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デバフ


         @


「ここがお客さんの部屋。まだ布団が入ってないけどすぐ運び込むから待ってて。トイレは一階。お風呂はないから風呂屋に行くのがいいけど、言ってくれればお湯くらいは渡します。あ、そういえばギルドにお風呂あるらしいよ?」


 聞き流しながら、なんということだ、と俺は思った。


 心臓が胸郭の中で激しく脈動していた。


 暁の虹の六号室に入ってもなおその緊張はまったく解けなかった。


 なぜならば俺のすぐ横にライザという名の芳しくも美しい少女がいるからだった。


 青い目と透き通るような白い肌。顔立ちは繊細な花のように整っていて、淡い色の髪を後ろで結わえている。


 今もチラチラと薄目で見てしまう。


 メルヒアによってもたらされたはずの耐性とアイビーの横で数夜寝たことで得られた経験はなぜか無力だった。


 少女は宿の説明をしているのだが、声さえも蠱惑的で、言葉がほとんど入ってこなかった。


 メルヒアもアイビーもそうであったし、ダンジョンで出会った美しい騎士もそうであったし、王国の外にはここまで美しい人が多いのか、と改めて俺は恐怖を感じた。美しい人を見るとそれだけで動揺し、思考が止まり、視線が半ば強制で誘導されてしまう。本来、相手の手足などの攻撃の手段の初動を見逃さないために視線は全身に(・・・)ぼんやりと向けなければならない。それが気がつくと、顔と胸部に視線が固定されてしまうのだ。


 これでは鍛錬にならない、と俺はライザの胸元に行っていた視線を強引に引きはがしながら思った。俺は父上のもとであれば得られない経験を経て成長するために父上のもとを離れたのだ。


 父上にも「女は危険だ。お前の心を捉え、狂わすだろう。最大の敵と言っていい。だがそこに耐えるのも修行の内だ」と言われていた。


 もっとも今のところ抵抗できる気がしなかった。ライザの匂いだけで陶然としているのである。もしライザが攻撃を仕掛けてきたら俺がそれに対抗できるとは思えなかった。力はいつもの十分の一もでないだろうから敵うわけがない。


 だが、ライザになら殺されてもいいかな、などと思っている自分がいるのである。


 地上とはなんと恐ろしい場所なのか。


 もしかしたら父上はこの恐るべき場所で俺を鍛えるために俺を外に出したのかも知れなかった。


 俺が慄きながら、父上の厳しさに感謝していると、


「大丈夫? 震えてるけど、寒いの?」

「あ、ああ……大丈夫だ。うむ。問題ない」

「聞いていい? あのテーブル、一人で担いできたのって、本当?」

「一階のものか? そうだな。俺が運んできた」


 ライザが目を見開いて俺を見た。俺はそれだけでドキドキした。


「腕、触っていい?」

「かまわんぞ」


 俺は右腕を前に伸ばした。利き腕を他人に委ねるなど冷静になればありえなかったが、冷静では無かったので仕方が無かった。


 ライザは恐る恐る俺の右腕に触れた。


「うわっ。なんか硬くてしなやか」

「鍛えているからな」

「ぶら下がっていい?」

「問題ない」


 羽のように軽やかなライザがぴょんと跳んで俺の右腕一本にしがみついて足を宙に浮かせた。


 俺は小揺るぎもしなかったが、押し当てられたライザの胸部の脂肪の柔らかさに目眩を感じた。


 勢いをつけてもまったく問題ないことを確認したのかライザは床に足を着いた。名残惜しかった。

 

「すごいね。なんていうか、弾力があってでもすごく密度があって、とにかくすごいってことはわかった……煮たら美味しそう」

「!?」

「あ、ダンジョンの魔獣ですごく強いアイスブルのもも肉もこんな感じだったってこと。煮たらすごい美味しかった!」

「そ、そうか」

「あ、ごめんなさい」


 俺の腕の肉をふにふにしていたライザが自分の行動に気づいて慌てて離れた。


「まったく気にしなくていい。好きにしろ」


 俺は腕を伸ばした。利き腕を相手に委ねるのがふしぎと快かった。


 ライザは「ほんとに?」という顔で上目遣いで俺を見て、俺が頷いたら再び腕をふにふにし始めた。ふにふにしながら、


「……そういえば君はここには何しに来たの?」


 と俺に聞いた。くすぐったさを我慢していた俺は首をかしげた。


「俺か?」

「うん。そう。旅してきたんでしょ?」

「そうだな。そう言っていいだろう。俺はここに、父上に命じられ真の戦士になるためにここに来た」

「ふぅん? ちょっと何言っているのか分からない」

「俺もよくはわからんのだ。だがいつかはわかるはずだ。父上がそう言った。そして父上は今まで間違ったことを言ったことはない」

「……変なの。うちの父さんはけっこう間違ってるよ?」

「そうか?」

「いい方もなんか古いよ? おっさん臭い」


 俺の周りには俺よりもずいぶん年長のものしかいなかった。そのせいかもしれなかった。


「……そういえば、俺に出来る仕事は無いか?」

「仕事?」

「ここでは人は働くことで日々の糧を得るという。郷に入れば郷に従えというが、俺も同じように働き同じように日々の糧を得たいのだ」

「何が出来るの?」

「俺か? 何が出来るのかはわからぬ」

「それじゃあ、ダメじゃん。わからないよ」

「……」

「力はあるんだっけ? あのテーブルを一人で運んできたんだよね?」

「そうだな」

「うーん……でもそういうすごい力が必要なことは工夫されちゃってる気がする。城門を持ち上げるのも確か水車がやってるし。水車の代わりをしてもお仕事にはならないかも」

「すでに力仕事は奪われていたか……」


 とりあえず考えとく、とライザは俺の腕から離れた。

 そして、


「君の名前は?」

「アーシュだ。父上が名付けてくれた」

「わかった。じゃあ、アーシュ、よろしくね」


 そう言って部屋を出て行った。


 俺はそれを見送った。気がつくと動揺は治まっていた。距離が影響しているのか、視覚や嗅覚など五感に届いている間に発生するデバフなのかはわからなかった。


 俺は窓辺に向かって歩いて外を見た。


 通りが見え、驚くほど数多い人間が行き来していた。当然女性もいたがこの距離ではデバフは発生しなかった。視覚には少なくとも距離の影響があるようだった。


 行き交う人々を見ながら、全ての人間が働いているのだ、と改めて思った。


 父上が言っていた。地上では、人は働くことで食物を得ると。働かなければ食べることは出来ない。生きている人は食べているわけで、つまり仕事を持っているのだろう。


 それに比べてーー。


 と俺は自分を省みた。

 なんの仕事もしていない。つまり食べる権利を持っていないことになる。


 そもそもなんの仕事が出来るかさえわからない。それは恥ずべきことに思えた。一方で、その問題の解決についてライザが助力してくれるというのはありがたかった。


 自分には何の仕事が出来るのか、そんな仕事があるのか改めて不安を覚えていると、


「アーシュ、ちょっと降りてきて!」


 という声が階下からかかった。


 俺は大きく息を吸い、それを吐き出して、気合いを入れ直して一階に下りていった。


読んでいただいてありがとうございます。週一、二度の更新になります。気に入っていただければブックマークをぜひお願いします。

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