怪物を見た
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あとで聞いた話である。
金獅子騎士団のジーケンは二十五歳、レベル18の騎士である。
騎士というのは、潜行者とは異なり、オールラウンダーが求められる。アタッカーとタンクといった役割分担よりも、あらゆる戦場で様々な仕事をこなす能力が必要なのだ。そのため生来の向き不向きを激しい訓練で克服するため訓練は極めて過酷で、それを乗り越えることが騎士の自信と選民意識に繋がる。
正規の騎士となったジーケンも実際に酔っぱらった住民が「鎧に触れた」というだけで殴りつけたことがあるし、見回りの際に商家から定期的に袖の下も受け取っている。もらった金は趣味である茶葉の購入に使っているし、茶葉そのものをもらうこともある。悪いことであることはわかっているが、自分にはそれが許されるだけの価値と実力があると信じていたから出来た。
だが、今その自信が揺らいでいた。
ジーケンは自分が竦んでいることを自覚していた。
目の前のガキはそれほどの怪物だった。
何しろ、強者の集団である金獅子騎士団の中でさらに怪物と目されているファルサと対等に戦っているのだ。ファルサには『獅子のたてがみ』という結社に入っていることを筆頭に様々な悪い噂があり、その噂から「自分とは別枠の存在」とジーケンは見なしていた。
それなのにジーケンにとって怪物であるはずのファルサは今どう見てもジーケンより年下でしかも無手のガキーーアーシュを仕留めきれずに苦心していた。
明らかにアーシュの方がファルサより格上だった。
加えてアーシュが武器を手に入れた。
アーシュが手にしているのはジーケンの同僚であるゴウン自慢の短剣だった。ダンジョン産の逸品で、その切れ味と頑丈さはゴウンの折り紙付きの代物だ。
武器無しで互角だったアーシュが武器を手に入れたことで、場合によってはファルサが負けるかもしれないことを想像し、その想像にジーケンの背筋に得体の知れない感情が通り過ぎた。それは恐怖であると同時にどこか甘美さがあった。
アーシュが構えたと思ったら、こちらを向いたまま背後に向かって飛んだ。当然壁がある。その壁をアーシュは破壊音と共に背中で突き抜けた。
「くそっ」
ファルサがアーシュのあとを追って躊躇なく外に飛び出した。
分厚い煉瓦造りで背中で破壊できるような壁ではないはずだった。それを何をどうやったらあんな風に紙のようにぶち抜けるのかわからなかった。
二人の行動にあっけにとられて固まっていた金獅子騎士団の騎士達が、我に返って壁際に駆け寄った。
ここは三階であり、中庭を見下ろすと、地面に降りた二人が戦いはじめていた。
武器がぶつかる度に、空間がねじ曲がるようなぶれが発生して、そのあと、魔力同士が反発する高音が耳を貫いた。
人間同士とは思えない恐るべき戦いだった。アーシュは短剣で完全武装のファルサとまったく遜色なく戦っていた。
ジーケンは身体が震えてくるのを感じた。それは興奮のためだった。
ここまで高レベルな戦いは、金獅子騎士団に七年いるジーケンでも初めてだった。
戦いに見入っていたせいで、激しく扉が叩かれている音が意識に届くまでにしばらく掛かった。取り調べ用の部屋から外に出る扉であり、本来、被疑者が自白し罰が決まったあとに開くべきものだった。だが今回は被疑者は壁を突き抜けてすでにこの部屋を出ていた。
ゴウンも気づいたのか扉に急ぎ歩み寄って、開けた。
扉を叩いていたのは金獅子騎士団のマルキッソスだった。
ジーケンは突然現実に引き戻されたような気がした。だが、少しホッとした。
マルキッソスはファルサのような危険な噂がないまっとうな幹部だと認識していたためだった。実際、ジーケン自身入りたての頃は世話になっていた。
マルキッソスは焦った顔で、
「なんだ!? 何が起こってる!?」
ジーケンの横で小さな舌打ちが聞こえてきた。黒い籠手を着けた『獅子のたてがみ』のメンバーであるバルイだった。こちらはファルサほどは強くないが、同様に悪い噂が多い関わり合いたくない相手だった。
バルイがマルキッソスの視線を遮るように彼の前に立ち塞がった。すぐ後ろにやはり『獅子のたてがみ』のメンバーであるカルが立った。
バルイが唇を歪めて、
「今、ファルサ殿が暴れ出した犯罪者の対処をしているところだ。関係ないものは去れ。邪魔だ」
