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それはあまりにも強力な敵だった。


      @


 地上に出た直後、俺は圧倒された。


 恐怖を覚え、気がつくと俺は近くの建物に身を隠していた。


 剣の柄に手を掛けたまま、小さく身をかがめ周囲を伺う。俺が隠れた建物は二階建てのようで二階に人の気配はあったが、一階に人は居なかったから少しだけ安堵できた。


 今までに無い経験だった。俺は十歳からずっと戦争では常に父上の傍らで剣を振るってきた。恐怖を押しつぶし適切な緊張に切り替える術を身につけていたはずだった。


 その俺がいま怯んでいた。元いた場所に戻りたい、と心底から考えていた。


 あってはならなかった。そんな弱い心は『真の戦士』にふさわしくなかった。


 俺は切り替えるべくゆっくりと呼吸を整えた。


 それから改めて周囲を見回した。


 まず太陽がこれほど眩しいと知らなかった。そもそも王国には太陽は無かった。だからこれほどの熱が絶え間なく降り注いでいるとは知らなかったし、実際体表面の細かい感覚がそれに紛れて、普段と同じ動きが出来るとは思えなかった。


 さらに地上にこんなに人間がいることを想定していなかった。


 ぱっと見、千人くらいだろうか。


 驚くべき数だった。


 さらにその半数ほどが女性なのだ。


 一定の範囲の年齢の女性が視界に入ると、俺は訳もなく動揺してしまうのである。

 理由はわからなかった。


 「そういうものだ。だから訓練する必要があるのだ」と父上は言っていた。


 だからそう言うものなのだろう。


 父上が言うには、人間の男はある年齢になると女性の特定の箇所への激しい執着が始まるのだという。顔や胸部、陰部、臀部である場合がほとんどだが、場合によっては耳であったり足の指であったり、脇の下、みたいなこともあるらしい。そしてその特定の箇所に視線は固定され、そこに触れたりあるいは口唇を接触させたいと思ったりするらしいのだ。外皮に対する手指や唇や舌での接触に意味があるとは思えないから、話を聞いたときは馬鹿馬鹿しいと思った。意味が無いことへ誘導されるのだからそれは精神への攻撃魔術の一種なのだと思われるが、そんなものは自分は簡単にレジストできるはずだった。精神魔術は隙をつくものだから、気を張ってさえいれば精神魔術のレジストは可能だ。実際、俺は戦いの中で精神魔術にかかったことはなかった。


 だが今回はなぜかまったくレジストできなかった。


 攻撃を受けたという感覚さえ無かった。むしろ自分の中から沸き起こる何かが反応している感じだった。父上から伝説的な魔術で『埋め込み』というものがあると聞いたことがある。これはある条件で発動する魔術を事前に掛けておく、というものだが、その『埋め込み』を受けていたのだ、としか思えなかった。


 呼吸がようやく戻り、改めて恐る恐る通りを伺うと、一瞥で五人の女性が視界に入った。それだけで心臓の鼓動が急激に早まる。視線が女性の顔と脂肪が詰まった胸部に勝手に固定され、場合によっては剥き出しの太ももに向かい、意味もなく股間の辺りを彷徨ったりするのである。


 訳が分からなかった。


 未知は危険を伴う。俺は慌てて視線を外した。


 どうすればいいのかわからなかった。


 魔獣と戦う方がまったくもって楽だった。魔獣の影響は物理的だ。そして物理現象には対抗する手段がある。


 だが、レジストできない精神攻撃は対抗の手段がなかった。


 こんな恐るべきデバフがない故郷に戻りたかった。魔族が発する炎や氷や刀槍が懐かしかった。


 炎や氷や刀槍が飛び交う下で、俺は父上の横で縦横無尽に戦っていた。


 父上が「面倒な相手だ」と言った敵を一人で倒したこともあった。


 その俺がこんな体たらくになったことが我ながら信じられなかった。


 おそらくひどく落ち込んでいたためだろう。


 俺は敵の接近に気づかなかった。


「あれ? お客さん? ちょっと早すぎ。店は鐘が六つなってからだよ?」


 言葉の途中で瞬間で俺は全身のバネを使って距離を取っていた。いつもの動きがちゃんと出来た。焦っていた。気配に気づかないほど、気を抜いていた。戦士としてあってはならないことだった。


 敵を視認するだけの時間さえ惜しみ、宙を滑るように跳びながら、剣の柄を手に持ち、同時に俺は首を曲げてここで初めて敵を視界に入れた。地面に足が着いた瞬間の自分の動きを決めるためだった。


