美剣士と大魔術師と
あとで聞いた話である。
魔軍の中から中央のひときわ背が高い騎士が前に出るのをヒルダは見た。
黄金騎士を越えるかも知れない高身長であるが、手足が長く一方身体の厚みはほぼないためひどくバランスが良く見える。伝説の美剣士アサンダロのような体格だった。アサンダロは生来の運動能力と長い手足を生かした凄まじい剣技によってその強さを知られていたが、悲劇の主人公としても有名で、彼を愛し憎んだ主君の妻によって謀殺された。
進み出たその長身の騎士は兜を外した。驚くほどの美貌が目の前に現れ、ヒルダは思わず構えた。絶世の美貌というところまでアサンドロに似ていた。
アサンドロに似た人物が口を開いた。
「王子を迎えに来たら、まさかの侵入者とは」
大陸語を話したことに驚いた。魔王も大陸語を使うと言うことだろうか。
「魔王よ、待っていましたよ!」
ヒルダの背後でドウゼスが大きな声を上げた。振り返るとドウゼスが細い目を見開いて歓喜の表情で謎の軍を見ていた。
偽アサンドロは顔をしかめた。そんな表情でも絵になった。
ドウゼスの言葉が正しければ、目の前の軍は本当に魔王軍だということだろうか。
だが、偽アサンドロは
「何を言っている?」
「魔王よ、私は交渉がしたい、と言っているのです」
「わけがわからぬ。王が貴様如き弱者と会うと思っているのか?」
「もちろん我が身の至らなさは理解しております。ですが私は陛下が望むものを用意しております」
「……ふむ。そうか。お前が何を望んでいるかは理解した。だが一つ大きな問題があるぞ」
「あらゆる障害は私が全力で排除いたしますが」
「そういう問題ではない。お前が求める魔王は既にいない」
「ど……どういうことです? あ、あなたたちはーー」
「魔王は既に我が王が倒したと言っているのだ」
偽アサンドロがそう言いながら一人の戦士に視線を送った。
その視線の先を見て、ヒルダの背筋が自然に伸びた。
それは圧倒的な存在だった。神、に見えた。
見た目は平凡な戦士だった。武装も並んだ騎士達に比べるとずいぶん貧相だった。革と布で作られた肩当て以外は黒いマントで身体を隠し、フードの影に隠された顔に歪さはなかった。それでもなおその気配は群を抜いていた。恐ろしいのは視線を向けなければその恐ろしさが消えてなくなる、という事実だった。意識した瞬間、その気配が空間を圧するように拡がり、その威に討たれ動けなくなる。
恐怖に駆られたのか屍竜が狂ったように声を上げた。
恐るべき軍の中から地味な黒いフードとそれに似合わない指輪をあらゆる指に嵌めた小柄な男が進み出て、手を屍竜に向けた。
「ア・ガオス・バロ・アイナーム、畏るべきイグニス、全てを滅ぼすものよ、破壊の王よ、我が前に立つ敵をその牙をもって穿て」
その詠唱と同時に、何も無い空中に魔力が淀みそこに揺らめく七つの「鏃」が出現した。七つの「鏃」が一斉に回転をはじめると同時に目に見えない速度で射出される。
屍竜の身体のあちこちにポッと穴が開いた。
屍竜が大きな身体をよじってもがく。
魔術の奥義のひとつと呼ばれる「イグニスの矢」と呼ばれる魔術だった。その能力によって鏃の数は変わり、賢者レベルで矢の数は三つ。七つの鏃を射出できるのは「イグニスの矢」を産み出した大賢者アイドンのみと言われている。アイドンは知を極めるため禁じられたダンジョンに潜りその後消息を絶った二百年前の人間だ。
驚いた。魔王の配下であれば大賢者アイドンに匹敵する魔術師がいてもおかしくはなかったが、その魔術師が人間の魔術を使うことは想定していなかった。
文字通り一騎当千の敵が揃っていることの危険性に気づいたのだろう。金獅子騎士団の騎士が屍竜ではなく魔軍の方を向いた。
