マリアの恋 5
マリアとカララは、部屋を出て庭へ向かった。
「お嬢様。ルイーゼ様の話を聞く時は、おしゃべりが出ない様に心を落ち着かせて...そうだ、剣を使う時には呼吸に集中するって言うじゃないですか。それで何とかやり過ごして下さい」
「ええ、頑張るわ。カララ、早く助けてね」
「はい!任せて下さい」
ダニエルとルイーゼは隣の席に座り、ルイーゼが身を乗り出してダニエルに話しかけていた。
マリアは深呼吸をして、余計な事を考えない様にした。
「お待たせ致しました。遅くなってすみません。今からお茶を用意しますね。カララお願い。お菓子も出してくれる?きっとダニエル様は小さい方のお菓子が好きだと思うから、そちらをお茶と一緒に出してくれる?」
いつもは細かい指示など出した事などないが、言わなければ心の声が言ってしまうだろうと思い、あえて口にした。
「はい。お嬢様」
「(ありがとう、カララ) んんっ」
ダニエルが怪訝そうな顔でマリアを見た。
「マリア、その...やっぱり昨日何かあったの?」
「(どうして、そんなに昨日の事が気になるのかしら) あっ、いえ、ごめんなさい。昨日はちょっとお酒を飲んだら気分が悪くなって (で、いいかしら) ええっと、何も知らせずに帰ってしまってすみません。(話を聞いたなんて言えな)」
ガシャン!
「も、申し訳ありません」
カララがカップを倒して割った。カララがダニエル達に見つからない様に、そっとマリアにウインクした。
マリアはカララに感謝しつつ深呼吸を繰り返した。
その時、ガタンと大きな音を立てて、ルイーゼが椅子から立ち上がった。
「マリアさんが帰るのを使用人が見ていたから良かったけど、そうじゃなかったらマリアさんの家までダニエルは確認に行く事になったのよ。こんな礼儀知らずとは思わなかったわ」
ルイーゼが鋭い視線を向けていた。
マリアはうつむき深呼吸を繰り返した。
「マリアを責めないで欲しい」
珍しくダニエルがルイーゼに反論した。
「ダニエルが甘いんじゃないの?あなたは伯爵家の人間なのよ。頼りないわね。私は、ミリリアからダニエルの事を頼まれているんだから」
「姉さんは、もう東国に嫁いだんだから関係ないだろう?」
「でもダニエルには、私が必要でしょう?」
マリアは会話の展開に驚いて、つい深呼吸を忘れてしまった。
「(ダニエル様が頼りない?)」
二人の視線がマリアに向いた。思わず手で口を覆った。
「あなたには関係ないでしょう?」
「 (関係ないと言えば、ルイーゼ様) ああっ」
口を覆っていても、心の声は容赦なく出て来てしまう。
マリアの反論めいた言葉を聞いて、ルイーゼはいよいよ感情が爆発した。
「関係ないってなに?あなたみたいに流行にも会話にも気を使わず、のほほんとしているだけの女ってイライラするわ。私は、ずっと努力しているわ」
「(気を使ってない訳では) ああ、いえ、そうです。ルイーゼ様が努力している事はよく知っています。昨日の衣装も素敵でした」
「そうよ。ずっと努力してきたのに。どうして努力もしないで、ただ笑っているだけで許されるの!」
「(ええっ、私そんな風に思われてた?) ああっごめんなさい」
興奮したルイーゼは帰ろうとして体の向きを勢いよく変えた。そして椅子に引っ掛かり思い切り倒れこんだ。
「ルイーゼ様!」
「ルイーゼ、大丈夫か?」
ダニエルがルイーゼに駆け寄った。
転んだだけの様だったが、ルイーゼは足を痛がり出した。
「足が痛い、歩けないわ。ダニエル、馬車まで連れて行って」
「まだ、マリアと話が済んでいないんだけど..」
ダニエルがルイーゼに反論していたが、これはチャンスだとマリアは思った。
「ダ、ダニエル様、ルイーゼ様は怪我をされています。良かったらご自宅まで送って差し上げて下さい。その...話はまたいつか...(話せるかしら) いえ、機会があるはずですから」
「ダニエル、早くして」
ルイーゼが、ダニエルに手を伸ばした。
ダニエルは何か言いたそうにマリアを見たが、ルイーゼを抱き抱えた。