 だが敵の姿を確認し、瞬間で俺の戦意は消えた。


「ちょ、ひどくない……ってすごいね。ここまで跳んだの?」


 二階から降りてきたのは、意図は不明ながら透けるほど薄い腹上までの上着と、股間に下着を身につけただけの二十代と思われる女性だったからだ。


 戦意を吹き飛ばすほどの激しいデバフが俺を襲った。


 俺の心臓は今まで以上に鼓動を早めた。


 女性の胸部の膨らみがはっきりと視認できその頂点に濃い色の乳首があった。俺の胸板の上の乳首とサイズ以外は違いが無いはずが、なぜか凄まじい吸引力で俺の視線を釘付けにした。俺は動けなくなった。口をポカンと開けて俺は女性を凝視し続けた。


「ちょっとぉ、見過ぎだよ」


 女性は顔を赤らめ身をひねるようにして乳首を隠した。


 身をよじっただけなのに、その動きにいったいどのような魔術的な効果があるのか、俺の鼓動は先ほどよりもさらに跳ね上がった。


 このままでは確実に死ぬ。


 とにかく動けるようにしなければならなかった。


 俺は意図的に全身の力を抜き筋肉を弛緩させ、その上で大きく息を吐いた。呼吸を平常に戻そうとしたのだ。


 だが、その間に敵は近づいてきていた。


 そのことを俺はほっそりとした腕では隠しきれない揺れる胸部と腕の間にチラチラ見える乳首を凝視していたために気づいていた。気づいていたのに俺は動かなかった。理由はわからなかった。


 俺の顔がよく見える位置に近づいた敵は俺の顔を見て少し驚いた顔で、


「あら。かわいい顔してるね、お客さん」


 その声は愛らしく耳になんとも心地よく、突然俺の呪縛は解けた。


 相手に敵意がなく、さらに声と表情に賛辞が感じられたからだった。


 動けるようになった俺は柄から手を離し、頭を下げた。


「……俺は客ではないのだ。勝手に入り込んで申し訳ない」

「あ……そう。残念」


 意味が分からなかった。謝罪に対して返す言葉として適切だとは思えなかった。もしかしたら他の意図があるのかもしれず、俺は直接訊ねた。


「……残念とはどういう意味だ?」


 女性はちょっと顔を赤面させ、


「なんていうか、好みの顔だし常連のお客さんになってくれたらいいなぁって」


 なるほど。客ではない、ということに対する「残念」ということか。


「ふむ。まだ客ではないが、客になった暁には常連とやらを目指してみよう」

「え? で、でもさすがにまだちょっと早くない? いくつなの?」

「俺か? よくは知らないが、十五歳前後ではないかと思われる」

「……自分の年齢がわからないって? あっ。そっか。なんか聞いてごめんね」

「何のことかわからんが、気にするな。改めて名乗ろう。アーシュという」

「アーシュくんか、私はメルヒア……てか見過ぎだよ?」

「ふむ。未熟故、メルヒアの精神魔術から逃れることが出来ないようなのだ。どうしても視線が胸部に向かう」

「精神魔術? ってかその年齢でもう興味……あるの? あ、でも十五歳位ってそういう年齢か」

「興味があるかと問われれれば……ある」


 メルヒアは淡く微笑んだ。瞳孔がわずかに大きくなり、息に甘さが加わった。


「……じゃあ、お姉さんが教えてあげようか?」


 俺はぐらりと揺れた。もちろん物理的な揺れではなく精神的な揺れだった。何かわからないが目の前の女性による「教育」が極めて魅力的に感じられたのだった。


 だが俺は耐えた。絞り出すようにして、


「いや、それは自ら解き明かすべきものだと思う。真の戦士とはそう言うものだ。父上もそれを求めて俺を外に出したんだ」

「……は?」

「好意だけ、受け取ろう。さらばだ」


 俺は女性に背を向けて歩き出した。


 その勇気を女性自身からもらったと俺は思った。


 また来る。俺は謎を解き明かし、その上でここに戻ってくる。


「もしかした私、振られ……ちゃったの?」


 背後から女性の声が聞こえてきたが俺は振り返らなかった。


 建物を出て歩き出すと、先ほどと同じように多くの女性が視界に入ったが、先ほどとは違って女性の存在がそこまで気にならなくなっていた。


 俺は気づかないうちに成長していた。真の戦士に近づいていた。


 一の実戦は百の訓練に勝るということだ。


 メルヒアの強力な精神魔術に接したことで、耐性がついたのだろう。改めてメルヒアの「教育」を受けなかったことを残念に思ったが、だがこれでいいのだ。


 俺は俺の力で真の戦士となるためにここに来た。


 俺はまず仕事を探そうと思った。謎を解くには時間がかかるということはよく知っていた。さらに地上では仕事をして日々の糧を得るものだ、と父上が言っていた。口に糊しながら真の戦士に近づくための鍛錬の日々を過ごすのだ。


 俺は先ほどよりも心持ち胸を張って歩き出した。



 そして、幸い似たような境遇の人間は多いのか、俺はすぐに浮浪児の群れに加わることが出来た。


読んでいただいてありがとうございます。気に入っていただければブックマークをぜひお願いします。

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