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獣神の午睡


     @


 あとで聞いた話である。


 金獅子騎士団の団長であるケオロンは煙管を口から外し長々と紫煙を吐いた。


 ケオロンは彼が攻略本部と勝手に決めた場所にいるが、そこは金獅子騎士団の本部でも詰め所でもなく、『獣神の午睡』という名前の薄暗い娼館だった。


 一応、貸し切りにしてあるが、昼間でありさすがに別の客が姿を見せることはなかった。


 『獣神の午睡』は二階が娼婦が相手をする用の個室になっており、一階が広い待合所として、タバコや酒、軽いつまみを楽しめる空間となっている。


 ケオロンも今日は一階の待合所にいるのだが彼の周りにいるのも娼婦たちばかりで、騎士姿の男は二人だけ。その二人もいたたまれないのか壁際で固まったまま動こうとしない。


 ケオロンは鎧も身につけず鎧下だけで、長毛の絨毯の上に置かれたクッションにもたれかかっていた。横にはお気に入りの娼婦のアイリが薄物一枚でケオロンが一服吸う度に煙管の葉の詰め替えを行っており、その間にケオロンが胸もとに手を伸ばそうとしてははたかれていた。


「そろそろ二層くらいにはたどり着いたのかねぇ」


 ケオロンの独り言に『獣神の午睡』にいる騎士二人のうちの一人、マーセルが反応した。


「はい。予定では二層に到達し、三層に向かっているということになってます」

「そっか……でもまず無理だろうなぁ」

「どういう意味でしょうか?」

「ダンジョンってのはそんな生やさしいものじゃないよ」

「しかし、大隊規模での攻略は対魔獣相手にも効果があるのではないでしょうか?」

「どうかねぇ。深層の魔獣は、別物だって聞いたけどなぁ」


 今まで黙っていた騎士のもう一人、ウルガが険しい顔で口を挟んだ。


「お伺いしていいですか?」

「ん? なんだい?」

「ダンジョンについて知識もあるのになぜ団長はダンジョン攻略に参加されないでしょうか?」


 不快を隠さないその口調に、ケオロンは苦笑を漏らした。


「俺は封印のダンジョンには入らない。というか入れなかったんだよ」

「どうしてですか?」

「これだ」


 ケオロンは床に放り出されている剣を煙管の先で指した。


「俺の剣は別のダンジョンから出たものだ。虚栄のダンジョン産だな」


 マーセルとウルガは驚いた顔で鞘に入ったままの剣を見た。ダンジョン産のアイテムは特別な力を持ち極めて高価なものが多い。王都で屋敷が建つほどの値段だ。平凡などちらかというと古びた安物の鞘の中にそのような宝物が入っていることが信じられない顔を二人はしていた。


 ケオロンは気怠げに首を振って、


「別ダンジョンの産品はダンジョンの中には基本的に持ち込めない」

「……」

「そして俺はこの剣無しで戦える気がしないからね」

「し、しかし」

「ただの剣を使った俺はただの優れた剣士だ」

「……優れているのなら入ればいいじゃないですか?」

「ダンジョンの中の相手は魔獣で魔獣の相手は組織戦闘だろ? 組織戦闘になれない平凡な優れた剣士の出番じゃないよ。しかも普段訓練に参加しない団長がいたら慣れない緊張でポカをするものも出てくる。ダンジョンでそれは命取りだ……剣さえあればそれなりの戦闘力を発揮できる自信があるんだけどなぁ。ま、俺の分は間に合った騎士殺しが頑張ってくれるだろ」

「……」

「閣下には深い考えがあって為されたことと、理解しました。失礼しました」

「うん。気にしないでいいよ」


 ケオロンはひらひらと手を振って、その手をごく自然に、岩の間に逃げ込む魚のような早さでアイリの胸元に差し込もうとして、すんでの所で止められてつねられた。


「痛い痛いって!」


 そう言いながら、ケオロンは右足で剣を引き寄せた。


 マーセルとウルガも気配に気づいたようで戸口の方に視線を向けた。


「おう。戻ってきたか、ブエロ」


 入ってきたのは金獅子騎士団のブエロ、だけではなかった。口ひげの下の唇を苦く歪めた騎士に続いて女性が二人、三十代と思われる男性が一人、そして十六、七の少年が姿を現した。