マリアの胸がズキンと痛んだ。
「また来るよ」
ダニエルはそう言い残して、玄関の方に向かった。
その二人の後ろ姿を見ながら、マリアはポツリと言った。
「(見送りなんて出来そうにないわ) カララ、二人を見送って差し上げて」
カララは心配そうにマリアを見た後、ダニエル達を追いかけて行った。
「(疲れたわ。部屋に戻ろう)」
ダニエルの気持ちを聞きたかったのに、全くそれどころではなかった。
それに、間違いなくルイーゼに嫌われている事が分かり、この先どうしたら良いのかマリアは憂鬱になってきた。
翌日にダニエルからの手紙が届いた。
マリアが緊張しながら手紙を開くと、学校が休みの週末に会いに来ると短く書かれていた。
とりあえず、週末まで考える時間が出来た事にマリアは安堵した。
マリアは引き出しを開けて、小瓶を出してみた。
(本当は、ダニエル様に飲ませたい)
ダニエルの気持ちを聞かなければ、不安は消えそうになかった。
昨日、ダニエルがルイーゼを抱えた姿が目に焼き付いていた。
(でも、ダニエル様にこの薬を飲ませるなんて出来るかしら)
想定外の苦さだ。口にした途端何か異物を飲んだと気づかれてしまうだろう。
(きっと、知らないうちに誰かに飲ませたり出来ない様に、あんなに苦い薬なのかもしれない)
ダニエルは貴族学校で経済について学んでいる。マリアも以前は家庭教師をつけてもらって勉強していたが、今は自分で本を読むくらいだ。両親が不在がちなので家の管理は執事とマリアがやっていたが、マリアは話を聞いてサインするだけの役割だった。
今もお茶を飲みながら刺繍をしている。
(のほほんとしていると言われても、仕方ないわね)
その時、カララが茶器を片付けに来たので、マリアはカララに尋ねてみた。
「カララは、気持ちが沈んだ時は何をするの?」
「お嬢様...。そうですね。私は買い物ですね。いつもより奮発して高いお菓子を買ったり、新しいリボンを買ったり」
カララの話を聞いて、マリアは自分で買い物に行った事がない事に気がついた。いつも必要なものは家族が用意してくれたので、自分で選ぶ事もほとんどなかった。
「カララ、私、街に買い物に行ってみようかしら。その...街の様子を見たら、何が流行っているとか分かるでしょう...。ダニエル様と一緒に街に行っても、川沿いを散歩したり、公園に行ったりで、お店を見て回る事はなかったの...」
マリアは慣れていないので、街の賑わいが少し苦手だった。
(だけど、このまま家にいるだけでは、ルイーゼ様の言う通り『努力しない』人だものね)
カララはマリアの話を黙って聞いていたが、思いついた様にパッと顔を明るくした。
「お嬢様、私、思ったのですが、昨日の魔女の薬をちょっと舐めてから、街に行ってはどうでしょう?」
「えっ、カララ、それは無理だわ。思っている事を口に出してしまって、買い物なんて出来ないでしょう?」
「お嬢様はもっと心の声を出す練習をした方が良いと思います。それにお客なら少々商品について本音を言っても大丈夫ですよ」
「でも...」
「大丈夫ですよ。困ったら帰ってくれば良いのですから。それに、薬の効果は長くは続かないのでしょう?」
昨日ダニエル達が帰って少し経つと、もう薬の効果は切れていた。
「せっかく行くのですから、何か一つお嬢様が気に入ったものを買いましょう」
(そうね。元々知り合いは少ないし、ダニエル様は学校だし、街で誰かに会う事なんてないわよね)
「分かったわ、カララ。試してみるから助けてくれる?」
「もちろんですよ。でも、お嬢様は心の声が漏れるくらいでちょうど良いと思いますよ」
カララはそう言って、にっこりと笑った。
馬車に乗っている時間も考えて、昨日より少し多めに薬を小皿に落とした。
覚悟を決め指ですくって舐めたが、やはり尋常じゃない苦さだった。
「舌が痺れるくらい苦いのよ。カララも舐めない?」
マリアはカララに言ったが、
「絶対に無理です。私はお嬢様と違って邪な事を考えてますから」
そう言って断固拒否だった。