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プロローグ

 僕はこの光景を一生忘れることはないだろう。

 僕は目の前の、大好きだった少女をこの手で殺すのだ。

 この手を彼女の血で濡らし、その血で濡れた手で彼女を救うのだ。

 こんな手ではもう彼女を抱きしめることはできない。

 それでも、彼女を救えるのなら。

 だから、僕は彼女を救うために、彼女を殺すのだ。


 ***


「はっ、はっ、はっ……くしょん!」

 薄暗い山の中に似つかわしくない、間抜けなくしゃみの音がこだまする。

 季節が春になったとはいえ、さすがに日の出前の山には冬の寒さが残っていた。それも考慮してそれなりに厚着をしてきたつもりだったのだけれど、それでもあんな間の抜けたくしゃみを響かせてしまうくらいには、寒さが体を貫いてきている。


 青白い月明りに照らされた山道は幻想的だった。

 同じ山でも日中とは違う姿を見せてくれる。その一方で数メートル先すらおぼろげな視界は一瞬で死へと転がり落ちる危険性もはらんでいる。そうでなくとも、山に棲む獣が目を覚まして向かってくるようなことになれば、一人の人間などひとたまりもない。

 幸いなことなのか、ときおり獣の唸り声のようなものがどこかから聞こえてくるが、目を覚ました獣が現れるようなことは今のところなかった。山の獣にとって僕のくしゃみなんかは目覚ましにもならないのだろう。

 そもそもの話、こんな薄暗い時間に山など上るべきではない。山に住む人間ならそんなこと当たり前中の当たり前だ。そんなことは重々わかっているのだが、今朝はどうにも嫌な夢を見てしまったせいで、目が冴えて眠れそうになかった。そこで気晴らしも兼ねて、山の中にある僕のお気に入りの花畑で朝日でも見ようかと思い立って、家をこっそり出てきたわけだ。

 そんなこんなで日も昇らないこんな時間から山を登っているんだ。


 自分でも花畑がお気に入りなんて女々しいと思うけれど、家に居場所のない僕にとって、今はもういない家族との思い出の場所である花畑は、ただ一つの心のよりどころなのだ。僕はあそこから見える世界を見つめて、その先にある世界に思いを馳せるのだ。

 急に思い立って家を出たにはいいが、夜の山道は予想以上に険しかった。麓の村育ちでこの山を庭のように思っていたのだが、日が出てるかどうかだけで同じ山道でもこれほど様相を変えるなんて思ってもいなかった。


 いつもよりも時間をかけて、やっとの思いで山道の途中にある狭い洞窟を抜けると、木々の間の円形に開けた場所に出る。

 洞窟を出たことで開けた空を見上げると、少しだけ空が白んできていた。この調子ならなんとか日の出前には花畑に着けそうだ。見た感じ、雲もそれほど多くなさそうなので、朝日をみるにはちょうどいい天気だろう。

 洞窟に背を向け木々の合間の道なき道をまっすぐに進む。乱雑に生えている木々を抜ければ、————そこが目的地の花畑だ。


 この花畑は崖の上にあり、ちょうど山の連なりの隙間から朝日がのぞけるようになっている。狭い洞窟を抜けた先にあるのもあり、日中でも人が来ることは全くないので一人になりたいときにはもってこいの場所だ。

 もともとここは父さんのお気に入りの場所で、母さんと最初に会ったのもここだったらしい。ここに来るといつも『出会った瞬間に運命を感じた』とか『一目ぼれした』だとか、そんな話をしていた。そしてそれを言った後、最後に必ず『だから、俺の中でここの景色は特別なんだ』と遠くを見ながらそう付け足していた。————そんな何気ない日々も、遠い昔だ。


 僕が着いたタイミングはちょうど朝日が山と山の間から顔を出したところだった。

 登っていく太陽のまばゆい光を受けた小さな花の一つ一つが光の粒子を散らしていた。風に乗った光の粒子は弧を描くように舞い上がり、一日の始まりを歌い上げているようだ。

 しかしそんな花々の輝きすらもかすむほどの存在感が花たちの中央に佇んでいた。

 腰まで伸びた長く美しい金色の髪が朝日を反射させ、風になびいている。身を包む真っ白なワンピースも光を纏っているみたいで、彼女はただ立っているだけなのに、上りゆく朝日を眺めているだけなのに一枚の絵画のようにきれいで目が離せなかった。