 マーセルとウルガが表情を消し、武器に手を掛けた。アイリが怯えた顔で離れていく。


 ケオロンは引き寄せた剣を拾うと立ち上がった。


 にこやかな笑みで


「なんだ? 連れて来ちゃったのかよ」

「も、申し訳ありません」


 ブエロが慌てて謝罪する。


「ま、いいさ。で、そいつがアリュール商会の会頭さんかい?」


 カエラが艶然と笑みを浮かべて一歩前に出て優雅に頭を下げた。


「はじめまして。アリュール商会で会頭をやらせて頂いておりますカエラと申します」

「ありゃ、こりゃご丁寧に……俺はケオロンだ」

「ケオロン様と言えば、金獅子騎士団の騎士団長のーー?」

「ああ、そのケオロンで間違いない。似合わない役目だと自覚しているよ」

「ケオロン様と一度お話ししなければと思っておりましたので思いがけない幸運です。その上で改めまして今回のことは公式に抗議いたします。アリュール商会はデルモンテ王国の正式な認可を受けた商会です。商会そのものの監督権は司農卿が持ち、各都市の治安維持組織も捜査権を各支部に対して持つのみです。どのようなお立場で、金獅子騎士団がアポリオンにあるアリュール商会本部を囲み、さらに我らを連れ出そうとしたのでしょうか?」

「あれ? そんなことしたの?」


 ケオロンはブエロの方を見た。


「め、命令通りに」

「命令通りじゃないでしょ?」

「いや、し、しかし!」

「命令は皆殺しだったじゃない? 連れてきたのは命令違反だよ」


 一瞬で空気が変わった。


 ミガールがカエラを守るように前に出る。カエラは表情を変えなかったが、メレーは怯えた顔を見せた。


「ほら、俺が直接やることになっちゃったじゃない? ま、部下の尻拭いも仕事だからいいけど」


 アイリが呼んできたのか階上から娼婦たちが降りてきて、階段の途中で怯えた顔でフロアの様子を見守っていた。


 ケオロンはゆっくりと剣の柄に手を掛けた。


 不思議なほど殺気はなかったため、どこか芝居のような空気感があった。


「ちょっと汚すぞ」


 だが、


「ダメ!」


 という叫びが階上から降ってきた。


「あん?」


 娼婦の一人が駆け下りてきた。


「なんだ? メルヒアちゃんかよ。いや、わかるよ? 女の子はあんまりこういうの好きじゃないよね。好きって言われたらむしろドン引きだよ。しかし仕事だからなぁ」


 メルヒアは恐れることなく体当たりするようにケオロンに抱きついた。腕を回して動けないようにする。


「でもダメ! お願い」

「お、おう……う。や、柔らかいな。くぅ」

「女の前で子供は殺さないで。私は娼婦だけど、でも、子供を殺すのはダメ。許さない!

「子供はダメ? なぜだ?」

「なぜも何も、男も女も女が産むからよ!」


 ケオロンは目を見開いた。あっけにとられた顔でまじまじとメルヒアを見た。それから右腕を抜いてガリガリと頭をかいた。


「……俺、女の子のお願いには弱いんだよね」


 ケオロンが迷っていると、目の前の「獲物」にも混乱が発生していた。どういう関係かわからなかった十六、七歳の少年がひどく動揺していたのだ。 その少年は、動揺したまま隣の男に訊いた。