ヒルダはどっちを先に対応するべきかうろたえた。とはいっても魔軍と戦えるとは思えなかった。誰一人とっても自分よりも強い「軍」の相手など出来るわけがなかった。
魔軍の中でも最強と思われる存在ーー偽アサンドロが「王」と呼んだ戦士が顔を上げ、
「邪魔だな……伏せよ」
そういった瞬間、その場にいた騎士と名が付くもの全てが片膝をついていた。ヒルダの身体もまた勝手に動いて跪いていた。訳が分からなかった。戦士の言葉が届いただけで、自分の意志とは関係なく身体が動いていた。
「王」はふわりと浮いて、跪いた人間の上を跳び越え、屍竜に対して剣を抜き二度振るった。
屍竜はその二振りで首を断たれ、頭を縦に割られた。
音さえしなかった。
そのあと、思い出したように屍竜はその場に倒れ、その死体の上に二つに割られた頭が落ちた。その直後に肉が熔解していき、骨のみとなる。
あれほど圧倒的な怪物だった屍竜が一瞬で滅ぼされたことは明確だった。
ヒルダはそれを跪いたまま見ていた。
恐怖で身体が震えた。だが立ち上がることは出来なかった。身体の中にある剣精が身体を動かすことを禁じていた。
どうしたというのか。
威に討たれたというのとは違っていた。もっと根本的な何かが自分の身体に起こっていた。
「王」は血振りをして剣を鞘に収めた。
偽アサンドロが「王」のもとに歩み寄る。
「申し訳ありません。お手を煩わせました」
「気にするなアサンドロ。俺はまだ戦えぬほど耄碌していないぞ」
偽アサンドロをどういう意図かそのままアサンドロと呼んだ王に対して、大賢者クラスの魔術師が、
「しかし、王が手を出すと何もかもがあっさりと終わりますな」
「別に良かろう。それに俺を前にしてもお前のくどさは代わらんぞ」
「このアイドンをくどいなどというのは王のみですが」
「好んでここにやってきた変人はお前くらいだ。誰がどう見てもくどい」
「いや、しかしですな」
アサンドロが親しげにアイドンの肩を叩いた。
「我らはアンデッドだ。今さら言わなくても当然くどいだろう。それはアイドンも私も王も変わらぬ」
アサンドロ、アイドン、そして「王」が笑い声を上げた。
背後に立つ魔軍たちも一斉に笑い声を上げた。
そこではじめて魔軍の顔が見えた。
その眼窩には空洞しかなく、骨だけのものや、骨の周りに干からびた皮膚が残っているだけのミイラ姿のもの、さらには死霊のように魔力だけが人型を取っているものもいた。「王」は完全に骨のみで、アサンドロは顔が残っているように見えたが笑ったことでその顔は魔力で構築された幻像だとわかった。アイドンはミイラのように干からびた死体だった。
ではこの目の前の軍はアンデッドで構成された軍隊ということだろうか。
アンデッドの軍というのは通常その再生力と、攻撃に対して怯まない態度で恐れられている。だが目の前のアンデッドはヒルダの常識の中のアンデッドとはまったく異なっていた。一騎当千のアンデッドーー確かにそれは恐怖の対象でしかあり得なかった。
ヒルダはそこでとある事実を思い出した。
それはこの封印のダンジョンは長年デルモンテ王国の政争の道具となっていたという事実だった。
封印されており基本的に人が近づかず、加えて入り込めば確実な死が待つという危険性から、手を汚さず相手を殺す手段として使われてきたのだ。
実際、国王を凌駕する権威と竜をも殺す神の如き実力を持った初代剣聖を筆頭に、数多くの英雄や大魔術師がこのダンジョンに送り込まれた。美剣士アサンドロ、大将軍バッキリ、それ以外にも王や王族が邪魔と考えた数多くの傑物が封印のダンジョンで処分された。
その全員がアンデッドとしてここに生きているとすればーー。
