アルカサール男爵
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あとで聞いた話である。
アルカサール男爵ドウゼスは王城の廊下を歩いていた。
巨漢であるドウゼスは誰よりもゆっくりと、歩く。
ドウゼスは商人出身の貴族である、とされている。一方で、先祖は貴族である、とも言われている。
今が貴族であるのは間違いがない。
アルカサール男爵位は一代限りと定められているが、「第四の月の粛清」と呼ばれる十五年前に発生した内乱がなければ商人であったドウゼスが一代限りとはいえ貴族に列せられることなどなかっただろう。
ドウゼスは「第四の月の粛清」においておぞましくも多大な貢献を行い、そして様々な政治的な駆け引きの結果、当時の宰相である先代のマゼラン公爵の決断によってアルカサール男爵位を手にしたのだった。もちろんマゼラン公爵はその見返りに莫大な献金を手にした。
ドウゼスがこの王城に通うようになって十五年経つ。十五年の間に、皆はドウゼスを侮蔑と恐怖が混じった目で見るようになっていた。
もっともドウゼスはあらゆる評判を一切気にしなかった。
彼には目的があり、その目的のためにあらゆるものを犠牲にすることに揺らぎはなかった。
「ドウゼス閣下、こちらにはどのような要件で?」
ドウゼスに一人の貴族が声を掛けてきた。三十代半ばのすらりとした体形の男で、バルター子爵という法衣貴族だった。派閥に入っていない法衣貴族は貴族全体に気を使いながら生きていく必要があるため、ドウゼスに声を掛けてきたのであろう。
ドウゼスは笑みを浮かべた。その笑顔は、風船に目鼻がついたようなと表されるドウゼスの細い目がさらに細まり小さな唇の端がつり上がり、どこか悪魔を想起させた。それを見た誰もが「恐ろしい」という人工的な笑みだった。
その笑みに怯んだ顔のバルター子爵に向かってドウゼスは異様なほど細い声で答えた。
「宰相閣下に報告がありまして」
「ほう、宰相閣下に--どのようなご用件でしょうか? 場合によっては私からの口添えも可能ですが」
「申し出感謝します。ただ領地に関することなのでここは私だけで--」
バルター子爵の目に瞬間怒りが躍った。だがその怒りはまぶたの外にはこぼれ落ちなかった。怒りを覆い隠す様に恐怖が再びバルター子爵を捕らえていたからだった。
バルター子爵は視線を落とし、
「それは残念です。気持ちが変わったらいつでもお声がけください」
「もちろんです。ただ、お声がけいただいたことは記憶しておきます」
バルター子爵は頭を下げ、ドウゼスから離れてた。
ふと思いついて、バルター子爵が振り返るとドウゼスは立ったままずっとこちらを見ていた。バルター子爵は総毛立った。
バルター子爵を見送ったドウゼスは再び奥に向かって、ゆったりとした歩みで歩き出した。
普通の人の倍以上の時間を掛けてたどり着いたのは、バルター子爵に伝えたとおり、宰相の執務室だった。
衛兵に訪いを伝えるとすぐに通される。
現宰相のファンデール法衣公爵はドウゼスを見て顔をしかめた。
「お邪魔でしたか?」
ドウゼスのか細い声に、七十歳を超えるファンデール法衣公爵は舌打ちをした。
ファンデール公爵は小柄な身体と細く長い首と巨大な頭とこぼれ落ちそうな大きな目を持つ老人だった。
「邪魔か聞いたな?」
「はい。お聞きしました」
「決まっておる。馬鹿馬鹿しいことを聞くな。時間の無駄だ。私は忙しいのだ」
「そうですか? 私には楽しんでいるように見えましたが」
「それもまた答えは一つ。楽しんでいるに決まっておる! 人を陥れるのに、楽しみ以外感じるものか。私は生粋の貴族だぞ? 貴族の身体には嗜虐趣味を煮詰めたドロドロの液体が流れておる。人生の楽しみ方を知らぬお前ら商人とは違う」
「お変わりがないようで安心いたしました。ではこちらを」
ドウゼスが封された書類をファンデール公爵に渡した。
ファンデール公爵は受け取ると封を開いて中を確認し、そこで初めてドウゼスの方を身体ごと向いた。
「……戒厳令か」
「はい」
「ふむ。形式は整っておる。アルカサール男爵の正式な権利だ。認めよう」
「ありがとうございます」
「ただし三日を期限とする。それを超える場合は一日につき金貨二百枚を国庫に納めるように」
「承りました」
「援助は必要か? もちろんタダではないが、な。金も貸すことができるぞ? 利子は頂くが」
「金も充分あり、金獅子騎士団はそのための騎士団でございます」
「ふむ。つまらん。これでは王国は儲からんぞ」
「宰相閣下には別口で寄付を送っておきます」
「うむ。当然だ。では私は忙しい。行け」
「は」
ファンデール公爵はドウゼスの存在を忘れたように仕事に戻り、ドウゼスはファンデール公爵の視線の外で恭しく巨体を折り曲げ、頭を下げると部屋を出て行った。
ドウゼスが次に向かったのは王城内にアルカサール男爵用に用意されている部屋だった。男爵位は廊下の端の方に部屋を与えられていた。