「はん? マジかよ、またお前らか。ほんとにお前らどこにでもいるな……」
マルキッソスは大げさに顔をしかめた。
それから、背を向けた直後、一瞬で抜剣してそれをバルイの喉元に突きつけた。
「舐めるなよ? たてがみだか尻尾だか知らんが金獅子騎士団はお前らの私物じゃねぇ。ここでは市民への尋問が行われていたはずだ。そいつはどこだ?」
バルイは微動だにしなかった。
「見解の相違だな。市民などここにはおらん。いるとすればそれは犯罪者だ」
「お前は裁判も知らんのか。都市庁の判事が量刑を決めるまでは犯罪者じゃねぇよ……お前らがやっていることはただの越権行為、つまりお前らこそが犯罪者だ」
マルキッソスは部屋にいた全員をゆっくりと見回した。
ジーケンは顔を背けた。一方、『獅子のたてがみ』にシンパシーを感じているらしいミカルやダッキーたちはマルキッソスに対抗するようににらみ返した。
バルイが無表情に剣を抜いた。
「平行線だな。幸い我らは騎士だ。自分の正義は剣で示せ」
「だから舐めるなって」
マルキッソスが一度剣を引き、お互いに軽く剣をあわせたあと、本気の決闘が始まった。
当人達の気迫も剣の勢いもその技も間違いなくお互いの命を賭けた戦いだった。
真剣同士がぶつかり火花を散らした。
ジーケンたちは見ているしかできなかった。
確かに騎士は問題が発生した際「決闘」によって正邪を決める習慣がある。だが騎士団は本質的には軍隊であり、上下関係は極めて強力だ。加えて上下関係に影響を与える役職と所属年数はともにマルキッソスがバルイの上位に当たる。にもかかわらずバルイがまったく怯んでないのはバルイが所属していると思われる秘密結社『獅子のたてがみ』故だろう。『獅子のたてがみ』はその秘密主義と、所属すると実際に強くなることで若手騎士の間に密かに広まっていた。ジーケン自身も誘われたことがあったが、その時は誘ってきた相手が虫が好かない奴だったので断った。そもそも結社は騎士団の中では禁止されており、ばれれば処罰の対象となる。にもかかわらず『獅子のたてがみ』のメンバーがそれを誇示するような手甲を着けているのは、「罰することが出来ないくらいの規模になったと認識している」か「処罰に干渉できる騎士団の最高幹部の中に結社員がいることを知っている」かのどちらかであろう。
それは金獅子騎士団の中に深刻な分断が発生している事実を示していた。
苦い思いで決闘を見ていたジーケンは突然我に返って、慌てて
「やめてください! ここは詰め所ですよ!」
と二人の間に割って入った。マルキッソスの背後に市民らしき人物がいて二人の戦いを仰天した様子で見ていたからだった。騎士同士が訳の分からない決闘をするのを市民に見られるわけにはいかなかった。
金獅子騎士団はジーケンにとって誇るべき職場であり、同時にアルカサールの治安維持のために権威を維持し続けなければならない組織だったので、思わず私闘を止めたのだった。
次の瞬間、熱いなにかがジーケンの胸を通り抜けた。
「しまった」
バルイと視線が合った。バルイは驚いた顔でバルイを見ていた。
ジーケンの胸は焼けるように熱く、力が抜け、立っておられず、そのまま頽れた。
石畳の床に顔が当たった。胸から熱が漏れ出た。震える手でそれを確認した。大量の血液だった。それが自分の身体から流れ出しているものだと気づき、それから意識を失った。
細い息が消えつつある同僚を見て、バルイが無表情にマルキッソスに言った。
「お前のせいだぞ。お前が余計なことを言ってこなければこんなことは起こらなかった」
その言葉にマルキッソスは焦った様子で、
「馬鹿野郎! そんなことを言っている場合か! すぐに医療班を呼べ!」
「無駄だ。手応えから胸骨を斬り内臓に達している。俺の剣によって死んだのなら、むしろ光栄に思うべきだな。中庭に行くぞ。ファルサ殿と合流する。犯罪者を逃がすわけにはいかん」
バルイがカルとともに足音高く部屋を出て行った。
部屋の中にいた金獅子騎士団のうち、五人が迷ったあと、バルイのあとを追った。
残った金獅子騎士団は、マルキッソスとジーケンを除くと一人だけだった。マルキッソスはしゃがみ込んで、ジーケンの呼吸を確かめ、
「くそっ……息が切れかかっている。医療班はまだか!?」