ヒルダが思い至ったことに、他の誰かも思い至ったのだろう。
視線が混乱から恐怖へ変わった。
そこへ、
「うぇ。あんた、まさか、まさか初代剣聖様!?」
どこからか現れたばかりのややただれた感じの中年の騎士が呻くように言った。
それに目をやり「王」が言った。
「む? その身に俺が作り上げた剣精を宿しながら気づいてなかったのか。弛んでおる」
ヒルダは驚きと共に「王」を見た。
愕然とした。そうだ。そうなのだ。初代剣聖は「剣聖流」を広めるにあたり、自らの魂魄を加工して作り上げた「剣精」を、聖遺物に封じることで自分から分離して地上に残した。剣聖流において、剣の極みは肉体と魔力の双方を完全に制御しなければならない、とされる。だが初代剣聖以外はそれを為すことが出来なかった。剣精は、自動的に肉体と魔力を奥義の通りなぞるため精霊魔術における「精霊」として「剣精」を作り上げたのだ。当然、剣精はすべての剣聖流の剣士の魂魄とリンクしている。そしてヒルダのリンクは確かに「王」との繋がりを示していた。
「で、ではあなたが本当に……」
感動した。畏怖が崇拝へと置き換わった。ダンジョンの中、恐るべき魔物や敵と想定している金獅子騎士団の前で震えるほど感動していた。
目の前にいるのは伝説の中でしか存在しなかった相手だった。いや、ヒルダは身体の中で剣精を通じて初代剣聖をいつも感じていたとも言えた。
ヒルダは自分の胸を押さえる。心臓が高鳴っているのがわかった。
剣精を通じて感じる初代剣聖の剣技と体技と奥義は、実在を疑いたくなるほどの完成度だった。自分の剣の実力が上がれば上がるほど、その差を理解でき絶望的な壁を感じた。
だがその初代剣聖は実在した。
人類が乗り越えられない暴虐そのものであったように見えた屍竜をわずかにふた太刀で屠る神技を、ヒルダは自分自身の目で確認した。
その技は想像していたよりもさらに倍ほども鋭く、十倍ほども美しかった。
敬意よりも崇拝に近い感情が湧いてきた。
初代剣聖がヒルダを向き、ヒルダが手に持ったままだった剣に目をとめた。
「ほう。俺の古い相棒を使っているのか。残念ながら俺の息子は殺され、我が遺産は全て高弟たちに委ねられたと聞いている。ではお前は我が高弟の血に連なるものか……」
ヒルダは震えた。初代剣聖が自分に声を掛けたことに驚くほど感動していた。
魔軍の一人が頭を下げた。もしかしたら剣聖の息子を殺した当時に生きていた人間かも知れない。剣聖流はデルモンテ王国と建国から深く結びついており、政治的な繋がりも大きかったため、幹部たちは何人も封印のダンジョンに送り込まれた。
ヒルダは初代剣聖の言葉を噛みしめ、理解して、その直後、慌てて否定した。
「申し訳ありません! この剣は剣聖位を戴いた際に引き継がれたものでございます……」
「そうか。だが剣聖流を学ぶものは我が子も同然、よく来たな。歓迎しよう」
初代剣聖はアンデッドの骨の顎をカタカタと鳴らした。
「俺がハルシオンだ。剣聖流の創始者、ということになっている。実際は単に俺の戦い方をまとめただけで、創始者などと言われても困るのだがな」
「ヒルダ・アムスブルクと申します。先ほども言いましたが剣聖位に就いております」
ハルシオンはヒルダをじっと見た。
「ふむ……率直に言えば、弱いな」
「!……申し訳ありません。修行が足りませんでした……」
「それほど弱ければあれの相手はできまい。さてーー」
あれ? 疑問に思いながらヒルダはハルシオンの視線の先に顔を向けた。
その先にあったのは、「黒き神」だった。
「黒き神」はわずかな間に異様な変化を遂げていた。
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