部屋にはすでに細身の中年の男がいた。
金獅子騎士団の団長であるケオロンだった。もともと商人だった時代のドウゼスの護衛団を率いていて、秀麗な顔立ちだがどこか退廃的な気配を漂わせ、毎日娼館に入り浸っているという類の人間だった。
今日も王都の娼館からここに来たらしく、ほのかに独特の甘いおしろいの匂いを漂わせていた。
腕は立つ。
ケオロンはドウゼスの顔色をうかがい、ニヤリと笑った。
「その顔はうまくいったみたいですな」
観察能力も高かった。
だがドウゼスは首を振った。
「なかなか。宰相閣下はそう簡単に腹の底は見せませんよ。ただし戒厳令の発令に対する追認はいただきました」
「それはなにより。しかし、相手はあの鶴に似ている宰相閣下でしょ? あの怪物とバチバチにやり合えるのはドウゼスさんもまた同じような怪物だからなんでしょうなぁ……あー、いやだいやだ。心の底から関わりたくないですねぇ」
「貴方自身もそれなりに怪物だと思いますよ?」
「私が? 私は普通ですよ。平々凡々とした男です」
「とてもそうは思えませんが。それに毎日飽きもせず娼館に居続け、複数人の娼婦を買い続ける人間は、体力の面一つとっても普通ではないですよ」
「あー、そっちかぁ。そっちは少しばかり自信がありますねぇ。でもこれ、必死に努力した結果ですよ? 皇国産の馬鹿みたいに高価でアホみたいににがーいにがーい根っこを毎晩飲んでるの、この世で私くらいなんじゃないですかね。というわけで馬鹿みたいな費用が掛かっている持続力です」
自堕落な笑みを見せるこの男は、一方で剣技と魔術に於いてこの王国で十指に入ると思われていた。実際、剣技大会で準決勝で「疲れたから」という理由で棄権をしたという経歴を持っていた。
ドウゼスは笑みを浮かべたまま、
「ともあれ準備は出来ました。これで、ようやく我々は更なる力を手にします」
「……十二年ですか」
「はい。時間も金もずいぶんかかりました。ですがこれで始まりです。覚悟は良いですか?」
ケオロンは唇を歪めた。
「もちろんですよ。あと我々に必要なのは幸運、といったところですか」
「大丈夫です。最大の問題であった封印のダンジョンへの侵入方法はわかりました。ありがたいことに王国は双剣騎士団を使って攻略を試み、失敗したわけですが、同じことをすれば我々も封印のダンジョンの中に入れる。あとは適切な戦力を送り込むだけです」
「おぞましい入口でしたなぁ。地獄に続くとしか思えないとんでもない濃度の瘴気とそして、とても相手にしたくない魔物の数々。そこに本当にあるんでしょうかね。建国王が持っていたという奇跡の魔法ーー淫蕩の魔術が」
ドウゼスは目を細めた。
「ーー建国王が初代剣聖を使いそこで特別な力を手に入れたのは間違い有りませんよ。私の両親が一生掛けて調べたのですから」
「ま、その辺は任せますよ。俺は雇われですしドウゼスさんには恩もありますしね、手伝いますよ」
「頼りにしていますよ。ともあれ三日しかありません。戦力を急ぎ揃えましょう。訓練所の方は順調ですか?」
「急いでいたし急ぎますけど暗黒霊があんなことが出来るなんて、知らなかったものでね。研究も進んでないから、なかなかにうまく行かない」
「増えていないのは間違いないんですね?」
「戦力が増しているとも言えるし、増してないとも言えます。そこが困ったところでして」
「どういう意味ですか?」
「暗黒霊に支配されると簡単な指示しか受け付けなくなるんですよ、ね」
「なるほど」
「でもまぁ、数が揃えば使い道はありますよ」
「ふむ……わかりました。とにかく進めてください。少なくとも大隊規模の人数には達するようにお願いします」
ケオロンが驚いた顔をした。大隊規模は六百名に達する。伺うように主人であるドウゼスの顔を覗き込み、それから身震いした。長い付き合いであるケオロンでさえ、身震いせざるを得ない闇を見たかのように。
ドウゼスは表情を消した。
ケオロンは頷き、
「……わかりました。頑張りますよ」
「お願いします」
「そういえば「騎士殺し」の三人はまだ来てないようですな」
「……雇われ兵は時間に正確であるべきだとは思いますが、その三人については、金を出す方が立場が弱いという困った相手です。もう少々ーー一日待ってみましょう。それでダメなら仲介者をせっつきましょう」
「いやぁ、直で言いたい相手じゃないから助かります」
「ケオロン団長であってもそうなんですか?」
「そりゃそうですよ。『殺し屋』なんてものは会わなくて良ければ会わない方がいい奴らです」
「あ、そうだ。最後に」
「なんですか?」
「なんだか双剣騎士団の人たちがアルカサールに向かったという情報が入っていますが……拒否でいいですよね?」
「もちろんですとも。そのための戒厳令です。このタイミングで余計な人間をアルカサールに入れたくありません。アルカサールは我々の狩り場なのですから」
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