブツを箱に詰めていたら、その姿を目撃した魔族たちから、「聖女ちゃんにそれはやめとけ馬鹿」「優しくて親切なヴァルディさん路線を死守しろ阿呆」「プレゼントに死体チョイスする彼氏とかドン引くっていうかぁ」「だから顔はいいのにモテないんだ」「魔王城の庭で作業しないでください苦情が来てます」等々の大ブーイングを受けたからである。
仕方がないので箱詰め生首プレゼント計画を諦めた彼が、代わりに贈ることにしたのが足輪だった。
魔族界隈では婚姻の意味がある足輪だが、もちろん全くそのような意図は微塵もないし、人間の文化では罪人には足枷を嵌めるそうだから、捕虜であるシェリネにその立場を分からせるために足に輪っかを着けさせるのであり、あなたがとても愛おしいですという本来の意図はこれっぽっちも込めておらず、捕虜に相応しい当然の措置なので、何ら特別性はない。
という論理武装を完了したヴァルディは、宝石をあしらった大変美しい足輪を、シェリネに差し出した。
「わあ、綺麗な腕輪ですね!」
「腕じゃねえよ、足に着けるものだ。ほら、シェリネは捕虜だから、足枷を着けないといけないんだ。さっさと足を出せ」
「なるほど! あれ、でも、なんか私の知ってる足枷とだいぶ違うんですが……?」
「全く、シェリネは無知で困る。これが普通の足枷だ。魔族の文化ではこれが常識だぞ」
毎日のように吐かれるいつもの嘘を、今日も素直に信じて「魔族の足枷はお洒落なんですねー」と感心しているシェリネの前に、ヴァルディは跪き、丁寧な手つきで彼女に足輪を嵌めた。
最近ではめっきり死ななくなった彼女の目が、きらきらと輝くのを見て、ヴァルディは幸せな気持ちになる。
「綺麗ですね!」
「ああ、すごく綺麗だと思う」
そう応じるヴァルディの声が、特別に優しいものであることを、シェリネは知らない。
■登場人物紹介
・ヴァルディ
巣蜜の安定供給のために養蜂を始めた。
ギャン泣きさせる気だった罪悪感、不憫な聖女人生への同情心、無自覚な恋心がミックスされた結果、シェリネにとても甘い。
「聖女を捕虜に求めた魔族は現在出張中」という嘘で状況を誤魔化している。優しくて親切なヴァルディさんの言葉なので、シェリネはあっさり信じている模様。
・シェリネ
聖女の資格を失ってしまうので絶対に風呂キャンセルしたくない界隈。
王国では聖女として搾取されて大変だったが、捕虜になってからは毎日が幸せ。
歌うことで癒しの力を行使できる。「ヴァルディさん神曲」なる聖歌の替え歌を熱唱してもらったヴァルディは、お肌がツヤツヤになったらしい。
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以上、聖女・イン・魔王城ラブコメでした。
本作を好きと思ってくださった方は、同シリーズの
『初夜のベッドに花を撒く係、魔族の偽装花嫁になる』もぜひ……!
こちらは初恋をこじらせた魔族の愛がちょっと重めですが、おおむね平和なメイド・イン・魔王城ラブコメです。