そこではじめて残った一人、ゴウンが走り出した。医療班を呼びに行くのだろう。
その間になんとか息を続かせようとマルキッソスはジーケンの胸甲を外し上着をはだけさせた。流出し続ける血液を止めるための確認だったが、実際見ると傷口が大きすぎてとても止められないことがわかった。
マルキッソスは舌打ちした。
マルキッソスは水精霊による回復系の魔術は使えない。
後ろを振り返る。
「お前たちは水精霊の魔術を使えないか?」
だが、アリュール商会の番頭であるマルキアも一緒に来た元冒険者だというベルケスも首を振った。
絶望的だった。医療班が今からここに向かっても間に合わないだろう。もはやジーケンは死を避けられないと思われた。
マルキッソスは顔を歪めた。
そこへ、
「どうした?」
思いがけない場所から声が掛かった。
マルキッソスが振り向くと壁に空いた巨大な穴から、十六、七歳の見慣れぬ男がこちらを見ていた。崩れかけた縁にしゃがんだまま見事なバランス感覚で揺れることさえなかった。
「アーシュさん!?」と「アーシュ!?」という声が重なった。
藁にもすがるつもりでマルキッソスは言った。
「お前は治療魔術は使えないか!?」
マルキアとベルケスにアーシュと呼ばれた男は答えた。
「当然使えるぞ。戦士の嗜みだ」
「ほ、本当か!?」
「ああ、なるほど、そいつが怪我をしているのだな」
アーシュはひょいと壁の穴の縁から飛び降りると、ジーケンの怪我を覗き込んだ。
「ふむ。これは淫蕩の魔術書が必要なレベルか」
「淫蕩? なんだそれは?」
「む? 説明している時間はなさそうだが、必要か?」
「あっ、すまん。頼む」
アーシュが自分の服の襟元をごそごそ弄ってそこから手品のようにコヨリ状に巻かれた魔術書を取り出した。服の繊維の中に隠されていた薄っぺらい「羊皮紙に似た何か」だった。
それを手慣れた感じで開くと、アーシュは魔力を込めつつ静かに響く声で言った。
「デオスギロリエール、黄金の都を滅ぼせし淫蕩の娘よ。その目を我が手に向けよ。そしてしばしの間、その力を貸したまえ」
聞いたことがない呪文に、魔術が使えるというのは嘘だったのかとマルキッソスが失望していると、驚くべきことが起こった。
呪文の直後、部屋に強大な精霊の気配が満ちたのだ。
マルキッソスは息を止めて周囲を見回した。
「な、なんだこれは……」
感じたことがないが圧倒的な精霊力だった。周囲を圧する気配は神威というべきか、腰が砕けそうになる。
マルキッソスが耐えている横で、マルキアとベルケスは跪いていた。無意識の行動のようだった。
視界の隅に淡い光の粒が舞っていて、マルキッソスはそちらを向いた。ジーケンの身体がうっすらと光っていた。加えてマルキッソスの目の前で時間が遡るように傷口がみるみる溶けて消えた。
何が起こっているのかわからなかった。
水精霊による回復魔法は、あくまで応急処置に過ぎない。まず傷口を粘性の高い液体で塞ぎ、その後身体の治癒力によって治癒を促す。治癒力は体力を消費して発揮されるのだが本来上限があるはずの体力を強引に魔力という形で補充することで継続的な治癒を実行するのだ。
だが目の前の魔術は水精霊による回復魔法とはまるで異なっていた。「回復」ではなくて「再生」に見えた。
気がつくとジーケンの呼吸が自然になっていた。同時に精霊の気配も溶けるように消えた。
アーシュが頷いた。
「これでいいだろう」
その言葉通り、ジーケンの身体に既に傷はなく、呼吸も自然なものに戻っていた。
驚愕を押し殺しながらマルキッソスはアーシュの方を向いた。
聞きたいことが山ほどあった。だが中庭の騒ぎが穴から届き、そちらが気になった。
壁に歩み寄って壁に空いた穴から中庭を見たがバルイたちが右往左往しているだけで、何が起こっているかはわからなかった。
「……ファルサはどうしたのだ?」
「む? 何者だ?」
「先ほど、この穴からお前を追いかけていった騎士だ」
「ああ。なかなかの強者だったな。だが、俺もそう簡単には負けん。気を失って寝ているはずだ」
マルキッソスは目を見開いてアーシュを見た。
ファルサは金獅子騎士団の中でもかなり強かったはずだ。
マルキッソスは大きくため息を吐いた。
「こっちに来い。抜け道を教えてやる」
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