「そ、それは本当なのか? 人間は男も女も女から産まれるのか?」

「は、はい」


 少年は衝撃を受けたようにのけぞった。


 それから恐る恐る、


「まさか……まさか俺もか?」

「た、たぶんそうですね……」

「どうやってだ? どうやったら女から俺が生まれるのだ!?」


 訊かれていた三十代の男に動揺が伝染した。


「ど、どうやってかと聞かれると……」


 救いを求めるように周囲を見回すが、もちろん誰も答えを返さなかった。ケオロンは、仕方がない、では百戦錬磨の俺が、と口を開こうとしたとき、


「あれ? もしかしてアーシュちゃん?」


 ケオロンに抱きついたままのメルヒアが少年を見て声を上げた。


「む。ああ、たしかメルヒアだったか」

「そうだよ。忘れないでよ、もう!」

「そうか。ここはメルヒアの家であったな」

「何言ってんの、家のわけないじゃん。そっかぁ、客として来るって言ってたもんね……待ってたんだよ?」


 メルヒアがケオロンから離れてアーシュと呼ばれた少年の方に向かった。


 アーシュは慌てたように手を上げてその歩みを止めた。


 メルヒアが不機嫌そうに唇を尖らせる。


「なに?」

「ま、待て。そこから近寄るな。まだメルヒアのデバフには抵抗できぬようだ」


 メルヒアはちらりとアーシュの下半身を見てはーんという顔で笑みを浮かべた。


「つまりそういうことでしょ? 大丈夫、怖がらなくて良いから。お姉さんにどーんと任せなさい」

「待て待て! ダメだ。あ、そうだ。メルヒアが教えてくれぬか? 女から男も女も産まれると聞いたが事実なのか? 事実だとするとなにをどうやったら産まれるのだ?」

「ふぅん。興味あるんだぁ。大丈夫大丈夫、そういうのも全部まとめて教えてあ・げ・る」


 メルヒアが舌なめずりをした。ケオロンもつばを飲み込むほど色っぽかったが、アーシュは震え上がった。


 アーシュはメルヒアがゆっくり近づくのに対してゆっくり後ずさっていき、その距離は縮まらなかった。フロアをぐるぐると回る。


 それを眺めながら、妙なガキだな、とケオロンは思った。


 アリュール商会の会頭のカエラは芯は強い女性だが、戦闘力は皆無。三十代の男も同様で戦闘の経験はないだろう。二十代の女は元潜行者のようで、それなりにできるようだが、ケオロンの敵では無い。だが気配を探ってもアーシュの強さは読めなかった。


(だが、ま、誰であっても俺ならいつでも倒せるだろう)


 そう考えた瞬間、アーシュが後ずさりながらこちらを見た。


 一瞬、目が合った。


 それだけで、ケオロンの背筋に冷たいものが走った。身体がこわばった。剣に伸ばすべき手でさえ、固まったように動かなかった。


 脳がゆっくりと痺れていく。自分に何が起こったのかわからなかった。


 ケオロンはだがすぐに理解した。


 これが久しく感じなかった恐怖だと。


 つまり無意識でアーシュがケオロンよりも圧倒的に上位だと認識している、ということだった。


 だが、それでもなおケオロンは納得しなかった。アルカサール男爵に就く前のドウゼスの護衛として大陸を自在に往来していたケオロンは、様々な危難に遭ってきた。その全てを自分の力で切り伏せねじ伏せてきた。自分の強さは良く分かっている。上級の騎士団の団長レベルでも勝利できる自信があった。


 何かの勘違いのはずだ。


 ケオロンは恐怖を振り払い、アーシュの一挙手一投足を目を細めて見る。その動き、足運び、体重移動、そして魔力の移動、すべてをつぶさに見る。その上で、


(……あれ? もしかして、俺、全然勝てなくね?)

 

 目の前にいたのは見たこともない怪物だった。


 自分の半分ほども生きてないはずなのに、いったい何をどのような鍛練を積めばこんな怪物が生まれるのか。


 気がつくと口の中がカラカラになっていた。


 衝撃だった。


 訳が分からなかった。


 自分より強い、しかも圧倒的な強い相手がなぜこんなところにいる?


 今まではそういうのは山奥で修行中とか、ダンジョンの中に籠もったまま出てこないとか、伝説の中とかそういうところにしかいなかったはずだ。


 その相手が、なぜかメルヒアから逃げ回っている。巨大な真竜が兎から逃げ回っているようだ。


 ケオロンの足が後ずさっていた。ここから逃げ出したい。息が吸えない。恐怖とは、死の予感とはここまで人を竦ませるのか。


 救いを探したが見つからなかった。生き残るために出来ることは何かないか。


 必死に探す。


 突然、そこへ見知らぬ少女が飛び込んできた。


 訳が分からなかった。


「アーシュ!」


 少女は泣きそうな顔で、首を巡らしアーシュを見つけると


「パパが騎士団の人に連れて行かれちゃった! 助けて!!」


 真竜が足を止めて少女の方を見た。


「ベルケスのことだな。当然だ。どこにいるかわかるか?」


 少女はぷるぷると首を振った。


 ケオロンは必死に一歩進み出ていた。そして、


「あ、俺、わかります!」


 真竜がケオロンを見た。その視線に敵意以外のものを見つけて、ようやくケオロンは呼吸が出来るようになった。


読んでいただいてありがとうございます。気に入っていただければブックマークをぜひお願いします。

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