 結局、朝日を見に来たはずが花畑の外から少女の背中を見つめ続けていた。


 どのくらい時間が経っただろうか。

 気がついたときには朝日は完全に地平線から顔を出していて、空は雲一つない奇麗な青に染まりはじめていた。朝日が目的だったはずなのに視界の外に追いやられていて、それにすら気が付かなかった。————それ以上にいいものを見られたから全く気にならないけど。


 少女は朝日が完全に昇ったのを見届けると、くるんっと身を翻しこちらを向いた。

 ぼうっと彼女の背中を見つめていたせいで、少女が振り返ったところで、ばっちりと目が合ってしまった。

 合った瞬間、思わず目を逸らした。だが、それも一瞬ですぐに視線を戻したが、少女の姿はなくなっていた。

 いなくなった少女を探して視線をさまよわせていると、

「ねぇ—————、君は私が見えるの?」

 急に後ろから声をかけられ、驚きでビクンと体が飛び上がった。

 声の正体を確認するため、恐る恐る自分の背後を振り返ると、そこには先ほどの少女がこちらを覗き込むように立っていた。

 長いまつ毛に透き通った青い瞳、花びらみたいにきれいな色をした唇。さっきまで後ろ姿しか見ていなかったが、正面から見てもとんでもなくきれいだった。そんな顔でまっすぐこちらを見つめてくるものだから

「……み、見えますけど」

 気圧されるように自然と一歩後ろに下がって、しどろもどろになりながらも何とか答えた。

 そんな答えでも少女にはきちんと届いたようで、少女の顔色はパーッと明るくなり飛び跳ねるみたいに大喜びして

「ほんとに!?やった!!はじめて、はじめて私が見える人に会えた!」

 喜んだ勢いで抱き着こうとしたのか少女がこちらに両手を伸ばす。だがすぐに何かに気づいたように手を自分の背中にしまって、少しだけ寂しそうな顔をした。ごまかすみたいにその場でくるりと回転すると、表情は笑顔に戻っていた。

「うーん、顔は……まずまずかな。けどなんか、こう、びびっとくるものがあるねぇ」

 そのまま僕の周りをくるくると回りながら、大きな瞳で品定めでもするかのように全身を確認していた。

 よくわからないがなにかびびっときたらしい。……びびっとってなんだろう?

 そもそもこんな時間にこんな場所で女の子が一人なんて言うのも変だ。僕の村には僕以外の子供はいないし、周辺の村や街から来たなら僕の村を通らずにここに来るのは無理だ。小さい村だから、外から人が来たらすぐに噂が回ってくる。けど、そんなものはここ一年くらいなかった。————なんなんだこの娘?

 僕の疑念など知らない少女は僕のことをビシッと指さし、誰かに宣言するかのように声を上げた。

「よし!君に決めた!」

「……決めたって、何がですか?」

 僕が問いかけると少女は顔をぐいっと近づけ、先ほどまでとは違う真剣な表情で

「君にお願いがあるの。————私を魔女の森に連れて行ってほしいの」

 少女は言い終えると自分が言った言葉に照れるようにはにかんだ。

 その瞬間、花畑に心地のいい春風が舞い込んだ。風に舞いあげられた色とりどりの花びらが躍るようで、少女の少しだけ朱に染まった頬に色を添えた。

 そんな光景が妙に色っぽくて、心臓がドクンと跳ねた。心臓から押し出された血が体を駆け巡り、体中を熱くする。

 昔、父さんが言っていた言葉が頭をよぎった。

『お前にもいつかわかるよ。運命の意味』

 父さんに言われたその言葉の意味は、まだ幼かった僕にはわからなかった。でも今ならその意味がなんとなく分かる。そんな気がした。


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